「Words and Rules」

Words and Rules: The Ingredients Of Language (English Edition)

Words and Rules: The Ingredients Of Language (English Edition)

Words And Rules: The Ingredients of Language (SCIENCE MASTERS) (English Edition)

Words And Rules: The Ingredients of Language (SCIENCE MASTERS) (English Edition)

*1


本書はスティーヴン・ピンカーによる1999年に刊行された一般向けの本であり,英語に現れる動詞の過去形や名詞の複数形の規則型と不規則型を深く掘り下げて,ヒトの心にある「概念」の成り立ちや機能について考察するものだ.ピンカーは一般向けの本としては1994年に「The Language Instinct」(邦題:言語を生みだす本能),1997年に「How the Mind Works」(邦題:心の仕組み)をすでに書いており,本書は3冊目となる.ピンカー自身はこの本を自身の言語3部作(The Language Trilogy)の第2作と位置づけている.(第1作,第3作はそれぞれ「The langage instinct」「The Stuff of Thought」(邦題:思考する言語))
私はこの第2作(つまり本書)を刊行された直後に読んで大変面白かった覚えがある.しかしこの本はピンカーの本にしては英米の一般読者にあまり受けなかったようで,ピンカーの言語やヒトの心に関する一般向けの本としては唯一今に至るも邦訳されていない(あるいは内容が英語の細かい文法の話題に集中していて日本人読者向けではないという判断もあったのかもしれない).

最近ピンカーの自撰論文集を読み進めている中で,この本の元になる論文を読む機会があった.(本ブログではhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20170306以降)読んでみると採り上げられているテーマはやはりなかなか面白い.しかもピンカー自身この内容は非常に面白いと思っているのだが,論文引用数は(自分のものをのぞくと)0であり,本も売れなかったと嘆いてる.

本書は私にとって,それではもう一度読んでみようかと17〜8年ぶりに手に取った一冊ということになる.(正確にはもう一度Kindleで買い直した.もはやタップ辞書なしで洋書を読む気にはならない.)


序章では当時の背景が書かれている.当時はヒトの言語獲得の仕組みが人工的なニューラルネットワークと同じようなものかどうかが論争となっていた.そしてこの論争にかかるトピックとして動詞の規則型と不規則型が使えるかもしれないとひらめいたということになる.

第1章 無限のライブラリー

冒頭では言語がいかに驚くべきものであるかが(The Language Instinctの復習として)説明される.
この驚くべき機能のトリックは「語」と「規則」(Words and Rules*2)にある.ピンカーは「語」の意味と音の組み合わせが完全に恣意的なものかという論争を紹介し,「規則」については生成文法の初歩を解説する.規則は生成的(productive)であり,抽象的(abstract)でさらに組み合わせ的(combinatorial),そして再帰的(recursive)なのだ.これにより言語は無限の表現力を持つ.
ではこの「語」と「規則」は同じシステムで扱われているのだろうか.ピンカーはそれを調べるためのよい標本が規則型と不規則型だとする.

規則過去形は単純な規則に従い,(過去形をすべて個別に覚えなければならない場合に比べ)記憶容量を大いに節約できる.しかし不自然だったり不可能な発音になる場合もある.よく使われる動詞なら個別に(自然に発音できる)過去形を覚える方が便利だ.二つのシステムにはトレードオフがあるのだ.これはすべての「語」と「規則」の問題の縮図でもあるのだ.

第2章 言語学者による分解

ピンカーは巷によくある「言語はコミュニケーションのためにある.すべてのアイデアには対応する「語」があり,私たちはアイデアを思いついた順に対応する「語」を発すればいい.なぜならその順序はアイデア間の連結を反映しているのだから」という考えが間違いであることを示すためにも,言語を解剖していくと宣言する.そして以下の図を示す.

