- 作者: マイケル・ルイス
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2017/07/14
- メディア: Kindle版
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本書はアメリカの人気ノンフィクションライター,マイケル・ルイスの手になるカーネマンとトヴェルスキーの物語だ.マイケル・ルイスはソロモンブラザースの債券部門で働いた後,1989年,インベストメントバンクの内幕もの「ライアーズ・ポーカー」によりノンフィクション作家としてデビュー.しばらくはファイナンスや投資の世界を題材にしていたが,2003年「マネー・ボール」でスポーツの世界にも進出,リーマンショック後はまたファイナンスものを多く残してきた.私も彼の作品をすべて読んだわけではないが,ファイナンスものは業界事情の背景知識があって迫力があるし,スポーツものもそれまであまり採り上げられていない通好みの話題(「マネー・ボール」ではセイバーメトリクスの応用,「ブラインド・サイド」ではサラリーキャップにより浮き彫りになったオフェンスタックルの価値)をうまく捌いていて面白い.なかなか傑作揃いで人気作家であるのも頷ける.そこへ今度は行動経済学の産みの親でもあるカーネマンとトヴェルスキーを扱う本書である.カーネマンはノーベル賞受賞で一躍有名になり,その考えは著書「ファスト&スロー」で示されているが,どのようにしてそこに至ったのかはあまり知られていない.またトヴェルスキーは若くして亡くなっており,やはりその足跡はあまり知られていない.2人がどのようにしてこの革新的な認知心理学を打ち立てていったのかは興味が持たれるところだ.またしてもマイケル・ルイスはいいところを突いている.原題は「The Undoing Project」.(なおこの邦題はややミスリーディングだ.本書では,確かに行動経済学が生まれたきっかけにも触れているが,それはあくまで1つのエピソードであり,「行動経済学の勃興」をテーマとして描かれたものではない.)
序章ではルイスがこのテーマに行き着いた事情が語られている.2003年に「マネー・ボール」を書いた後,様々なことがあった*1が,その中で1つ際だって重要だと思える書評があった.それは経済学者セイラーと法学者サンスティーンによるもので「マネー・ボールが扱った現象は興味深いものだが,なぜ野球のプレーヤーの市場が非効率なのかについての深い理由を著者は知らないようだ.その説明は何年も前にイスラエルの心理学者カーネマンとトヴェルスキーによってなされている」という内容だった.ルイスはそれまでカーネマンとトヴェルスキーのことを聞いたこともなかったし,マネー・ボールの心理学的側面について考えたこともなかったそうだ.しかし投資や人物評価のような不確実なことを目前にしたときヒトがどのように結論にたどりつくのかは面白いテーマだ.ルイスは何がイスラエルの2人の心理学者にこのような研究に向かわせたのかを含め,この物語を取材することにする.
第1章 専門家はなぜ判断を誤るのか
ルイスはいきなりイスラエルからはじめずに,マネー・ボールの続編のような話から始める.それはマネー・ボールと同じような統計を用いてNBAブロバスケットボールチームのGMを志したダリル・モーリーの物語だ.モーリーはなかなか興味深いキャリアの末についにヒューストン・ロケッツでGMの仕事に就く.NBAではMLBよりもGMにとって戦略整備上新人ドラフトの占める重要性が高い.しかしどのように新人の将来性を判断するのかは難しい.モーリーはいくつかのより予測に役立つ指標*2を見つけ出して,統計モデルを組み立ててみるが,それでもあまりいい予測はできない.実際にやってみると,重要な要素の見落としが避けられないのだ.なぜ予測がうまくいかないかを検証し,プレーする能力の査定には人的な判断も必要だと認識し,スカウトの主観的な判断と統計モデルを統合運用しようとする.その運用を検証しているうちにモーリーはヒトの判断がいかに不可解かに気づく.無関係な情報に惑わされ,最初の一瞬の印象で判断しそこから離れられず,不確実なことを確実と思い込む.ロケッツはモデルが推していたマーク・ガソルやジェレミー・リンを取り逃す.その後のストライキのシーズンでモーリーはハーバードのエクゼクティブ・エデュケーションの行動経済学のコースを受講し,様々なバイアスを教えられ腑に落ちる.なぜ高額報酬が飛び交うプロスポーツの世界で非効率的な判断がまかり通っているのか,その問題はヒトの頭の中にあったのだと.
