- 作者: ソーア・ハンソン,黒沢令子
- 出版社/メーカー: 白揚社
- 発売日: 2017/11/22
- メディア: 単行本
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本書は保全生態学者で科学ジャーナリストのソーア・ハンセンによる種子についての科学啓蒙書.前著「羽」に続く第2弾となる.原題は「The Triumph of Seeds: How Grains, Nuts, Kernels, Pulses, and Pips Conquered the Plant Kingdom and Shaped Human History」
最初に本書のテーマ「種子」を選んだきっかけが書かれている.それは息子が非常に幼い頃から「タネオタク」だったことから始まるそうだ.その様子が描かれているが,すべてのものを種があるかないかで分類しようとするなどいかにも愛らしい.そして思い起こせば著者は博士過程では熱帯雨林で高木の種子散布や種子捕食を研究していたのだったということになる
序章 エネルギーの塊
冒頭では著者がとてつもなく硬い種子をハンマーで割ることに失敗する話から始まる.種子にはそこから大木が創り出される設計図が収められ,必要なエネルギーが蓄えられ,大気中での有性生殖を可能にし,長期間その能力を保ち,身を守り,そして旅する.それは身の回りにありふれているが,実は驚くべきものなのだというのが本書の導入になる.ここからエネルギー,有性生殖,休眠,対補食適応,分散と各テーマごとにその驚異が語られていくことになる.
タネは養う
第1章 一日一粒のタネ
まず種には発芽とそのあとしばらく成長するためのエネルギーが蓄えられていることが語られる.それはあまりにも当たり前の話のようだが,ハンソンは自分のコスタリカでのアルメンドロの種子(序章でハンマーでも割れないとして紹介された硬い種子)リサーチの逸話やアボカドの種子の発芽実験などを交えて楽しく語っている.アボカドの種子があのように巨大なのは太陽光が届きにくい熱帯雨林の暗い林床で芽を出すように進化してきた結果なのだ.
タネは結びつける
第4章 イワヒバは知っている
ここからは植物の分散戦略の話になる.第4章の冒頭は石炭紀の化石植物群の話から始まる.従前はこの時期の主力植物はシダ植物などの胞子植物と思われてきたが,それは石炭が形成される沼地ではそういう植物が優先していただけで,比較的乾燥していた高地では針葉樹林が優先していたことが認められるようになってきている.そして高地では種子植物の有利性は明らかだ.著者の理解によると種子植物がシダ植物に対して持つ優位性は乾燥に強い花粉の分散により有性生殖の相手を広範囲に求めることができるようになったことにある.ここからハンセンはイワヒバの観察記を交えてこの優位性を詳しく語る.そして胞子を分散させられない種子植物は種子自身を分散させる必要に迫られ,様々な種子分散戦略を持つことになる.
第5章 メンデルの胞子
第5章では冒頭からメンデルの実験が著者自身による追試の試みとあわせて詳しく紹介されている.メンデルの交配実験は胞子植物では不可能だった.エンドウでは乾燥したまま花粉をめしべにつけることができるので容易に交配操作ができるのだ.なおメンデルはエンドウの次にヤナギタンポポで追試を試みたが,(当時メンデルは知らなかったが)この植物はクローン種子を作る形質があったので失敗し,その後の研究意欲を大いに失ったのだそうだ.
タネは耐える
第6章 メトセラのような長寿
冒頭はユダヤ戦争のエピソードからはじめる.紀元1世紀,ローマ帝国軍は難攻不落を誇ったマサダ砦をついに陥落させた.砦が焼け落ちた際にほぼ無傷のまま埋もれた穀物倉庫が1960年代に発掘され,ナツメヤシの種子が回収される.そして2005年にそれを植えてみたところ見事に発芽したのだ.日本人なら大賀ハスがまず思い浮かぶところだが,種子は長期間発芽能力を保ち続けることができる.
ハンセンは気候が厳しい地域や不安定な地域では長期間休眠できる種子が有利になると説明している.だから熱帯雨林以外では種子は休眠能力を持つのが普通になる.そしていつ発芽するべきかを感知するようになる.これは単に発芽可能環境だけではない.植物体にとっては発芽自体よりもその直後の小さな実生段階での適切な環境が重要になる.例えば森林火災のあとの環境での発芽・成長が有利であれば,炎の熱ではじめて殻に亀裂が入ったり水分を通すために栓が外れるような性質が進化する.種子は様々な休眠と休眠から覚めるメカニズムを進化させているが,まだほとんどは解明されていないそうだ.そして土壌には通常そのような休眠している種子が豊富に含まれている.これはシードバンクと呼ばれ,過去環境を知るための手がかりにもなるのだ.
