協力する種 その28

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)


著者たちはマルチレベル淘汰の基本モデルに,密度依存効果(そしてグループ間淘汰が戦争によってのみ決まるという前提)と繁殖均等化による利他性進化条件の緩和を追加した.ここからこの条件式に現れる集団間の遺伝的分化指標FSTについて考察する.

第7章 制度と協力の共進化 その3

7.3 集団間の遺伝的分化


著者たちの議論はこのようになされている.

  • ライトによるヒトの集団のFSTは0.02だ.この数字でマルチレベル淘汰で利他性が進化するにはb/cが50を越えなければならない.実際に調べられたFSTの数字は第6章で見たようにもう少し高い.(それでもかなり大きなb/cが必要になる)
  • 実際に効いてくるFSTがこの値より大きい可能性がいくつか考えられる.
  • そのひとつは実証的推定値は中立遺伝子座についてのものであるので,利他的な行動形質にかかる遺伝子座については別の淘汰的力学が働く可能性だ.集団中のAの頻度は(集団内淘汰のみ働くと)長期的にはいずれ0になって集団間分化はなくなってしまう.しかしシミュレーションを行うと中程度の淘汰圧の元で中期的には数十世代にわたってFSTが上昇する.グループ間の競争による分裂や絶滅はこのスケールより短い間隔で生じるのでFSTは高い水準で維持されることが可能だ.
  • もうひとつは,利他的個体が利己的個体をグループから追い出せる可能性だ(著者たちはこれを「選択的同類性」と呼ぶ).これが可能であれば,(利他者が多いほど利己者の排除が容易になるので)集団間分化が促進され,FSTは高水準で維持できる.(この場合Nは排除されないためにAに転換することが有利になるので,いわゆる緑髭効果の不安定性の問題は起こらない)この場合N排除のためのコストがAにかかるという問題(著者たちは明示していないがいわゆる二次のフリーライダーの問題のことを指摘していると思われる)があるということには注意が必要だ.しかしそれは考えられないほど大きなものではないし,排除が実際に行われているという民俗学誌的な証拠もある.


なかなかわかりにくい言い回しだが,FSTについての実証的な値より,利他的行為にかかる遺伝子座についてのFSTがより大きくなる可能性を指摘している部分ということになる.ただこれらの指摘については,この行動を取る遺伝子座が単一ということは考えにくく,中立遺伝子座のFSTと大きく違う値をとることがありうるのかという点についてはかなり疑問に感じられる.

7.4 デームの絶滅と利他性の進化


ここから著者たちはパラメータに実際の値を当てはめた議論を行う.その前に前節で指摘したFSTが利他的行動にかかる遺伝子座でより大きな可能性について,それは入れ込まずに議論を進めるとことわっている.

  • グループ内の栄養の獲得と消費に関する実証的な研究から,繁殖均等化に関するτrについては2/3が妥当な値だと考える.なおもうひとつの候補値として1/3も使用する.
  • グループの繁殖可能な成人数nについては32を用いる.(なお無限大の場合も計算する)(大槻の解説によるとnは進化条件とは無関係になる)
  • b, cについては考えている利他行動によって適宜値を定める必要がある,ここではb=0.05に対し,cについて0.00から0.08までの値でシミュレーションを行う.いずれにせよここで考えているモデルにおいてはグループ間競争にかかるパラメータの方が大きな影響を与える.(これも大槻の解説によるとbは無関係になる)
  • κ,λ:κは全死者に対する戦争による死者の割合から推定する.考古学や民族誌からこれは0.28と推定する.(計算には0から0.5を用いる)λは全平均が0.5となる.λAについては1と0.5を用いる.
  • FSTは中央値0.075と推定し,0.07〜0.17で計算する.


これが巻末の大槻の解説において疑問視されていた「(現実を抽象化して切り取った)数理モデルに実証値を大胆に代入する手法」ということになる.一応著者たちもこの推定に大きな誤差がある可能性は認めているが,どの程度の誤差かについては推定していない.彼等としては計算値に幅を持たせているので十分と考えているのだろう.

ここではλAが0.5のときと1のときでκとc平面における利他性進化条件境界が図示されている.例えばλA=0.5のときにκを実証推定値の半分の0.14とすると利他行為進化条件であるcは「0.08以下」程度になる.


ここからより具体的な議論となる.