Language, Cognition, and Human Nature 第6論文 「項構造の獲得」 その1

Language, Cognition, and Human Nature: Selected Articles

Language, Cognition, and Human Nature: Selected Articles

The Acquisition of Argument Structure

第6論文は学術誌に寄稿されたものではなく,ピンカーの単著「Learnability and Cognition」の要約だ.まずこの本のテーマにかかる問題意識がエッセイで説明されている.

エッセイ

  • 10年以上私は言語獲得のパラドクスに取り憑かれていた.
  • それは言語学的な謎の一つに関連していた.その謎は「なぜ ”He poured water into the glass.”とか “He filled the glass with water.”とかはOKなのに,”*He poured the glass with water.”とか “*He filled water into the glass.”という文は奇妙に聞こえるのか」というものだ.
  • この謎は言語獲得を行っている子供の環境を考えるとさらに難解なものになる.彼等は間違って話しても通常両親から訂正されないし,両親から聞いた構文に制限されるわけでもないのだ.
  • それにより,私は言語と認知に関する基本的な問題に直面せざるをえなくなった:いつどのようにして子供は一般化するのか?,この言語の奇妙な特質の背後にはどのような合理性があるのか?,言語は思考とどのように関連しているのか?,なぜ子供の言語は大人のそれとは異なっているように見えるのか?
  • これらを結びつけてパラドクスを解こうとした試みは私の2冊目の学術的な著作「Learnability and Cognition」(1989)に結実した.
  • 一見小さく見えるトピックについて大部の本を書くという作業を行っていると,不思議の国のアリスになってウサギの穴に落ち込み奇妙不可思議な地下世界を発見しているような気がしてくる.
  • 私は,子供がどのようにこのような動詞の違いを会得するかを説明するには,ヒトの因果,空間,時間,物質,目的に関する概念を探る必要があることを発見した.動詞の統語論は「思考の素(The Stuff of Thought)」を明らかにしているように思えた.この考えは2007年の「The Stuff of Thought」につながることになった.


このエッセイでピンカーが示しているのは述部項構造(predicate argument structure)と呼ばれるものだ.特定の述部はそれを文章にする際に特定の項目を伴う.どのような形でどの項を伴うことができる,あるいは必要とされるかが述部ごとに決まっているのだ.特定の項目にはAgent(動作主)Actor(行為者)Theme(主題)Object(対象)Goal(着点)Beneficiary(受益者)Source(起点)Instrument(道具)Location(場所)などがあるとされる.
ここでは英語が例に取られているが,日本語にもこの構造はあり,「注ぐ」であれば,「動作主が,容器に,中身を,注ぐ」という形をとるが,「満たす」であれば「動作主が,容器を,中身で,満たす」という形になる.

この問題は確かに「The Stuff of Thought」で延々と解説されていて非常に面白かったところだ.実際にこれに関連する章には「Down the Rabbit Hole:ウサギの穴の中に落ちて」という章題がついている.これはヒトの本性とは何かを考察することを通じて,ピンカーが進化心理学に傾倒するきっかけになった問題だということになる.


関連書籍

もともとはここにあるように1989年の出版だが,2013年にピンカー自身が新しい序言を書き起こして追加し,改訂版になっている.

Learnability and Cognition: The Acquisition of Argument Structure (NONE) (English Edition)

Learnability and Cognition: The Acquisition of Argument Structure (NONE) (English Edition)


ヒトの思考がどのようになっているのかを言語の面から解説するピンカーの本.私の読書ノートはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20071109から,書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080925にある.

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


同邦訳

思考する言語(上) 「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)

思考する言語(上) 「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)

思考する言語(中) 「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)

思考する言語(中) 「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)

思考する言語(下) 「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)

思考する言語(下) 「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)


ここで最も関連する「Learnability and Cognition」の2013年改訂版のピンカー自身による序言もここで紹介しておこう.

The Secret Life of Verbs: A Preface to the New Edition

  • この本はヒトの学習,理解,動詞使用に関するテクニカルな本だ.本書は言語学認知科学の学生やリサーチャー向けに書かれているが,その後書かれたポピュラーサイエンス本のネタになった内容を含んでいる.だから大学出版から刊行される言語学の本に出てくるような「忙しいジョン」や「いつも困っているメアリ」みたいな登場人物だけでなくボブ・ディランの詩やドリー・パートンの皮肉や,テレビドラマ,ホビー雑誌,email,キャベツジュースのレシピまで取り上げている.


