第10回日本人間行動進化学会参加日誌 その2 


大会初日 12月9日 その2


招待講演と第1回口頭発表の後は第10回大会を記念した特別企画だ.


日本人間行動進化学会設立 10 周年記念特別企画 「人間行動進化学どこへ行く」


前身の研究会から数えるとほぼ20年.それを記念して*1,これまでの若手発表賞受賞者3名によるセッションが企画された.それぞれのこれまでの研究を織り交ぜつつ,この先人間行動進化学がどこへ向かうのかを大胆に予想してもらうという趣旨だが,企画・主催の平石界から,実はこれには裏設定があって,「20年前,10年前に何をしていたのかを振り返ってください」「目指している大きな構想,RQ(research question)を話してください」と依頼していると説明がある.



社会的絆を支えるヒトらしいこころとは?―比較認知科学からのアプローチ 瀧本彩加
  • まず自分史から.20年前はまだ中学生,そのころペルセウス流星群の観測の研究で和歌山県の科学賞を受賞したことを思い出した.10年前は京大の大学院に在籍.馬術部のコーチと,生まれたばかりのリスザルの子供の母親役とフサオマキザルの分配実験の佳境が重なって目が回るほど忙しかった.その後2012年に博士を取得,ウマの公平感のリサーチを経て,3年前から北大に在籍している.
  • 研究としては,まず2000年代に人間行動進化学,特にヒューマンユニバーサル,協力の進化に興味を持ちフサオマキザルをリサーチのテーマにした.フサオマキザルは系統的にはヒトと離れているが,ヤシの実を石で割るなどの道具使用を見せ,感情表現もあり,食物分配をすることでも知られる.そこで彼等の向社会行動(他者に利益を与える),援助(他者の欲求に合わせて助ける)を調べた.
  • 今日は彼等の向社会行動について紹介したい.2匹のサルを用い,与える役ともらう役に振り分ける.与えるサルは2つの棒のどちらを引っ張ってもピーナッツがもらえる.片方の棒を選ぶと相手にもピーナッツが与えられるが,もう片方の棒を選ぶと相手にはパセリしか行かない(サルたちにはすべて見える)という仕組みだ.
  • 与える役のサルは,もらう方が要求行動をするとよりピーナッツを与える.特に相手が劣位だとそうする.次にもらう側の協力が必要な設定にすると,ピーナッツを与える率が上昇する.これは返報的な行動だと解釈できる.
  • 次に公平感を調べた.公平感には2種類あるとされている.自分が有利になるのを嫌がる(罪悪感)もの(AI)と自分が不利になるのを嫌がるもの(DI)だ.AIは向社会行動を直接進化させる至近的要因で,DIは罰を通じて進化させる至近的要因だと考えられる.これはドゥヴァールたちの実験が有名だ.これを進めて第3者への公平性評価があるかを調べた.公平条件と不公平条件を設定しどちらに餌を与えるかを見ると彼等にもそういう評価があることがわかった.
  • ヒトにある協力的行動要素のうち,共同子育て,公平感,向社会的行動があるかどうかを見ると,様々な霊長類でばらばらな状況であることがわかる.
  • 不公平感をよく考えると,そういう人とはかかわらないという戦略が重要であることがわかる.すると誰とつきあうかの好み,学習に興味が生じてきた.動物においてはこれまでこのあたりについては母系血縁,年齢の近い個体.順位の近い個体,母同士の親密さなどが調べられてきた.そこからより個体の個別の心理や生理的な影響(ストレスと生理など)について調べられ,研究が進んでいる.
  • 現在はウマについて調べている.ウマは非血縁のメス個体同士が社会的絆を形成し,第3者介入があり,表情や音声の感情反応が見られる社会性の動物だ.絆の形成とそれにかかる心理的生理的なメカニズムの解明を目指している.またウマとヒトの間の絆にも興味がある.
  • 比較研究を通じてヒトについて思うことは.ヒトは見知らぬ他者と関わり,時に強い絆を形成する,そしてそのために他者についてポジティブに評価し,それを表現する能力を持っているということだ.また他者を気にし,快不快を感じ,それが伝染するというのも独特だ.
  • 人間行動進化学は,学際研究としてヒトのユニークさに取り組み,自然科学と社会科学の融合をリードしていく学問へ向かって欲しいと思っている.