まず「語」には,ある概念を表す音の連なり「形態的オブジェクト」と,最低限の意味単位として記憶されるべき音の連なり「リストとして記憶されるアイテム」がある.walkedは第1の意味では「語」だが,第2の意味ではそうではない.
そして「規則」も形態論と統語論に区別される.両方ともに生成的で抽象的で組み合わせ的で再帰的だ.言語学者はこれを区別する.ピンカーは形態論に絡む面白い例を採り上げる.「passerbyの複数形はpassersbyなのかpasserbysなのか」.これはネイティブの間でもしばしば激論になるそうだ.結局これは人々が複合語についてどのように分析しているかに依存して決まる.そしてそれは「語」のヘッドが何か(あるいはそれは「句」なのか「語」なのか)によって決まるのだ.
形態論は派生と屈折に分けられる.英語は屈折が単純なことで有名だ.動詞は17の役割を持つが,形態的には4〜5の形(openだとopen, opens, opened, opening)しか持たない.
このようなシンクレティズム(一つの形態でいくつもの役割を持つこと)は,意味と音が完全に対応しているという考えが誤っていることの一つの例になる.
逆のアロモルフィ(一つの役割にいくつもの形態が対応する)も言語にはあふれている.たとえば英語の規則過去形の接尾辞「ed」は3通りに発音される.この3通りの発音は完全に規則的だ.語尾の子音はすべて有声にするかすべて無声にするかという方向にむけて定まるのだ.そしてこれは音韻論につながる.どのように音が連なることができるのかは規則的に決まっているのだ.そして規則複数形の「s」も全く同じように説明できる.(この部分のピンカーの解説はかなり詳しくて美しい.たった二つの規則から複雑な現象がきれいに説明される.*3
ここまで統語論,形態論,音韻論で規則型が説明された.しかし不規則型にはそれは使えない.不規則過去形や不規則複数形は個別の意味を持つ個別の語になる.そしてそれは意味論と語彙でしか説明できないのだ.ピンカーはその理由を挙げている.

  • それはコミュニケーションの最適化からは説明できない.hit/hit/hitなどの変形しない過去形が最適化をもたらさないのは明らかだ.
  • そして不規則型の形や音は意味と関連していない.ほぼ同じ意味の動詞が規則型だったり不規則型だったりするし,多くの不規則動詞は様々な意味を持つ.

要するに言語を分解してみると規則型と不規則型はその深い部分で異なる原理によっているのだ.ここを説明するピンカーの技はいつも通り冴えている.


第3章 伝言ゲーム

第3章では不規則型を扱う.最初に英語がどのように変わってきたかを振り返る.それはまさに伝言ゲームの世界になる.ピンカーは不規則型の起源についてこう説明する.

  • 子供が言語を獲得するときには語と規則を再構築していく.そこで誤って新しい語や規則が導入されてしまうことがあるのだ.これが不規則型の生まれる原因になる.だから不規則型には古い昔のルールが化石のように残っている.

そしてピンカーの不規則型の世界を深く解説する.

  • 古い時代の発音はどのようにしてわかるのか.一つは綴りだ.現在の英語のスペリングは18世紀にサミュエル・ジョンソンが定めたものが基礎になっている.だから綴りはその当時の発音に基づいている.もう一つは文学作品にみられる言葉遊び(ダジャレなど)だ.さらに同時代人の発音について嘆いているエッセイなどもヒントになる.


<現在分詞,所有を表す's,三人称単数形>

  • 英語の現在分詞は100%規則的だ.一つの理由は英語に現在分詞が登場したのが比較的新しい(12世紀から15世紀)からということになる.もう一つの理由は「ing」は独立した音節を構成し,語幹の一部だと勘違いされにくいからだ.
  • もう一つ所有を表す「’s」も完全に規則的だ.この「’s」は単語でなく句につくという意味でイレギュラーだ.だからこれは名詞以外の語にもくっつき,名詞と一体化しにくかったのだと考えられる.(所有格代名詞はある意味でこの例外になる.なぜなら代名詞は句で表された人物を単語に置換するので結合可能だったからだろう)
  • 三人称単数の「s」には4つだけ不規則型がある.(is, has, does, says)


<複数形>

  • 名詞の不規則複数形には何種類かある.
  • まず母音が変化するもの.foot-feetなど.これはドイツ語との共通祖語時代のウムラウトを用いた複数形からきている.
  • 次にアングロサクソン時代の複数形接尾辞enからきているものがある.child-childrenなど.
  • 狩猟対象や家畜であり,群を作る動物については単複同型のものがある.fish, deer, sheepなど.
  • sがつく手前の音が変化したもの.hoof-hooves, leaf-leaves, mouth-mouths, house-housesなど.この一部は曖昧だ.hoofsなどを用いる話者もいるからだ.一部の名詞は語幹を二つ持つのではないかと考えられる.
  • ギリシア語,ラテン語の複数形からくるもの.focus-foci, locus-loci, genus-genera, datum-data, index-indices など.これらはある意味なお英語の一部にはなっていないとも考えられる.実際に話者はこの複数形に混乱しやすい.(octpusやnarcissusはギリシア語起源でもラテン語起源でもないが,形が紛らわしい.話者によっては混乱し,この複数形を使うのを避けようとする.)