この章はおそらくマネー・ボールの続編を構想した取材の中で得た物語なのだろう.結局一冊の本にするには足りないと判断して本書の導入に利用していると思われる.ガソルやリンはそれまで成功していたNBAプレーヤーのタイプに当てはまらなかったためにスカウトの確率判断を歪めてしまったのだ.そしてスカウトたちは確証バイアスに深くとらわれ,それを自覚できないのだ.
第2章 ダニエル・カーネマンは信用しない
第2章はカーネマンの若い頃の物語.彼はパリのユダヤ人の両親の元に産まれる.一家はナチ占領下でのユダヤ人狩りにおびえ,フランスの中を逃げ回る.何とか収容所送りを逃れたが,父親は1944年逃亡生活の中病死する.その中で(次々と生じる衝撃的な恐怖体験のためだろうか)自己の記憶が頼りにならないことに気づき,カーネマンは自己懐疑的で浮き沈みが激しく気むずかしい性格を形作る.第二次大戦が終わった後,1948年に母親は14歳のダニエルを連れてイスラエルに移る.イスラエルは国家存亡の戦いを続け.まともな教授陣を揃えられないヘブライ大学に進んだカーネマンはほぼ独学で必要な学問を修得し,心理学者になる.
ここでルイスは当時の心理学の状況を解説していて面白い.その時代の心理学は驚くほど多種多様で,相互に関連のないものが何でも放り込まれていた.そしてフロイト流の精神分析に対して行動主義が興隆してきた時代だった.カーネマンは行動主義,特に脳の中の意味の問題を考えるゲシュタルト学派に引かれる.
国防が最優先で国家総動員体制だったイスラエル社会では学者も軍に入ることは当然だった.カーネマンは軍の心理学部隊に配属され,新任兵士の適性判断の仕事を担当する.カーネマンはヒトによる判断の難しさ,ハロー効果に気づき,より客観的な性格判断テスト過程を導入する.そして軍の仕事別の適性の違いはあまりないこと,しかし一般的な資質の予測はある程度可能なことを示す.判断において特に重要なのは,面接担当者の直感を排除することだった.しかしそれ以上性格を研究してもあまり意味のある結果は出せなかった.カーネマンは性格の研究から手を引く.
カーネマンはノーベル賞受賞までは自分の大戦期の体験を誰にも話さなかったそうだ.ルイスも筆を抑えているが,それでもこのホロコーストの恐怖に打ち震えながら逃げ延びた一家の物語は胸を打つ.
第3章 エイモス・トヴェルスキーは発見する
第3章ではトヴェルスキーが登場する.トヴェルスキーの両親は1920年代にロシアからシオニスト集団を作ろうとしたパイオニア集団に参加し,初期イスラエル国家のエリートとなった.彼は生粋のイスラエル人ということになる.幼い頃から聡明で活動的だった.1950年代の初めイスラエルが落下傘部隊の志願を募ると高校卒業直後のトヴェルスキーは即座に名乗りを上げた.どこにいてもその知性の輝きで集団の中心になり,しかし暮らしぶりは極めて簡素で独特であり,自らの興味を優先して行動し社会的ルールには無関心だった.ヘブライ大学に進み,専門分野として哲学と心理学を選択したが,哲学の油田はもう干上がっていると判断して心理学に進む.そこで学生に恋人の好みを聞いたアンケートによってヒトの選択が推移的でないことを示したウォード・エドワーズの論文に出会い,金塊の臭いをかぎつける.トヴェルスキーはミシガンの大学院に進み,実験でヒトのギャンブルにかかる実際の意思決定でも推移率に従わないことがあることを実証する.
そもそもヒトはどのように意思決定するのか.それは理想とその選択肢の比較によるのだろう.それまでの主流の心理学理論は比較は物理的距離に基づいていると考えていた.トヴェルスキーは比較が単一次元で行われているはずはないと考え,特徴のリストの一致によると看破した.そしてその特徴のリストは強調を変えることで操作できる.ルイスは,トヴェルスキーの理論は既存の議論に新しい話題を提供したのではなく,議論全体を乗っ取ってしまったのだと評している.
第4章 無意識の世界を可視化する.