フサオマキザルの実験の話は楽しい.ウマはリサーチ対象として大変そうだが面白いリサーチを期待しよう.

進化史と文化史の交点:文化進化学の構築と展開と発展的解消 田村光平


これから話すのは妄想の世界なので「罵倒はSNSで」(この場では罵倒しないでくださいという趣旨)と振ってから演題に突入.

  • 20年前は小学生だった.親類が集まり,みなで騒いでいる中で,祖父と自分だけ何か1人で黙々と作業していたことを思い出した.
  • 10年前は名古屋で学部の4年生だった.当時熱中していたフットサルで左脚の腓骨を骨折し,それで(フットサルができないので)研究にも身を入れはじめたという記憶がある.当時は日本の方言の言語系統樹を描くことに熱中していた.
  • この作業で実データの複雑さを痛感し,院に進んでからは数理モデルの世界に足を踏み入れ,モデルを作っては潰しということをやっていた.
  • 次に博士過程の途中で文化・人間行動のデータ解析に取り組むようになり,サッカーの意思決定などを解析した.東北大学に移ってからは考古学データの解析を行っている.
  • こうやって振り返るとデータ→理論→データ,対象は言語,民族,スポーツ,考古物とふらふら動いている.その中で「ヒトとは何だろうか」というのが,自分の進むべき道であり戻るべき原点だと思っている.
  • 文化進化研究は今後どうなるのだろうか.私は「発展的解消」だと思っている.この領域は,まず一次データの確保に大変苦労する.そして解きたい問題は他分野のものであることが多い.他分野研究に仮説や方法論を提供するものという側面が強いのだ.今の仕事も考古学者に手法を提供しているものだということになる.
  • そして自分のやりたいことは,文化から「ヒトとは何か」という問いに答えることだ.進化史と文化史の交点としては「文化の生物学的基盤の進化」「文化の人類史への影響」などがある.今は前者を実証的にリサーチすることに興味がある.社会学習というのは他個体からの情報の獲得だ.ここをやりたい.ただいろいろ複雑でヒトですぐやるのは難しい.動物を対象に,配偶選択,同調,行動の遺伝的基盤などを調べていきたい.それが最終的にはヒトの文化能力の進化の解明につながればと思っている.
  • もうひとつやりたいことは「文化史」だ.文化を定量化し,変化要因をモデリングしてみたい.そのためにいろいろな地域.時点のデータを大量に蓄積し,プロセスの共通性を探る必要がある,
  • さらに妄想をいえば,マイ博物館を作りたい.文化データを収集し,解析できる形で整理し,誰でも使えるような電子的データベースを作りたいのだ.


確かに田村の名前は方言のリサーチや丙午生まれのリサーチなどで記憶がある.その後文化進化と考古学データ解析の仕事に進んでいたことは承知していたが,途中で数理モデルにはまっていたとは知らなかった.サッカー意思決定の話はちょっと面白そうだ.

