「進化心理学を学びたいあなたへ」 その7

 

第2章 心と社会を進化から考える その3

 

2.5 あなたの家族は誰? 血縁関係を知る方法 デブラ・リーバーマン


続いては血縁認知の研究者デブラ・リーバーマンによる寄稿.生物学的に血縁は重要だが,既往の心理学ではあまり血縁について注意を払ってこなかったことが簡単に触れられ,そのギャップを埋めたいと思っているとしている.

  • 既知のあらゆる文化において相手との血縁関係は個人の行動を制御する重要な要因になっている.どの地域でもヒトは相手を近親者,そうでない親類,他人に分類し,接し方を変える.生物学は日常的に血縁者と接する生物種は近親者と非血縁者を区別する計算機構を進化させるだろうと予測する.そしてこの区別は利他行動と近親交配の回避において動機付けシステムに組み込まれているだろう.実際に他の生物ではこれらが確認されているが,ヒトにおいてはほとんど知られていない.
  • 血縁関係を直接知ることは難しいので,進化によって獲得できるのは血縁関係と相関する手がかりを使うものになるだろう.私は兄弟姉妹の血縁認知に興味を持っており,この手がかりはどのようなものかをリサーチしてきた.
  • 生物学者が血縁認知を調べる場合には非血縁の子の養子化をよく用いるが,これはヒトでは倫理的問題があって使えない.そこで私は性的忌避や利他行動意欲の強度とどのような特性が相関するのかをアンケート調査によって調べている.
  • 最も有力な手がかりは「自分の母親が新生児を世話していること(MPA)」と考えられる(年齢が近接していなくてもいい)が,これは年下の兄弟姉妹に対してしか使えない.年上の兄弟姉妹への手がかり候補には「子供時代の同居期間の長さ」がある.
  • トゥービイ,コスミデスと一緒に行った研究では,兄弟姉妹の検知にはこの2つのメカニズムがどちらも使われていることが示されている.(年上か年下かと同居期間の長さを利用した検証手順が解説されている)
  • また2つの有名な自然実験(イスラエルのキブツ,台湾のシンプア)でもこの2つの独立なメカニズムの存在が示されている.
  • この性的忌避の研究は嫌悪感の研究につながっていった.進化的視点による考察からは,嫌悪感は病原体への感染回避から進化し,それが近親交配の忌避,さらに道徳的な抑制メカニズムに転用されていったことが示唆される.
  • タンバー,グリスケヴィシウスとの共同研究によって,嫌悪感が実際に3つの機能的ドメインに分割されていることの証拠を見つけた.これはのちにfMRIを用いた研究によっても支持されている.
  • さらに病原体感染忌避メカニズムについても詳しく調べた.忌避を生じさせる手がかりとしては視覚的臭覚的手がかりだけでなく,触覚的な手がかり(湿り気,生物学的特性)も用いられていることを明らかにした.
  • 今後はその他の手がかり候補(同じ父親に世話されている,顔の類似性,MHCなど),さらに兄弟姉妹以外の血縁関係認知についても調べていきたい.これらを考えるには祖先環境構造が重要になるだろう.

血縁認知と嫌悪感に関するコンパクトな分かり易い解説になっている.

2.6 集団間の偏見は自然の摂理 カルロス・ナバレテ


ナバレテは歴史学で学部卒業後人類学に進み,人類学で博士号をとった後に心理学のポスドクに進んだという経歴の持ち主,主な最近のリサーチエリアは集団間敵意,道徳的行動,少数派集団が社会的に成功しにくい理由だそうだ.ここでは最初の2つのテーマについて語ってくれている.