タネは身を守る
第8章 かじる者とかじられる者
第4部は植物と種子食動物とのアームレース共進化の物語.まずは物理的防衛.種子植物にとって齧歯類の登場はまさに厄災だった.それまでは,樹木は囓られることから種子を守る必要がなかったので小さな翼を持った種子が主流だった.しかし一旦齧歯類が登場すると,鋭い門歯と堅果の共進化が生じた.ここでポイントになるのは片方で樹木は種子食動物による種子分散によりメリットを受けるので,種子はある程度食べられても運ばれる方が良くなるということだ.齧歯類に囓って栄養部分を食べられるようになるまでに時間をかけさせれば,そこでそのまま食べるのは捕食されるリスクを持つので安全なところに運んでもらえる(だからリスには頬袋がある).つまり適切なハンドリングタイムが重要になるのだ.この結果堅果植物の生態系は複雑で精巧なものになる.
ハンセンはこのほか鳥類に生じた種子食適応(フィンチ類,オウム類),ヒトにおける種子食適応*1などの話も紹介している.
第9章 香辛料という富
植物と種子食動物との共進化.次は化学的防衛だ.ハンセンは大航海時代の香辛料への渇望を描き出したあと,トウガラシの物語を語る.ボリビアには激辛のトウガラシと辛みのないトウガラシが混在している.調べると乾燥地域では辛みがなく,湿潤地域では激辛になっている.これはカプサイシンが菌類への化学防衛物質であることを示唆しているのだ.そして湿度の高い地域で菌類とトウガラシの激烈な科学的アームレースが生じてトウガラシは激辛になった.ではトウガラシの種子分散戦略はどうなっているのか,実は主な種子分散者である鳥類はカプサイシンを感じない.むしろなぜ哺乳類にカプサイシン感受性があるのかの方が謎になる.ともかくもトウガラシの原産地である南米の雨林では分散にあまり関与しない哺乳類種子食者にカプサイシン感受性があり,分散者である鳥類に感受性がなかったことからこの物質が化学防衛に使われるようになったのだと考えられる.
なおここではなぜ一部の人間にはカプサイシンは中毒的な魅力があるのか(カプサイシンによる痛みは熱覚受容体によりもたらされており,この痛みを感じたあとにそれを緩和すべくエンドルフィンが分泌されるためらしい),大航海時代に香辛料が珍重されたのは腐りかけた肉の臭みを消すための言う俗説は疑わしい(当時高価だった香辛料を購入できる層が腐りかけた肉を食べるとは想像しにくい)などのトピックも語られている.
第10章 活力を生む豆
そしてカフェインも化学防衛物質だ.第10章はコーヒー豆の物語.ジャワのオランダ農園による独占,オランダ王室からフランス王への献上,それをパリの植物園から盗み出して新大陸に持ち込んだド・クリューの逸話を枕に振ってから,カフェインが昆虫による食害への防衛物質でカカオ,ガラナ,茶などで収斂進化していること,しかし天敵忌避剤として有効なだけでなく発芽阻害剤としても効果を持つこと(自分が発芽してから土壌にカフェインを浸透させて他の植物の発芽を抑制できる),さらに花蜜の中に適量混ぜることにより送粉昆虫を誘引できることなどが語られる.この最後の機能が,我々の報酬回路にもカフェインが有効に働く理由になっているのかも知れない.このほかハンセンはコーヒーがヨーロッパ近代の文化に与えた影響,現代のシアトルの珈琲文化と最もイケてるバリスタへの訪問記などを書き加えている.
第11章 傘殺人事件
そして哺乳類にも有効な種子毒の話.冒頭はロンドンで1978年に起こったブルガリア秘密警察による裏切り者暗殺事件で始まる.そこでは傘型の銃に込められた極小弾にトウゴマの種子から抽出されたリシンが塗られていた.リシンは手に入りやすい割に猛毒で暗殺者たちにとって都合がいい.これは動物の体内で細胞内に入り込みリボソームを破壊するのだ.
