「進化心理学を学びたいあなたへ」 その6

 

第2章 心と社会を進化から考える その2


第2章の続き.中国系の研究者による性淘汰関連のテーマを扱う寄稿が並んでいる.

2.3 配偶者選びは商品選びと似ている. 李天正(Norman P. Li)

李天正はアメリカ生まれでアメリカでキャリアを積んだ中国系2世の進化心理学者.主な研究テーマは配偶者選択になる.ここでは自分の経歴と研究内容を語っている.

  • 私は,ノースウェスタン大学の経済学の学部卒業後に1988年にミシガン大学のMBAを取得,コンサルティング会社や金融機関に勤めていたが,暇な時間に心理学の講義を受講しているうちに社会心理学に傾倒するようになった.1996年にバスによる配偶者選択の論文を読み,進化的な見方に啓発され,進化心理学者としての道を選ぶことになる.ケンリックのもとで2003年に社会心理学の博士号を取り,その後バスのお膝元テキサス大学オースティン校を経てシンガポールで教職に就いている.
  • 私の研究テーマは配偶者選択だが,特に興味を引かれたのは進化的な視点に立った時の「男性は女性の身体的魅力を.女性は男性のリソース獲得能力を重視するはずだ」という予測が,確かにそういう傾向は存在するものの,特に長期的配偶者選択の場面ではそれほど重く影響を与えていないというパラドクスだった.
  • これを解決するにあたり,ミクロ経済学の消費者の意思決定理論(その中で特に予算に応じて贅沢品と必需品への配分が変わってくることをそれぞれの限界効用曲線の形状の違いから説明する理論)が応用できるのではないかと考えるようになった.配偶者選択においても必需品的な属性と贅沢品的な属性があるとすれば,ヒトの配偶者選択は「選択肢が強く制限されている時には,男性は相手の身体的魅力を,女性は相手の地位や財産を「必需品」と見做す」と考えることができる.そして共同研究者とともに,長期的,短期的配偶者選択における理想の自己や相手の必需品属性の文化比較などを研究してきた.この「選択における優先順位」という考え方はほかの局面(例えば集団メンバーの選好,近親婚回避,人生目標の設定)にも応用可能だ.
  • 進化理論の原理が,ほかの心理学や人類学の視点に取って代わりそれらを統合していくのは間違いないだろう.その中で進化心理学が当初批判されたのは驚くべきことではない.社会生物学論争でEOウィルソンが水を浴びせかけられたことに始まり,投稿論文への厳しい審査基準,進化理論の信用を落とそうとする心理学の教科書,進化的視点に立つ研究者の雇用に対する教授陣の抵抗など,進化心理学者たちは茨の道を歩んできた,
  • しかし,それにもかかわらず,私が研究者になったあとの短い期間においても進化心理学の領域は爆発的に拡大している.学術誌,新聞,雑誌,オンライン記事に進化的視点に立つ記述が増えているし,アメリカの大学では進化分野の創設や進化心理学者が応募できる公募が増えている.
  • その中で私が現在の意欲的な進化心理学者たちに示唆できることが2つある,1つはこの分野は急速に発展してきているがまだ比較的未熟であり基礎研究の機械が山ほど転がっているということ,もう1つは進化心理学への支持が拡大するにつれてヒトの心理が進化の影響を受けていることを力説する必要性は減り,実践への応用を期待する声が高まっているということだ.人々はより良い人生を送るために進化心理学のどのような応用や利用が可能なのかを知りたがっているのだ.
  • 実践への応用でまず思いつくのは,ビジネス分野と幸福にかかわる部分だ.経済が急速にグローバル化する中で,リスク評価,経済的意思決定,協力,購買行動の理解は企業の競争力にとって重要な問題になる.また慌ただしい現代社会の中で暮らす人々の精神衛生や幸福感にかかる知見も社会的に意義のあるものになるだろう.


李天正の研究については知らなかったがなかなか面白そうだ.確かにある選択をする際に何が重要かは選択者の事情によって重きが変わってくる.そしてそれはそれぞれの消費が異なる限界効用曲線を持つ場合のミクロ経済学理論がきれいに当てはまるのだろう.ビジネス分野における実践の応用に関しては行動経済学との統合があり得る道筋の1つかもしれないと個人的には思っている.


2.4 自己欺瞞,見栄,そして父子関係 張雷(Chang Lei)

張雷はアメリカで博士号を得て香港で教職に就いている研究者だ.ここでは自分の最新のリサーチを紹介している.

