「生命の不思議に挑んだ科学者たち」

生命の不思議に挑んだ科学者たち

生命の不思議に挑んだ科学者たち


書名からすると生物学者列伝のような印象だが,実は中身は著者である昆虫学者宮竹貴久の興味のある分野の学説史的な解説と体験談が合わさったエッセイのような本である.

冒頭第1章はある意味当然ながら「種と進化」.リンネの分類と二名法の後,ダーウィンの生涯を簡単に振り返りながら自然淘汰とは何かを説明する.自然淘汰の実例にはグラント夫妻のダーウィンフィンチのリサーチが取り上げられ,種分化の実例としてはブッシュのサンザシミバエとリンゴミバエの同所的種分化のリサーチが紹介されている.このあたりは宮竹の特に好きなリサーチということなのだろう.その後ゴールトンの遺伝と育種,木村の中立説と浮動にも触れている.浮動の説明はボトルネックと創始者効果の部分が強調されている.

第2章は「性」.有性生殖の謎については2〜3ページでさらっと書いている.おそらく著者は主に性淘汰の話を書きたかったのだが,触れないわけにもいかないだろうというところなのだろう.しかし肝心の二倍のコストの問題を明示しておらず,中途半端な印象だ.
というわけでつづいて性淘汰の話になる.ここでも理論の説明はザハビのハンディキャップ,巌佐のランナウェイ数理モデルなどがところどころにつぎはぎのような形で紹介されているだけで,グラフェンは登場しないし,統一的に解説がなく,物足りない.
逆に実際のリサーチは数多く紹介されていて充実している.まずクジャクの目玉模様の数の配偶者選択リサーチはペトリーのリージェントパークのクジャク,高橋の伊豆シャボテン公園のクジャクのリサーチ,さらに最新2011年のデーキンのトロントの公園のクジャクのリサーチを連続的に紹介していて読ませる作りになっている.
このあとライオンのタテガミがハンディキャップ形質であるらしいこと*1,( 日本を代表するような昆虫であり,アジアにのみ分布する)カブトムシのツノのリサーチは英国人によってなされたこと*2にふれ,いよいよ著者の興味の中心甲虫のオスの武器の話になる.
甲虫のオスの角はなぜあるのか.ハミルトンはそれはオスの同性間競争の武器であると提唱したが,それ以外にも様々な考えがあった.ウォレスはいかにもビクトリアンらしく捕食者防衛の武器と考えたし,穴掘り道具説,アロメトリーの副産物説などもあった.宮竹はこれはフィールドで観るしかないのだと書いていてフィールドリサーチャーの心意気を示している.そしてビル・エバーハードを「戦う甲虫研究の父」と呼び,野外でのオスの闘争の執念の観察,スニーカーオスの発見などのエピソードを詳しく紹介している.そこから精子競争,メスの隠れた選択,性的コンフリクトと進み,パーカー,ハミルトン,ソーンヒル,オルコック,エバーハードと名だたる進化生態学者が登場し,本書の読みどころの1つとなる.
この最後の性的コンフリクトの部分で,オスの精液に含まれる毒のためにメスの寿命が縮む話が出てくる.ここは宮竹自身のリサーチも絡み次章につながる話題のために丁寧に説明がある.最近の面白いリサーチ結果として,マメゾウムシのメスが交尾中にオスをキックする現象は,以前はメスがコンフリクトによるコストを避けようと抵抗していると考えられていたが,実はオスによる操作である可能性が示唆されているというものがある.詳しいことはまだよくわかっていないようだが興味深い.また性的コンフリクトと種分化の話題も最後に取り上げられている.ここも宮竹の興味がある分野のようだ.

第3章は宮竹の主たるリサーチエリア「寿命あるいは老化の進化的な意義」について.ここは宮竹の目から見た学説史の生の姿が捉えられていて臨場感がある章になっている.最初は(淘汰が及ばない部分の)有害変異蓄積説と(若い頃に有利であれば後での不利があっても淘汰上選ばれるという)トレードオフ説の対立としてフレームが捉えられる.アメリカと英国でそれぞれに有利な実験結果が出て,論争は深まり,それはそもそも排他的な問題ではなく様々な環境条件によってどちらの側面がより大きく出るかが異なるのだと理解されるようになる.ここでは宮竹が師事したリンダ・パートリッジの学者振りが畏敬の念とともに詳しく紹介されている.宮竹は当時ウリミバエ根絶プログラムに参画しており,様々な実務的な問題*3からこの寿命に与える淘汰圧について興味を持っていたのだ.そしてそれまでの行動生態学のphenotypic gambitを越えて至近的なメカニズムの解明も合わせたリサーチに活路を見いだすようになる.このあたりは詳しい状況だけでなく様々な背景や想いがこもったエッセイになっていて読ませる部分になっている.

第4章は時計遺伝子について,ここは学説史的に至近メカニズムの解明の話が続く.私にはなじみのないところで面白い.そして進化的意義の解明はこれからということになる.ここにもphenotypic gambitを越えてすすみたいという宮竹の心意気が示されているようだ.

というわけで本書は4つのテーマに沿ったそれぞれ毛色の異なる解説兼エッセイが寄せ集められた本ということになる.理論的に詰められてはいないが,肩の凝らない軽い副読本としてはとても楽しい読み物だと思う.


関連書籍


宮竹の最初の本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20111217

本書はかなり早くからKindle化されている.


戦う甲虫研究といえばエムレンも外せないだろう.最近出されたエムレンの本

動物たちの武器

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同原書.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20150217

Animal Weapons: The Evolution of Battle

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エムレン自身の昆虫の器官のトレードオフの研究が丁寧に説明されている.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20120313

In the Light of Evolution: Essays from the Laboratory and Field

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  • 作者:Losos, Jonathan
  • 発売日: 2016/04/22
  • メディア: ハードカバー


本郷儀人によるカブトムシの本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20121128

本書もかなり早くからKindle化されている.




 

*1:より大きくて黒いタテガミは灼熱のアフリカでは熱吸収して生理的なコストになる

*2:日本の昆虫学者は農学部に属しているので害虫でないカブトムシを研究するのに躊躇があったのだろうと口惜しそうに解説されている.なお現在は本郷儀人が精力的にカブトムシをリサーチしている

*3:要するに放虫する不妊のオスウリミバエの品質管理問題ということになる.人工的な飼育では様々な野外での適応的な形質が緩んでしまうのだ.できるだけ高齢のメスからとった卵を使うことが寿命という意味での生産されるオスの品質を保つことにつながる