Language, Cognition, and Human Nature その92

第8論文 「なぜ氏か育ちかという問題は消え去ったりしないのか」 その7

 
Why Nature and Nurture Won’t Go Away  Daedalus 133(4): 5-17. (2004)
 
ピンカーによる全体論的相互主義者への批判もいよいよ最後になる.ここでは行動遺伝学が遺伝と環境を区別する努力を続けてきたこと,そして得られた知見を特に強調している.
 

「氏か育ちかに関するフレーミングの問題が,私たちのヒトの発達についての理解と新しい発見を妨げている」
  • これとは反対に,20世紀の心理学の最高に啓発的な発見のいくつかは氏か育ちかを区別しようとする努力がなければなかっただろう.
  • 心理学者は認知能力やパーソナリティの個人差の要因を何十年も探ってきた.伝統的な見方はそれらは両親の子育てとロールモデルに大きく依存するというものだった.しかしこれは相関だけ見て,遺伝的な関連をコントロールしていないという方法論的に問題のあるスタディの結果の上に形作られた信念であることを思い出そう.
  • 行動遺伝学者は双子と養子を用いてこのような方法論的な問題を解決した.そしてほぼすべての行動的特徴は部分的に遺伝性を持つことを発見したのだ.(行動遺伝学の発見の概要が説明されている)これらのスタディは膨大な追試の結果確認されている.もちろん概念コンテンツに依存する部分には遺伝性はない.しかしその基礎にある能力や気質は部分的に遺伝性を持つのだ.
  • この時点でヒトは遺伝と家庭環境(親の育て方やロールモデルなど)によって形作られると結論したくなるだろう.しかし行動遺伝学は共有環境(家庭環境要因)と非共有環境(家庭環境以外の環境要因)の影響を区別する方法を提示している.そして注目すべきことにほとんどのスタディは家庭環境が全く影響を与えないか,ごくわずかの影響しか与えていないことを見いだしているのだ.(詳細が説明されている)

 

  • この発見は伝統的な信念を持つものにはショックだった.それは精神的機能不全や薬物依存をどのように育てられたかという原因に帰そうとする精神療法や,両親の環境のマイクロマネジメントがよい子に育てるための鍵であると主張する育児専門家の信頼性に疑問を抱かせる.この行動遺伝学の知見は,移民の子どもの言語獲得の様相,デイケアか自宅かや片親か両親かという環境が子どもの特徴に影響を与えていないことと整合的だ.また生まれ順や兄弟の有無もほとんど影響を与えていない.そしてさらに発展的なスタディは同じ両親による兄弟姉妹への異なった育て方は,子どもの個性の原因ではなく,子どもの個性に対応した結果であることを示している.

 

  • この知見は単にこれまでの信念の誤りを示しただけではなく,重要な疑問を提示した.遺伝でも家庭環境でもない影響はどこから来るのだろうか.ジュディス・リッチ・ハリスはピアグループの影響を指摘した.ティーンの飲酒や薬物問題はピアグループ内のステイタスシンボルという観点からアプローチした方がいいのかもしれない.学校教育の有効性も学級がどのようなピアグループで形成されるかの影響について調べた方がいいのかもしれない.

 

  • 個性の発達はいくつものパズルを提示する.それは単に社会化のプロセスとしては理解できない.同じ家庭に育ち,同じピアグループに属する双子の兄弟であっても個性には違いが生じる.おそらく発達過程における全くの偶然の要素が効いているのだろう.母胎内での偶然の環境要素,毒物,病原体,ホルモンへの暴露,脳の発達過程の軸索成長の偶然要素,ランダムなイベントやそれへのランダムな反応などだ.遺伝子と両親と社会だけ見る見方ではこのような予測不能な要因の大きな影響力を見過ごしてしまう
  • もしそうなら,それは発達の興味深い特徴を際立たせる.一卵性双生児の発達過程においては,すべての偶然要素がキャンセルアウトするわけでも偶然要素によりどこまでも異なっていくわけでもない.彼等の違いは心理学テストや日常生活で感じられるが,2人とも(通常)普通の健康なヒトだ.ということは発達過程は,単純な予測可能な青写真のようなものではなく,複雑なフィードバックループの上にあるのに違いない.時に偶然要素により乱されるが,フィードバックは効いているのだ.

 

  • これらの深遠な疑問は「氏か育ちか」という問題意識の上にはない.これは「ある環境か別の環境か」という問題だ.認知能力やパーソナリティの個人差はどの環境要因がどのように引き起こすのだろう.そしてこれを知るには研究者はまず遺伝要因をコントロールしなければならない.そしてそれこそが両親の育て方が子どもにどんな影響を与えるかを真に知るためには必要なのだ.「すべてがすべてに影響する」というような考え方は洗練されていないだけでなくドグマティックだ.「両親」「兄弟」「家庭」から矢印がでているという主張は,疑いなき真実ではなく,検証可能な仮説なのだ.そしてテストは矢印がそこにないことや別のラベルと矢印があることを私たちに気づかせてくれるのだ.

 

  • ヒトの脳は宇宙の中で知りうる限り最も複雑な物体だといわれてきた.遺伝と環境の単純な二分法や行動における脳の介在を無視する考え方は疑いなく誤りだとわかるだろう.しかし複雑性自体は私たちが問題を「それは考えるには複雑すぎる」といったり,なんらかの仮説に過ぎないものをアプリオリに正しいと主張したりすることを正当化しない.インフレやガンや温暖化問題と同じように,私たちは複雑な原因を解きほぐすことに努めるべきなのだ.

 
ここで強調されているような話は基本的にピンカーの本に書かれていることの要約だ.行動遺伝学の知見は遺伝か環境か,環境だとするならそれは具体的に何かについて様々なことを教えてくれる.それは膨大な追試を経た確実な知識であり,我々はそこには真正面から向き合うべきなのだ.
最近のいろいろな状況を見るとアメリカのアカデミアでは左派イデオロギーの部族主義的シグナリングが強力で,この手の話はなおキャリアの地雷原であり続けており,そしてなかなかこのような方向に研究は向きにくいのだろう.残念なことだ.