「化石の植物学」

化石の植物学: 時空を旅する自然史 (Natural History Series)

化石の植物学: 時空を旅する自然史 (Natural History Series)


本書は植物進化を化石から考察する専門書.東京大学出版会によるNatural History Seriesの一冊である.著者は古植物学者の西田治文.40年にわたり植物化石を研究し続けてきた著者による自分のリサーチ歴も振り返りつつの充実の著書だ.冒頭の「はじめに」では,本書執筆の真の意図は,植物の化石を知ることで読者に生物多様性についての“生物学的教養”を深めて欲しいということであると説明し,さらに「本書はとても難解かもしれない」と宣言し,読者に覚悟を要求している.というわけで私も居住まいを正して読ませていただいた.

第1章 植物化石と古植物学

ここでは古植物学そのものの歴史を追っている.紀元前6世紀の古代ギリシアから説き起こす.クセノパネスの解釈,そして16世紀のゲスナーによる分類があり,リンネ,ダーウィンを経てようやく19世紀になって化石が正確に評価可能になる.詳細はなかなか深い.日本についても本草学の歴史から始めて,明治の招聘学者ライン,ガイラー,ナトルスト,そして横山又次郎,大石三郎,松村任三,藤井健次郎たちの業績を紹介している.その後日本の古植物学は順調に育ったが,1970年代にピークを迎えてその後は下り坂だと無念の思いを語っている.
そこから化石の種類,地質学との関連,観察手法,復元手法などの学問の基礎が解説されている.

第2章 分類と進化

まずは化石の記載の解説.形態からの記載になるが,詳細はなかなか深い.続いて生物分類,系統樹における植物の位置,そして植物の分類の基礎が解説される.また主な植物グループの「重要な体制」についても解説がある.頂端分裂組織,葉原基,葉序,腋芽,原糸体,中心柱などの話になる.
次は系統推定.分子系統樹で現生生物の系統樹を得ることができるが,そこに化石種をいかに組み込むという作業が重要になる.例としてナンヨウスギの系統解析例があげられている.現生植物の系統樹に球果類とナンヨウスギ科の種分類に使う61の形態要素を入れ込んで解析すると,うまくナンヨウスギが単系統になる.そしてエボデボの影響は古植物学にも及んでいる.現生植物の発生様式がわかると,奇態でさえある古植物の形態の理解を助けるのだ.


第3章から第8章までは時代ごとの陸上植物の進化の解説になる.

第3章 陸上植物の初期進化

まずは化石発見物語から.1859年に発表されたプシロフィトン,1917年から18年にかけて発表されたライニー植物群が陸上植物の初期進化を示す最初の化石植物になる.ここから様々な化石が紹介され,分子系統と突き合わせ,現在陸上植物の中ではコケ植物が最も原始的で,維管束植物はそこから派生したことがわかったと説明されている.
では最初に上陸した植物はどんなものだったのか.この謎を巡り,菌類や微生物マットの方が先であった可能性が高いことを説明し,幹だけある謎の化石を紹介したうえで,植物の上陸自体の進化的考察がなされている.上陸への淘汰圧のうち重要だったのはおそらく大気中の二酸化炭素の利用だっただろうこと,上陸に当たっては,乾燥に対してクチクラ層と気孔,光を巡る競争に対しての伸長成長,分散のための胞子などが重要であり,それまでに生産されていたクチン,リグニンなどの有機化合物がうまく転用されたとしている.
ここから最古の陸上植物の化石(オルドビス紀ダーピンジアン期470〜467百万年前の5種の陰胞子),その後のシルル紀およびデボン紀の様々な胞子や植物体の破片化石が紹介されている.さらに植物の起源(シャジクモ,コエレオカエテ,接合藻類の間で決着がついていない),2nの胞子体世代の起源推測(起源植物ではコケ植物と同じような小型の胞子体であったと考えられる)とエボデボによる検証,最古の大型化石(シルル紀ウエンロック世433〜427百万年前のクックソニア)が紹介される.
大型化した胞子体は分枝を繰り返し,栄養成長の最後に胞子嚢を形成するようになる.これらは多胞子嚢植物として単系統を形成する.その成立についてもいくつかの仮説が紹介されている.初期の胞子体の通道組織は多様であり,そのひとつが維管束ということになる.