人間行動進化学的な顔・表情認知研究を目指して 中嶋智史
  • 顔からは様々な情報が読み取れる.性別,人種,年齢,感情,意思,印象・・・.この認知が歪むとどうなるかのヒントは相貌失認(先天性の相貌失認は人口の2%程度いるのではないかといわれている)に見ることができる.社会的なコミュニケーションに影響があるだろう.また様々な要因が顔認知に影響を与えることがわかっている.
  • 15年前には学部生だった.顔の記憶に興味を持っていた.
  • 10年前には博士過程だった.この頃から進化心理学に興味を持ち始めた.裏切り者の顔検知などを調べた.残念ながらこれは未だに論文にできていない.
  • 顔認知を巡る当時の動向は,1980年代のブルース・ヤングの顔認知モデルから2000年のハクスビーのモデルに乗り代わりつつあるところだった.また画像処理技術が急速に進み,ヒトが顔を他の物体とは異なるものとして認知していることが明らかにされつつあった.倒立効果を示すものや,平均顔についてのリサーチがでていた.当時はこのような顔認知は霊長類特有と考えられていた.
  • 現在は広島修道大学に在籍し,顔記憶における社会的環境的な問題,ラットを用いた社会性の神経メカニズムの検討などをテーマにしている.
  • 顔記憶について機能的にアプローチした方が良いと考えている.ヒトの認知容量は有限なので,機能的には選択的に処理しているはずだ.例えば脅威についてより素速く検知できたり,良い遺伝子の持ち主をより敏感に判別できる方が適応的に有利になるだろう.
  • 社会的シグナルが顔記憶に及ぼす影響:視線方向に認知は影響を受ける,特に怒りは直視方向でより記憶される.暗闇では不安が大きく,怒り顔検知に影響がより大きく出る.
  • ラットでも痛み感情認知ができる.中性刺激を受けているラットと痛み刺激を受けているラットを識別できる.つまり顔の表情認知は霊長類以外でも可能なのだ.さらにこれは2011年にアシナガバチで,2017年にメダカでも報告されている.
  • これから,多様な動物の顔認知の共通性を調べたい.またまだ顔認知ができたという報告に止まっているので,どう機能しているかを調べたい.表情機能の進化,それが環境に対して適応的になっているか,さらに他の動物種にも取り組みたい.
  • ヒトの表情認知が社会的にどう機能しているかにも取り組みたい.現在はまだ実験室レベルで認知科学の領域に止まっているが.もっと現実的な社会環境との関係を調べたい.
  • さらに顔認知,表情認知が対人関係にどう影響を与えているかもあまり調べられていない.表情認知の歪みを教化して修正すると攻撃行動が減少したという報告もある.
  • まとめると,顔認知を認知科学から学際領域に,進化的観点を入れてより発展させたいということになる.


顔認知,表情認知は典型的なモジュール的な認知のようで,調べるといろいろ面白いだろう.アシナガバチの顔模様による順位のバッチの話は顔認知といえばそうだが,ヒトのそれとあまり共通性はないのではないだろうか.


ここから長谷川寿一,眞理子によるコメントになる.

コメント 長谷川寿一
  • (スクリーンにチンパンジーと長谷川夫妻が並ぶアフリカの写真を写しながら)これは35年前,1982年の写真だ.当時はチンパンジーを調べ,行動生態学まっしぐらだった,ちょうど大きなパラダイム転換のその時期に若手研究者として立ち会うことができ,非常にエキサイティングな時代だった.いろいろなことを壊しながら作りながら走り抜けた.
  • 1980年代の後半には特定領域研究「生物の適応戦略と社会行動」に参加した.そのころ,このままチンパンジーの研究を続けるかどうかを考えはじめた.他の動物の研究者と話をして一気に世界が広がっていたのだ.そして結局サルをやめることにした.
  • この研究会の直接のきっかけは1996年の基盤C「人間行動と進化」になる.しかしこれを申請するきっかけになったのは前年の1995年,サンタバーバラで開かれたHBESに参加したことだ.これは本当に衝撃的だった.言語,哲学,動物行動の研究者が集まり,わいわい議論していたのだ.当時の日本では考えられない光景だった.そして日本に戻り,ヒトも生物の1つなのだという気運を盛り上げようと考えた.そしてこの企画調査の科研費が取れ,目黒のとある会議室で領域調査の会合が始まった.経済学の神取さんや数理生物学の巌佐さんなどが集まり,歴史学者から古代ローマの嬰児遺棄の話を聞いたりした.そしてこれは研究会を立ち上げようということになり,今度は基盤Bを申請することにした.
  • それより前にシチリアで動物の子殺しに関する国際シンポジウムがあり,夫妻で参加した.そこで動物行動から人間研究に進んだマーチン・デイリーとマーゴ・ウィルソンの夫妻,サラ・ハーディたちに出合い,いろいろな話をし,波長が合った.彼等はHBESへの参加を強く勧めてくれた.また「Adapted Mind」も勧められた.強い知的興奮体験だった.そして日本でもHBESを立ち上げたいと考えるようになった.

