「マキャベリアンのサル」

マキャベリアンのサル

マキャベリアンのサル


本書は「ゲームをするサル」の著者ダリオ・マエストリピエリの一般向けの処女作で,前著に当たる「ゲームをするサル」が(一部勇み足的に進化心理学に突っかかっているところはあるにしても)結構読ませる本だったので,読み逃していたこの本も読んでみたものだ.原題は「Macachiavellian Intelligence」.この最初の単語はマカク属を表すMacacaとマキアベリアン知性仮説のマキアベリアンMachiavellianを掛けたものになっていてなかなか洒落っけのある題だ.


「ゲームをするサル」ではヒトの生態をいろいろ記述しながら,それが霊長類の行動パターンからかなり説明できることを見ていくというスタイルだったが,本書は著者の専門であるリーサスモンキー(Macaca mulatta;和名はアカゲザルで本書でもアカゲザルを訳語としているが,実際にはリーサスモンキーとして紹介されることの方が多いようだ)の生態を詳しく見て,最後にヒトについて論じるという構成になっている.


最初にリーサスモンキーについて解説がある.本種は,インド亜大陸から南中国,東南アジアの北部に広く分布するニホンザルに近縁なマカク類の一種であり,非常に適応力が高く,温暖で餌があればどこでも繁殖する.著者は本種を主に移入されたカリブ海のカヨ・サンチャゴ島で観察している.彼らは本来の分布域以外にも移入されればどこでも大きな母系集団を作って生態的に成功し(今調べると日本でも房総半島に外来種として定着しつつあるらしい),その中でマキアベリアン的な権謀術数に満ちた社会生活を送っているのだ.


著者はここからリーサスモンキーの社会生活を詳細に説明していく.

まず彼らは比較的大きな群れを作り,メスが残って母系集団を作り,オスが分散する.著者はオス分散について,群れを作る動物は近交弱勢を避けるためにどちらかの性が分散する事になるが,リーサスモンキーではオス分散の方が「経済的」であるからこうなっていると解説している.ややグループ淘汰的な説明ぶりだが,真意は「メスの方が放浪時に補食コストが高くなるため,より分散に消極的になり,オスが(よりコストが低いために)先に分散に踏み切りやすい」ということだろう.これに対してチンパンジー,そしてヒトでは逆になっている.おそらくオス同盟のメリットが大きいのでこうなっているのだろうと説明されている.

リーサスモンキーの母系社会の中では,基本的に血縁淘汰的な利他主義以外の利他行動はない.基本的に攻撃的で,隙あれば他個体を脅しつけよう(それにより自分の優位がより確立する)と虎視眈々とねらっている.また群れ間にも優劣関係があり,常にナワバリや採食順序を争っている.時に激しい戦争になるし,その場合には凄惨な殺し合いになる.よそもの嫌いの傾向はきわめて激しい.

群れ内ではメスは母系集団同士で争い,明確な母系集団間,そして母系集団内の順位制を作り上げる.母系集団間の順位は基本的に集団の大きさで決まる.そしていったん順位が確定するときわめて例外的な場合以外には順位変動はない.しかしアルファメスの死亡や頭数の変動などで革命が生じるときには母系メス集団同士の激しい抗争になる.いったん革命が始まるとそれは多くの場合成功し*1,それまでのアルファ集団は通常最下位に転落する.母系集団内ではアルファメスが第一順位で,後は若い娘ほど母親の庇護を受けられるために妹の順位が高くなる.著者はこれらの行為は基本的に適応価を争っているとして解釈して,すべてつじつまが合うことを強調している.彼らはマキアベリアンのサルなのだ.貸し借りを作り,スケープゴートを仕立てて自分への攻撃をかわす.母親の力関係を学習して誰に対して優位に立てるかを覚えていく.母親が末娘を支援するのは,自分と娘の力関係の逆転の可能性を最も低めるのに都合がいいからだと解釈できるのだ.

オスはこれらの闘争の外側にいて,メスとの交尾チャンスをねらう存在だ.分散するためか,血縁個体同士の同盟もほとんど観察されない.メスの母系社会の力が強いので,基本的にレイプは不可能で,交尾は取引になる.ここで面白いのは優位オスの戦略にも多型があって,ひたすら他オスの交尾をじゃましようとする個体と他オスにはかまわず自分の交尾回数を最大化させようとする個体があることだ.何故こうなっているのかはまだわかっていないそうだ.いかにも頻度依存的だが,何か条件依存的な部分があるのかもしれない.劣位オスの戦略はひたすら見つからないようにメスを誘い,できる限り短時間で射精にまでもっていくというものになる.メスは優位オスにはかなりの交尾割合を保証して保護を求め,劣位オスからは子殺しの回避,精子の保険などを得るための最小頻度で交尾を許す.(このためかリーサスモンキーの排卵もかなり隠蔽されている)


続いて子育て行動の観察事実が紹介され,血縁度とトリヴァースの親子間コンフリクトの概念が解説される.そしてリーサスモンキーの赤ん坊が母親の交尾を邪魔しようとする試みをその観点から説明している.このあたりは行動生態学に詳しい読者にはおなじみのところだろう.さらに赤ん坊に対して乳を出し渋る傾向を持つ母親は,遺伝的により激しく要求する子を産む傾向があることも指摘されている.著者はこれを単にアームレースとだけ解説しているが,この遺伝相関が生まれる仕組みには興味が持たれるところだ.


