協力する種 その14

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

第4章 ヒトの協力の社会生物学 その2


個体の利他的行動を理論的に説明する出発点として著者たちはハミルトンの包括適応度を選んだ.ではどのように扱っていくのかがここからの記述になる.大槻の解説にあったように著者たちは我田引水的な用語の使い方を行うので注意しながら読んでいくことになる.

4.1 包括適応度と人間の協力

著者たちは,まずハミルトン則 rb>c を解説する.その後こういう形で説明を続けている.

  • ハミルトンの洞察ははるかに一般的な状況まで適用できる.これは利他的遺伝子が広まるのは,利他的遺伝子を持つ個体が,相互作用する相手から偶然より高い確率で協力してもらえる場合であるという点だ.この正の同類性は利他行動の進化の説明に成功したすべてのモデルに共通する特徴だ.
  • ルセット(2002)は家族を基準にしてもグループを基準にしても同類性が起こりうることを示した.いわゆるグループ淘汰モデルで利他的な遺伝子が広がるのはほとんどの相互作用がグループ内でおき,利他的個体が特定のグループに集中している場合である.ハミルトンに倣って正の同類性が利他的形質の増加をもたらしているすべてのモデルに対して,包括適応度という用語を適用することにしよう.


これもひどいまとめ方だ.これではハミルトンは最後まで血縁個体間の相互作用のみを考えていたかのような書きぶりであり,その正の同類性の洞察についてはルセットの業績のように扱われている.
しかしそれは事実ではない.ハミルトンは確かに1964年当初は血縁個体間の相互作用を念頭においていた.しかし1970年,1972年,1980年の論文で自身の包括適応度理論をより洗練させ,そこで血縁度(r: relatedness)を回帰係数を用いた一般的な形で定義し直し,血縁はこの「r」を高める一方法に過ぎない*1と明言している.そして1975年の論文ではマルチレベル淘汰の基本方程式をプライス則から導き出しているのだ.
だからこの部分をより正確に書くなら,

ハミルトンは,利他形質の進化の決め手が正の同類性であることを早くから洞察しており,1972年以降自ら包括適応度理論をより一般化し,それは拡張された「回帰的に定めた血縁度」を用いて説明できることを示した.また1975年には,この包括適応度理論がマルチレベル淘汰的な状況にも適用できることを,プライス方程式を応用した基本方程式を提示することによって自ら示した.

とすべきだろう.ここも我田引水的な印象操作振りが醜悪だ.


ここから著者たちの説明は以下のように続く.

  • 正の同類性はグループでも血縁でも生じるが,これは社会学的には異なる状況だ.前者では自分のグループのために命をかけたり部外者を殺害する行動が,後者では血縁個体のために自己犠牲をいとわない行動が進化する.この違いは重要だ.そこで混乱を避けるために前者を「マルチレベル淘汰」,後者を「血縁に基づく淘汰」として区別する.
  • この両者はともにハミルトンの包括適応度概念の良い例となっている.これらはいずれも「包括適応度淘汰」の特別の場合ということになる.

ここで著者たちは「包括適応度淘汰」という進化生物学にはない用語,そして血縁淘汰を矮小化させた「血縁に基づく淘汰」なる用語を勝手にでっち上げるのだ.ここは大槻も厳しく批判しているが,進化生物学をきちんと勉強もしないで上から目線で混乱した用語を押しつける著者たちのこの態度はまさに傲岸不遜としか形容できない部分だ.
また著者たちはここでグループと血縁は社会学的に異なるから扱いを変えるとしている.本来包括適応度は極めて抽象的で強力な手法なので,このような区別をする必要はない(逆に血縁者間の相互作用もマルチレベル淘汰の形式で分析できる).ここには著者たちの究極因と至近因の誤解が関連していて,意識的に血縁者だと考えることと意識的にグループの一員だと考えることは大きく異なるという認識が影響しているのではないかという印象だ.


ここから著者たちは矮小化させた「血縁に基づく淘汰」を解説する.

  • 血縁に基づく利他性の例としては,多くの動物に見られる子育てなどがある.ヒトでも食物の共有,殺人率の差,移民の送金などで見られる.
  • しかしこの概念ではチンパンジーのオス同士の協力などはうまく説明できない.ヒトでは狩猟採集社会の食物分配パターンや現代社会の相続パターンも説明できない.

