Language, Cognition, and Human Nature 第1論文 「言語獲得の形式モデル」 その1

Language, Cognition, and Human Nature: Selected Articles

Language, Cognition, and Human Nature: Selected Articles

Formal Models of Language Learning. 1979 Cognition, Cognition, 7, 217-283.

エッセイ


最初は導入エッセイだ.ここでは何故自分が言語や認知や進化心理を扱うようになったかが書かれている.これも冒頭が面白い.

科学者はよくどのようにして今の自分の分野にたどりついたのかを尋ねられる.そして気の利いた学者はよくできた子供の頃のエピソードを提供する.例えばスティーヴン・ジェイ・グールドは5歳の時に父と一緒にアメリカ自然史博物館の恐竜を見たことを語る.その魅力的な話についてグールドをうらやんでいるわけではないが,ほとんどの科学者にとってはそのような説明は真実ではないのではないかと思う.菌類学者,結晶学者,三葉虫学者,そして物性物理学者になるべき特別なイベントに気づく子供が一体どのぐらいいるだろうか?少なくとも私についていえば,心理言語学者になるべきそのようなエピソードは確かになかった.

ピンカーはそのようなエピソード(例えばバイリンガルケベックで育ってヘブライ語学校に通ったことなど)をでっち上げようかと思ったこともあったそうだが,要するにちょっとした偶然が重なって今の道に踏みいったと述懐する.確かに人の人生の軌跡は偶然に大きく左右される.このあたりはグールドに対するいろいろな感情がちょっと見えているようで面白いところだ.

  • ハーヴァードの学部を卒業するときには言語は認知心理学の1つのトピックでしかなかった.しかし当時ハーヴァードは認知心理学テニュアの道を閉ざしていて,唯一認知にかかる一般的なコースは言語獲得にかかるものしかなかった.
  • その分野のリサーチを読んでみたが,不満を感じざるを得なかった.そこには子供のかわいらしい言語使用の例はあるが,どのようにして言語獲得するかについては曖昧でいい加減で,それまで勉強していた視覚や記憶にかかる認知科学の計算論的モデルとも合わないようだった.
  • 「生得的知識」「一般認知学習メカニズム」「親からの入力」などと言うときに誰もその言葉の正確な意味を知らないとしか思えなかった.
  • 当時たまたま(まだよく知らなかった)数学者E. M. Goldの「計算についての数理理論」という論文が論理学のコースの課題になって読む機会があった.そこでは言語獲得の問題について数学的にフォーマライズしようとしていた.私はその分野を勉強していたのでそこで使われてているジャーゴンが理解できた.証明は単純だった.
  • ほかに書くものもなく,私はその両者をくっつけて言語獲得の数学的かつ計算論的なモデルについての論文を書きはじめた.そしてそれが2年後に最初の主著論文となったのだ.
  • 書いた後も言語獲得は視覚表象形成リサーチの脇道だと思っていたが,周りは私の言語獲得のアイデアはより面白いものだと扱い続けた.結局私のすべての仕事はそれを中心に回り出すことになる.私は言語獲得性,言語発達,認知についての理論を作り上げ,それを実証していくことになる.


ピンカーはこの仕事がきっかけで認知における「生得的メカニズム」の重要性を深く感じるようになったと書いている.何らかの学習獲得性を議論するには,どのような生得的なメカニズムがあるのかを理解することが鍵になるのだ.そしてピンカーはヒトの本性に生涯にわたって魅惑され続けることになる.そしてこの仕事は同じくピンカーの「ヒトの心が空白の石版である」という当時の共通前提に対する反発も示しているのだ.

ピンカーは「本論文集の執筆に当たってこの35年前の論文を自分で読み返すときにはちょっと怖かったが,読んでみると結構うまく書けていると思う」と書いている.ちょっとした自画自賛で面白い.「多くの認知科学者が,ゴールドの定理を言語獲得について応用するときの間違いやすいところを警告しているが,それらは皆この論文に含まれている.そして最近流行の確率論的モデルやベイズ的なモデルも含まれているのだ」.
最後に論文にまつわる面白エピソード.この論文でピンカーは組み合わせ数の爆発的な増加を示すのに "googol" という単語を使っている.これは10の100乗を表す言葉だが,当時(論文発表は1979年,原稿は1977年から書き始められた)はもちろんGoogleが登場する前であり,あまりこの言葉を知る人もなかった.そして指導教官だったマクナマラは論文原稿の余白にこのような詩を書き付けたそうだ(原文はちゃんと韻を踏んでいる).

googol」は0を多く持つ嫌らしい怪物.
それは言語獲得の目的には何の関係もない.
その0の多い尻尾は無害に見えるが,
ハチと同じように鋭い針があるのがわかるだろう.

