協力する種 その8

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

第2章 人間における利他性の進化

第2章は本書のアプローチ法を概説する導入章になる.しかし冒頭の導入部分からいきなり著者たちの曲解振りが味わえる.まず著者たちは「協力行動を自己利益の原理から説明する」のは生物学と社会科学における卓越した伝統であり,ドーキンスは「利他的な遺伝子」の中で「寛大さと利他性を人々に教えよう.なぜなら人間は生まれつきに利己的な存在だからである」と書いたとしている.


利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>



著者たちの学者としての良心や誠実性を疑わせるひどい引用だと断じざるを得ない.ドーキンスが利己的遺伝子の第11章の最後で書いているのはこういう趣旨だ.

  • 人間には意識的先見能力という独自な特性を持つ.自己複製子(遺伝子,ミーム)は長期的利益のために目先の短期的利己的利益を放棄することはできない.しかし人間はできる.
  • 純粋で私欲のない本当の利他主義の能力が人間に備わっている可能性もある.ここでは肯定的にも否定的にもその議論はしない.しかし,仮に個々の人間は基本的に利己的なのだと仮定しても.この先見能力は盲目の自己複製子たちの引き起こす最悪の利己的暴挙から,我々を救い出す能力があるはずだ.
  • 純粋で私欲のない利他主義は,自然界にも世界全史にもかつて存在しなかった.しかし私たちはそれを計画的に育成し,教育する方法を論じることができる.私たちは遺伝子機械として組み立てられ,ミーム機械として教化されてきた.しかし私たちにはこれらの創造者に歯向かう力がある.この地上で唯一私たちだけが利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのである.

ドーキンスは人間が利他的でありうる可能性があるとし,しかし仮にそうでないとしても,利他主義を育成教育することが可能だと指摘しているだけだ.著者たちは文言を引用するときでさえ原典に当たらないのだろうか.このスロッピーな引用スタンスは本当に醜悪に感じられる.その他の引用もすべてどこまで誠実なものか疑わざるを得なくなる.


さてここで著者たちが主張しようとしていることは,「これまでの生物学と社会科学はヒトの利他性や協力について自己利益の観点から説明しようとしているが,それは間違っている.ヒトは心のなかからわき上がる私欲のない衝動から利他行為や協力を行う」ということだ.そして「自己利益の観点からの説明」に前述のドーキンスのねじ曲げ引用,「8人の従姉妹の命を救うためなら自分の命を投げ出す」というホールデンが言ったとされる言葉や,直接間接互恵性などをあげている.要するに著者たちは血縁淘汰や直接間接互恵性という究極因的な説明について「それを個人が自己利益につながると意識して利他行為をする」という至近因的な説明だと完全に誤解しているのだ.なかなかこの強固かつナイーブな誤解は手ごわい限りだ.結局彼等はきちんと進化生物学や行動生態学を勉強したことがないのだろう.


導入部分はこれぐらいにして本論をみてみよう.

2.1 選好,信念,制約

ここでは本書は経済学的な行動へのアプローチ「信念・選好・制約アプローチ」を採るとしている.これは個人は自分が理解している世界の因果や秩序を前提にして自分の選好関数の最大化に向かって行動するということを意味している.そしてその際の至近的心理メカニズムについてはブラックボックスと扱う.
著者たちは特に比較していないが,行動生態学で個体の行動が包括適応度最大化に向かって進化すると考えるのと基本的によく似たアプローチということになるだろう.

ここで,この選好関数は一貫したものであればどのようなものであってもよいが,伝統的な経済学ではホモ・エコノミクスの前提を置いて自分の金銭的な利益最大化を目指すと考えることになる.
著者たちは,しかし実際にはヒトはしばしばこの自己利益最大化行動とは異なる行動を見せると指摘する.この指摘はいわゆる行動経済学などでもなされているが,行動経済学では選好の利他性の部分よりも選好の一貫性の崩れを考察することになる.しかしここでは著者たちは自己利益かそうでないかを特に問題にしている.

