大会2日目 4月9日
日本生物地理学会2日目,午前中から雨が降り続いている.
15時からの最後のシンポジウムは言語進化と言語地理にかかるもの.ここでは言語能力の進化ではなく,言語自体の進化を文化進化として扱い,特に系統関係に焦点が当てられる.さらに生物地理学会だけあってひねりが利かせてあり,単純な言語進化だけでなく地理分布が絡んでいるということになる.
シンポジウム「言語進化学と言語地理学の研究最前線 人類集団の言語・文化・遺伝子の時空変遷」
趣旨説明 進化・系統研究の対象として言語を考える 三中信宏
- 生物と言語は時間的に変遷するという共通点がある.この変遷プロセスには違いがあるが,現在のデータから過去を復元しようとする目的を共通にすれば手法も共通になる.
- 今回は言語を考える上でどのようなことが問題になるのかについて,特に東アジア圏の言語とヒトの集団について議論したい.
- ここから母語話者人口のバブルチャート,様々な言語系統樹,ネットワーク図が紹介されてイントロダクションとなる.
手段としての系統樹:「粤語」から漢語系諸語の言語史を考える 濱田武志
- ここでは漢語諸語の系統論について話したい.ここで漢語諸語というのは一般的には中国語と読ばれる言語群のことだ.中国語というといろいろ政治社会的な含意が付加されるので純粋に言語学的に複数の言語の集合体としてとらえてこういう用語を用いている.
- 漢語には大きく分けて3つ,やや細かくして10の言語があるとされる.これらの言語話者間では互いに通じないし,英語とドイツ語より距離があるといわれている.
これらの言語の代表例としては,いわゆる中国標準語の基礎になった官語,呉語,粤語(えつご)などがある.粤語は広東や香港で話されている言語で,広東語と呼ばれこともある.
1.漢語諸語を系統論で語ることの難しさ
(1)中古音
- 中国には古来から漢字の学問がある.これは一つの漢字について,形,音,意味を扱う.それを扱う書物をそれぞれ字書,韻書,義書という.
韻書は宋代に成立したもので,隋や唐の頃の音を子音と母音の組み合わせて解説している.これには韻図といってマトリクスにしているものもある.そしてこの1000年前の音を中古音と呼ぶ.これは大変に複雑な体系で,ある意味過去の記録ともいえる.
- しかしこれを言語学として用いるにはいくつかの注意が必要になる.まずこれは現実にそういう音だったことを保証しない.なぜならこの本は韻を踏んで詩を作り科挙に合格するための本だからだ.
(2)独自の方言分類の定着
- 中国では独自の方言分類が定着している.元々5分類だったものが10分類まで細かくなっている.そしてこの分類には比較言語学も系統論も登場しない.要するにそういうプロセスへの吟味が全く欠けた体系が定着しているのだ.
- そして彼らは系統の議論を好まない.特にヨーロッパのように元になった言語が一気に大きく拡大して各地で分化したような状況ではなく,常に国内でいろいろな揺れや戻しがあった中国語にはこのような単純な分析はなじまないと信じられている.
2.粤語からなにが見えるか
(1)言語的特徴
- 粤語広州方言(広東語)は華南,広州,香港で広域共通語として利用されている.
- 言語的特徴としては,官語に比べて,声調が多い(6声),語尾の子音が豊富(n, ngのほかにm, p, t, kをとれる),母音の長短があるなどの特徴を持つ.これらは古いとされる特徴だ.またタイ系の語彙が借用されている,語順も一部異なるなどの特徴がある.
- 系統的には粤祖齬からの単系統群だと考えられる.系統推定を行うとOTU48で,542の合意樹が得られる.大きくみると先端では大体AからEまでの5グループに分かれる.このグループ内ではかなり確かな系統樹が描ける.しかしその根本の部分は交雑が多く,ネットワーク色が強い.またここは歴史解釈の多義性の問題も現れるところになる.
- また系統地理的にみるとBからEまでの4グループは地域的にまとまっているが,Aグループは大きな固まりが広州にあって,あとは各地域に島のように散らばっている.これは広州商業圏を通じた社会的影響によって広まったものだと推測できる.
(2)成立年代
- 不規則語からの分析(別の漢語から入った外来語,タイ語の影響)では,成立年代は唐から宋にかけてだと思われる.これはもっと古いという定説には反している.
(3)粤の不思議さ
- 粤祖語を復元してみると,粤語らしくない特徴(末尾音,長短など)がいくつも現れる.系統推定の方法論,分布の意味も考えなければならないかもしれない.
