「だれもが偽善者になる本当の理由」

だれもが偽善者になる本当の理由

だれもが偽善者になる本当の理由



以前私がレビューした進化心理学者ロバート・クルツバン(Robert Kurzban*1)による「Why Everyone (Else) Is a Hypocrite」が邦訳出版された.
副題は特に付されていないが,柏書房書籍情報では「なぜ,その"都合の良さ"に自分で気が付かないのか」とキャッチコピーが付けられていて,なかなか本書の衝撃的な内容をうまく捉えているように思う.装丁は一般向けのライトな心理学の本によくあるやや軽いタッチのものになっているが,表紙にも帯にも「進化心理学」や「進化」については触れていない.これでは本書の議論の基盤の堅確さ,内容の革新性は伝わりにくいのではないかと思うが,その方が売れるという版元の判断なのだろう.


この本は進化心理学の基本的な発見「ヒトの心は様々な適応課題に適応するために多様なモジュールから構成されている」ということは実は何を意味しているのか,そしてそれを突き詰めて考えていくと道徳とか偽善はどう捉えることができるかについて書かれた本である.
モジュールが適応産物なら,それは知っている方がいいことしか知らない(情報が心のモジュール間で遮断・分断されている)ようにデザインされているはずだ.そして「意識」のある部分はいわば大統領報道官(名声コントロールのためのモジュール:本人の行動の正当性を周囲の人に説得する)なのであり,実際に知らない方がいいことは知らない.そして様々な観測や実験結果はそれを示しているのだ.本書はそのような理解からヒトの自己欺瞞,道徳,偽善を考察している.特にクルツバンの切れ味の鋭いところは,道徳についてその中身の説明だけではなく,「なぜそれを他の人にも押しつけようとするのか」の考察の部分だ.それが道徳から偽善への道を説明する.
本書を読むと,私たちが感じる統一された「自己」というものが幻想であることが改めて実感できる.確かに私達は自らの行動の理由を聞かれて,それまで考えてもいなかったはずなのに,とっさに自分でも驚くほどべらべらとそれらしい弁解することができることがある.そしてある考察について,論理的に正しいと意識的に結論づける瞬間と,(しばしば数日後に,そして理由は不明ながら)真にその考えに納得する瞬間が異なるように感じられることがある.おそらく極めて多数のモジュールが非常に深く私達に組み込まれているのだろう.本書はまさに目から鱗が落ちるような体験を与えてくれる本であり,今回の邦訳出版を機に多くの人に読んでほしいと思う.


私の原書の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20111001,読書ノートはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20110514から連載している.


原書


Why Everyone Else Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind

Why Everyone Else Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind



 

*1:これまで本ブログではこの進化心理学者のことを「クツバン」と表記してきたが,今回邦訳書では「クルツバン」と表記すると決めたようだ.これを機に今後は本ブログでも「クルツバン」表記を用いることにしたい