2.2 社会的選好と社会的ジレンマ

著者たちは,ヒトは自己利益のみではなく「他者をも考慮する選好」を持つのだと主張し,それを「社会的選好」と呼ぶ.そしてこれが社会的ジレンマという状況で重要な意味を持つのだと主張し,囚人ジレンマゲームを解説する.
著者たちがここで指摘しているのは,囚人ジレンマのナッシュ均衡は双方裏切りだが,もしプレーヤーが社会的選好を持っているなら,ゲームで提示されているペイオフが変更されたのと同じ効果を持つことになり,双方協力がナッシュ均衡になり得るということだ.
そして実際に観察されるプレーヤーの選択(協力を選択するプレーヤーが一定比率で存在する)はヒトが社会的選好を持つ証拠の1つだとする.
特に強調されているのは,同時型ゲームよりも逐次型ゲームでより協力比率が上がることだ(同時型だと38%,逐次型だと先手で59%,後手で(相手が先手で協力を選んだ場合)62%).著者たちは,これは「相手から搾取されない保証があれば協力する」ということだとコメントしている.意味が取りにくいが,「単純な損得よりも相手に搾取されるかどうかを重要視している」のだと解釈できるということだろう.


ここまでの著者たちの議論は,「ヒトは社会的選好を持ち,それにより囚人ジレンマで協力が可能になる.」ということだ.それは究極因的には(双方裏切りより双方協力の方が自己利益も上がるのだから)自己利益的に説明できているのではないかという感想を持たざるを得ないが,著者たちにとっては「生物学や社会科学は至近因的に自己利益で説明している」と誤解しているので,これで伝統的な解釈に反論できたということなのだろう.誤解を前提に本を読んでいくのはなかなかしんどいところだ.

2.3 遺伝子,文化,集団,制度

ここで著者たちは,信念と選好は遺伝子伝達だけでなく文化的にも伝達されると強調し,「文化的に伝達された選好や信念は行動の至近因にはなるが,結局行動とは遺伝子と自然環境の相互作用のみで説明される」というアプローチは間違いであると主張する.

これも怪しげな誤解の臭いがぷんぷんしている.主流の行動生態学進化心理学者は「環境」について「自然環境」だけをことさらに問題にしているわけではない.当然「環境」には社会的文化的な環境も含めて考えるだろう.確かに進化心理学はユニバーサルを考察するが,文化的な環境を無視しているわけではない.様々な観察や実験データは,ヒトの行動傾向は,条件付き行動戦略(「条件付き行動戦略」がユニバーサルにあり,その当人が置かれた文化的な環境に応じて行動が変わる)を含めると,ほとんどの場合ユニバーサルで十分説明できることを示していると考えているだけだろう.


そして著者たちは「文化と遺伝子の共進化」の考え方をここで解説する.ちょっと面白いのは,ボイド,リチャーソンたちの考え方だけでなく,広く遺伝子以外の伝達が絡む進化現象を全部ここで取り上げようと,ミームやニッチ構築もあわせて紹介しているところだ.
その上で,本書におけるこのアプローチの用い方がまとめられている.

  1. 形質の遺伝を考える際には,遺伝子レベルの詳細にまで立ち入らずに,表現型レベルでの単純な伝達を想定する.
  2. 行動にかかる表現型レベルの頻度増減は行動が獲得する相対的利得により決まるとする.頻度増減は繁殖を通じてだけでなく,模倣によるものも含める.このダイナミクスについては個人が意識的に最適化を図ることを意味しない.
  3. 行動と制度の変化は,通常正のフィードバックが生じるために(経路依存性が生じ),複数の均衡が存在しうる.複数の均衡間の移動には非常に長い時間がかかる.
  4. 集団レベルの制度(所有権システム,婚姻制度など)の進化においては,集団の発生,増殖,消滅のプロセスの影響を大きく受ける.
  5. このプロセスにおいては偶然(突然変異,遺伝子の組み換え,発達上のアクシデント,試行錯誤,社会的ルールからの意識的な逸脱,社会的相互作用とそこから得られる利得における摂動)が重要な役割を持つ.
  6. 本書では,「ヒトの協力の進化の説明は実証的な証拠によりなされるべきである」という考えから,更新世における利用可能なデータを用いる.

1と2は,(文化模倣を別にすると)ごく普通の行動生態学的なアプローチと同様だ.そして最後に「個人の意識的な最適化」を含めないとしているのだが,おそらく(前述の誤解から考えると)彼等は,自分たちの議論は直接間接互恵性や血縁淘汰の説明とは異なるのだと主張したいということなのだろう.そういう視点で読むとここもなかなか醜悪な香りがするところだ.
3については本書の独特のアプローチになる.該当部分では注意を払う必要が出てくるだろう.4はグループ淘汰の重要性の指摘ということになる.6は大槻が指摘していた「定性的モデルと定量的モデルの違い」にかかる部分だ.
5についてはなかなか著者たちの趣旨がわかりにくい.おそらく「社会的ルールからの意識的な逸脱,社会的相互作用とそこから得られる利得における摂動」についての独自性の主張ということなのだろう.


この後本書の構成の概要を示しこの導入第2章は終了している.