協力する種 その19

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)


少し間があいたが,またこの本に戻ろう.

第4章 ヒトの協力の社会生物学 その7

ここまで著者たちは,代替説明として,(1)直接互恵性についてはそれでは多人数協力の問題が解決できないと否定し,(2)間接互恵性については多人数公共財ゲームと連結しての罰システムの可能性についてのみ採り上げて,信頼できる公的情報が得られないという理由で否定し,(3)コストリーシグナルとしての罰システムの可能性については弱いマルチレベル淘汰と組み合わせてのみその可能性があるとした.これで代替説明が単独で成り立たないと主張できたという整理なのだろう.
そしていよいよ著者たちの主張の本丸であり,本章の冒頭で説明した(強い)マルチレベル淘汰による協力の主張に入る.

4.8 正の同類性

冒頭で著者たちは,「血縁に基づく淘汰」と同様に「マルチレベル淘汰」でも,利他行動が進化するには偶然以上の高頻度で相互作用相手から助けてもらう必要があるとしている.これはハミルトンの(1972年以降の拡張された)包括適応度理論でいえばまさに集団平均より高い「血縁度」にあたるものであり,ハミルトン的には当然のことだ.

著者たちはマルチレベル淘汰フレームにこだわるのでここを「分散比」FST(利他的個体頻度のグループ間分散の集団全分散に対する比)から考えることになる.
まず4.2で解説があった通り,協力が進化する条件式としてハミルトンの洞察とほぼ同じ形の式をまず挙げる.

次にこれを繰り返し囚人ジレンマゲームに当てはめた場合(著者的には直接互恵性の条件式と解釈している)の解説が続き,さらにネットワークから同じような分析を行った大槻の業績を紹介し(なおここで著者たちはこの大槻の業績についてグラフェン(2006)レーマン(2007)が包括適応度を用いて拡張していることについても振れている),そしてこれらを一覧表にしている.


この表を見ると「血縁に基づく淘汰」「マルチレベル淘汰」「直接互恵性」「ネットワーク」でそれぞれダイナミクスが少し異なっているように見える.おそらくそれが著者たちの狙いでもあるだろう.

しかし実はそうではない.これらは包括適応度理論では全て同じ条件式で表現できるものだ.まず.血縁度を回帰的に拡張しておけば最初の2つの結論は同じだ(これが血縁淘汰とマルチレベル淘汰が数理的に同じだという意味だ).また囚人ジレンマゲームモデルやネットワークモデルの条件式が微妙に異なっているように見えるのは,実は包括適応度的に表現すべきb, cとゲームのペイオフに現れるb, cは定義が異なり同値にならないからに過ぎない.そこを調整すると基本的には同じ条件式になる.これが包括適応度理論の広い有用性の1つの現れになる.

4.9 メカニズムと動機

著者たちはまずここまでに見てきた仕組みを復習する.

  • ここまで大きく2種類の協力についての進化的説明を見てきた.片方は血縁に基づく淘汰及びマルチレベル淘汰で,もう片方は直接互恵性,間接互恵性,シグナルだ,後者は,他者を助けるコストがそれによりもたらされるメリットで相殺されなければならない.つまりこの後者により進化する行動は(短いタイムスケールでは利他的に見えるが)厳密には利他行為ではない.つまりその行為は利他的でなくなるために進化すると説明したことになる.

ここは(コストやメリットについて遺伝子視点ではなく個体視点で見れば)基本的にこの通りということだろう.


ここから著者たちは著者たちの推すマルチレベル淘汰に基づく協力の進化のための条件が進化環境において満たされていたかを考察する.

  • このモデルの条件式は実証データには合いそうもない.民族誌的な証拠から見るとFSTは0.10を越えそうにないのだ.これは,利他行動がマルチレベル淘汰で進化するにはbがcより一ケタ大きくなければならないことを意味している.
  • しかし戦争や飢饉などのグループ全滅の危機を逃れるための協力ならb/cは極めて大きな数字になるかもしれない.


このような試みが大槻や高橋の解説にあった「モデルに強引に推定パラメータを入れ込む」傾向ということになる.この議論は第6章で詳しく扱われることになる.


ここから著者たちは「動機」を問題にする.

  • 「正の同類性」が生じる理由はそれぞれのモデルで異なる.モデルそのものは動機については何も語らない.我々は正の同類性が生じる過程とそこからどのような社会的選好が生じるかという2つの点からモデルは区別しなければならないと考える.
  • 血縁に基づく淘汰なら,動機には我が子や近親者に対する愛情や彼等の幸福を願う気持ちが含まれるだろう.直接互恵利他や間接利他なら,自己利益に対する関心や仲間の行動を詳細に記憶する認知過程が至近因となっているだろう.(後に議論する)戦争などの厳しいグループ間競争があるマルチレベル淘汰ならグループ成員のみに対する団結心や寛容性が生みだされているだろう.


著者たちは進化過程からそれが生みだす社会的選好が予測できるとしている.そしてこの後それを根拠にヒトにおける利他行動の進化は文化と遺伝子の共進化過程に基づくマルチレベル淘汰であることを示していくと予告している.


私の立場からのここまでの議論に対するコメントは以下の通りになる.

  • 著者たちは一応理屈としては究極因としてのモデルと至近因としての動機を区別している.しかし結局血縁に基づく淘汰なら血縁認識があるはずだし,直接互恵や間接互恵なら「これが自分の利益になる」と意識した動機があるはずだと,誤解している.だから本章のここまでの議論も究極因と至近因を取り違えたような議論が目につくのだろう.
  • これは行動生態学進化心理学の基本を理解できていないための誤謬だ.血縁淘汰に血縁認識は必要ない.相互作用の相手を選別する必要がある場合にはその際に血縁と相関のある代替的手がかりがあればそれを元にして選別できれば良い.特に問題なのは直接互恵や間接互恵により進化したのなら,「これが回り回って自分の利益になる」と意識的に理解しているはずだと誤解している点だ.実際にこれを意識している方が良いということは全くない,ナイスな相手にはナイスにしたい,評判を大切にしたいとだけ考えていれば十分なのだ.
  • 次に気になるのは,著者たちが分別しているモデルがそれぞれ完全にディスクリートなものだと考えている点だ.(血縁認識があってそれに基づく選別を行っているような)「血縁に基づく淘汰」と(グループ全滅の危機に対応するための)「マルチレベル淘汰」という極端なケースでは確かに社会的に随分異なる過程かも知れない.しかしこれらは血縁大家族,血縁的集団,地域集団と実は連続しており,包括適応度理論でもマルチレベル淘汰でも同様に同じフレームで理解できる.
  • 理論的には連続していても実際にはクラスターを作っているかもしれない(そうであれば社会学的にはどうしてそのようなクラスターになるのかが興味深い問題になる)が,著者たちはそのエビデンスを示してはいない.ヒトの集団が様々な重層的なグループで構成されていることを考えると2つの過程に大きく隔離しているとは考えにくいところだ(もちろんこれを主張するには連続しているエビデンスの提示が必要になるだろう).
  • 要するに著者たちは,排他的な全く隔絶した異なる過程があり,そこではそのメカニズムを意識的に理解しているような至近因的な動機がそれぞれあるはずだと主張しているのだ.これはいずれもかなりスロッピーな主張だと感じるところだ.