The Adapted Mind: Evolutionary Psychology and the Generation of Culture

The Adapted Mind: Evolutionary Psychology and the Generation of Culture

  • 当時日本での心理学の領域で山岸さんだけが波長が合う人だった.ある社会心理学の会合で話をした後,山岸さんがすっとよってきて名刺を差し出してくれた.それ以来意気投合する中だ.
  • 2000年代にはCOE「心と言語」に取り組んだ.しかしこれは言語学者と生物学者の間で寄り合い所帯感が解消できなかった.不完全燃焼だった.
  • 2008には京都でHBESの国際大会を開くことができた.
  • 2010年からは「共感の進化・神経基盤」に取り組んでいる.こちらは遺伝子,システム神経科学,内分泌神経科学,社会科学の分野の人が集まっているが,割とシームレスにつながり,チームワークもよく,楽しみなプロジェクトに進みつつある.
  • さて,このHBESJはそれぞれの研究者の本拠地の学会と異なり学際的な集まりであるので,みなリラックスして参加し,協同的な雰囲気があると感じている.先ほどポジティブ評価のコミュニケーションという話があったが,まさにそういう風に盛り上がってよかったと思っている.
  • この分野の黎明期にはこういう話ができるところはなかった.進化心理学という用語自体いかがわしいものと扱われることもあった.進化的な人間理解といううこと自体バイオフォビアの社会学者には受け入れがたいことだったのだ.しかし時代は移り,社会科学でも進化的なアプローチが定着しはじめている.とはいえ,まだまだ世間の常識にはなっていない.例えば今回公認心理士の資格が制定されるが,その資格試験の科目をどうするかを巡って1年間すったもんだした.私はヒトも生物の一種であるのだから,他の動物との比較は必須だと考えて比較心理を入れるように主張したが,その委員会の座長は医学系で「動物はいらんから」の一言で切って捨てられた.何とか神経と生理は入ったが,機能,適応,進化は無視されてしまった.5年後の改定時,それも無理かもしれないが,それなら10年後の改訂時に入れられればと思っている.
コメント 長谷川眞理子
  • 私は自然人類学科の一員として霊長類研究を始めた.しかし最初はヒトには興味はなかった.そもそも自然人類学に進んだのは,ヒトに興味があったわけではなく世界中を探検したかったからだ.当時そういうことができそうな進路は自然人類学だけだったのだ.で,研究対象は人類と近縁でなければダメということでサルとチンパンジーを選んだ.だからサルにもチンパンジーにも最初から情熱はなかった.チンパンジーの観察をやろうといったのは彼(寿一)の方だった.だから異なる動機で観察をしたことになる.やってみるとそれはなかなか面白かったが,複雑で難しく,きれいな形にはならなかった.
  • また当時の霊長類学会という人間の集まりもきらいだったので,早々に見切りをつけてケンブリッジに留学した.そこは行動生態学の中心だった.そこで研究できたことで世界が2倍になった気がした.
  • でもそれでもずーっと人間をどうやって研究していいかはわからなかった.当時は社会学や心理学をどう進化と結びつければいいかわからなかったのだ.
  • シチリアのシンポジウムは子育てと子供の虐待にかかるものでとても面白かったし,マーゴやマーチンとも出会えた.それでもまだどうすればいいかはわからなかった.
  • しかしあるときにはっとわかった.それは1994年,キツネザルとシファカをリサーチしているある研究者の手助けをしにマダガスカルへ行ったときのことだった.手助けだったので気楽に参加し,夜はヘレナ・クローニンの「アリとクジャク」の翻訳作業を行っていた.そこでコスミデスとトゥービイの4枚カードの話が出てきたのだ.
  • それですべてがつながった.人間のベーシックな心,ストラクチャーがあって,そしてその上に文化がある,そのストラクチャーがどう進化したか,そしてストラクチャーと文化の結びつきをやればいいのだ.万歳!
  • そして1995年のHBESに参加することになる.この啓示がなければHBESに行こうとは思わなかったかもしれない.
  • 最近感じていることの1つは他種の内的世界の研究の難しさだ.これは強く感じている.自分がヒトであるために生じるバイアスをどう打破するかが問題になる.無意識の人間中心主義,人間世界への当てはめをどう克服するか.ある意味では腕の見せ所であり,いいアイデアが必要だ.
  • またマクロのレベルでの研究には,ミクロの世界における顕微鏡やシーケンサーなどの画期的な測定技術が生まれていないということも感じている.確かに50匹のサルの行動データの収集は可能になったが,これを解析するのはちょっと難しい.しかし紙と鉛筆と双眼鏡だけの時代は終わりつつあることも確かだ.
  • 私のヒトのリサーチへの興味は45歳を過ぎてからだ.45を過ぎてから面白くなってきた.ヒトの研究はヒトについての経験を積み重ねていないと難しいと思う.ある意味年の功だし,人間に対する経験的な知識なしに生まれない発想があるように思う.
  • HBESは1995年から参加している.最初の頃はユニバーサルと生得的な基盤が議論の中心だった.それが2007年頃から文化,そして生得的基盤と文化の結びつきへと変わってきた.それはそういうことを分析する方法論が発達したからだろうと思っている.
  • 今一番知りたいのは,文化の変わりやすい部分と変わりにくい部分がどうして生じるか,変わりやすい社会と変わりにくい社会があるのはどうしてかということだ.あるいは日本は女性の社会進出に関してどうしてこうも変わらないのかということだといってもいい.この点に関して90年代以降世界は大きく変わってきているが,日本は昔のままだ.私は国家公安委員も務めているので議員会館に行くこともある.あるときある場所で1人で待っていたら,やってきた議員とおぼしき一団から「よっ,ねーちゃん,誰待ってんの」と声を掛けられたことがある.このことを野田聖子議員に話したところ「そうよ,日本は本当にそうなのよ」といわれ,2人で悲憤慷慨した.
  • ヒトについては自分自身が1つの客観的な材料にもなる.自分を説明できなければ(その説明は)ダメだと思っている.
  • その良い例は最近の自分の経験だ.今いろんなところでしゃべっているので聞いたことがあるかもしれないが,私は最近子供が好きになった.実はつい最近まで赤ちゃんは嫌いだった.若い女性研究者と会食するときに赤ん坊連れだったりすると,もちろんその場ではにこやかに応対するが,内心では「赤ちゃんと一緒にご飯かよ」という思いを禁じ得なかった.
  • ところが,最近我が家に子犬がやってきた.その子を最初に抱いたときに,私の腕の中でポテッと寝てしまった.その瞬間「ああ可愛い,この子は私が守ってやらなければ」と強く感じた.オキシトシンがどばっとでていたのだろう.するとその後よその赤ちゃんも同じように可愛いと感じるようになったのだ.それまでは(総研大のある)葉山に向かうグリーン車に赤ちゃんが乗ってくると車両を変えたりしていたのが,「あらあら,どうしましょ」と感じるようになった.1つの経験で子供に対する許容が大きく上がったのだ.
  • 今日はいろいろな発表があって,ポスターも充実している.この学会もうまく回りつつあると感じている.