<過去形>

  • 動詞の過去形.これはヒトの心が歴史的イベントにどう反応したのかをよく示している.
  • be, have, do, goは多くの言語で不規則活用をする.be, goは二つの動詞が融合し,補充を引き起こしたことにより極端に不規則になっている.doneは古い英語の過去形接尾辞en(spokenなど)に由来する形だ.
  • いわゆる「弱い動詞」の不規則過去形はedを持つ規則過去形に起源を持つものだ.これはプロトドイツ語に始まり,2000年ぐらいの歴史がある.
  • 過去形が変化しない動詞は皆tかdで終わっている.hit, rid, let, set, hurtなど.これはedをつけた場合に生じる同じ接尾辞の連続のような音を避けることにより生じた.(これはingやlyでも生じる.人々はuglyという形容詞を副詞化してuglilyにするのには抵抗がある.)
  • 英語では11世紀頃に,語尾に子音が付加した場合の「長母音の短縮化」が生じた.さらにその後15世紀以降に大母音推移が生じた.keep-keptなどはこれにより説明できる.(これに加えてr+母音が母音+rに転換する傾向,ghはかつて子音として発音されていたことから現在のworkの古い過去形がwrought*4になることが説明できる)
  • いわゆる「強い動詞」の不規則過去形.tear-tore, sink-sankなど.これは5000年前のプロトインドヨーロッパ語にある母音変化による過去形活用に起源を持つ.これは7種類の音韻変化によるものでかつては完全な規則変化だったと考えられている.しかし古英語の頃には規則は忘れ去られ,現在では歴史的経緯で残存し個別に記憶される不規則過去形になった.そしてどこまでこの強い不規則型を使うかは話者や地方により濃淡がある.英国と米国でも異なる.時にstrove, strivedあるいはdove, divedの様に両方が残り,しばしば意味や用法が分かれていく.また現在規則動詞化しつつあると考えられるものもある.またかつて単複人称により過去形や過去分詞形が複数あった場合に残ったスロットを取り合って複雑化しているものもある.
  • プロトインドヨーロッパ語の母音変化活用は近いものと遠いものを母音の種類で区別するという自然なシンボリズムから説明できる.ではなぜed付加する規則型が優先するようになったのか.これは元々語句にto doを加える形で始まったようだ.このためどんなものにも使える便利な形式として広まったと考えられる.

この章のピンカーの解説は蘊蓄がひたすら楽しい.特に強い動詞の過去形については母音変化のパターンごとに歴史的経緯を探り,どこまでも深い.言語としての英語に興味がある読者にはとてつもなく興味深いところだろう.

第4章 単一の戦い

ピンカーは規則型と不規則型の歴史をたどった.しかし話はこれだけではない.動詞は時にカテゴリーをジャンプする.大きな流れは不規則動詞の規則化だが,時に規則動詞が不規則化することもあるのだ.(比較的新しい不規則化にはkneel-knelt, catch-caught, quit-quitなどがある)
ピンカーはそのような例をたくさん提示する.方言,学生言葉,著名なスポーツアナウンサーの造語など.ここも大変楽しいところだ.これらは意識的な言葉遊びとは片づけられない.なぜなら言語獲得過程にある子供も同じ様な新規の不規則型を使うことがあるからだ.
これは語彙の記憶と規則の獲得が両方ともにヒトの心にあり,複雑に相互作用していることを示しているのだ.ピンカーはすべてを規則で説明しようとする「生成音韻論」もすべてを連想学習で説明するコネクショニズムも間違っていると指摘する.
この部分の哲学的な整理はデカルトライプニッツ,ヒュームそしてパヴロフ,ワトソン,スキナーの行動主義まで採り上げ,この問題の解決には動詞の過去形が有用だと主張していて力が入っている.

