Virtue Signaling その29


 

第7エッセイ 言論の自由に関する文化的多様性の擁護 その2

 
解説のあと本エッセイが始まる.出足から手厳しい.
 
 

The Cultural Diversity Case for Free Speech Quillette Feb 16 2018

 

  • アメリカの大学のスピーチコードと非公式なスピーチ規範は外国人学生と外国人教職員を差別している.
  • スピーチコードはしばしばキャンパスの「文化的多様性」を守ると主張する.しかしそれはしばしば逆の効果をもたらすのだ.それは外国人の学生,ポスドク,教職員に,彼等が現実的に理解するのが困難な狭隘なアメリカの政治的正しさ基準を強いるものだ.

 

ニューロ多様性から文化多様性に

 

  • 昨年のQuilletteの記事で,私はキャンパスのスピーチコードがニューロダイバージェントな人々に対する差別だと指摘した.アスペルガーなどのニューロダイバージェントたちは「他者がオフェンシブに感じるかもしれない言動を禁じる」コードを理解して遵守することが困難なのだ.私はそれが連邦法上違法な差別にあたることも指摘した.
  • これらニューロダイバージェント資質は遺伝性があり,彼等の脳をニューロティピカルなヒトのそれと異なる構造にしている.だからこれは遺伝的ニューロダイバーシティと呼ぶことができる.
  • しかしそれとは別に文化的ニューロダイバーシティも存在する.外国,外国文化の中で育った人々の脳には(アメリカとは)異なるモラル,価値観,規範,政治的宗教的態度,コミュニケーションスタイル,配偶スタイルが埋め込まれているのだ.
  • この文化的ニューロダイバーシティもスピーチコードの遵守を難しくさせる.

 

  • 私はアメリカ生まれの学生の「文化的多様性」のことを問題にしているのではない.アメリカ生まれの学生たちも,様々なエスニシティ,宗教,社会階級,サブカルチャーに属し,それぞれ独自の価値観やコミュニケーション規範を持っているかもしれない.しかし彼等は皆同じナショナルなメディア/教育文化に晒されてきている.そのメディア/教育文化は,左派的ジャーナリズム,多様性に取り憑かれたハリウッド,民主党寄りの教育ユニオンにコントロールされた公立学校の政治的運営の周りに形成されている.
  • アメリカの教育/メディアシステムは学生たちを特定のイデオロジカルな規範セットとタブーに向けて洗脳している.この規範セットは,多様性,包括性,マルチカルチャリズム,アイデンティティポリティクス,環境主義,ブランクスレート心理学,左派リベラリズムに向けたものになっており,どんなものであっても人種差別的,性差別的,性保守的な事をにおわす言動,伝統的ファミリーヴァリューや西洋文明への賞賛はすべてタブーとされる.
  • この共有された文化が,学生や教職員が「他者がオフェンシブに感じるかどうか」を予測するための共通基盤になっている.

 

  • 私がここで問題にしたいのはもっと広い文化的多様性,つまり他国からアメリカに来た学生や教職員たちの問題だ.学生や教職員のかなりの割合が今や外国から来ている.彼等はアメリカ生まれの学生たちとは非常に異なる政治的正しさ基準,そして言動がオフェンシブと感じさせるかどうかの基準を持っている.
  • アメリカの大学全体で今や学生と院生の5%が外国から来ているのだ(エンジニアリングの博士課程だと55%となる).彼等の出身国には例えば中国,インド,韓国,サウジアラビアなどが含まれる.
  • これらの外国人学生たちはアメリカに魅力を感じてここに来ている.それは我々がアメリカを言論の自由,政治的自由,オープンなセクシャリティを持つ国として売り込んでいるからでもある.彼等は自国にある専横的な政府の検閲や審判からの自由を期待しているのだ.多くの国はヘイトスピーチ,(神への)侮辱,間違った考えを犯罪化している.これは専横的国家や失敗国家(中国,インド,サウジアラビア,ロシア,ナイジェリアなど)に限られない.現代的民主主義国家であるドイツやオーストラリアやアイルランドもそうだ.
  • 彼等は「自由の国」アメリカの大学は広く知られた憲法修正条項(人権条項)を高く評価して守っていると期待しているだろう.
  • しかし彼等はアメリカに来て,キャンパススピーチコードやインフォーマルなスピーチ規範が地雷だらけであることを知る.知的な罠やヘアトリガータブー検閲にあふれ,その上に毎日移り変わるイデオロジカルな情勢があるのだ.
  • 少なくとも中国やサウジアラビアでは「何を言ってはいけないか」について明確で安定的な予測が可能だ.しかしアメリカにはそのような一貫性はどこにもない.

 
検閲対象の予測可能性に限ってみると中国やサウジアラビアからきた学生にとっては自国よりアメリカのスピーチコードの方が酷いというのは考えてみるとなかなか皮肉な話だ.実際問題として日本からアメリカに留学する際にこの辺のことについての注意喚起はどれほどなされているのだろうか.