「忙しいジョン」や「いつも困っているメアリ」というのはちょっとよくわからない.中学生向けの外国語テキストではなく大学出版による言語学本にもこのようなステレオタイプな登場人物が出てくるのだろうか? この後「Learnability and Cognition」と「The Stuff of Thought」の関連について本エッセイとほぼ同じ内容が語られている.

  • 本書で取り上げた内容は20年後も私に取り憑いていて,「The Stuff of Thought」を書くことになった.そのときにはこの発見を不思議の国のアリスがウサギの穴に落ちて不思議な世界を発見したことに例えたものだ.子供がどのようにして「注ぐ」と「満たす」の違いを身につけるのかを知るには,ヒトが因果,空間,時間,物質,目的についてどう概念化しているのかを考える必要があった.動詞の統語論が思考の素と相互作用をしていることを発見し,私は本のサブタイトルを「ヒトの本性を覗く窓としての言語」にしたのだ.


ここからは初版本以降の本テーマのリサーチの進展を紹介する部分だが,冒頭はなかなかシニカルで面白い.項構造のミクロなリサーチの進展.ジャッケンドフとタルミーによる自説の拡張が紹介される.

  • 改訂版の序言やあとがきをいくつか書いてきた経験からいうと,テーマに関する新しい研究例をアプデートしても誰も読まないだろう(4冊ほどそういう内容の改訂版の序言を書いたが引用されたことはない).もちろん本書のテーマが引き続き今日の認知科学にとって重要だと考えていなければこの改訂版を出したりはしない.そこでここでは本書初版出版以降得られた関連するいくつかの一般的な知見を紹介しておこう.
  • その中でも最も関連するのは,当然ながら「The Stuff of Thought」の第2章「ウサギの穴の中に落ちて」だ.そこでは本書の内容が,テクニカルな言語学的な記述を省略するとともに,新しいリサーチの結果を取り入れてまとめられている.これに関する英語動詞の徹底的なリサーチはレビンとホバフによって2005年に「Argument Realization」として出版され,パーマーによってオンラインレキシコン,VerbNet (http://verbs.colorado.edu/~mpalmer/projects/verbnet.html)となっている.
  • また「The Stuff of Thought」には「5000の生得的なコンセプト」という章(第3章)もある.ここで私は,フォーダーによる「動詞の意味は原始的で生得的だ」という代替理論に対して「概念的構造」というアイデアを提示し,さらに「ラディカルな語用論:単語の意味は無限に流動的で移ろいゆくものだ」「言語学決定論:概念的構造は言語を言語たらしめているものではなく,言語獲得による産物だ」と主張している.さらに第4章「大気を切り裂く」では,語彙的な意味論は,ヒトの心が物質,空間,時間,因果をどのように概念化し,言語として表現しているのかを深く探る窓になると主張している.
  • そして「The Stuff of Thought」のこれらの主張は,2人の意味論言語学者レイ・ジャッケンドフとレン・タルミーの理論の中で広がりを与えられた.レイ・ジャッケンドフは「Semantic Structures」「 Meaning and the Lexicon」「A User’s Guide to Thought and Meaning」を書き,レン・タルミーは「Toward a Cognitive Semantics」という巨大な2冊本を出版したのだ.


Semantic Structures (Current Studies in Linguistics)

Semantic Structures (Current Studies in Linguistics)

Meaning and the Lexicon: The Parallel Architecture 1975-2010

Meaning and the Lexicon: The Parallel Architecture 1975-2010

A User's Guide to Thought and Meaning

A User's Guide to Thought and Meaning

Toward a Cognitive Semantics - Volume 1: Concept Structuring Systems

Toward a Cognitive Semantics - Volume 1: Concept Structuring Systems


ここから当時のチョムスキー理論と「Learnability and Cognition」で主張したフレームとの関係が振り返られている.ここもなかなか面白いところだ.

