Virtue Signaling その19


Virtue Signaling: Essays on Darwinian Politics & Free Speech (English Edition)

Virtue Signaling: Essays on Darwinian Politics & Free Speech (English Edition)

  • 作者:Geoffrey Miller
  • 出版社/メーカー: Cambrian Moon
  • 発売日: 2019/09/17
  • メディア: Kindle版
 

第5エッセイ Googleメモ その3


このGoogleメモについてのQuilletteの記事では4人が寄稿しており,ミラーのほかは社会心理学者のリー・ジュシン,パーソナリティ心理学者のデイヴィッド・シュミット,セクシャル神経科学でPhDをとったサイエンスライターのデボラ・ソーになる.
 
quillette.com

 
ミラー以外の寄稿者のエッセイも面白い.

ジュシンのコメント
 

  • Googleメモの著者のダイバーシティに関するコメントは科学的に正しい.彼の主張は,「右派も左派も多様性をきちんと理解していない」「社会科学が示すこれに関するバイアスは多くの人が考えるより遙かに弱いものだ」「Googleにはこれらをオープンに議論することを抑圧する権威主義的雰囲気が横溢している」「その政策と抑圧的な雰囲気は生物学的認知的なリサーチの結果を無視している」というところにある
  • ここではこのメモをめぐってギズモードで生じた騒ぎについて論じよう.寄せられた多くの意見はまともな議論ではなく侮辱と中傷に過ぎない.60年代の中傷は相手のデモグラフィックなラベル(女性,アフリカ系など)を侮辱するものだった.今日の最もよくある中傷は.アファーマティブアクションや多様性などの問題について自分と何らかの意見を異にする相手を「性差別主義者」「人種差別主義者」「ホモ恐怖症」とラベル付けをするものだ.
  • ギズモードの炎上は最初のポストがメモをrant(わめきちらすこと)と決めつけたことから始まった.しかしメモはどう見てもわめき散らしているわけではなかった.多くのコメントに見られる傲岸さは,左派の自分の優秀性へのうぬぼれを体現しており,それこそまさに多くのまともな人々の怒りを買っているものだ.彼等はコメントする前にミルの「自由論」とジョナサン・ハイトの「社会はなぜ左と右にわかれるのか」を読むべきだ.

 
シュミットのコメント
 

  • メモの著者は私の性差リサーチも引用し,エビデンスに照らせばアファーマティブアクションは間違いだと論じている.そうかもしれないしそうでないかもしれない.説明しよう.
  • この問題についてオープンな態度で科学的に議論をすることは重要だ.パーソナリティ特性については平均的にあるレベルの性差があるという強いエビデンスがある.(詳細の説明がある)
  • しかしそれがGoogleのような仕事場でどう関係するかは私にはよくわからない.何らかの違いがあるにしてもパーソナリティ特徴の差のサイズは小さい.性別だけで議論するのは雑に過ぎる.
  • また配偶者選好や地位への志向についての性差もよく調べられている.そしてやはりほとんどの性差のサイズはそれほど大きくない.仕事における興味,個人的価値,いくつかの認知能力についての性差はこれらよりやや大きい.それでも全体の分散の中での性差のサイズは大きくない.これらもGoogleの仕事場で意味があるかどうかはわからない
  • 男女を明確に分けて区別するのではなく,科学的には性差は多元的に捉えるのが良いと考えている.

 

  • ここでアファーマティブアクションは男女を明確に分けて扱う政策だ.(本件に関しては専門家ではないが)私は以下のように考える.
  • これまでも女性に対してテクノロジーの仕事において多くの社会構造的な障壁があっただろうし,これからもあるだろう.障壁の中には文化的なジェンダーステレオタイプ,社会慣習のバイアス,(いくつかの文化では)明確な就職差別,ある程度の職場環境の男性志向などがあるだろう.これらの中でGoogleは有能な女性をテクノロジー職に就くように(アファーマティブアクションを含む政策を採って)勇気づけるべきだろうか.わたしはyesだと思う.
  • 同時に,我々は(仕事の成果に関連するかもしれない)真の心理学的な性差についてオープンに議論をしていくべきだろうか.私はこれについてもyesだと思う.

 
ソーのコメント
 

  • アカデミアのSTEM分野にいる女性として,私はメモが攻撃的だとか性差別的だとは感じなかった.メモはよく考えられたもので,意見の多様性についてのより大きな寛容を訴え,人々を性で括らずに個人として扱うように求めるものだ.
  • 神経科学の分野では(パーソナリティや職業選好の)性差はあると理解されている.それには何千ものエビデンスが積み上がっている.これはもはや論争にもならない.社会的影響のみが重要だと主張しても一笑に付されるだけだ.
  • 性差のリサーチャーは性差があるということが性差別に不可避に結びつくとは考えていない.(性差別に結びつくのは)一部の人々がそう解釈し,科学を否定し,その結果これをパブリックレベルで議論せざるを得なくなるからだ.そのような誤解の一部はメソドロジー的に問題があるにもかかわらず神経科学ジャーナルに掲載されることすらある.それが社会的にプログレシブだと判断されるからだろう.その結果一般の人々にとっては何を信用していいのかわからないという事態になっている.
  • どんなに炎上があろうと,押し返しがあろうと,私は真実を発言することが重要だと信じている.もし科学的真実を議論できないなら,それは一体どんな道に続くことになるのだろうか.

 

ソーのコメントはSTEM分野の女性としての本音だろう.シュミットは問題をアファーマティブアクションの是非に絞っていてやや狭い.ジュシンのコメントは徳シグナリングにもっとも関連するものだろう.左派の仲間内での徳シグナリングは多くのまともな人々の反発を買うというのは21世紀の大きな流れということになるだろうか.