  • 私は自分自身を自然科学の視点を持って人間の社会現象を扱う科学者だと思っている.今興味を持っているテーマの1つは一見すると公平・公正であると思われる人間がどのようにして非常に原始的な性質も持ち合わせているかということだ.
  • 人種差別主義は進化したヒトの心理特性ではあり得ないだろう.進化環境では異なる人種の人と接触することは稀だったと考えられるからだ.よりありそうなのは,生得的な内集団びいきが進化し,その副産物として人種的偏見が生まれたということだろう.そしてこのような副産物を考察することも進化的なアプローチの1つだ.
  • わたしは進化的なアプローチから,外集団に対する偏見には大きな性差があることを研究してきた.
  • 女性にとっては繁殖上の選択権を維持することが重要であったため,見知らぬ男性からの強制あるいは支配の脅威をどれだけ自覚しているかが,外集団メンバーにどう対処するかを決める重要な特徴になるだろう.男性にとっては外集団メンバーは攻撃や支配の争いに特徴付けられているだろう.
  • これらを調べるにあたっては,自然界に存在する脅威による(進化的に傾向づけられた)恐怖はより消去しにくいということを用いた.まず人種的外集団の男性に対する条件付けられた恐怖は(外集団の女性や内集団の男女に比べて)消去されにくいことを示した.また女性は恐怖が消去の効果を左右し,男性では攻撃性と社会的優越志向が左右することも示した.現在さらにどのような最少条件でこのような効果が生じるのかを調べている,
  • だとすると外集団の男性に対する女性の恐怖は妊娠リスクの高い時期に高いことが予測される.そしてこのことを示す証拠を発見した.また女性が性行為の強制に対して無防備だと感じる度合いが強いほど人種的偏見が高まることも発見した.
  • これらの説明の妥当性について2008年の大統領選挙の投票行動データを用いて調べた.アメリカの女性有権者はバラク・オバマを黒人と認識しているか白人と認識しているかで投票傾向が変化した.白人と見なし,かつ妊娠リスクが小さい女性は有意にオバマへの好みが上昇し,黒人と見なし妊娠リスクが大きい場合には有意にオバマへの好みが減少していた.
  • 補足的な研究プログラムとしてバーチャルリアリティ技術を用いて道徳判断や行動の要因を調べている.この技術を用いると生と死のジレンマ状況のもとでの判断や行動を(倫理的な問題を回避して)調べることができる.(簡単に暴走トロッコ問題の道徳的ジレンマ状況が解説される)
  • バーチャルリアリティ技術を用いた最初の暴走トロッコ実験では,参加者の大多数が功利主義的に行動した.功利主義的行動に積極的な行動が必要な場合には自律神経系はより活性化し,覚醒度が高まるほど功利主義的行動は減少した*1.性格,人種,社会階層は判断に影響を与えなかった.
  • これらの知見は反応を文化的に学習するのが困難な領域において抽象的推論を行う場合,人々は自身の持つ原始的なバイアスにとらわれずに自主的に考えることができることを示している.
  • 大学院生の時にフェスラーと共同で行った研究では進化的に獲得された心理メカニズムが特定の文化的情報をどのように処理してバイアスを生みだすのかを調べた.規範的信念は内集団メンバーであることを示すシグナルとなるので人々は脅威や不確実性に直面すると内集団規範に従うように動機づけられる.その規範に外集団メンバーへの否定的あるいは軽蔑的な信念が含まれると,それは集団間バイアスを高める要因となる.またこれらの内集団びいきバイアスは病気感染の脅威がある場合,女性が妊娠中の場合に強くなることも発見した.
  • 心理学は自然科学と社会科学の橋渡しをする上で欠かせない存在だ.それは心理学が行動の基盤をなす力学的なプロセスの解明に重きを置いてきたからだ.そして理論の統合は,単に進化理論に関連する概念の問題だけでなく,我々が科学者としてどのように研究を進めるのかという実用面にもかかわるものだ.


集団間敵意や内集団バイアスに関する研究は数多い.ここで述べられているのはその中での性差に関する部分になる.オバマへの投票行動の分析はなかなかユニークで印象的だ.また暴走トロッコをバーチャルリアリティで実験するという手法も面白い.これに関してはNetflixの死後の世界を扱ったコメディドラマ「The Good Place」(https://www.netflix.com/watch/80113701)で.悪魔が道徳哲学者を真に迫ったバーチャル暴走トロッコに乗せるというエピソードがあって爆笑ものだったことを思い出す(哲学者は普段は理路整然といろいろ講釈を垂れているが,実際にトロッコに乗せられると切替レバーを動かすことができずに硬直し,そのまま5人をひき殺してその血しぶきをべっとり浴びて呆然とする.このナバレテの実験結果では多くの場合にはそういうことにはならないということになる).

コラム2 ダーウィニズムの最後のピース 井原泰雄

日本の進化心理学者によるコラム.第2弾は人類進化や文化進化に関して様々な数理モデルを組み立てている井原泰雄によるもの.中学3年の時にアリの生態学の話を聞いて目から鱗が落ち,ローレンツ,ドーキンス,日高敏隆の本を読んで,進化生物学者になることを決意する.ヒトを説明するには人類を特徴付けるデザインの起源を自然淘汰の原理により説明する必要があると考えていること,それはダーウィンが取り組み,解けなかったパズルの最後のピースであること,チンパンジーとの共通祖先からの分岐後の進化的変遷の考察が重要であること,それは当時の人類の社会生態的ニッチの適応デザインを考えることであることなどが述べられている.

*1:わかりにくいが,1人を殺す行為(切替レバーを引く)などを行うために自律神経が活性化し,より活性化して覚醒するほど「誰かを積極的に殺す行為」についての抑制が高まり功利的に行動しにくくなるという趣旨のようだ