  • 30年前にトリヴァースは自己欺瞞の進化的説明を行った.私たちはこの理論の検証に取り組んでいる.
  • 理論は「私たちはウソがばれやすい時により自己欺瞞に陥るだろう」という予測につながると私たちは考えた.また地位の低い方が騙す側,高い方が見抜こうとする側に立ちやすいだろうと考えた.
  • この仮説を検証するために2段階の記憶検索プロセス(騙そうとするときには情報の想記を阻害し,騙しが成功した後は欺瞞者の利益になるような情報を想起する)を想定した.
  • そして被験者に記憶課題を課し,騙す動機がある場合とない場合を比較した.その結果仮説は支持された.高い地位のものとやりとりした被験者は騙す動機がある条件で,初回想起項目数が2回目想記項目数より少ない傾向があった.
  • これを実験中に相手を騙したことが確実に判明している参加者の結果を比較すると,高地位条件の被験者は無意識下にターゲットを騙し(自己欺瞞あり),同地位条件の被験者は意図的に騙していたことが示唆された.

なかなか複雑な実験で,自己欺瞞を実証的にリサーチすることの難しさをよく示している.結果(特に高地位条件との比較)の解釈はここにある記述だけではよくわからず,なかなか微妙であるようにも感じる.ちゃんと原論文を読むべきなのだろう.

  • ヒトの性淘汰形質については,メスの選り好み型性淘汰形質(装飾品的性淘汰形質)やオスオス間競争型性淘汰形質(武器的性淘汰形質)として,いろいろなものが示唆されている.(ここで性淘汰形質の理論が概説されている.装飾品的性質についてはハンディキャップの枠組みから説明されている)
  • 私たちは(明白な利益がなくコストのみが生じるような)リスクテイキング行動が男性の装飾的性淘汰形質かどうかを,「リスクテイキングは金銭的報酬によって外発的に動機付けされている」という対立仮説と比較して調べた.魅力的な異性の写真,魅力的でない異性の写真,お金やメダルの写真でプライミングをした男女の被験者群に,4種類のリスクテイキングシナリオを提示し,自分がリスクテイクするかどうかをアンケート調査した.
  • 分散分析の結果では有意な交互作用は検証されなかったが,個別のt検定では男性が魅力的な異性の写真でプライミングされたあとでよりリスクテイクする傾向が有意にみられた.(その他の写真や女性では見られなかった)これは性淘汰仮説を支持する結果だ.
  • 私たちはヒトにおける武器適性淘汰形質についても調べた.
  • チンパンジーの社会,狩猟採集民族の戦争,近代の戦争時の様々な配偶行動やレイプの観察例に鑑み,第二次世界大戦中,および戦後いくつかの戦争(朝鮮戦争,ベトナム戦争,アフリカの内戦など)の軍事占領地の配偶行動データ(レイプ,売春を含む)を性的接触可能率という指標により分析した.これによると1人の兵士の性的接触可能率は平時の10倍程度に達する.このような大きな性的機会と極端な性的二型性(ほとんどの兵士は男性で構成されている)は強い性淘汰圧があることを意味している.
  • また男性被験者に若い異性の写真でプライミングを行うと(牧場のシーンに対して)戦争のシーンでの認知課題への反応が速くなることも見いだした.(女性ではこのような差は検出されなかった)これは配偶と戦争の関連は男性にのみ見られることを示している.
  • ハミルトンはダーウィンの考察を進展させ包括適応度理論を考え出した(包括適応度理論について簡単な解説がある).私たちは,ヒトは将来の血縁者相手の利他主義を促進するために過去の記憶に関する主観的感覚を変化させるのではないかと考え,血縁関係の認識に応じた自伝的記憶のバイアスを研究した.
  • 被験者にいとこや友人とのポジティブまたはネガティブな記憶を想起するように指示し,それがどの程度時間的にバイアスを受けているかを調べた.分散分析の結果,ネガティブな記憶に関してはいとことのそれが友人とのそれより遠い過去であるように感じられる傾向が見いだされた(ポジティブな記憶に関してはこのような効果は見いだされなかった).競争状況の記憶についても調べると,いとことの競争記憶の方が遠い過去に感じられる傾向が見いだされた.これらの結果は私たちの仮説を支持している.
  • また子の父性の確実性が父親の子育て投資にどう影響を与えるかについて大規模サンプルを用いて調べた.子供を自分似だと考える父親はより厳しい子育てをする傾向が低く,愛情深いことが示された.(このほか厳しい子育てをする場合の微妙な側面や,父方居住との関連についても調べていることが説明されている)


自己欺瞞,性淘汰,包括適応度についてのリサーチの実例が詳しく解説され,実践的な寄稿になっている.進化心理学の初期の様々な明確な発見が一段落したあとに,より深く調べる場合には微妙な部分が数多くあることがよく示されているように思われる.