公開シンポジウム「最新テクノロジーが繋ぐ霊長類のゲノム,発生,生態,そして進化」 その2 


休憩後の講演は医学実験と比較ゲノム解析に関するもの

「最新医科学に貢献する霊長類―霊長類だから知り得たこと―」 中村紳一朗

滋賀医科大学の獣医師の資格を持つ研究者からの講演.サルを用いた実験がヒトの医療にどのようにに寄与しているかがテーマ.この動物を用いた実験系を「基礎研究」から「応用医療」の間の「橋渡し」として説明したいということで,冒頭では(強引に関西ネタを使って)大阪の海遊館のある天保山からUSJのある桜島まで通常の鉄道を用いると極端な大回りになるが,渡り船を使うと無料ですぐにいけるという話を振っていた.(いまいち会場の反応が薄かったのが残念)

  • 医療の基礎研究から実際の応用の間にはサルやブタを用いた動物実験をよく行う.(体重が問題になる時などサルでうまくいかない時にはブタになるが基本はサル)ただ日本でこれをやっているところは実は少ない.大学,省庁の研究所,民間の薬品,医療機器メーカーの研究所やそこから委託を受けるリサーチセンターのごく一部だ.この中で滋賀医科大学ではカニクイザルを700頭飼育しており,日本では筑波の1800頭に次ぐ規模になる.
  • なぜサルを用いるのか,まず実験では細胞ベースより組織ベースの方が信頼性がある.その中でサルは同じ霊長類ということでヒトに遺伝的に近いのでシミュレーションとして利用される.特に有用なのは神経感覚器(網膜など),子宮などになる.
  • iPSの実用化にもサルの実験が役に立っている.iPSを実用化するには,(本人由来のiPSを培養できればいいができないことも多いので)患者さんと同じMHCタイプのiPSが利用できる体制が必要になる.現在構想されているのはすべてのMHC型(たかだか数万通り)のiPSを揃えてストックしておこうというもので「iPSバンク」と呼ばれている.いきなりヒトで試みる前にサルでモデル化している.(マウスの実験系統は近交系で免疫反応があまり出ないので向かない)
  • また子宮移植,水疱性角膜症の治療についても治療プロセスの確立に寄与している.


普段あまり聞くことのない話題でなかなか興味深かった.

「ゲノムを通して我が身を知る―ヒトとサルの間にあるもの―」 郷康広

ヒトと霊長類との比較ゲノム解析についての講演.冒頭では知りたいこととして「脳とは何か,心とは何か,ヒトとは何か」というテーマがあり,それに切り込むために最新技術を使って何ができるかを普段勉強しており,知りたいテーマと最新技術は研究にとっていわば車の両輪だと前振りして始まる.

  • 私が若い頃影響を受けた本には立花隆の「精神と物質」(1993)と「サル学の現在」(1991)がある.それが今の脳,ゲノム,心というテーマにつながっている.
  • (ゲノムとは何かの解説のあと)ヒトゲノムプロジェクトが完了したのは2003年で,3億ドルかかったと言われる.霊長類ではチンパンジーが読まれたのは2005年,アカゲザルが2007年,オランウータンが2011年,ゴリラが2012年だ.現在ヒトも含むある動物個体の総ゲノムを読むプロジェクトは10万以上ある.
  • これらの動物のゲノムを種間で比較することで様々なことがわかる.分子系統,生命情報(バイオインフォマティックス),ゲノム医学,分子進化などの分野で比較解析が利用されている.
  • またある種の個体間でのゲノムも比較できる.ヒトでは個人差のゲノム基盤がよく調べられている.変異にはSNPs,挿入・欠損,構造変異などがある.
  • ヒトとチンパンジーではDNAの遺伝的な差は1.2%とされる.しかしRNAを解析することで得られる発現の差は(組織によってことなるが)10〜50%程度ある.どうも種の違いにはDNAそのものよりも発現制御の方が重要であるようだ.
  • さらに詳しくヒトとチンパンジーでの遺伝子発現の違い,特に脳内各部位での違いを調べると,特異発現遺伝子はほぼ同数だが,特に脳内ネットワークのハブ領域での発現遺伝子数はヒトの方が4倍あることがわかった(1851:240).これは種の認知能力の差と関連があるように思われる.


最新の知見が解説されていて面白かった.最後のテイクアウトメッセージは(特に中高生を念頭において)「いっぱい考えてください.たくさん悩んでください」だった.


質疑応答(会場からの質問に全員で答える形式で行われた)

Q:何故ヒトは珈琲などの苦いものを好んで摂食するのか

A:基本的にはヒトも苦味は(毒として)避けようとする.特に子供はそうだ.大人になると食べても安全ということがわかってそうするのかもしれない.また霊長類では具合の悪い時に苦味のある植物を薬として摂食することも観察されている.それも人の好みと関連するのかも知れない.今のところはっきりわかっているわけではない.