  • 不規則動詞はいくつかのパターンがあり,それぞれ語幹から少しだけ異なる形になっている.そして似た語幹を持つ動詞は同じパターンに収まるように誘引される.ヒトの心はコンパクトな規則を探すのだ.
  • チョムスキーはここから少数のルールセットですべて説明できると考え生成音韻論を提唱した.これは彼の生成文法と同じく,すべての音にはディープストラクチャーがあるのだという考えに基づいており,165の不規則動詞をわずか3つのルールで説明して見せた.(その提唱内容,特にルールの詳細,ディープストラクチャーの例などがかなり詳しく説明されている)
  • しかし生成音韻論は,子供は不規則動詞獲得過程で過去の音韻によるディープストラクチャーから不規則型を推論できるということを意味しているが,それは信じがたい.また不規則動詞は歴史的経緯を示す化石のようなものだという代替説明を無視している.そして生成音韻論は語幹の類似による不規則パターンを説明できない.
  • 問題は不規則動詞のパターンはファミリー類似カテゴリーを構成しているということだ.それはファジーで統計的なカテゴリーであり,規則を適用した結果とは異なるのだ.
  • ルメルハートとマククレランドはコネクショニズムに基づき,すべてニューラルネットワークによる連想学習で説明できると主張し,不規則動詞獲得のモデルを提唱した.(この部分もモデルの概要が詳しく説明されている)
  • しかしこのコネクショニズムモデルは一方向にしか推論できないし,様々なところに現れる共通の音韻ルールを共通のメカニズムとして扱えない.また同音で異なる過去形を持つ二つの動詞を説明できない.そしてそもそも音素をどう区切るかを設定するのが難しく,ヒトの心は常に一方向にのみ連合学習するわけではなく,再帰的なツリー構造をとることを無視している.(これに関わる論争も詳しく紹介されている)このような問題は規則をいっさい排除しようとすることから生まれているのだ.
  • 解決は伝統的な「語」と「規則」理論からもたらされる.ただし記憶は無関係なものを何でも取り込めるコンピュータのRAMの様なスロットではない.サブストラクチャーを持つのだ.だから類似した不規則動詞をより覚えやすい.


ここは背景の論争を扱っていてやや難解だが迫力がある.自撰論文集の論文では冒頭に登場したファミリー類似カテゴリーはここでやや控えめに登場している.

第5章 「語」オタク*5

では「語」や「規則」はどのように心に現れるのだろうか.第4章で提示された理論からは.規則型は規則から生まれ,不規則型は記憶から引き出されることになる.ただしその記憶は部分的に連想的でパターン同士のリンクがある.ピンカーはさらにこの細かなメカニズムに入り込む.

言語の獲得過程では,現れてくる「新語」にどう対処するかが問題になる.基本的には語彙を持ち,すでに知っている語かどうかをチェックすることになる.そこには語幹と接頭辞や接尾辞が記憶され,その組み合わせで生まれる語,たとえば規則過去形は既知の語となる.すると不規則過去形は過去形自体も個別のエントリーを持って語彙として記憶されなければならない.つまり規則型と不規則型では語彙への収まり方が異なっているのだ.ピンカーはこれについての傍証をいくつも上げていて迫力がある.

  • 不規則過去形を語彙として記憶するためには一定以上の頻度で用いられる必要があるはずであり,実際に不規則動詞はみな使用頻度が高いものだ.
  • 歴史的に調べると,古英語には強い不規則動詞が現在の3倍もあり,使用頻度の低い不規則動詞が規則化していった形跡が見つかる.ここでピンカーは使用頻度が限界的で現在消滅中の不規則動詞の例も示している(smite-smote, rend-rent, smell-smeltなど*6).
  • さらに低頻度が問題になるのは動詞そのものではなく動詞の過去形の頻度である(ことわざなどでは原形のみ現れるような動詞があるのでこれを用いることによりわかる).
  • 話者の心の中では不規則動詞の原形と過去形は別のエントリーとなっているので,両者の関係性は規則動詞のそれに比べて薄くなっている.ある過去形や過去分詞形の原形がよくわからないということは不規則動詞のみで生じる.(これも具体例が面白い)


ここからピンカーは様々な実験リサーチで解明されたことをまとめている.

  • 人々の不規則過去形の受け入れやすさ,想起しやすさと使用頻度は相関している.そして規則過去形では全く相関しない.
  • 不規則過去形を用いるにはまず規則過去形をブロックしなければならない.これは不規則過去形リストをスキャンしてリストにないことを確認してから規則過去形を用いるようにしているわけではない.(人々は頻度の低い不規則過去形より規則過去形の方を素早く発音する)おそらく規則型(規則)システムと不規則型(記憶)システムを同時に起動し,記憶システムから十分な強さでストップがかかると規則システムが制動を受けるのだろう.そしてストップが弱ければ規則化が進んでしまう.これが頻度の低い不規則動詞が消えていく仕組みだろう.
  • 逆にフォルスアラームで規則動詞の不規則化が生じる.実際に不規則動詞に似た規則動詞の発話は遅れる.
  • 単語認知テストでは直前に見せた単語に対して意味のプライミングが生じることが知られている.メンタルな辞書には意味のリンクがあるのだ.そして不規則過去動詞の原形の過去形へのプライミング効果は単に意味の近い語に対するものよりは強いが,規則型のそれよりは弱い.(この詳細説明は複雑かつ微妙でなかなか面白い.)


