「Inside Jokes」

Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press)

Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press)


本書はコンピュータ科学・認知科学者のマシュー・ハーレー、科学哲学者のダニエル・デネット、心理学者のレジナルド・アダムズの3人の共著によるユーモアの進化的な考察にかかる本である.


私たちはユーモアやジョークが大好きだ.友人や家族の会話でおどけて笑い、金を払ってコメディ映画を見て腹を抱える.でもなぜなのだろう?そしてジョークの何が私たちに喜びを与えるのだろう?これらの疑問についてはこれまでも様々な議論があったようだが、どれも進化的に考察されていなかった.著者たちは進化的に考察することにより説得的な仮説を構築し、本書で世に問うているのだ.


著者たちの仮説は基本的には以下のような内容だ.

  • ユーモアが楽しいのは感情の報酬システムだからだと考えるべきだ.
  • 次にユーモアをよく観察すると、それは事件の知覚に関して生じ、文脈や背景知識に依存し、何かが妙であり、そして内容について必要十分条件を記述することが困難だ.
  • 片方で、脳は将来予測をするが、これは組み合わせ爆発の問題を抱えているので、実時間で処理するにはヒューリスティックスによるショートカットを使わざるを得ない.そしてこれによる予測はワーキングメモリにアクティブに保たれている.そして特にコミットされた予測結果が正しいかどうかは、人の生存・繁殖にとって重要だ.
  • だとすると、この予測内容が正しいかどうかはチェックした方が適応的だ.これは内容がワーキングメモリに乗っているので無意識のモジュールによることはできない.だから報酬を用意して意識的にバグ取りする仕組みが進化した.この「ヒューリスティックスにより得られコミットされたアクティブなワーキングメモリが誤りだと気づいた時に支払われる報酬」がユーモアのプロトタイプなのだ.
  • プロトタイプのユーモアは自分の間違いに気づく一人称のものだが、別の適応として「心の理論」が生まれ、他人に誤りについても報酬が支払われるようになったのだ.この副産物としての「他人のヒューリスティックスにより得られコミットされたアクティブなワーキングメモリが誤りだと気づいた時に支払われる報酬」がより高度なユーモアになる.
  • さらにこれは、その他のポジティブな感情や、やはり楽しい周辺事象(問題解決など)と干渉し、さらに高度な心の操作の技によって、高度に洗練された超刺激としてのユーモアになったのだ.
  • このように誤謬検知がユーモアの存在理由であると考えると、背景知識に強く依存することやその内容自体に本質がないことが説明できる.
  • またそれは誤謬に気づく能力を示すものとして性淘汰のシグナルになったのだろう.だからわずかに性差があるのだ.


本書では、この仮説について、これまでの様々なユーモアについての理論と対比させつつ説明し、数多くの例を挙げながらこの仮説がユーモアをうまく説明できることを解説してくれる.この部分では、著者たちが数年がかりで集めた傑作アメリカンジョークがふんだんに紹介されていて、読んでいて大変に愉快なところだ.そして解説を読み、確かに「誰かがヒューリスティックスの結果何かを信じ込んでいてそれが覆る」という構造が普遍的に現れているのが実感できる.


その後著者たちは、仮説の反例に見えるもの、ユーモアの周辺事象を扱う.
一見反例に見えるものの多くは、得られた信念がヒューリスティックスによっていない、あるいは信念に強いコミットがない、別の感情と干渉して楽しくないなどの説明がなされている.ここはよく考察されていて面白い.
周辺事象としては「くすぐり」がなぜおかしいのか、なぞなぞやウィット、そしてユーモアが楽しいとなぜ「笑う」のかが扱われている.
くすぐりは、実は身体を這い回る虫を検知するシステムがくすぐりを虫として検知し、それはかなり自動的なシステムなので意識的に虫でないとわかっても何度でも検知してしまうために、虫ではないという認識と作用しつづけて継続的におかしいのだと説明されている.しかしこれだと「ヒューリスティックスによって得られたコミットされた信念」とは言い難いだろう.デザイン的な制約からある程度自動的なシステムの誤謬検知にも報酬が支払われてしまうということなのだろうが、やや一貫性がなく微妙だ.
なぜ「笑う」のかについては、遊びに関する「本気じゃないよ」シグナルと、性淘汰に関する「自分はこんな間違いにも気づいて、それを隠さずに大声で宣伝できるほど優れているよ」シグナルが融合したものだろうと考察されている.しかし第三者の誤謬に対するジョークでも笑うことを考えると、結局そのコストを上回るメリットをきちんと提示できているとは思えない.このあたりはなお残る謎なのだろう.


本書は所々に細かな哲学的認知科学的な議論に拘泥している部分もあるが、「ユーモアとは何か」という面白い問題に対して筋の通った仮説を中心に説得的に議論されていて読み応え十分な本だ.そして本全体に爆笑もののジョークが散りばめられていて、ユーモアに関する本だからこうでなければという著者たちのサービス精神も感じられる本になっている.私としてはデネットの笑っている顔が浮かんでくるようで、大変楽しい読書を体験することができた.