1967年6月,エジプトのナセル大統領によるイスラエル船舶のティラン海峡通行禁止通告の後,国境にエジプト軍が集合しているのを見てイスラエル空軍は奇襲をかけ,第3次中東戦争が始まる.トヴェルスキーはその前年にイスラエルに戻っており,開戦の直前に軍に招集されて歩兵部隊の指揮に当たる.奇襲を受けたエジプト空軍は壊滅し,戦争は1週間でイスラエルの完全勝利の形で終結する.
カーネマンは性格研究から手を引いた後,視覚の研究を行い,錯覚やサブリミナル知覚や瞳孔の反応を調べる.これはカーネマンに無意識の世界で何かが起こっていることを印象づけた.ヘブライ大学が自分の終身在職権付与の決定を遅らせたことに立腹したカーネマンはハーバードに行き,そこで後の配偶者となる心理学者アン・リーズマンに出会う.リーズマンは「ヒトが注意を集中する際に何が起こっているのかについて,単純な対象へのオンオフスイッチがあるわけではなく,背景ノイズを選択的に弱めるメカニズムによっているのだ」ということを示していた.カーネマンはこのアイデアの応用に興味を持つ.そして1967年秋,ヘブライ大学がようやく終身在職権をオファーし,カーネマンはイスラエルに戻る.そしてついに2人は出会うことになる.
第5章 直感は間違える
2人の出会いはカーネマンがトヴェルスキーを自分のセミナーのゲストとして招いたときだった.当時トヴェルスキーは「測定の基礎」などの著者として「数理心理学者」だと考えられていた.トヴェルスキーはセミナーで「測定」の話はせずに,意思決定について,特にヒトは新しい情報にどう反応するかという話をした.それはエドワーズの「ヒトは保守的なベイジアン」であるという見解だ.ヒトは意識的にベイズ計算をするわけではないが,あたかもベイジアンのように新しい情報を加味して確率予想を修正していく*3というものだ.ヒトがわずかな情報から大げさな結論に飛びつくことを知っていたカーネマンは,そんなことはあり得ないと感じ,トヴェルスキーにそれは馬鹿げていると伝えた.トヴェルスキーは議論に負けて自分の意見を変えるようなことは滅多にない人生を送ってきたが,その時はじめてヒトの思考のことを深く考えるようになった.それはヒトの思考は合理的であるという世界観からの転換だった.
正反対の性格を持つように思える2人は急速に接近し,共同研究を始める.ヒトが合理的なベイジアンではないことをどのようにして社会学者に信じてもらえるのか.2人は統計学の問題を科学者に答えてもらうアンケート「ある年の8年生全体のIQの平均は100であることがわかっています.次に,学業成績の調査のため50人の生徒を無作為に選び出しました.最初にテストした子のIQは150でした.この標本全体のIQの平均はいくつと推測できるでしょうか」*4を考案する.そしてその結果は見事に「少数の法則への思い込み」(これは彼等の1971年の論文のタイトル.原題は「Belief in the Law of Small Numbers」*5)を示していた.
ルイスは,ここで2人の性格の相違点を様々に説明し,そしてそれがうまく噛み合って創造的な作業が可能になったことをうまく描写している.論文のアイデアはどちらのアイデアか彼等自身にも特定できず,いつも筆頭著者をどちらにするかをコイン投げで決めていた.2人の研究室は常に笑い声が響いていたそうだ.
第6章 脳は記憶に騙される
1960年にヒトの判断に興味を持っていたポール・ホフマンはオレゴン大学に行動科学の基本研究の中心地を目指す研究所を立ち上げる.そこではヒトが何を手がかりに判断するのかが調べられた.しかしそこで思いがけないことがわかる.医師の診断がどのように行われるのかを調べるために手がかりとして(医師に判断基準を聞いて)作った単純なアルゴリズムが,実際の医師の診断よりも成績が良いことがわかったのだ.医師たちは自分たちの知識にある診断理論に必ずしも従っていないのだ.彼等はその結果を1970年に発表し,さじを投げた.
