Language, Cognition, and Human Nature 第5論文 「自然言語と自然淘汰」 その13

Language, Cognition, and Human Nature: Selected Articles

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チョムスキー生成文法理論は,子供が得ているインプットにより単純に学習できるようなものでないことを衝撃を持って世界に示した.しかしでは何故(イデオロギー的な理由はともかく,理論的に)グールドに賛成できるのだろう.ピンカーはチョムスキーの理屈を追うことから始めている.

4.2 可能形態の制約
  • 心が多目的の学習デバイスだという理論は,本来チョムスキー(そしてピアテリ=パルマリーニ)にとって破門宣告に値するようなものだ.そして彼等がグールドに一般的に賛成していることは非常に不可解に思える.
  • 最近グールドはいくつかの共通性を示唆している.彼によればチョムスキーは「可能な生命の形態に関する制限法則によって進化を説明する」という大陸の伝統によっているというのだ.例えばチョムスキーはこう書いている.

心の進化を研究するに当たって,我々は物理的に可能な代替形態の広がりを推測することができない.たとえば,ヒトの他の物理的な条件に合うような変形生成文法の代替形態があるだろうか.それはないのかもしれない.だとすれば言語の進化を考えることに意味はなくなる.
このような言語学習スキルは,ほかの理由で生じた脳の構造特性から付随的に生じたのかもしれない.より大きな脳,広い大脳皮質面積,分析の特化に向けた脳半球の特殊化,その他多く構造的な特徴への淘汰圧があったとしよう.すると脳は個別に淘汰されたのではない多くの特別の特徴を持つようになるだろう.ここには奇跡はなく通常の進化過程があるだけだ.私たちはヒトの進化過程の条件下で10の10乗のニューロンがバスケットボールの大きさに置かれたときに何が生じるかを物理学的に理解しているわけではない.
このような(膨大なデジタルシステムの進化という)観点から考えると,自然淘汰についての推測はほかの推測より何かもっともらしいということはなくなる.それは単にヒトの進化の特殊条件下で脳があるレベルの複雑性を越えたことによる創発的な物理学的現象なのだろう.

  • チョムスキーは何か特別の進化仮説を議論しているわけではないが,彼は何度も繰り返して「物理法則」を自然淘汰の代替説明であるかのように用いている.しかし,(自然淘汰の代わりに)私たちが何を考慮すべきなのかは明らかではない.
  • 確かに自然淘汰は言語のすべての側面を説明できるわけではない.しかしだからといって,この精妙な自然言語のデザインを説明できるような未発見の物理法則があると信ずべき理由などどこにもないのだ.もちろんヒトの脳は物理法則に従う,しかしそれはその特別な特徴がそれで説明できることを意味しない.
  • よりもっともらしくするなら,言語にかかる神経ベースやそのエピジェネティックな成長にあり得る制限を探すということだろう.しかし神経組織は,皮質中のどこにでもある成長過程によって配線されているし,その成長過程は多かれ少なかれすべての動物で見られるものだ.別の生物ではそれは花粉ソースとのコミュニケーション,天測航法,エコロケーションのドップラーシフト効果,立体視,飛翔コントロール,ダム建設,音響擬態,顔認識などの計算能力のために進化してきた.少なくともそのような特別の計算能力が関係する限り,物理的な神経システムの可能空間はそれほど狭いはずがない.そして「基層分子の結合やシナプス競合にかかる法則が,動物の組織形成の何段もの上のレベルにおいて,巨視的な物体のレベルでの興味深いエンジニアリングタスクを達成するような結果を自動的にもたらす」ということは最もありそうにない.
  • 脳の量的な変化は脳の質的変化をもたらしうるかもしれない.しかしただ大きくなることは,言語にとっての必要条件でも十分条件でもない.それはレンネバーグ(1967)の無脳症や頭蓋計測法にかかるリサーチで示されている通りだ.
  • さらに回路によりたくさんニューロンを詰め込んだり,脳によりたくさんの回路を詰め込んだりするだけで興味深い計算能力が産まれると考える理由はどこにもない.それは単に巨大なランダムパターン生成期を生みだすだけだということの方がはるかに生じやすいだろう.ニューラルネットワークモデリングのこれまでの努力が明らかにしているのは,複雑な計算能力を得るには精妙なデザインを実装しておくか,非常に豊富な構造化されたインプットを学習期間に与えるか,あるいはその両方が必要だということだ.チョムスキーの示唆はこれらと整合しない.
  • そして最後に,「ヒトの言語は脳の増大の不可避の結果だ」という推測に反する直接的なエビデンスが存在するようだ.ゴプニック(1990)は,その他の知能は全く正常にもかかわらず,単複,ジェンダー,時制,格などの形態素を扱うことができない発達的失語症を報告している.そのうち1人の10歳の少年は数学のクラスでトップグレードの成績であり,優れたコンピュータプログラマだ.これは文法コンポーネントを欠いているヒトの脳は物理的にも神経発達的にも成立可能だということだ.
  • 要するに,「言語は巨大な脳に未知の方法で働きかける物理法則の産物だ」という仮説には何の支持証拠もないということだ.そして,言語能力という複雑な構造に対する最もありそうな説明は進化淘汰圧により神経回路に実装されたデザインだというものだ.


「脳が大きくなって,複雑になるとある日突然言語能力が創発する」という推測は,(そのようにしてコンピュータシステムに意識が生じるというSFはあるにしても)あまりにもばかばかしい考えというほかないが,それが当時アメリ東海岸でカリスマ的な名声を持っていたチョムスキーとグールドによるものであればこのぐらい丁寧に論破する必要があったということなのだろう.