Introduction

ここから論文本体になる.まずは導入部

  • 子供がどのようにして話せるようになるのかは認知科学の最も重要な問題の1つだ.特に興味深いのはその獲得の謎だ.どうやって限られた観察から妥当な一般化をすることが可能なのだろうか.
  • そしてそれは理論構築への実証的な制約を通じて科学の進歩にもつながるように思われる.というのは,その理論はすべての正常な子供が言語を獲得できることを説明できなければならないし,それが言語とは何かという理解や子供の言語発達の過程と整合的でなければならないからだ.

ピンカーは理論が克服しなければならない制約条件を次のように列挙する.

  1. 学習可能条件:すべての正常な子供が自然言語を獲得できるための強力なメカニズムの提示が必要だ.特に言語の構造は非常に論理的で複雑だが,それでも子供はチェスや数学と異なり皆言語を習得できることが説明できなければならない.
  2. 当潜在能力条件:そのメカニズムは特定の言語のみに適用できるものであってはならない.すべての自然言語が学習できるメカニズムの提示が必要だ.
  3. 時間条件:そのメカニズムは3歳程度までの期間で言語を獲得できなければならない.
  4. 入力条件:入力について子供が実際に受け取るタイプ,量で言語が獲得できなければならない
  5. 発達条件:子供の言語獲得の発達過程が説明できるものでなければならない.
  6. 認知条件:子供の認知能力で可能なものでなければならない


そしてこれまでこの6条件をすべて満たしたメカニズムの提示されていないとピンカーは主張する.

  • 心理学リサーチは後の3条件についてしか考えていない.
  • 学習可能条件についてのリサーチの試みはあるが,全く曖昧な内容だ.生得的スキーマ,一般的多目的学習戦略,認知発達の副産物などなど.それが上記条件を満たしているかはほとんど吟味されていない.
  • 学習可能条件に関するいくつかのリサーチはあったが,心理学において引用されることはなかったし,発達言語心理学者たちはこれらのリサーチについて知らないようだ.
  • 文法獲得に関する数理言語学,計算理論のいくつかのリサーチは,言語獲得がどのような場合に可能かの理論を示そうとしていた.
  • AIや認知シミュレーション分野で,言語獲得をシミュレートしようとする試みがあった.
  • 変形文法分野で,変形文法獲得可能なモデルを作る試みがなされていた


そして本論文でこれらの形式モデルを批判的にレビューし,言語獲得の理解に役立てたいと宣言する.そして形式モデルの利点を次のように説明する.

  1. 言語獲得を可能にするモデルは非常に厳しい制約条件を克服する必要があり,(現在発達心理学がフォーカスしているような)発達過程だけを説明しようとする試みよりも,はるかに頑健な言語獲得にかかる究極理論の第1近似になるだろうと思われる.
  2. 形式モデルは理論家に対して明晰性を要求し,それはこの分野にある多くの概念的な問題を明確化するのに役立つだろう.例えば,自然言語を学習するのに必要な知識は何か,どんな情報が学習を容易にしたり困難にしたりするのか,意味論的な情報は文法学習にどのような影響を与えるか,そもそも「意味論的情報」のような曖昧な概念を情報構造上どう定義すればいいのかなどをはっきりさせるには明晰で機械論的な理論が役に立つだろう.


そしてこれからの論文構成の概要を提示する.

  • 第2部では数理的言語学の語彙と概念を提示する.
  • 第3部と第4部では言語獲得性に関するゴールドの定理とそれに関するリサーチを取り上げる.
  • 第5部では「ヒューリスティック」な言語獲得モデルを扱う.
  • 第6部と第7部では言語獲得にかかる「意味論的」あるいは「認知的」アプローチを扱う.
  • 第8部ではハンバーガー,ウェクスラー,カリカヴァーたちの言語獲得にかかる変形文法モデルを取り上げる.
  • 第9部ではこの発達心理言語学のリサーチの持つ意味について考える.


若書きの論文だけあって,なかなかハードな感じだ.どこまで理解できるか心許ないが,ゆっくり読んでいこう.