日本進化学会2018 参加日誌 その4


大会第二日 8月23日 その2


シンポジウムに続いては2日目のプレナリー講演.植物の系統ゲノミクスについて

プレナリー講演

Plant phylogenomics: elucidating gene, gene family and genome evolution James H. Leebens-Mack
  • かつてドブジャンスキーは「進化の光を当てなければ生物学は意味を持たない」と書いたが,私はこう言いたい「系統の光を当てなければ生物学は意味を持たない」と
  • phylogenomicsとはゲノムのスケールデータを使う系統学だ.現在10000プラントゲノムプロジェクト,1000トランスクリプトームプロジェクトを走らせている.1621の系統群から410遺伝子を使って行う.
  • たとえばアンボレラを見ると被子植物の特徴が系統上にどのように現れるかが見えてくる(様々なスライドで説明)花の特徴は移ろいやすいようだ.
  • またこのプロジェクトではいろいろなスケールの進化的疑問に答えることができる.

ここから様々なイベントについてのスライドを使った解説がなされる.取り上げられたのは花の起源のようなキーイノベーションのレアイベントとゲノム重複の関連,光合成プロセス(CAM,C3,C4)の進化系統,性染色体の系統分析など.いずれも大変美しいスライドで説明された.



お昼休みを挟んで一般口頭発表 行動生態周りの発表があまりなく,ピロリ菌の解析と科学哲学の発表があったので部屋を移動しながら聴講.興味深かったものを紹介しよう.

口頭発表 O-2A

Rapid evolution of distinct Helicobacter pylori subpopulations in the Americas 矢原耕史
  • 集団構造はいろいろな分析の基礎になる.ここでピロリ菌は系統地理的にいろいろ調べられているが,組換えが頻繁にあり系統樹をきちんと描くのは難しいことが知られている.
  • ここでピロリ菌の分析について現代アメリカではあまりされていないということがある.ヨーロッパ由来の系統とネイティブアメリカンの系統があり,さらにラテンアメリカではピロリ菌の感染率も胃がんの死亡率も高く発がんがピロリ菌のタイプと関連しているといわれている.
  • というわけでアメリカのピロリ菌を解析してみた.染色体をペインティングし,ドナー→レシピアントという形で再構成する.そしてfineSTRUCTUREで解析,共祖先マトリクスにする.
  • ヨーロッパ由来の系統はシングルノードになった.ネイティブアメリカンの系統は5つのサブノードになった.いくつかの地域ではボトルネックや急速な拡大の痕跡が見つかった.全体としてネイティブアメリカンを除くと多様性のレベルは旧世界と同じ程度だった.適応の痕跡もみつかった.
旧石器時代人類の内陸移動・Helicobacter pyloriからの推測 鈴木留美子
  • ピロリ菌は,ほぼ母子の垂直感染か家族間の感染で伝わっていくことが知られている.
  • MLST解析によると全世界では大体7つの地域に分かれる.
  • 今回は沖縄のピロリ菌をSTRUCTUREで解析した.沖縄には2つの特異的クラスター沖縄Aと沖縄Bが見られる.アジア地域の系統樹の中ではこの2つは異なる場所に位置する.
  • ここから以下の仮説を提唱する.古アジアからまず分岐し,ネパールと南アジアにそして,ネパールクラスターから東に拡大した中に沖縄Aが現れる.また南アジアから東南アジアを回って亜降ると分岐した後に入ってきたのが沖縄Bになる.


ここで移動

口頭発表 O-2B

適応的説明はデフォルトとされるべきかという問題をめぐって 松本俊吉
  • 今日は科学哲学者として発表したい.
  • 進化的説明において適応的な説明がデフォルトであるべきかどうかという問題は,元々グールドとルウォンティンによるスパンドレル論文に端を発している.これに関してポール・アンドリューズ2002とロイド2015が逆の立場から論じている.
  • まず,グールドとルウォンティンは適応的説明の証拠基準の不明確性を指摘し,代替説明に無関心であることを非難した.
  • これに対して進化心理学者であるポール・アンドリューズはこう反論した.
  • 適応的説明は特異的なデザインに対する説明になる.グールドたちが挙げている対案(外適応,スパンドレル,発生的制約)は多くの場合ただ対案であるだけであり,いわばアンチ適応論のjust so storyに過ぎない.こうした対案は適応以外の制約要因として消極的にしか定義できないものだ.まずモデルがあって,予測があり,それを検証する体系になっていない.
  • これに対してロイドはこう論じた.
  • 適応論者と多元論者は出発点が異なる.適応論者はこの形質の機能は何かを問い,多元論者はそもそもこの形質の機能はあるのかを問うているのだ.
  • 適応論者は非適応的説明を因果的説明と認めず,その結局的証拠も考慮に入れないように見える.しかし非適応的な説明もれっきとした因果的な説明になり得る.その積極的な証明を行うことも可能だ.適応的説明と非適応的説明は対等な因果的説明で共存可能だ.適応論者はなぜ機能的な説明が優先されなければならないかについて挙証責任を負うだろう.
  • これに関連してサンショウウオの後肢の指の数の進化のリサーチを紹介したい.
  • ウェイク(1991)は系統的な解析を行い,大型のサンショウウオは当初5本だったが,小型になるにつれて4本になったことを見いだし,4本になるのは(適応ではなく)発生的な制約だろうと論じた.
  • シャーマン(1993)はこの(非適応的)説明を批判した.この記述は感覚だけに基づいていて,発生的制約のメカニズムを示していない.まずあらゆる適応的説明をつぶしていく必要がある.考えられる適応的説明としては(1)4本の方が機能的(2)発生において5本のままにすることにコストがかかるなどがあるだろう.
  • 私は科学哲学者としてこの(2)の説明が大変面白く感じた.これは1つの発生過程の内的淘汰ということになるのだろうが,(1)と同じような適応的説明と考えていいのだろうか.それでいいというならEvo-Devoは何ら革命ではないことになる.哲学者としては(2)は無理があると感じている.


もはやこのグールドのスパンドレルにこだわっている人も減ったのではないだろうか.ともあれ中身的には,指を5本にするのと4本にするのを比較して,発生段階でかかるコストを考えると4本の方が適応度が高いということであれば,何ら問題なく「適応的」といっていいし,そもそもEvo-Devoが(興味深いダーウィニズムの新領域であるとしても)進化理論に変革を迫るという意味で「革命」であるはずもないだろうというのが率直なところだ.何か引っかかるとするならそれは結局「発生制約」とは何かという定義の問題ということになるだろう.それでも「6本指にする方が有利だが,そのような発生プロセス変更を行うことが(そのような突然変異の組合せが生じにくいために)メカニズムとして不可能だ」という問題と「可能だが,コストがメリットを上回る」というのはある程度区別できるのではないだろうか.


このあとはポスター発表の時間に.今回のポスター発表はちょっと狭くてかなり込み込み状態.所用もあり,少し見て引き上げとなった.以上で二日目は終了だ.