そこにカーネマンとトヴェルスキーがやってきた.当時2人はヒトが何故系統的に判断を間違えるかのデータ集めをしていた.2人はオレゴンにいったん腰を下ろし,バイアスを作る原因として「代表性ヒューリスティック」仮説を立てる.人は確率判断において,頭の中の何らかのモデルと比較する.そしてそれが似ているかどうかで確率を判断するのだ.だからヒトはコイン投げで「表裏表表裏裏」の方が「表表表表表表」より出やすいと感じる.さらに2人は別のヒューリステックスに気づく.それが「利用可能性」と「アンカリング」*6だ.ヒトは簡単に思い浮かべられるかどうかで確率を判断し,直前に与えられた何らかの情報に大きく影響されるのだ.これらはほとんどの場面ではうまく働くが,系統的な判断バイアスを残してしまう.
ルイスはこの3つのヒューリスティックスについてこうコメントしている.「確率について知るすべがないときにヒトが作り上げる物語はごく単純なものになる,そしてそれは自分の気分や計画により左右されてしまう.1939年のパリのユダヤ人がドイツ軍の行動を予測するときにはどうしても1919年のシナリオを思い浮かべてしまうのだ.」
第7章 人はストーリーを求める
1972年2人はイスラエルに戻り,「予測」について考えはじめる.他人の将来を予測する際に,ヒトは客観的なデータを無視して直感に頼り,無関係なデータが示されても事前確率を無視する.また歴史研究における「後知恵バイアス」を指摘し,歴史家たちを青くさせた.またこれまでの彼等の考えをまとめた論文を書くことをはじめる.
2人が決定解析についての会合に出席するためにスタンフォードにいた1973年秋に第4次中東戦争が勃発する.奇襲を受けたイスラエルは壊滅の危機にあると伝えられた.彼等は空港に駆けつけてイスラエルに戻る.
第8章 まず医療の現場が注目した
ルイスの筆は,いったん1970年代からやや先の北米の医療現場に飛ぶ.ドン・レデルマイヤーは医師の臨床上の判断の過誤に興味を持つ.医師はしばしば最初に得た限られた手がかりから直観的に判断し,統計的に考えないのだ.そして1974年のカーネマンとトヴェルスキーの論文「不確実な状況下での判断:ヒューリスティックスとバイアス "Judgment under Uncertainty: Heuristics and Biases.”」を読み,その説得性,そして間違いが予測できるということに衝撃を受ける.レデルマイヤーは1988年にトヴェルスキーに会い,1990年に,医師の個々の診療での意思決定と(集団に対する)医療政策上の決定が異なることについての論文を共著する.またたまたまの偶然を因果と捉えるバイアス「選択的マッチング」についての論文も共著することになる.
カーネマンは1990年当時トヴェルスキーと離れて「ヒトが将来あることが起こったときに自分がどう感じるかについてのバイアス」や「痛みについてのピークエンドの法則」などを調べていた.そしてトヴェルスキーに紹介され,レデルマイヤーに後者に関するデータ集めを依頼する.
本章はルイスがレデルマイヤーにインタビューした内容を,行動経済学とは別のトピック「医療への応用」として括って独立した章に仕立てたものだ.これから語られる2人の物語をすっきりさせるための工夫だろうが,物語の時系列からは逸脱しているので,読んでいくときにはちょっと注意が必要だ*7.
第9章 そして経済学も
物語は第4次中東戦争に戻る.完全に不意を突かれたイスラエル軍は一気に押し込まれる.イスラエル人は祖国存亡の危機に際し,こぞって初戦の損耗を補うべく戦争に参加した.カーネマンとトヴェルスキーは心理学部隊に配属になり,ジープに乗ってシナイ半島を駆け回り兵士を質問攻めにし,様々な要改善事項を司令部に報告した.2人は兵士の話を聞き,彼等が国家やシオニズムのためでなく家族や友人のために戦っているのだという心情を理解する.ルイスは淡々と描写しているが,当時既に世界的な名声を持つ学者が戦争のまっただ中のシナイ半島を走り回るという状況は中東情勢の理不尽さとその緊迫感を伝えてあまりあるところだ.
戦後2人はこの戦争の経過を考え,意思決定をよりデータと統計を元にするように政府に働きかけようとするが,人々の心にある「数字よりも物語」という強固な態度に政策についての決定分析を進めることをあきらめる.
