協力する種 その7

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

第1章 協力する種

第1章は書名そのものを章題にも用い,全体の構成を示す章にしている.冒頭ではアダム・スミスの「道徳感情論」からの一節が引用されている.

どれほど利己的であるかのように見えても,他者の運命に関心を持ち,彼等の幸福を心の底から願うことは,間違いなく人間の本性の一部である.だが,そうすることからは,喜び以外の何も得られない.

そして著者たちはこれと対照的な考えとして20世紀のアメリカのエッセイストであるメンケンの「人間の良心とは『誰かがお前を見ているぞ』という内なる声に過ぎない」というコメントを対比させる.その上で,本書ではアダム・スミスの見方に立って以下の主張を行うと宣言している.

  1. 人々は心の底から他人の幸福を気にかける.そして社会規範の遵守,倫理的な行動に価値を見いだし,他者の協力行動を食い物にするものに罰を与える.協力行動は満足感をもたらし,非協力は恥や罪の感情を引き起こす.
  2. このような協力的性向は進化的な産物である.


この2つは著者たちによる至近メカニズムとその進化的説明ということになるだろう.ここからわかることは著者たちはメンケンのコメントを究極因ではなく至近因的に捉えているということだ.間接互恵性による進化的な説明について(そして後に明らかになるが血縁淘汰についても同じだが),著者たちは「そういう行為が評判を高めることを意識して(そしてその方が得だと考えて)行動している」というメカニズムだと考えているということになる.しかし当然ながら,進化的なメカニズムが働くために行為者がそのロジックを意識している必要はない.このあたりは著者たちが進化的な議論についていかにナイーブであるかを冒頭から暴露している部分でもあるだろう.


ここから著者たちが考える進化的環境(集団で協力して狩猟し,獲物を分配する等),他の動物でもみられる協力行動とヒトの協力行動の差(全く見知らぬ他人に対しても協力すること),本書によける用語の定義(協力,利他性と相利性)を説明した上で,上記2番目の進化的説明において本書の中心になる主張を簡単にこう要約している.

  • 相利性による協力,また家族間の協力の進化的説明は容易だ.また直接互恵性や間接互恵性による説明もある.しかしこれらのモデルはヒトの協力における2つの特徴「近親者よりはるかに大きな集団において協力する」「相手と再会する可能性のない場合や,匿名であり評判に影響しない場合でも協力行動を行う」を説明できない.
  • 説明すべき至近メカニズムは「志を同じくする人を助けることに喜びを感じる」「道徳的に協力しなければならないと感じる」「非協力を恥じたり,罪を感じたりする」ようなことだ.本書ではこれを「社会的選好」と呼ぶ.
  • この社会的選好は政府の誕生前にさかのぼる.なぜこの社会的選好が利己性に打ち勝って進化できたのかの要因については以下のように整理できる.
  1. 人間の集団はフリーライダーへの罰の仕組み(村八分など)を生みだし,集団内の均等化のシステム(制度)を持つようになった.
  2. 規範の内面化が生じた.
  3. 資源と生き残りをかけた集団間競争が激しかった.
  • 集団間競争を通じて,協力的な集団が有利になる.この中で,罰の仕組みや均等化などの文化的な制度と社会的選好を持つヒトの遺伝子が共進化し,規範の内面化が生じたと説明できるのだ.そしてヒトだけでそれが生じたことは認知,言語,身体能力で説明できる.


冒頭の血縁淘汰と直接間接の互恵性モデルの否定は最初に読んでいていきなりずっこけたところだ.まさに高橋の解説通りであり,代替仮説の可能性についてあまりにナイーブだ.このあたりはまた各論のところで詳細に触れることにしよう.
著者たちの議論の特徴的なところは進化的に説明されるべき至近メカニズムに「他者に優しい,利他的行動性向」だけではなく,「制度」「フリーライダーへの可罰傾向,恥や罪」まで入れ込んでいるところだ.このために文化と遺伝子の共進化が登場してくることになるのだろう.ここも各論で触れたい.


最後に著者たちは,このような協力がリヴァイアサンなしに産まれることを強調し,伝統的部族社会でも共有地が保持されるというフィールドの知見を紹介する.そして進化生物学の流れは「自然淘汰は食うか食われるかだ」というダーウィニズム的なローレンツの「攻撃」やドーキンスの「利己的な遺伝子」から,クロポトキンの相互扶助的な理解を思い起こさせるドゥ・ヴァールの「Good Natured(邦題:利己的なサル,他人を思いやるサル)」,ハーディの「Mother Nature(邦題:マザー・ネイチャー)」,マット・リドレーの「Origin of Virture(邦題:徳の起源)」,DSウィルソンとソーバーの「Unto Others」,クリストファー・ボームの「Moral Origins(邦題:モラルの起源)」などに移っているとコメントしている.


ここは顎が外れるほど驚き,かつ落胆するところだ.著者たちはドーキンスをちゃんと読んでいないのだろう*1.「利己的な遺伝子」はいかに利他的傾向が進化しうるのかを扱っている本だ.この並列振りは本の中身を書名だけから判断しているとしか思えない.挙げられた本では,ローレンツはハミルトン革命以前のナイーブグループ淘汰の誤謬的な本であり,ドーキンス,ハーディ,リドレーはハミルトン革命を踏まえた主流の行動生態学に基づくほぼ同じ血縁淘汰・包括適応度的な理解により書かれている本だ.そしてドゥ・ヴァールは行動生態的な誤解が激しく,ボームはナイーブグループ淘汰的であり,ともに(現象の観察や報告という面では面白いが)理論的にはぐずぐず,ウィルソンとソーバーのみが著者たちに近いマルチレベル淘汰推しのある程度理論的にきちんとした本ということになるだろう.


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*1:ギンタスがこのような誤解をしていることはエッジへの寄稿でわかっていたとはいえ,改めて書籍になっているのを(そしてボウルズも同じだということを)読むとやはりがっかりさせられる.