Q:野生下で生じる交雑と,人為的外来種との交雑の違いについて何かコメントはあるか

A:種の定義からすると,別種は基本的に野生下では交雑しないということになるが,人為的な侵入種ではそのような障壁がないことが問題につながりやすい.最近台湾の研究者から協同研究の申し入れがあったが,台湾では昔日本からアユを導入した時に混入していたウグイが野生化し,現地のウグイの近縁種と交雑して新しい種のようなものができているそうだ.あるいは両種の中の有利な遺伝子の組合せが残ったのかも知れないと思っている.なおもちろん様々な理由で外来生物を侵入させるのはその生態系にとって良くないことだ.


Q:サルが鬱のモデル生物でもあると聞いたが

A:薬に対する反応として,ストレス下でどうなのかを知りたいという場合があり,そのような時にサルが使われることはある.それとは別の話として現在マーモセットを使って自閉症と統合失調症のリサーチを行いたいと思っている.関連しているとされる遺伝子の変異個体や行動的に自閉症のように見える個体のゲノム解析などを行っている.


Q:テングザルの鼻は大きい方が有利と聞いたが,どんどん大きくなるとデメリットもでてくるのではないか

A:大きな鼻は今でもオスにとっては結構邪魔.食べる時にはわざわざ持ち上げる必要があるし,怪我もしやすい.現時点で有利さと不利さが釣り合っていると考えられる.


Q:テングザルの鼻は大きな音を出すためには前に向いて開いている方がいいのではないか

A:音の大きさはあまり問題にならず,低さがポイント.


Q:ヒトとチンパンジーの違いはその部位の発現量の差に由来するという仮説ということか

A:単純な発現量ではなく,中身を見なければならない.今発現量が異なっているのは新しい神経が生まれることに関連するもの.そしてそれが1つの糸口ということ.


Q:ヒトは味に対して敏感になったということか

A:ある苦味に関してはヒトは敏感.逆にヒトが鈍感な味覚もある.それは生息地や食べているものによって変わるのだろう.そのあたりも今いろいろ調べている.


Q:iPSバンクは誰のものをどのように使うのか

A:基本は自分のためにiPS細胞を培養した患者さんのものをつかう.その患者さんの同意を得られたものについてのみバンクに登録するということになると聞いている.


Q:交雑帯が広がらないのは単に時間が足りなかっただけではないのか

A:ゲノム解析からはどれくらい前から二次的摂食による交雑が生じたかも推測できる.それによるとこの2種の交雑は4000世代,2万8千年前ぐらいから始まっている.時間的な制限ということではない.


Q:ドローンは熱帯雨林では難しいのかも知れないが,その他の機器で利用してみたいものはあるか

A:現在ではドローンも熱帯雨林でも使われるようになってきている.例えば類人猿の樹上に作るベッドの密度の測定などは上空から調べた方がうまくいく.特にオランウータンはチンパンジーやゴリラと違って高いところに作るのでドローン向き.テングザルのリサーチについても実際に使ってテストしてみた.川沿いに飛ばして個体密度を調べてみたが,現時点ではボートから双眼鏡で観察する方が正確だった.とはいえこれは熟練観察者だからそうなるという部分もあり,誰でもある程度測定できるという意味では使える場面もあると思っている.


以上で質疑口頭は終了だ.暑い中集まっただけあって一般公開のシンポジウムとしては聴衆のレベルの高さが印象的だった.


クロージングリマーク

コーディネーターから最後に「最新技術と新しい霊長類研究」について何か一言と振られて各講演者が(講演とは逆順序で)コメントを行った.

  • 郷康広:テクノロジーが仮説を生むこともあると信じている,技術をよく勉強し,問題のアプローチ手段を深く追求して取り組んでいきたい
  • 中村紳一朗:いろいろな人達のアイデアによりサルのポテンシャルを引き出すことができる.それがテクノロジーにつながる.うまく活用していければいいと思う.
  • 寺井洋平:DNAの世界はちょっと油断するとついていけないほど進歩が速い.でも,生物の現物がわかっていないと面白い研究はできないと思っている,あくまで道具として活用していきたい.
  • 今井啓雄:そこは私も同じだ.まず自由に発想し,そして計算やデータの扱いをコンピュータにやってもらう.(全部技術に)丸投げの風潮もあるがそういうものではないと思っている,
  • 松田一希:まず個人として研究を楽しんでいて,そして人と人の関係の中で共同研究につながる.あまり目の前の技術にはとらわれないで人と話して面白いことを見つけてそれに挑戦してきた.技術の取り入れ方については(皆さんの話を聞いて)反省するところもあった.


以上でシンポジウムは終了だ.普段あまり聞くことのない分野の話が聞けたし,交雑帯の話は理論的にも興味深かった.そしてやはりテングザルのフィールドの話は楽しい.


<完>