協力する種 その1

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

本書について


本書は経済学者のサミュエル・ボウルズと同じく経済学者で特にゲーム理論に造詣の深いハーバート・ギンタスにより書かれた「ヒトの利他性の進化」についての本だ.基本的にはヒトの利他性(経済学者らしく「社会的選好」と呼んでいる)の進化は,血縁淘汰や互恵利他性では説明できず,マルチレベル淘汰と文化と遺伝子の共進化でのみ説明できるという主張を繰り広げているものだ.原書は2011年の出版で,原題は「A Cooperative Species: Human Reciprocity and Its Evolution」

A Cooperative Species: Human Reciprocity and Its Evolution

A Cooperative Species: Human Reciprocity and Its Evolution


ヒトの利他性についてグループ淘汰的に説明しようという議論は古くはダーウィンにさかのぼる.進化生物学の世界においては,1960年代以降(種のための密度維持などのウィン=エドワース的な)ナイーブグループ淘汰の主張が成り立たないことが明らかになり,一旦このような議論はなりを潜め,ヒトの利他性については血縁淘汰,直接互恵性,間接互恵性,繰り返しゲームにおける戦略などで説明しようという方向性が主流になった.しかしD. S. ウィルソンがマルチレベル淘汰というフレームに組み込む形でヒトの利他性についてはグループ淘汰的に説明すべきであると再主張をはじめ,かなり激しい議論が巻き起こった.
私の認識では,少なくとも数理的にはマルチレベル淘汰と血縁淘汰(包括適応度理論)は等価であるということが主流の数理生物学者の間では共通認識になっているが,D. S. ウィルソンは数理的に等価であっても因果の実在という観点からマルチレベル淘汰で考えるべきだと引き続き主張し,その他D. S. ウィルソンに感化された一部の学者たちが,マルチレベル淘汰といいながらナイーブグループ淘汰的な誤解をまき散らしているというのが現状になる.なおこの背景にはドーキンス流の遺伝子視点の還元主義的な手法(含む包括適応度理論,直接間接の互恵理論など)とリベラリズムが相容れないという誤解,グループのために利他性が進化することが何か美しいことのように感じる感傷主義的傾向など様々な問題があるのではないかと思われる.(これについてはピンカーのエッジへの寄稿http://edge.org/conversation/the-false-allure-of-group-selectionが参考になる.このエッジの寄稿は本書の原書出版後になされているので,まさに本書が念頭にあると思われる.私のこれに関する記事はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20120714以降)
そして本書も基本的にはマルチレベル淘汰と血縁淘汰の数理的な等価性を無視するという点では後者と同じ立場ということになるのだが(そしてギンタスがエッジへのコメントで書いていることを読むと,彼が行動生態学の基本をかなり極端に誤解していることは明らかだが),しかし彼等は数理について手練れの学者たちであり,文化との共進化という観点も組み入れて精緻な理論を提唱しているとされる.というわけで,包括適応度理論やヒトの利他性の進化について興味を持っている私にとっては,無視できない本であり,今回邦訳を機会に読んでみたものだ.


読んでみると彼等の主張はかなり多岐に渡るし,突っ込みどころも多いので,単純な書評とするのではなく,少し細かくレビューすることとした.

訳者たちによる解説


通読してみて最初に感じたことは,これを原書で読む人達に比べて,邦訳を読む日本人読者は非常に恵まれているということだ.それは訳者たちによる適切な解説があることによる.本書はバックグラウンドが経済学とゲーム理論という2人の著者が数理生物学,行動生態学進化心理学のトピックを扱っているので,用語や理論構成が独自のものになっており,さらにその一部には独善としか評価できないものも混在している.そのギャップを埋めるべく竹澤,大槻,高橋の訳者が巻末に40ページの解説を置いている.
この解説は学問の全体の流れの中で本書の議論がどういう位置にあるものか,通常と異なる用語についての注意,独善的かもしれない部分の指摘,著者たちの主張に関する激しい論争の状況などを扱っている.解説は実に丁寧で,偏らず,そして読みやすい.
私としてはこれから本書を読もうとする読者には,まずこの解説を読んでから本文に取りかかることを強く勧めたい.


解説は,本書の背景説明,本書の主張の概要,本書をめぐる論争という構成になっている.順番に見ていこう.

本書の背景(解説:竹澤正哲)

研究史
まず協力の進化についての研究史が簡単に振り返られている.竹澤は80年代のアクセルロッドの「協力の進化」からはじめている.まあダーウィンのDescentの記述はともかく.60年代のハミルトンの血縁淘汰仮説,トリヴァースによる直接互恵的説明などをすっ飛ばしているのはちょっと残念だ.またアクセルロッドの本は単著だが,基本的にはもともとのリサーチはハミルトンとの共同研究なのだからハミルトンへの言及がないのはやはり寂しいところだという気がする.
そして竹澤は,本書について,このような繰り返し囚人ジレンマ研究から始まるリサーチの歴史の金字塔の1つだと位置づけている.


<著者たち>
続いて著者たちの紹介がある.ボウルズ,ギンタスともハーバードの経済学の博士号から学者としてのキャリアをスタートさせている.そしてこの2人は1968年以来多くの共同研究を行っているそうだ.1970年代以降90年代まで主にラディカルな政治経済学者として活躍したが,ギンタスが1997年から在籍したUCLAで,遺伝子と文化の共進化のリサーチで有名なボイドとリチャーソンに出会うことで,ヒトの協力の進化というテーマに興味を抱くようになる.


<「協力の進化」という研究テーマの難しさ>
次になぜ「協力の進化」というテーマが延々と議論されているかの背景説明になる.竹澤の整理では,(1)至近要因の複雑さ,(2)リサーチの暗黙の前提として「協力を生みだす要因を先験的に理論やモデルの中に組み入れてはならない」,の2つとされている.後者はまさに究極因を進化的に説明できなければならないことの難しさということになるだろう.そして竹澤は,本書について,ボウルズとギンタスには誤りも多いし,受けている批判も多いが,少なくともこの2つをクリアーするという試みをこれまで誰もなしえなかったスケールで行っていると評価している.いずれにせよ刮目して読むべき書物だということだろう.


関連書籍


ボウルズ,ギンタスの著書についていくつか挙げておこう


ギンタスによるゲーム理論による社会科学の統合を説いた熱意あふれる一冊.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20111109

ゲーム理論による社会科学の統合 (叢書 制度を考える)

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原書


ゲーム理論にかかる大著


ボウルズ邦訳の最新刊.本書で練り上げられた見解を元に行動経済学的なアプローチが書かれているようだ.

モラル・エコノミー:インセンティブか善き市民か

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原書


制度と進化のミクロ経済学.2003年の一冊.

制度と進化のミクロ経済学 (叢書《制度を考える》)

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原書