ピンカーのあげる「語」と「規則」理論の支持証拠は,微に入り細に入り,かつ広範囲にわたっており,読んでいて圧倒されるところだ.
ここからピンカーはこれらの知見が,コネクショニズムや生成音韻論ではうまく説明できないことを丁寧に論じている.また特にコネクショニズムに対しては,もしこれが正しければ観測されるはずの規則型と不規則型の形態空間への現出パターンの類似性がないことなどを持ち出して激しく批判している.規則型動詞の「デフォルトの規則から生まれる特徴」をコネクショニズムでは説明できないはずだという厳しい指摘だ.この部分は自撰論文集の論文でも詳しく論じられていたところで,一般向けにしては粘着的な議論になっている.このあたりが本書の人気のなさにつながっているのかもしれない.

第6章 MICEとMEN

ここでピンカーは言語の持つ微妙な特徴が「語」と「規則」理論で説明できることを示していく.冒頭でピンカーはなぜ野球において,打ち上げたフライがキャッチされたバッターがアウトになること(fly out)の過去形がflew out にならずにfried outになるのかという問題を取り扱っている.
実は一見不規則型になりそうだがならないという現象はよく見られる.ピンカーがあげているのは,lowlifes, Mickey Mouses, Maple Leafs(ホッケーチームの名前), high-sticked(ホッケーにおける反則行為)*7などだ.そしてこれらは「語」と「規則」理論で説明できるのだとする.

  • これは不規則型が想起できないときにデフォルトである規則型に戻るという原則から説明できる.
  • 不規則型が想起できないという記憶の問題には頻度不足に起因するもののほかに,質的な問題が絡んでいるものがある.そしてこれはコネクショニズムがうまく処理できないケースでもある.
  • では何がこの記憶の質的問題なのだろう.それは単純な意味論の問題ではない.意味が大きく変化しても不規則型のままである単語は数多くある.接辞が付加された場合(overshot, outsold),複合語(stepchildren, superwomen),メタファーとして意味が拡張した場合(straw men, oil mice(石油産業で,油井とパイプラインの間のビジネスで稼ぐ人々を指す言葉)),イディオム(caught the cold, went bananas)などだ.
  • それは「語」と「規則」から説明できる.「語」には「ルート」がある.ルートとは心的辞書に格納されている情報の標準フォーマットのことであり「語」の本質だ.そして「規則」は新しい語の組み合わせの計算スキームを与える.これは「ヘッド」と呼ばれ,規則の本質になる.
  • そしてある単語がルートとヘッドをともに持つ場合には,そのような語としてうまく振る舞うことができる.つまり不規則型の語は不規則型をとれる.
  • 不規則型の場合は,原形や単数形の語にも,不規則過去形や不規則複数形の語にもルートがあり,それらが連結されている.このようなルートを持つ不規則型の語は規範的な英語の音韻を持つ.
  • このような原形や単数形と,過去形や複数形のリンクが語同士ではなくルート同士であるということが,不規則型をとれないケースの説明を可能にする.ルートのない語にはオノマトペ,引用,名前(英語においては名前は意味のないノイズになる),外来語,人工的に作られた造語(アクロニムなど),そしてその他何らかの理由でルートレスになった語ということになる.これらは同音あるいは類似の音韻を持つ不規則型を持つ語があっても不規則型にはならない.オノマトペ,外来語,人工的造語などの多くは規範的な英語の音韻に従わないのでわかりやすい.そして最後の何らかの理由でルートを持たない語には野球のflied out(動詞のflyが名詞のflyに転化し,ここで動詞としてのルートが失われる.そのためその後の再動詞化の際にはflewのルートと切断されているので規則化するのだ)が含まれる.
  • 複合語はヘッドを通じてその特徴を伝達される.overeatはeatをヘッドに持ち,その特徴を受け継ぎ,過去形overateをとる.そして一部の複合語はヘッドを持たず,そのヘッドであるような構成部分の不規則型をとらない.overeatはeatの一種であるのでヘッドになれる.しかしlowlifeはlifeの一種ではない.だからこれはヘッドレスになる.これはソニーwalkmanの複数形がwalkmenにならない理由でもある.(このほかmongoose, sabertoothなども同じ)
  • このほかのヘッドレスの例としてはエポニム(名前から由来した語;atlas, boycott, sandwitchなど)がある.Mickey Mouseは一旦名前になり,その後a Mickey Mouseとして普通名詞化しているのでエポニムになる.二つのバットマン映画はThe two Batmansになり,プロ球団がMaple Leafs, Marlinsを名乗るのも同じ理由になる.ただし球団名はなかなか微妙なところでTimberwolvesの様な例もある.
  • ヘッドレスの影響は綴りにも現れる.英語においてyで終わる後にsがつく場合にはiesになるのが基本だが,ヘッドレスの複数形はysになる.The Kennedysなど.
  • ではなぜflew outと実況するアナウンサーが実在し,一部の人はsaberteethと言いたがり,ミネソタのチームはTimberwolvesを名乗るのか.それはこのような語の分析を間違ってしまったり,別の解釈によっている結果なのだろう.アナウンサーはバッターではなくボールに感情移入することもあるだろう,そうすればfly outは必ずしもルートレスではなくなる.チーム名をつけるときには,個々のプレーヤーが何かでありその集合としてのチーム名をつける場合もあれば,動物の群れをそのままチーム名としてつけることもあるだろう.狼の群のようなチームだと考えればTimberwolvesはおかしなチーム名ではなくなる.
  • コンピュータ入力装置であるmouseの複数形は何か.この名詞用法は,このデバイスがネズミに似ているという明白なメタファー由来なので明らかなルートとヘッドを持っており,この「語」と「規則」理論からはmiceを使うべきだということになる.そして実際に業界内ではmiceで定着しつつあるようだし,またほとんどの人はmousesをまず使おうとはしない.しかし多くの人はmiceに引っかかりを感じ,これを避けようとする.するとなぜ人々がmiceに抵抗を感じるかが問題になる.
  • 規則複数形は抽象的な「2つ以上」という意味しかない.しかし不規則複数形には記憶された固有の複数イメージがあると考えられる.miceには家や平原で走り回っているふわふわの小動物の群のイメージが強いが,複数のコンピュータマウスは複数のコンピュータにそれぞれ接続されているイメージであり,大きく異なる.ここで人々はmiceを使うのにためらいを覚えるのだろう.これは比喩的な用法としてのfootやtoothの複数形の引っかかりや,dataが今や複数形というよりも不可算の物質名詞のように扱われていることとも関連する.
  • 規則複数形は複合語の中には現れにくい.anteater, birdwatcher, Yankee fansなど.不規則複数形にはこのような制限はない.(これには様々な例が示され,また例外のように思われる事例と「語」と「規則」理論によるその説明が延々と書かれている.いかに無意識で処理される規則が精緻で複雑であるかが丁寧に説明されており大変面白い部分だ)