- いずれにせよ粤語が単系統だという証拠はない.また姉妹群もわからない.いずれも今後の課題ということになる.
3.樹形図から見えてくるもの
(1)祖先形質の推定
- いったん系統推定をして系統樹が得られると,今度はそれを利用して祖語がどのようなものだったかの復元に用いることができる.
例1 声調の復元
- これまで声調の復元は困難と考えられていたが,声調をスタートとエンドの2要素からなるダイヤグラムに表し,その間の推移経路を描き,そこから最節約法で祖語推定を試みることができる.
例2 二重語
- 二重語とは起源が同じで二つの語になっているものをいう.たとえば日本語のミシンとマシン,漢音と呉音で異なる意味になっている漢字などだ.
- 漢語の場合,借用元と借用先が近すぎてどちらが元なのかわからない場合が多い.これを二重語の組として言語層を定義し,樹形から侵入回数を最小化するような外来経緯を推定する.
(2)比較言語対象の拡大
- 系統解析においては言語を抽象化して扱うので,これまでの言語比較ではできなかったような不完全な情報も取り扱えるようになる.方法を再定義して束にして考えることができるのだ.
例1 モンゴルのパスパ文字(すべて解読できていないが使用できる)
例2 日本語に入った漢字音(行という漢字は中国では地方によりイン,アン,シンと呼ばれ,日本ではアン(行灯)コウ(銀行)と呼ばれる,これらを統合して解析可能)
まとめ
- 系統論は言語学においても実践可能であり,反証可能な形式にできる.データが増えれば結論は変わりうる.方法論として平等.
- 系統は言語と中国史の架け橋になりうる
- 分析の前提は言語学側で努力すべきである.
Q&A
Q:系統推定にはどのような形質を使っているのか.
A:系統推定には基本的に音韻変化を用いる.語彙は変化が起こりやすくオープンすぎ,文法はユニバーサル的だということから音韻変化を用いている.
Q:話者のDNAとの関連は調べられているのか.
A:まだデータで調べてはいない.ただフィールドにいると広東人とほかの中国人はだんだん見た目だけで区別が付くようになるので,何らかの遺伝的な差はあるのかもしれない.ただブルガリア人とスラブ語のように本来の歴史的民族出自と母語系列がずれているような例もあるので慎重な検討が必要だと思う.
なかなか詳細が面白い発表だった.中国はヨーロッパと異なり,基本的に統一王朝時代が長く継続していること,大きな川や山脈で地域分断がなされていないことから,複雑な交流が長く大規模に続き,この結果漢語諸語の系統関係はインドヨーロッパ語やラテン語の放散現象のようにわかりやすい形ではないということなのだろう.漢字文化の奥深さも楽しい.
中国体陸の言語文化史を巡る謎 Sean Lee
最初に自己紹介
韓国生まれでニュージーランド育ち,修士課程から日本にきて,気に入って住み着いている.9年前から言語進化リサーチに取り組んでいる.特に言語間の系統関係と話者の系統を推定するようなリサーチを行っている.
ここから本題
<中国大陸の移住史の謎>
これを解きたいと思っているが,現存する言語からだとどうしてもわからないことが多い.(不十分なデータで)過去を推定することはいわゆる不良設定問題(ill-defined question)であり,答えは一律には定まらない.そこで(化石・骨:言語・分化:DNAの)三角測量法として様々なデータを用いることを試みている.
1.DNA
- ミトコンドリアとY染色体のデータからは共通起源は3〜4000年前,中央北部(黄河流域)から南部へ広がったということが推定できる.
2.骨
- 当該の形質を元にクラスター分析すると,北と南で大きく分かれる.起源は10000年前ぐらいを示唆.
3.名字
- 1993年のリサーチ:1000名字をクラスター分析すると,南部と揚子江河口部がまずクラスターを作り,次に揚子江上流部が,最後に北部が加わるクラスター構造になる.
- 近時7000名字で再分析:揚子江流域で名字が多様化している.まず北部で起原し,それが南部に移住,最後に北と南から揚子江流域に移住が生じたというパターンを示唆.
4.言語
- バークレーグループによるネットワーク分析:大きく北部言語群,揚子江流域言語群 ,南部言語群の3つのクラスターが構成されるが,根本では複雑な交流があった形(不確定という解釈が有力)が示唆される.
- さらにうち24語を使って進化速度も入れたモデルで系統樹を推定すると,起源は3000〜3600年前,北部起源で南に流れ,その後東西に広がった形が示唆される.