そして毒は薬にもなる.リシン自体抗がん剤としての応用が期待されているし,その他様々な種子抽出物が医薬への応用に向けて研究されている.本書の冒頭で登場したアルメンドロにもクマリンが含まれ,これは腐敗して菌の作用を受けると強力な毒性を持つようになり,有害生物駆除(殺鼠剤)と医薬品(抗凝血剤)へ応用されている.
ここでハンセンは種子が猛毒になる進化は実はかなり微妙な過程であることを説明する.食害からの防衛であれば,動物に(苦味などの不快感を与えて)忌避を学習させればよく,(コストをかけて)猛毒にする必要はないし,猛毒にしても効き目が現れるまで数時間かかるのであれば食害の防止には役立たない.また食害者が種子散布者でもあるのなら殺してしまうことはデメリットになる.この謎は完全に解けているわけではない.猛毒の進化についての1つの部分的説明はある動物に対する忌避物質がたまたま別の動物にとっての猛毒であったという偶然の副産物だというものであり,もう1つの部分的説明は別の種子散布者があるのであれば(コストの小さな)毒が進化可能だというものだ.著者はアルメンドロのクマリンの猛毒性は現在アルメンドロが種子散布者を齧歯類から別の動物に切り替えつつあるためかもしれないという推測を書き付けてこの章を終え,第5部の種子散布につなげている.
タネは旅する
第12章 誘惑する果実
ではアルメンドロが乗り換えようとしている種子散布者とは何者か,ハンセンは自らのリサーチ紀行を語る.南米の森のトランセクトを歩き続け,ついにオオアメリカフルーツコウモリがアルメンドロの種子を散布していることを確かめる.種子散布は種子植物にとっては非常に重要だ.そしてハンセンは聖書を種子散布物語として解釈してみせる.リンゴは明らかに種子散布のための誘惑であり,それを手にしたアダムとイブは楽園を追放され,それによりエデンの外側への種子散布が可能になるのだ.
そこから様々な果実を,散布者に向けた誘惑と共進化という視点で解説していく.散布者は果実を食べるために適応し,植物は特定散布者向けの誘惑を強化する.散布者は2段階(まず大型動物が食べて運び,さらにその糞の中から二次散布者が運び出す)である場合もある.
第13章 風と波と
もちろん種子散布の方法は果実による散布者利用だけではない.ハンセンはダーウィンのビーグル号航海から話を始めている.ダーウィンはガラパゴスでその鳥類相が南米のものに似ていることに気づいたが,植物相について植物学者がどう思うだろうかとノートに書き付けている.そして標本を見たフッカーはすぐに南米の植物相との類似性に気づく.これは風や波による種子分散によって生じたものだ.
ハンセンはここからワタの物語を語る.全世界には40種を超えるワタが自生しており,旧大陸にも新大陸にも分布していた.ワタの綿毛は種子の一部であり,個々の細胞が5センチを超える長さの繊維となっているのだ.そして木綿の生産革命にとってはこの種子から繊維を引きはがす綿繰り機の発明が非常に重要だった*2.そしてワタは風散布の典型のように思われがちだが,実は実効的な分散距離を見ると一旦空に舞い上がったあとで水面に落ちてそこから流れに乗る距離が大きいことが解説されている.ワタの種子は水面に浮かぶ適応形質でもあるのだ.このほか東インド会社の役割,綿繰り機の発明家ホイットニーの挫折,奴隷貿易との関連などにも触れている.
最後は純粋な風散布.アルソミトラの種子は戦略爆撃機B2の全翼機デザインのモデルにもなったともいわれる形状をしており,極めて長距離を風に乗って渡ることができる.本章の最後には著者が息子と裏庭でこの種子を脚立に乗って落としてみてどのぐらいの距離を水平移動するかを調べてみた実験の様子が書かれている.6回やって5回はほぼ垂直に落ち,残りの1回も15メートルしか距離が出なかったが,最後にもう一度と落としてみたら着地寸前に風に乗り遙か彼方に飛び去っていったそうだ*3.
本書は種子にまつわる様々なテーマを掘り下げて,興味深い物語とインタビューを交えてつなぐ科学啓蒙書だ.軽いタッチで読みやすいし,いろいろな楽しい話も紹介されている.適度に著者個人のリサーチ物語も混じっていて単なるサイエンスライターのまとめ記事でもないところも味があっていいと思う.肩の凝らない科学物語が好きな人に推薦できる好著だと思う.
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