第7章 子供の突拍子もない発話

ピンカーは続いて子供の規則型,不規則型に関する誤り,そしてそこから見えてくる語と規則の獲得過程を扱う.

  • 子供は2歳から接尾辞を使い始め,2歳の終わり頃には過剰一般化のステージに入る.*breaked, *eatedだけでなく,*broked, *atedなども使う.また過剰一般化は解釈においても現れ,(boxの単数形としての)*bokなどの語を作る.
  • この過剰一般化現象の面白いところは,子供はそれまですでに不規則型を獲得しているにもかかわらず,それを上書きするような過剰一般化を見せることだ.これは子供の心の中の再組織化を示している.まず過去形を個別の語として「過去性」を意味の一部として獲得し,その後,原形ー過去形の規則に気づき,それを利用するようになるためだろう.そしてブロッキング原則が獲得され,すでに不規則型が記憶にある語はブロックされて規則化しないようになる.この際に子供は親からの教示によりこれらを獲得するわけではない.親はほとんど教示しないし,教示をしても子供はそれによりしゃべり方を変えない.
  • どれをブロックするかは,不規則型を耳にした頻度に依存する.これが頻度の低い不規則型は規則化するという言語全体の変容傾向を説明する.

これらは子供は「語」とともに「規則」を獲得しているのだという説明になる.そしてこれに対するコネクショニズムによる連想学習のみという仮説を紹介し,それでは(不規則型のみの獲得は説明できても)実際にみられる子供の獲得過程のパターンが説明できないということを丁寧に説明している.またピンカーは前章で説明したルートとヘッドに絡む繊細で複雑なルールの獲得過程(そしてルールの獲得過程には生得的な部分があると考えざるを得ないこと)もここで議論している.なかなか面白いところだ.

第8章 ドイツ語の恐怖

ここまでピンカーは英語を題材に議論を組み立ててきた.ここでは他言語ではどうなるのかが議論される.

