Language, Cognition, and Human Nature 第5論文 「自然言語と自然淘汰」 その14

Language, Cognition, and Human Nature: Selected Articles

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代替仮説を検討した後,ピンカーは言語適応仮説について,その進化プロセスが可能かという点を議論する.これは批判に応える試みでもある.

5. 言語進化プロセス

  • ユニバーサル文法が自然淘汰で進化するためには,それが何か一般的に有用だというだけでは足りない.まず個体間に文法的なコンピテンスについての遺伝的な変異がなければならない.また言語がない状態から現在の言語能力にいたる間に,突然変異や組み替えによる改善で到達可能な漸進的なステップがあり,そのステップそれぞれの段階で,その文法に何らかの有用性がなければならない.それは話し手にとって子孫を残すために有利であり,その有利さは祖先個体群で固定に至ることが可能な程度に大きくなければならない.そして言語を持たない類人猿と私たちの間に十分なだけ進化時間とゲノムスペースがなければならない.
  • これらの条件の有無について決定的なデータがあるわけではない.私たちは言語の生物学と進化学についての知見から考えて,これらの条件が満たされたいたことが極めてありそうだということを主張していきたい.
5.1 遺伝的変異

最近の生得主義言語理論は現代生物学と相容れない.エルンスト・マイアは生物学的に成立しうる生得性の原則をこう書いている.「原則の一つは,本質主義的な考察(言語能力を仮説的なユニバーサル文法として特徴付けること)は実在の生物の生物学的な能力を記述するには不適当だということだ」
真の生得主義理論は遺伝的変異を扱っていなければならない.この惑星のすべてのヒトに全く同じユニバーサル文法能力があり,それが遺伝的に伝達されるというのは,生物学的な蓋然性の範囲外にあるのだ.

  • リーバーマンはこの文章を,「文法は一般学習能力によって学習されるのであり,(生得的)モジュールによるのではない」という主張の一部として書いている.
  • しかしこの文章は様々な誤解と歪曲に満ちている.
  • チョムスキー言語学は,マイアが書いているような本質主義のまさに正反対の考え方だ.それは個体間にある抽象的な能力を,非現実的な随伴現象である「The English language」として扱っているのだ.科学的に取り扱える実体としては個人の話し手ごとの能力があるだけだ.
  • 確かに特定言語の文法,そしてユニバーサル文法は.しばしば暫定的に理想化された単一システムとして描写される.しかしこれはシステムレベルの生理学や解剖学ではよくあるやり方だ.例えばヒトの目の構造は,すべてのヒトが同じ眼を持っているように,そして個体差は標準からの逸脱として描写される.これは自然淘汰が変異の上にかかり,その結果として変異を淘汰し尽くしてしまうからだ.適応的な複雑な構造においては,現在私たちが観察できる変異は基本デザインの質的な違いを含んでいない.そしてこれは当然複雑な心的な構造にとっても同じだ.
  • そしてリーバーマンが示唆しているのとは逆に,文法能力には変異がある.通常「正常」と扱っている人々の中にも,ぎくしゃくした文法を用いる人もいれば,流れるような文法でしゃべる人もいる.創造的な文法を用いる人もいれば,ことわざに頼る人もいる.慣習を墨守する潔癖主義者もいれば,どんどん新しいしゃべり方を取り入れる人もいる.このような個体差の一部はそれぞれ別の言語サブシステムに由来しているのだろうし,さらにその一部には遺伝的な基盤があるだろう.そのような証拠の一つとしては,ビーバーたちによる「左利きの多い家系に産まれた右利きの人はより文法分析より語彙的な連想に頼りがちになる」という,膨大な実験的なデータがある.
  • さらに「正常」範囲を超えた,遺伝的に伝達される文法能力の障害症例がある.レンネバーグは性染色体上の優性遺伝をする文法障害の例を,ゴプニック達は形態素使用の障害を持つ家系的に伝達される優性遺伝的障害事例を報告している.
  • これは私たちが遺伝的な下接条件障害や照応型無知覚症を容易に発見できるということを意味するわけはない.多面発現はありふれているし,遺伝的な文法現象がすべて単一遺伝子に支配されていると考える理由はどこにもない.「右手を持つ」という形質には遺伝的な基盤がある.だからといって赤ん坊が片腕になる遺伝的疾患が必ず存在するわけではないのだ.
  • さらに一部の人にある文法デバイスの完全な欠損があったとしても,それはかなり徹底したリサーチを行わなければ発見できないかもしれない.異なる文法サブシステムは表面的には似かよった構造を生成できる.そしてこの仮説的の障害者は別のサブシステムによってうまく補完できていてもおかしくないのだ.


リーバーマンの無理解もなかなかのものだ.チョムスキー言語学についての見当違いの批判については(生成文法を支持する)ピンカーとしても見逃し得ないということなのだろう.いずれにせよ文法能力に遺伝的な変異があるのは疑い得ないところだ.