そして彼等は,これまで「判断」について研究してきたが,ここから人々が実際にどのように「意思決定」を行うかについて深く考察することになる.ヒトはベルヌーイ以来の伝統のある「期待効用理論」に従って意思決定しているわけではない.よく知られた反例はアレのパラドクスと呼ばれる.カーネマンはこれは人々が「後悔」を考慮するためだと考えた.意思決定は金銭勘定だけでなく感情的な影響(例えば後悔を最少にしよう)にも左右されるのだ.ではそれにどんな法則性があるのか.2人はそれを確かめるために様々な実験を行い「後悔の理論」を組み立てる.
第10章 説明のしかたで選択は変わる
1974年末,カーネマンとトヴェルスキーはギャンブルの選択について「儲け」と「損」を入れ替えたらどうなるかを考えはじめた.全く異なることは明白に思えた.カーネマンはこのときのことを「それまで考えつかなかったなんて,バカじゃないかと感じた」と述懐している.この「損失回避傾向」に気づいた2人はあっさりと「後悔の理論」を捨てる.彼等は「ヒトは絶対レベルより変化に反応する」「ヒトは利益がかかわるときと損失がかかわるときでは異なるアプローチをとる」「人は確率に見合った判断をしない」を中核とする「リスク・ヴァリュー理論」を発表する.それを公共経済学の会議で説明したときに経済学者アローは「損失とはなんですか」と問いかけた.利益と損失の基準点は揺れ動く.それは2人に「フレーミング」の問題を気づかせることになった.
フレーミングは心理学者にとっては当たり前だったが,経済学者には別の意味があった.ルイスはここでリチャード・セイラーを登場させる.セイラーは若手経済学者でキャリアの危機にあり,人々の不合理な行動のリストを作って弄んでいた.そして1976年にカーネマンとトヴェルスキーの論文「不確実な状況下での判断」を読み,まさに天啓を得る.このあたりはセイラーの自伝「行動経済学の逆襲」にある通りだ.セイラーはトヴェルスキーに連絡を取る.
1976年にカーネマンとトヴェルスキーはこれらの知見を加えて理論を昇華させ,「リスク・ヴァリュー理論」を「プロスペクト理論」に改名する.(論文は1979年に発表される)
この頃カーネマンの結婚生活は破綻しており,1974年に最初の妻と離婚.第4章で登場した英国人の心理学者アン・トリーズマンと再婚しようとする.その決断は不可避的にカーネマンをイスラエルから離れることに導く.トヴェルスキーはイスラエルにとどまるかどうか決断をしなければならなくなる.
第11章 終わりの始まり
1977年カーネマンはイスラエルに戻らないとトヴェルスキーに告げる.業界にはトヴェルスキーもイスラエルを離れるのではないかといううわさが流れ,北米の大学のスカウト合戦が始まる.紆余曲折の末,トヴェルスキーはスタンフォードのオファーを受け,スタンフォードからもバークレーからもオファーがかからなかったカーネマンはブリティッシュコロンビアに移ることになる.
この際にカーネマンとトヴェルスキーは1週間交替で互いに行き来することを約していたが,しかしヘブライ大学時代のような一体となったアイデアのほとばしりは失われた.
カーネマンは第4のヒューリスティック「シミュレーション・ヒューリスティック」を考えついた.人々が予想する際に思いつくシナリオには制約がある.それは「実現しなかった別の現実が生じる可能性」「その別の現実の望ましさ」に左右される.そして前者は「別の現実を想起するために取り消すべき項目の多さ」「過去への時間的距離」さらに「その物語の主役が誰か」「取り消すべき項目の意外性」に影響を受ける.要するに脳は取り消すのが楽な方を選ぶのだ.
この理論は興味深かったが,既存の何らかの理論の反証になっているわけではなかった.そしてトヴェルスキーは興味を持たなかったわけではなかったがカーネマンにそう告げず,同じ部屋の中で延々と語り合うことができなくなった2人の共同プロジェクトにはならなかった.
第12章 最後の共同研究
世間の評価はトヴェルスキーを一方的に持ち上げる形になった.マッカーサー天才賞はトヴェルスキーのみに与えられた.それをトヴェルスキー自身は協力体制を破壊しかねないと本気で怒っていたが,その後も次々に様々な賞を受賞する.アカデミー会員にもトヴェルスキーのみが選出された.2人の間には緊張感が漂うようになった.