  • 言語間での共通点と相違点は何だろうか.
  • すべての言語は音素をもち,それを組み合わせて意味のある語,句,文を作る.語は接辞を伴ったり活用をすることがある.それは時制,単複だけでなく,人称,ケース,アスペクト,限定性,ジェンダー,態,モード,真偽性などにより変化する.そしてすべての言語で規則とその例外がある.(ただしすべての変形に規則型と不規則型があるわけではない,英語でも現在分詞は完全に規則的で,都市住民を表す語(Londoners, Bostonians, Louisianans, Hoosiersなど)は完全にバラバラだ).
  • もちろん言語間には相違がある.中国語は屈折しない.バンツー語やアメリンディアンは複雑に屈折を積み重ねる.フランス語には3タイプの動詞群がある.語の中の一部が規則的で一部が不規則的という言語もある.
  • 規則と不規則については様々な定義があり得るが,ここでは,それが多数派かどうかに関わらず,記憶がブロックされたときに用いられるデフォルトの規則を「規則型」と定義しよう.するとすべての言語が「語」と「規則」理論でうまく説明できることがわかる.
  • この定義はコネクショニズム的な発想とは異なる.しかし実際にドイツ語ではデフォルトの活用を行う動詞,デフォルトの複数形を持つ名詞は多数派ではない.(ここでかなり詳細にドイツ語の動詞の過去形,名詞の複数形の種類,そしてドイツ語話者で行われた実験の説明がある.なかなか面白い)そしてデフォルトの規則型には英語の規則型と同じ様な様々な特徴がみられ,うまく「語」と「規則」理論で説明できる.英語において規則型が動詞の多数派になっているのは,プロトドイツ語から分かれた後に多くのフランス,ラテン由来の動詞が加わり,それらがデフォルトの活用をするからだと考えられる.そして名詞の複数形の英独の違いも別の歴史的な経緯でこうなっている.
  • 心理的には共通でも頻度がどうなるかは歴史的な偶然に依存する.規則化も不規則化も様々な理由により生じる(詳細が整理されていて面白い).だから世界中の言語で規則型の頻度はバラバラなのだ.

このあとピンカーは同様な歴史的検証を,オランダ語,フランス語,ハンガリー語アラビア語ヘブライ語,中国語*8ニューギニア諸語において行っている.ここは細部がそれぞれに面白いし,いかにも楽しそうに蘊蓄を語るピンカーが堪能できるところだ.

第9章 ブラックボックス

ピンカーはここまでの議論で,脳は「語」と「規則」に対して別のサブシステムを持って対応しているということが明らかにした.この章ではその至近的なメカニズムからの証拠を扱う.
ピンカーは脳損傷患者にみられる二重乖離(X部位の損傷でタスクAが難しくなり,Y部位の損傷でタスクBが難しくなる)の例を挙げる.これはコネクショニズムでは説明が難しい.
個別の症状も興味深いものだ.印刷文章の読解困難(不規則綴りが読めないケースと規則的だがそれまでみたことのない語が読めないケースがある),失文法症(語の認知には問題ないが,句や文になると困難になるケース,彼等は規則過去形や複数形の接辞の付加に困難を覚えるが,不規則過去形や不規則複数形には全く問題なく対処できる),健忘性失語症(流暢にしゃべることができるが,語を覚えたり認知することが難しい,代名詞に頼ったり,独自のジャーゴンを生み出したりする)などは印象深い.
またここではアルツハイマー,パーキンソン,ハンチントン等の疾病の際にみられる言語的な症状を扱い,それがそれぞれどのような語と規則に関しているかを推測している.
そして個別の例をみていくと,規則型(規則)と不規則型(語)が脳の別の場所で処理されていることは疑いないのだ.ピンカーは,「語」は「それを知ってる」システムで,「規則」は「どうするかを知っている」システムなのだとコメントしている.

ここでは最後にかなり詳しく遺伝性やニューロイメージングにかかる知見も採り上げられている.このあたりも含め本章の話題は本書出版後に大いに知見が高まっている部分であり,一部古い知見も混ざっているのだろう.しかし骨格の議論はなおソリッドであると感じさせる.

第10章 アナログ世界のデジタルマインド

この最終章でピンカーは自撰論文集の論文のテーマであったヒトの概念の性質について論じることになる.

