Enlightenment Now その42

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

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第16章 知識 その2

ピンカーは教育が啓蒙運動以降普及してきたことを取り上げた.ではそれは効果があったのかが次に問われる.まず取り上げられるテーマは結構議論の多い「フリン効果」を巡るものになる.
 

  • 教育を受けて人々は利口になったのだろうか.驚くべきことに答えはyesなのだ.IQスコアは時代と共に上昇している.上昇効果は10年あたり3ポイントもある.これはフリン効果と呼ばれるものだ.
  • フリンが1984年に最初にこれを報告したとき,多くの人は間違いかトリックだと考えた.1つにはIQには高い遺伝性があることが知られているなかで,大規模な優生学的な操作はなされていないし,外婚傾向の顕著な上昇などの遺伝学的効果が生じる事象は何もないからだ.そしてもう1つにはそれが本当なら,1910年頃の平均的な人がタイムマシンで現代に来たなら「愚鈍」と判定され,現代の普通の人が1910年にタイムトラベルすれば人口の98%より賢いことになるからだ.
  • しかしフリン効果は数々のリサーチにより確認されており,さらに31カ国271のリサーチのメタアナリシスによっても確かめられている.その存在はもはや疑い得ないものになっているのだ.

(ここで地域別のフリン効果を示す1909年から2013年のグラフが掲載されている.すべての地域で右肩上がりで上昇している.上昇度合いは100年で30ポイント程度になっている.ソースはPietschnig, Voracek 2015(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/25987509))
 

  • フリン効果は当然ながらステインの法則(つまり「永遠に続かないものはどこかで終わる」)に従う.その効果が現れだしてからの歴史の長い国ではフリン効果は頭打ちになりつつあるようだ.
  • 原因をピンポイントで示すことは難しいが,遺伝性の性質が環境の変化によってブーストされることは不思議でも何でもない.それは身長のことを考えてみればよくわかる.身長の遺伝率は高いが,栄養と健康状態により高くなる.脳はタンパク質と脂肪により作られ,高いカロリー消費を要求する器官だ.だから良い栄養状態や清浄な環境は脳の発達に有利に働くだろう.だから一人あたりのGDPの増加率とフリン効果が相関するのは不思議ではない.
  • しかし栄養と健康はフリン効果の一部を説明するに過ぎないだろう.なぜならそれだけだとIQ分布の下半分に効果が高くなるのでカーブの広さつまり分散が小さくなるはずだが,そうなっていないからだ.そしてフリン効果は大人の方が高くでる.これは大人になる過程での経験(つまり教育)が効いていることを示唆している.
  • さらに,フリン効果は脳の全体的なパワー増強ではなく特定のエリアで強く出ている.その特定サブテスト領域とは(驚くべきことに)学校で教わるような一般的知識,算数能力,語彙の広さではない.より抽象的な流動的知性のエリア(類似性,アナロジー,3次元物体のマッチングなど)で強く出るのだ.そして最も強い効果が出るのが「分析的思考」(特定の概念を抽象的なカテゴリーに当てはめる課題,対象を心的に分解して分析する課題,現実と異なるルールが支配する仮定の世界において考える課題など)になる.この分析的思考こそ(単純な記憶ではなく理解を求めるカリキュラムとテストを通じて)学校で繰り返し植え付けられるものだ.
  • フリン効果は現実において意味を持つのだろうか.当然持つだろう.高いIQはメンサに入れたり,自慢できたりするだけのものではない.それは人生においての追い風になる.より良い職が得られ,昇進しやすく,健康や長寿も得やすい.法的なトラブルに巻き込まれにくく,意図した結果を得やすい. 
  • フリンは抽象的思考は道徳的センスも磨くのではないかと推測している.私も同意見だ.「運が悪ければ自分もそうなったかもしれない」「もしみながこれを行えばどうなるか」と考えるのは同情と倫理への窓口になるだろう.

ステインの法則を持ち出しているのは,先進国ではフリン効果が近年あまり顕著に観測できなくなっていることが背景にあるのだろう.最近ノルウェイのリサーチで1970年代以降平均IQが低下しているのではないかということが報告されて話題になったのも記憶に新しい.
 

  • このフリン効果は果実をもたらしただろうか.
  • 懐疑主義者は,20世紀にヒュームやゲーテやダーウィンに指摘する知的貢献があったかどうかについて疑っているようだ.確かに今日1人で全体を体系づけられるような未開の学問領域はあまり残っていないので,知の巨人は出にくいのかもしれない.しかしそれでも人々が本当に利口になっていることを示すいくつかの事実がある.まずチェスやブリッジのトッププレーヤーは若くなっている.科学やテクノロジーの進歩のスピードも上がっている.そして最も劇的なのは,デジタルテクノロジーによるサイバースペースの出現だ,これは究極の抽象的領域であり,若い人はこれを使いこなしている.(ピンカーは少し前の世代はヴィデオテープレコーダーの操作に難儀していたことを引き合いに出している)
  • フリン効果は人類の幸福の上昇に貢献しているだろうか.経済学者ハフェルは貢献しているといっている.彼は教育やGDPなどの交絡要因を調整したうえで,平均IQの上昇がその後の一人あたりGDPの上昇,寿命の上昇,レジャー時間の増加を予測できると結論づけている.

 
フリン効果はいろいろ議論のあるテーマだ.日本では最近どうなっているのだろうか.IQテスト自体にまだいろいろなポリコレ含みの議論があるのでこれに関する情報はなかなか得にくいようだ(少し調べてみたがよくわからなかった)
なおピンカーは前著「The Better Angels of Our Nature」の第9章でもフリン効果を扱っていて,特にフリン効果が道徳の向上の背景にあるのではないかということを詳しく論じている.