第4章 多様化する維管束植物

ライニー植物に見られる体制を概説した後,葉の起源,茎の起源,根の起源が解説される.いずれも深い.そして維管束植物の様々な分岐と,大葉類の祖先植物であるトリメロフィトン類(前期デボン紀)の化石の体制が紹介され,さらにそれが後期デボン紀に向かってどう多様化したかが示される.さらに葉の起源(小葉,大葉の区別とそれぞれの起源.それぞれかなり奥深い),葉の多様化.根の起源(葉と同じく複数の系統で独立に起源したとされている.ここでは最近発見された「コットンウッドの小葉類」について詳しい解説がある)などが解説されている.
そこから陸上生態系の推移過程も推測されている.デボン紀のライニー植物群は詳細な生態系が復元されている最古の化石でもある.そこから木が現れ,後期デボン紀には高さ20メートルを越える森林が出現するのだ.

第5章 種子の誕生

後期デボン紀にはシダ植物はいくつかの大きな系統に分岐し,種子植物も出現している.ここではまず種子の構造(種皮,胞子体である胚,胚乳からなる),その元になる胚珠(珠皮,珠心からなり,珠心は大胞子嚢と相同になる),種子植物へ至る道として,木質植物,前裸子植物(絶滅分類群,アルカエオプテリスの化石により知られるようになる)が解説される.種子植物の起源についてはこの前裸子植物の中のどの系統かについて決着がついていないそうだ.
続いて,胚珠と花粉が成立するための,大胞子と小胞子の分化,種子植物型の生活史の起源が考察される.配偶体における雌雄の分化が必要ということだが,淘汰圧の考察(水中における繁殖において大型胞子が有利になったのではと考察されている)も含めここも深い.化石としては大胞子嚢が珠皮に囲まれていく各段階のものがデボン紀から石炭紀にかけて出ている.また受粉の仕組みの進化についても深く考察されている.第5章は初期の裸子植物としてのシダ種子類を紹介したところで終わっている.

第6章 シダ植物の多様化

話は一旦裸子植物からシダ植物に戻る.シダ植物は大きく小葉系のものと大葉系のものに別れる.ここでは化石年代も考慮に入れた記述順序となっていて,まず初期の大葉系シダ植物であるトリメロフィトン直系の植物群(クラドキシロン,プセウドスポロクヌスなど)が紹介される.そこからその後の大葉系の分岐について少し触れた後で,小葉系のシダの解説になる.小葉系シダは今日では小さなグループだが,石炭紀に大繁栄したのはこのグループになる.後期デボン紀に見られる小さなシダからリンボクなどの大型の植物がどのように進化していったのか,化石を元に解説がある.また現生の小葉類(ヒカゲノカズラ,イワヒバ,ミズニラ)の起源も解説されている.
ここからは大葉系シダ類の多様化が詳説される.まずトクサ類.起源,ロボク類の体制などが詳しく解説される.次がシダ類.シダ類は石炭紀に多様化するが,現生のシダ類はそのごく一部がジュラ紀以降に多様化したものということになる.この石炭紀の多様なシダ類は形態的に非常に詳しく説明されている.

第7章 裸子植物の多様化

冒頭では石炭紀におけるシダ種子類の多様化が解説される.続いてグロッソプテリス類が化石を元に詳しく解説される.この植物は大胞子葉が胚珠を巻き込むような形態を見せており被子植物の祖先候補になっている.ここでは南極産の化石の観察に基づく著者自身の見解も詳しく書かれている.
裸子植物はペルム紀以降もさらに多様化する.そして大絶滅の後新しい中生代の裸子植物が登場する.ここでは様々な植物群の形態が丁寧に説明されている.最後に現生裸子植物であるイチョウ,ソテツ,グネツム類,球果類の祖先植物の化石についても解説されている.