  • 規則型と不規則型をヒトの心は異なるシステムによって処理している.この二つのシステムは「語」と「規則」を基礎づけており,これにより言語は膨大な表現力を持つことを説明できる.そしてさらに規則型と不規則型はヒトの心にあるより深い原則も説明できるのだ.
  • ヒトはカテゴリーに基づいて思考し,そのカテゴリーには古典的カテゴリーとファミリー類似的カテゴリーがある.そして不規則型はまさにファミリー類似カテゴリーに属し,規則型は規則の適用の結果,古典的カテゴリーを形作っている.
  • 規則型と不規則型は共存し,異なる計算メカニズムで処理される.そしてそれはファミリー類似カテゴリーと古典的カテゴリーの処理も同じだ.つまりヒトの心はハイブリッドシステムなのだ.
  • ではなぜそうなっているのか.そもそもヒトが概念カテゴリーを用いるのはそれにより世界の推論を効果的に行うためだと考えられる.ファミリー類似カテゴリーを用いるのは,世界が歴史的経緯を経ることによりファミリー類似カテゴリーにあふれており,推論するにはそれを用いる方が効率的だからだ.
  • 古典的カテゴリーへの好みはおそらく,抽象的な理想世界おいて法則を用いる推論により経験を越えた予測が可能になることから生じている.さらに社会的な問題解決には物事をデジタルに区切っていくルール付けが有効になるということも効いているだろう.私たちはアナログ世界にあって(その一部が)デジタルな心を持っているのだ.

ここはやや難解だった論文をよりわかりやすくかみ砕いて説明しており,その広いスコープが最終章にふさわしく,読んでいて壮大な気分にさせてくれる.

本書は刊行後18年を経過した本だが,テーマの独自性もあってなお大半の部分は古びず,大変面白い本だと思う.
進化心理学的な順序で整理すると,世界は歴史的経緯を経たファミリー類似カテゴリーにあふれていて,その情報処理をするためには心にファミリー類似カテゴリー計算モジュールがあった方が適応的であった.そして世界には物理法則をはじめとした法則もあふれており,理想化単純化した世界での法則を用いた予測が有益であり,それを行うためには規則計算システムをモジュールとして持つこともまた適応的だったということだろう.さらに社会的な問題解決のためにはこの規則計算デジタル処理が同様に適応的になったのだろう.実際確かに法律システムはデジタルな要件判断の固まりだ.そして言語にはその両計算モジュールが利用されており,動詞の活用に規則型と不規則型が現れているのだ.
そしてもう一つ本書は精妙な言語の蘊蓄にあふれている.octpus, walkman, computer mouseの複数形の話は傑作というにふさわしいし,プロトインドヨーロッパ語から連なる英語の動詞の歴史も大変興味深いものだ.蘊蓄を語るピンカーも快活で,読んでいて大変楽しい.もはや訳出されることは望み薄だろうが,進化心理や概念カテゴリーに興味のある人のみならず,英語そのものが好きな人にとっても得難い一冊だと思う.


関連書籍


ピンカーの言語3部作の1作目と3作目.第3作の「The Stuff of Thought」の私の読書ノートはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20071109から,書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080925

The Language Instinct: How The Mind Creates Language (P.S.)

The Language Instinct: How The Mind Creates Language (P.S.)

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


同邦訳.

言語を生みだす本能(上) (NHKブックス)

言語を生みだす本能(上) (NHKブックス)

言語を生みだす本能(下) (NHKブックス)

言語を生みだす本能(下) (NHKブックス)

思考する言語(上) 「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)

思考する言語(上) 「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)

思考する言語(中) 「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)

思考する言語(中) 「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)

思考する言語(下) 「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)

思考する言語(下) 「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)

*1:この2バージョンの違いは明らかではない.ファイルサイズが随分異なっている.そしてなぜかSCIENCE MASTERSの方が少し高い価格設定になっている

*2:これが書名の由来になる

*3:なおこのような規則過去形接尾辞の音韻体系は17世紀以降に生じたものだと考えられているそうだ.それまではすべて母音と有声音であり,だから綴りは基本的にedになるそうだ.英語の綴り方の基本は18世紀にサミュエル・ジョンソンが定めたものだと後で解説されているが,それ以前にある程度定着していた綴りということだろうか

*4:これは英語話者には,ことわざや聖書の語句で過去形のみが記憶されていて,多くの人にとっては原形がわからなくなっているそうだ.

*5:原章題は「Word Nerds」,この章で示される様々な実験的証拠を見いだした実験言語心理学者たちの自称だそうだ.

*6:ここも詳細は面白い.通常の話者はstride-strodeまで認めた後の過去分詞についてstriddenでもstridedでもどちらも居心地が悪いのだそうだ.

*7:カナダ出身であるピンカーはどうやらアイスホッケーの熱烈なファンであるらしい

*8:中国語には屈折はなく形態論的には規則がないが,統語論的には規則があり,そこには規則と不規則の世界が同じようにあることが説明されている.