次は信号とコミュニケーション.ここの記述は行動生態学的ではなくかなりエソエロジー的で,非表象伝達,服従のサイン*2などが解説されている.ここで面白いのは,リーサスモンキーのような母系の順位がはっきり決まっている社会では社会的な伝達は少ない方が機能的になるだろうという指摘だ.硬直的な順位システムでは信号は明快で単純であればいいというわけだ.著者は明快には議論していないが,複雑で曖昧な信号はこのような社会では発信者に有利にならないということなのだろう.


ここまで長々とリーサスモンキーの行動パターンとその究極因を説明した後で,最終章は知性の進化とそしてヒト社会をどう考えればいいかが扱われる.おそらく本書において著者の最も書きたかった部分なのだろう.

リーサスモンキーの社会は群れが大きくて母系を中心としたはっきりとした順位制がある.このような中では順位を上げて適応価を上げるための様々な権謀術数が有利になり,マキアベリアン知性が進化する.では社会構造はどのように決まるのだろうか.よくある行動生態学的な議論では,リソース分布がメスの分布を決め,オスのメスやリソースの独占力がその上の構造を決めるということになる.著者はここでまず前半のメス分布を強調し,新皮質の大きさはメスの群れサイズとよく相関していると指摘する.リーサスモンキーではオスのリソース独占力はあまり要因としては働かず,移入してきたオスはメスの群れを何とか独占する1〜2年の間だけアルファになり,次々と交代していくのだ.社会構造はメス主体に決まり血縁縁故主義専制社会になる.

ではヒトはどう考えればいいのか.著者は,「ヒトの本性の基層にはリーサスモンキーと同じ血縁縁故主義専制主義がある.そして様々な環境条件に応じてオスのリソース独占力が生じ,さらに環境条件の詳細によって狩猟採集社会的な平等主義になったり,農業以降社会のような資源蓄積可能な場合の専制主義になったりし,その上に文化的な要素が乗るのだろう」と指摘する.*3

やや偏った見方のような部分もあるが,一面の真理はとらえているようでもある.ここで面白いのは,リーサスモンキーのような社会では興奮しやすい性格,好奇心が有利になり,これが彼らの異なる環境への適応力の高さ,分布域の広さの要因となっているのではないかという指摘だ.そしてヒトもそれによく似ているところがあると示唆する.そして著者は最後にヒトはさらに大きくなった新皮質でリーサスモンキーと異なる社会を創造することも可能だろうとコメントして本書を締めくくっている.


本書における著者のスタンスで特徴的なのは,基本的にエソロジー的な観察を行っているのだが,きちんと行動生態学的にも考察し,その背景の適応価を意識して説明しようとする姿勢だ.そしてそれは一般向けの本として(一部血縁度の説明などわかりにくい表現もあるが)本書を魅力あるものにしている.

そしてこれを読む日本人読者として思うのは,何故このような行動生態とエソロジーを統合したようなニホンザルの本を日本人研究者は書くことができなかったのだろうということだ.ここで述べられているリーサスモンキーの社会の様相はニホンザルと似ている部分が多く,研究者にとっては常識的なことが多いだろう.しかしそれを究極因的に解説した本はあまりないような気がする.実際に訳者あとがきでは(京大霊長類研究の流れの中で研究歴のある訳者自身が)「マカク類のメスの順位における『末子優位の原則』はニホンザルにおいてもよく知られていたが,日本の研究者たちはそれを順位制とカルチャーの問題としておしまいにしていた」と述懐している.今日では行動生態的な理解の深い研究者も多いだろうから是非ニホンザルについてのこのような一般向けの本も出してほしいものだ.ともあれ,本書はマカク属霊長類の社会構造の一般向け解説書としてはとてもいい本だと思う.


関連書籍


原書

Macachiavellian Intelligence: How Rhesus Macaques and Humans Have Conquered the World

Macachiavellian Intelligence: How Rhesus Macaques and Humans Have Conquered the World


本書に続くマエストリピエリの第二弾.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20150602

ゲームをするサル―進化生物学からみた「えこひいき」(ネポチズム)の起源

ゲームをするサル―進化生物学からみた「えこひいき」(ネポチズム)の起源


同原書

Games Primates Play: An Undercover Investigation of the Evolution and Economics of Human Relationships

Games Primates Play: An Undercover Investigation of the Evolution and Economics of Human Relationships



 

*1:かなり明確に力の差が逆転してから革命が始まるということなのだろう

*2:歯をむき出しにする表出.著者はこれはヒトにおける微笑みと相同だと示唆している

*3:その傍証として,優位者の独占力が高く,文化の要素がはぎ取られたようなむき出しの社会,たとえば軍隊や拘置所のようなところでは例外なく縁故主義専制社会になることを挙げている.