第8章 被子植物の台頭

冒頭で被子植物とは何かが扱われる.その系統的な特徴は圧倒的な多様性であり,最大の形質的特徴は「花」になる.ここでは花,心皮,葉の特徴が整理される.時代的には白亜紀になって爆発的に多様化した化石が一斉に現れる.これについてはダーウィンも自説の弱点のひとつとして考えていたことにも触れられている.
被子植物の起源は詳しく扱われている.分子系統では現生裸子植物,現生被子植物ともに単系統を形成し,起源裸子植物を特定できない.現在有力なのは「有花植物説」と呼ばれるもので,グネツム類などのいくつかの起源候補裸子植物があるが,基本的には未解決だ.著者もここで独自の考え方(グロッソプテリス説)を披露している.
最古の被子植物化石についても詳しい.花粉化石と主張されるものには,後期ジュラ紀,あるいは三畳紀のものもあるが,いずれもはっきりしない.花粉化石としてはっきりしているのは白亜紀オーテビリアン期(133〜129百万年前)の単溝粒のものになる.そしてアプチアン期(125〜113百万年前)には様々な形態の花粉に一気に多様化する.大型化石はバレミアン期(129〜125百万年前)からアプチアン期にかけてのアルカエフラクタス,メソフォシルでは同じくバレミアン期からアプチアン期にかけてのパイシアになる.
被子植物が地球上に広がっていった様子は花粉化石の時空分布変化によって再現されている.初期の花粉は赤道付近に出現し,両極方面に広がり,ゴンドワナ分裂が活発化した後期白亜紀にはすべての大陸に分布していた.続いて脊椎動物,昆虫との共進化が考察されている.恐竜との共進化説については基本未解明ということのようだ.昆虫との共進化については,珠皮自体が昆虫の食害への対抗進化形質であろうこと,花の形態の多様化と昆虫の多様化にかかる多くの研究があることが指摘されている.KT絶滅との関連では,これを境に散布体が大型化して哺乳類との共進化を示唆しているとされている.本章の最後では日本産出の化石についても解説されている.

第9章 変化する地球環境と生態系

最終章は,より大きな視点から見た植物進化についての諸考察,あるいは著者の思いがエッセイ風に書き連ねられるものになっている.地球の温度,ガス組成の変遷と植物進化の関係,大絶滅期の植物,35百万年前の寒冷化の影響,植物化石からの気候変化の推定(年平均気温と葉相観に相関があるそうだ.気温が低いほど鋸歯縁が増え,温かいほど全縁になる),島の植物,ゴンドワナ関連植物,ゴミ化石(微細な植物片を含む鉱化化石,科研費を得るために「ゴミ化石」と呼んで興味を引こうとしたそうだ),南極化石採集譚,共生の進化史(化石ゴキブリの翅の模様が古代の植物の葉脈の擬態かもしれないという話は面白い),日本の化石植物などについて書かれている.そして最後に自然史科学の意義を強調し,日本の古植物学の将来を展望して本書は終わっている.

動物の進化史を扱った本は多い.生物進化史全般を扱っていてもその大半は動物進化になっているのが普通だ.私的には植物についてあまり詳しくないこともあり,植物の進化史の全体像も一度きちんと勉強したいと思っていたところだった.植物進化の本もいくつか出ているが,できればかっちりしたものを読みたいと思っていたので,本書はまさに求めていた本という印象だ.記述スタイルは端正で濃密.そして植物進化においては,どのような形態が重要であり,どこに着目すべきなのか,何がわかっていて何が未解決なのか,いろいろ得るところは多かった.確かにハードな書物で難解なところも多いが,何度も読み返す価値のある一冊だと思う.