本学会の創設者お二人による味わい深い回顧および展望コメントだった.眞理子会長が行動生態学に目を開いたのはプリマックに勧められたドーキンスの「利己的な遺伝子」を読んだことがきっかけだったとどこかで書いておられたと思うが,人間行動進化学についてはコスミデスとトゥービイの4枚カード実験だったということになる.確かにあれを最初に読んだとき(どの書物で最初に読んだのだろうか,今となっては思い出せない,あるいは眞理子会長の訳された「アリとクジャク」(原題は「The Ant and the Peacock」邦題は「性選択と利他行動:クジャクとアリの進化論」)そのものだったのかもしれない)には,ヒトの無意識モジュールによる計算の精巧さとその適用範囲の狭さ,そしてそれが進化的に実に巧妙に説明できることに衝撃を受けたものだ.

性選択と利他行動―クジャクとアリの進化論

性選択と利他行動―クジャクとアリの進化論


今調べると進化心理学の記念碑的なアンソロジー「Adapted Mind」もKindle化されているようだ.私はペーパーバックで所有しているが,いつも持ち歩くためにこれも買っておくべきかちょっと迷っている.

The Adapted Mind: Evolutionary Psychology and the Generation of Culture

The Adapted Mind: Evolutionary Psychology and the Generation of Culture


この後ポスター発表タイムがあり,初日は終了である.ポスター発表は第2日にもあり,そこで扱うことにしたい.


これは名古屋名物巨大海老フライ定食.なんと巨大海老フライをそのまま豪快に海苔巻きにしたものもあって食べてみたが,これはなかなかいける感じだった.個人的な評価は天むすより上だ.

*1:冒頭でプログラムには10周年とあるが,これは第10回の記念企画で,正確には設立9周年だという肩の力の抜けたアナウンスがあって楽しかった