5.食文化
- 暑いほど微生物対策としてスパイスを使うだろうという先行研究に従ったモデルに中国食文化がどこまでフィットするかをみると,四川地方は寒いのにスパイスを使っていてこのパターンに当てはまらない.四川地方には中国南部からの流入があったのかもしれない.
6.まとめ
- 文化や言語の起源は北部で3〜4000年前,そしてそこから南部に広がったということは繰り返して示唆されている.しかしその後もう一度揚子江地方に南北から流入したのかどうか,どのような以東材に広がったのかは一貫したパターンが見いだせない.今のところリサーチはここでフリーズしている.
- なお古代DNAについては今回マックスプランクからペーボの直弟子が調査にはいるらしいと聞いていて,成果を期待している.
Q&Aでは食文化について,スパイスの植物の生物地理と関連づけているのか,そもそも先行研究はかなりいい加減ではないかなど総つっこみ状態.発表者も「確かになんちゃって研究かもしれません」と認めてこの部分を撤回していた,
DNAにもとづく集団の系統関係と言語の系統関係との差異について 斎藤成也
DNAが専門だが昔から言語にも興味を持っていろいろやってきたとイントロ.言語の系統分析はどんどん論文が出ていて乗り遅れたかと思っていたが,最初の発表で,中国語の言語学ではまだまだ認められていないと聞いて,ちょっとうれしいとコメント.
ここから本題.縄文弥生の二重構造(古いヤマトの縄文文化があり,それはアイヌや沖縄に残存している,そして渡来人が弥生文化を持ち込んで日本人集団や文化は二重構造になっているというもの)について
DNA分析
- これを常染色体上,ゲノムワイド,SNPによって分析する.差異は400万ぐらいあるが,ここでは50万ぐらいを調べた.
- その結果は下記のグラフ(適当に描画しています)のようになり,二重構造はDNAによって裏付けられた.
- 主成分分析だと2因子でこんな形の図形(おなじく適当に描画しています)になる.(アイヌが伸びているのは,様々な交雑がある結果)
ここから様々なデータで裏付けがあることが次々に紹介される.そして文化や言語のデータはDNAデータ量に比べると圧倒的に小さく,今後のリサーチはDNA中心になることが強調される.また日本各地のデータを分析すると瀬戸内,近畿,東海,関東では弥生因子が強く,南海道,山陰,北陸では小さいという結果が見て取れることも紹介される.これは弥生文化が渡来した道筋を示唆していると解釈できる.
言語の分析
まず日本語が世界各地の言語の中でどういう系統関係にあるかを考える.これまで様々な提案があるが,なお決着が付いていない.
ここで一つの分析が紹介される.それによると韓国語ともっとも近縁で,次に満州・ツングース,さらにモンゴル,そしてチュルクというアルタイ祖語系統樹があるそうだ.
次に日本語とアイヌ語,沖縄方言との関係について.斎藤自身の分析によると,アイヌ語とは遠く離れていて韓国語と同じぐらい遠い.沖縄方言とはかなり近いという結果が出ている.では沖縄方言との分岐年代はどうか.これもB. C. 2世紀から6世紀までいろいろな説があり決着が付いていない.斎藤としては5世紀以降と考えているそうだ.また日本各地の方言間の系統樹も地方ごとにたくさん紹介される.そして今は日本語のルーツとしては中国北部海岸と朝鮮半島西側海岸の間の地域ではないかとにらんでいる.これを海人仮説としてこれからDNAで実証していきたいとして発表を締めくくった.
さすがに流れるような発表でたいへん刺激的だった.これからもリサーチが進んでいろいろわかってくるのだろう.
関連書籍
文化進化についてはまずこの本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20160614
- 作者: アレックス・メスーディ,竹澤正哲,野中香方子
- 出版社/メーカー: エヌティティ出版
- 発売日: 2016/02/08
- メディア: 単行本
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本シンポジウムにあるような系統に焦点を絞った本.オーガナイザーの三中が著者編者になっている.
- 作者: 中尾央,三中信宏
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2012/05/01
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 33回
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本講演に関連する斎藤の著書
日本列島人の歴史 (岩波ジュニア新書 〈知の航海〉シリーズ)
- 作者: 斎藤成也
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2015/08/29
- メディア: 新書
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- 作者: 斎藤成也
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2016/11/29
- メディア: 大型本
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以上で今年の日本地理学会は終了した.事務局のみなさまにはこの場を借りて御礼申し上げたい.