ここでルイスは2人の学説への批判とそれへの反論をまとめている.多くの学者は人間の合理性を信じたがっており,稚拙な攻撃を仕掛けてきた.反論はより好戦的なトヴェルスキーの独壇場になった.その白眉が「リンダ問題」であり,渋々共同作業に同意したカーネマンとの最後の共同研究になった.この論文も大評判になり「リンダ問題」と「連言錯誤」はよく知られる言葉になる.
1986年カーネマンはバークレーに移るが,鬱状態になり,トヴェルスキーのやりとりが互いにすれ違うようになっていく.ルイスはすれ違いをいろいろな角度から描いているが,なかなか読むのにつらい部分だ.
1993年,ドイツの進化心理学者ギーゲレンツァの批判*8に我慢がならなくなった*9トヴェルスキーは再度カーネマンへ協力を頼む.「これは共同研究者として頼んでいるのではない,友人として頼んでいるんだ」と言われたカーネマンは重い腰を上げるが,反論ペーパーの一字一句をどうするかで意見の衝突を繰り返し,ほとほと嫌になる.1996年の初頭,カーネマンは「医者に余命6ヶ月と言われる夢を見た.そのときには『なんて素晴らしい,これで最後の6ヶ月をこのくだらない研究に費やすことを望む人はいないだろう』と感じたよ」と告げた.そして「アカデミー会員になぜ自分を推薦してくれないのか」を巡って口論になり,カーネマンは「もう友達ではない」と言い残しトヴェルスキーの元を去る.その3日後,カーネマンはトヴェルスキーからの電話を受ける.「たった今,医者に悪性黒色腫で余命6ヶ月と宣告された」と.その連絡はカーネマンが2人目だった.カーネマンはトヴェルスキーの「ぼくらは友達だ.君がどう思っていようとも」というメッセージを理解し,その場で崩れ落ちる.
第13章 そして行動経済学は生まれた
ルイスは,カーネマンとトヴェルスキーの共同研究の最大の功績の1つは経済学者や政策立案者に心理学の重要性を気づかせたことだと指摘する.そしてセイラーたちに協力して行動経済学が立ち上がったこと,サンスティーンなどによりオバマ政権で実際の政策立案に応用されるようになったことを解説する.
カーネマンは死期の近づいたトヴェルスキーと毎日のように話をした.そしてトヴェルスキーは1996年6月に亡くなる.プリンストンに移ったカーネマンは徐々に世間の注目を浴びるようになっていく.2001年秋にはストックホルムでの講演を頼まれる.それはノーベル賞のオーディションのようなものだった.本書は,2002年の受賞決定の日にいつまでも電話が鳴らないので今年の受賞はなしと考えたカーネマンが,これでようやく安心して「もしノーベル賞を受賞していたら」という想像ができる*10と,「受賞式にはトヴェルスキーの家族を連れて行っただろうか,受賞講演には追悼文を入れ込んだだろうか」を考えはじめ,そしてトヴェルスキーとの想い出に浸り,日常に戻ろうとするちょうどそのときに電話が鳴るところで終わっている*11.
本書はヒトの判断と意思決定の概念に革命を起こした2人組,カーネマンとトヴェルスキーについての素晴らしいノンフィクションだ.ホロコーストから中東戦争というすさまじい背景,全く性格の異なる2人による相乗的な創造性発露と友情の物語,そしてヒトの心の不合理性のバイアス発見の物語,どれもそれ1つで本が書けるようなとびきりのトピックがうまくブレンドされて語られており,全く読者を飽きさせることなく最後まで物語が突き進む.
彼等の研究がどのようにして育っていったのかという学説史的な価値も高い.「ファスト&スロー」では,2人の研究について,そもそもはバイアスに関心があり,「判断」の研究でそのバイアスの源としてヒューリスティックスを見いだし,さらに「意思決定」の研究でプロスペクト理論を創り出したことのみが簡単に書かれており,本の構成としてはこれらの理論を心の二重過程論のフレームに取り込んで統合的に説明する形になっている.本書ではそれらの理論がどのような問題意識で磨かれていったのかが丁寧に描写されている.そしてそれは常に祖国存亡の危機にあるイスラエルで軍の一部として仕事をするという中で,判断や意思決定のミスについての深い問題意識があり,予測できるような方向でバイアスがあるのであれば対処が可能だという強い思いが背景にあることがわかる.