ここも著者たちの我田引水振りが目立つところだ.通常単なる子育ては直接適応度の定義からいって特に血縁淘汰で説明することはない.まあそれは包括適応度的にも説明できるからいいとして,ヒトの相続パターンについて著者たちが何を主張しているかというと「完全なr, b, cに応じた分配がない」という部分だ.前段で食物の共有,殺人率,移民の送金を挙げて血縁に基づく淘汰の効果を肯定していることとも矛盾するだろう(これらが厳密にr, b, cに対応しているはずがない).
さらにいえば現代社会の相続は,友人・知人よりも配偶者,家族,血縁者を優先しており,むしろ血縁淘汰的なダイナミクスが強く感じられる現象といっていいだろう.著者たちは配偶者に相続があることがおかしいとも書いているが,配偶者への相続はそれが自らの子供の養育につながりやすいということまで考慮するとある意味血縁淘汰的な要素が入っていると言えるだろう.「血縁淘汰で説明するには厳密なr, b, cを考慮した相続配分がなければならない」と考えるのはあまりにもナイーブだ.ここにも究極因と至近因の誤解が感じられるし,そもそも著者たちは進化心理学の基本的な考え方(進化環境で平均的に包括適応度最大化に有効な行動傾向がモジュールとしてヒトの心理に備わっている)がわかっていないのだろう.


さらに著者たちは人間の協力はこの矮小化された「血縁に基づく淘汰」では説明できず,マルチレベル淘汰で説明できると議論を続ける.

  • 「血縁に基づく淘汰」による利他性説明の主な弱点は,人間の協力が家族の範囲を超えて事実上全くの見ず知らずの相手にまで及ぶことを説明できない点にある.
  • (家族に比べて)血縁度の低い人々の間(グループ内)での協力は,グループ間での生存に大きな差異があるということにより(マルチレベル淘汰で)説明可能だ.このグループ間淘汰が実際にあった傍証としては,ここ500年間で世界のあらゆる地域に欧州起源の人々が居住するようになり欧州起源の習慣や制度が広まっていること,11000年前から農耕とそれに付随する社会組織や行動傾向が中東からヨーロッパに広まったことなどがある.この場合利他的な行為がグループに対して非常に大きな利益をもたらす必要がある.次章以降でその条件が満たされることを見ていく.
  • このようにマルチレベル淘汰により人間には利他性が進化し,全く血縁のない個体に対しても同じグループの成員を援助するように動機づけられているのだ.


ここから著者たちはマルチレベル淘汰の学説史を解説している.

  • 集団構造やグループ間競争が進化に大きな影響を与えただろうというのは,長い間社会学者,歴史学者のみならず生物学者によっても認識されていた.(例としてルウォンティン1965,ウィルソン1977,アレクサンダー1979などが挙げられている)
  • しかし最近まで多くの生物学者はグループ内の遺伝的変異よりもグループ間の遺伝的変異を相対的に高く維持する特別な環境でない限り利他行動の遺伝子を広めることはないと結論づけてきた.(挙げられている例はウィリアムズ1966,クローと木村1970,メイナード=スミス1976など)そして他グループとの交雑によりそれは生じないと考えられてきた.
  • しかしダーウィンをはじめとする多くの思想家はグループレベルに働く淘汰圧が人間の進化において例外的に機能していただろうと考えた.(ここではハミルトンの1975年論文の一部,ホールデンの1932年の書物の中での示唆を採り上げている)ハミルトンは1975年の論文の中で,部族の分割後の小グループの形成がランダムではなく似たようなものが集まるように形成されるならばグループ間淘汰が大きく保たれるだろうと指摘している.
  • 人間社会には平等主義,同意による意思決定,同調文化伝達などのグループ内の表現型を減少させるプロセスが存在する.内輪づきあいや似たもの同士で相互作用する傾向もある.これらはグループ内の淘汰圧を弱め,グループ間の葛藤を強める効果がある.


現在では包括適応度理論とマルチレベル淘汰は数理的に等価であることは広く認められている.それを敢然と無視して1970年代の議論を「最近まで」などという用語を使ってマルチレベル淘汰を推す姿勢は勉強不足であり,見苦しい限りだ.ただし著者たちがよくあるナイーブグループ淘汰論者と異なるのは,きちんと「グループ間淘汰がグループ内淘汰より強くなる条件」を見定めようとしているところだろう.ここは評価に値する.そしてそのような条件を満たす要因に制度や文化を考えているということになる.これは包括適応度的にも解析可能だが,著者たちはマルチレベル淘汰のフレームで見定めていくということだろう.

血縁淘汰との関連でいえば,結局正しい理論的理解の元では,著者たちの主張は,人間の利他性は包括適応度的に説明可能だといっているのと同じだ.要するにわざわざ「血縁に基づく淘汰」などという不必要に矮小化されたかかしを作ってぶん殴っているわけだ.「血縁淘汰とマルチレベル淘汰は数理的に同じで,ここでは後者のフレームで分析していく」と書いておけば本書はより信頼して読める本になっただろうにという思いを禁じ得ないところだ.


なお本節には大槻のコラム「血縁淘汰モデルとハミルトン則」が収められている.
血縁度について,正の同類性の観点から定義できること,陥りやすい誤解などが解説されている.ボウルズとギンタスによる我田引水的なあくの強い解説の合間の一服の清涼剤の味わいだ.

*1:「r: relatedness」について日本語の訳としては「血縁度」が定着しているので,わかりにくいが,英語の語感では「r」は「関係性」となる.