  • 振り返ってみると,当時の文法的な伝統主義に対して挑戦的に本書を書いたことは良かったようだ.というのは,当時権勢をふるったチョムスキーの統率束縛理論(GB 理論:theory of Government and Binding)も今となっては当時の支持者たちから見捨てられているし,その承継理論である極小主義プログラム(the Minimalist Program)も語彙意味論と項構造の関係について大した洞察を与えてくれないからだ.本書で用いたブレズナンの語彙機能文法の希釈版は,本書の分析をブレズナンの最新文法にも,さらにその他の最新文法理論(ジャッケンドフのParallel Architectureなど)にも適用可能にしてくれている.実際,私の項構造における「主題のコア」という考えは,動詞の合成クラスを項構造と適合させることを可能にし,構文文法理論における意味構築というアイデアに近いものだ.
  • この2つのアプローチの関係に関連してよく尋ねられる質問は,「そもそも私の『語彙ルール(意味論構造と項構造のマッピングに関するルール)』は必要なのか」「動詞の意味を直接項構造にマッピングできないのか.同じ動詞に複数の意味があれば複数の項構造を持つと説明すればいいのではないか」というものだ.そして答えは語彙ルールは必要で,意味からの直接マッピングでは不十分だというものだ.理由は語彙ルールは関連する意味間の形態的なルートの分布を決めているからだ.特にある構文から別の構文に移ったときに,ルートが不変か,どう修正されるべきか,関連構文に表出できるかどうかを決めている.


次に発達言語心理学との関係が取り上げられている.

  • 私は私が最初に興味を持った問題(関連する項構造の動詞を子供がどのように使えるようになるのか)を発達心理学者が詳しく正確に調べてくれているのを嬉しく思っている.・・・(いくつもの事例が紹介されている)


最後にもう一度動詞の意味論(項構造)がヒトの心を覗く窓であることを強調し,「Learnability and Cognition」では取り上げなかったが,「The Stuff of Thought」で取り上げたセックスに関する動詞の分析が紹介されている.これも最初に「The Stuff of Thought」を読んだときには大変面白かったところだ.

  • 最後に1つ.このウサギの穴に落ちてからというもの,私を知る人々は私がかくも動詞の意味論に取り憑かれているのを不思議に思っているようだ.(ある同僚は「それらは本当に君の小さな友達のようだね」と形容した)
  • 動詞は,ヒトの心を覗く窓なのだ.それは,因果,空間,物質,時間についての単なるカント的な血の通わないカテゴリーに過ぎないわけではない.本書には取り上げなかった意味論分析の1つとしてセックスに関する動詞の問題がある(これは「The Stuff of Thought」の第7章に取り上げた).なぜこの愛の行動に関する他動詞は,猥雑,攻撃的,あるいは滑稽に響くのだろう.そして上品で印刷可能な動詞は皆 with や to を用いる自動詞なのだろうか.実際のところセックスに関する上品な動詞表現のほとんどは独自のルートを持たずに,軽い動詞(make, have, be, goなど)を使ったイディオムによっている.
  • 本書の主要な主張は,「すべての項構造は,概念的に可換な1つの意味を持つ狭いクラスのセットの中からその(項構造を持つ)動詞を選ぶ」ということだ.この原則を用いることによって,私たちはセックスにかかる動詞(「性交動詞」)の統語論からヒトのセクシャリティについて,伝統的な文法からは発見できないようなことを何かを発見できるだろうか?
  • セックスに関する下品な動詞は1つの狭い合成クラスにほぼ当てはまる.そのクラスは「直接動作+接触+効果」になり,性的な言語を基礎にしたメタファーから見るとその「効果」は,動作がなされた対象にとっての「損害」あるいは「搾取」になる.そして上品な動詞はおおむね「自発的協力動作」を示す合成クラスに属するのだ.
  • これらのことはセックスに関する動詞の統語論は2つの全く異なる心的モデルを持っていることを明らかにしている.一つ目は結婚マニュアルや性教育の理想にある「セックスは2人の平等なパートナー間の協力行為である」というものであり,もう一つは霊長類の社会生物学を呼び覚まし,ラディカルフェミニズムから見て男性恐怖的な暗い見方「セックスは能動的な男性によって受動的な女性に対して行われる強制的な行為であり,彼女を害するか搾取するものだ」というものになる.2つの見方はそれぞれヒトのセクシャリティについて何かをつかんでいるが,最初のものは公共の会話で認められるもので,2番目のものはプライベートには認識されているが社会的にはタブーになっている.
  • 動詞の秘密の生活は,知的生活においてはすべてが他のすべてにつながっていることをよく示しているのだ.わかりにくいアカデミックな下位分野におけるテクニカルな現象という最もドライな事柄ですら,ヒトの活動の持つ活発な次元に光を当てうるのだ.


というわけで「Language, Cognition, and Human Nature」の第6論文は,その後の「The Stuff of Thought」につながる動詞の意味論が取り扱われるということになる.