行動経済学の基礎,そしてその成り立ちに興味のある人には「ファスト&スロー」「行動経済学の逆襲」と並んでまず読むべき本ということになるだろう.
関連書籍
原書
The Undoing Project: A Friendship that Changed the World
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このほかのルイスの本.
「ライアーズ・ポーカー」はウォール街の内幕もの.「世紀の空売り」はリーマンショックを扱ったノンフィクション.「フラッシュ・ボーイズ」は特別敷設した光ケーブル等による通信速度の有利さ(及び規制当局のテクノロジー音痴による制度設計の遅れ)を利用して超高頻度フロントランニングディールで最終投資家に属すべき利益の一部を先回りして盗み取る業界のネズミたちの物語.業界のことを熟知し,信頼できる取材ソースがあることがこれらの作品を迫力あるものにしている.
- 作者: マイケル・ルイス
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スポーツ周りの本も何冊もあるが,やはりこの2冊が出色だろう.
- 作者: マイケルルイス,中山宥
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- 作者: マイケルルイス,河口正史,藤澤將雄
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カーネマンの現在の考えをたどるならこの本.本書とあわせて読むといろいろ味わい深い.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20130403
- 作者: ダニエルカーネマン,村井章子
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カーネマンとトヴェルスキーと一緒に行動経済学を作り上げた経済学者リチャード・セイラーの自伝的学説史物語.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20170701
- 作者: リチャードセイラー
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*1:野球関係者の反発,市場の非効率性の利用ということについての共感の広がりと様々な分野での応用の流行,アスレチックスの手法を真似たレッドソックスの成功と3シーズンの不振の後の2016年の撤退表明など
*2:得点,リバウンド数,アシスト数ではなく,1分ごとの得点,リバウンド数,スチール数の方がよい指標になる.また身長よりも腕を伸ばした高さの方が重要
*3:これは当時のミルトン・フリードマンたちが採っていた立場でもあり,後の行動経済学への批判の1つになる
*4:ベイズ的な正解は101だが,知識がある実験心理学者でもこの50人のサンプルが母集団をうまく代表している(だからこの高い外れ値の効果は低い外れ値のサンプルで相殺されるだろう)と考えて100と答えてしまうのだそうだ.
*5:統計学的には十分でないサンプル数でもヒトはそれが母集団を代表するものだと考えてしまう傾向があることを意味している
*6:anchoring:本書では「係留」と訳しているが,これはアンカリングでほぼ定着しているのでわかりにくくなっているのではないだろうか.本書評ではアンカリングと表記する
*7:邦訳の章題は第8章でまず医療が注目して第9章で続いて経済学が注目したような形でつけられているが,時系列的には医療の方が後になる.また第9章は経済学についてフォーカスしているわけでもない.オリジナルの章題は第8章がGOING VIRAL,第9章がBIRTH OF THE WARRIOR PSYCHOLOGISTとなっている.ルイスの章題はなかなかしゃれているのだが,邦訳の章題はオリジナルを無視して適当につけられており,残念だ.
*8:ルイスはギーゲレンツァの主張を「ヒトの頭脳は環境に適応してきたのだからそれにぴったりあっているはずで,系統的なバイアスの影響を受けるはずがない」と要約しているが,これはルイスの誤解だ.ギーゲレンツァは,ヒトは進化環境ではあまり抽象的な確率を考える必要がなく,確率を問題にすると大きなバイアスを見せるが,それを進化環境にもあったと思われる頻度問題の形に変換してやると,より合理的に判断できるようになる」と主張しただけだ.なお「ファスト&スロー」においてカーネマンは,ギーゲレンツァについて,より合理的な側面に関心を持っているとして中立的に評している
*9:ルイスははっきり書いていないが,イスラエル人にあるドイツ人へのわだかまりも背景にあったのではとほのめかしているようだ.
*10:これはカーネマンが自らに課したルール「現実になりそうなことは想像しない」ということに関連する.先に想像してしまうとそれを達成しようという意欲を失うことに気づいたためだそうだ.
*11:この「もしそうでなかったら」という仮想思考実験のことが本書の原題にある「Undoing Project」の意味になる.読者はこの最後のエピソードで,ルイスがなぜこの書名にしたかを深々と感じるという仕掛けになっている