書評 「ダイナソー・ブルース」

 

恐竜がなぜ絶滅したのかというのは1970年代までは全くの謎とされ,様々な説が提唱されてカオスのようだった.そこに1980年彗星のように現れたのがノーベル物理学賞受賞者のルイス・アルヴァレズと地質学者であるその息子ウォルター・アルヴァレズが提唱した小惑星衝突説だった.メディアが大きく取り上げ,(漸進的進化を否定したい)スティーヴン・ジェイ・グールドが熱狂的に支持したこともあり,衝突説は巷に一気に広がった.私も最初にこの話を「日経サイエンス(当時は「サイエンス」という雑誌名だった)」で知り,直後に出版されたブルーバックス「恐竜はなぜ絶滅したか:進化史のミステリーに挑む」を読んで,この衝撃的な展開に熱中した.しかし古生物学界は一気にこれを受け入れたわけではなく,衝突否定論,漸進的絶滅論,デカントラップ説を始め様々な反対説が唱えられ,時にメディアにも登場した.論争は衝突の決定的証拠であるクレーター発見後もグズグズと長引いた.時が流れて2010年,ペーター・シュルテがサイエンスに長大な総説論文を発表し,中生代末の絶滅は小惑星衝突説で決定的であることをはっきり示した.その議論については後藤和久が「決着!恐竜絶滅論争 」で紹介してくれている.そこでは反対論者は(よくある大きな科学論争に見られるような)ひたすら自説に固執し,若手は誰もついてこずに老骨にむち打って頑張るだけの存在になりはてている様が描き出されていた.
というわけで長きにわたった恐竜絶滅論争も事実上決着だと得心していたところに出版されたのが本書である.本書は地質学者である尾上哲治が,自分が身近で見てきたこの論争を裏話を含めて書いてくれているもので,絶滅論争ファンの私としては見過ごすことができない一冊だ.
 
本書は冒頭で2012年の国際堆積学会の様子が描かれている.衝突説反対派の(老骨にむち打って自説に固執しているという形容通りの)ゲルタ・ケラーの学会発表時に,それまで一杯だった会場から潮が引くように参加者が退席していくのだ.何故このような状況なのか,著者による自分の体験を踏まえた解説が始まる.
 
著者の物語作りはミステリー仕立てでなかなか凝っている.自分自身も参加した実際のK/Pg境界近くの化石の発掘状況(境界の少し下側に化石の空白地帯があるように見えることが強調されている)も含め,まず実際の状況を整理する.それによるとある動物群は境界で突然消失したように見え,別の動物群は境界に近づくにつれてゆっくり減っていったように見える.また境界とその直上には薄い泥岩層と新生代の石炭層がある.
 
そこから学説史に入る.恐竜絶滅について70年代末に最も勢いがあったのはデューイ・マクリーンによる温暖化説だった.これは現代の温暖化ガスへの警鐘を鳴らすという意味でも注目されていた.1980年,ここにルイスとウォルターのアルヴァレズ父子の衝突説が直撃する.著者はウォルターの境界の粘土層についてのアブダクションの試みという観点からこの仮説の生成過程を説明している.ウォルターは粘土層形成にかかった時間を知りたいと考え,ルイスの物理学者としてのセンスがイリジウム測定に向かわせる.そこで異常な量のイリジウムが発見され,これが小惑星衝突説としてまとまる.(ここで著者はルイスが衝突による生態系への影響についての着想をクラカトア火山の本から得たとしていることに疑問を呈し,その直前に出たナビエの論文にヒントを得た可能性を指摘している.)
 
ほかに40以上もある恐竜絶滅説の中でアルヴァレズ父子の衝突説が特に注目すべきだったのは,イリジウム異常という有無を言わさぬ証拠があり,すぐに世界中のK/Pg境界から同じようなイリジウムの異常堆積が見つかったからだ.(著者はここで,実はイリジウムの異常を最初に見つけたのはガナパシーであったのではないかと指摘している)
ここから大論争が始まる.多くの地質学者,とりわけ古生物学者たちは衝突説をすぐに受け入れようとはしなかった.ルイスはそれをたたきつぶすために大立ち回りを演じる.著者は1981年のK/Pgにかかる国際会議の様子を描いている.ルイスは蒼々たる衝突説賛成者を集めた中に,マクリーンを招待した.そこでは圧倒的に衝突説中心に議論が進むが,マクリーンはいちいち疑問を呈して頑張るという展開になる.ルイスは休憩時間にこれ以上反対するなら学問的に息の根が止まるぞとマクリーンに警告したそうだ.その後ラウプとグールドが衝突説擁護に周り,実際にマクリーンは回復不可能なダメージを受けて学問の世界から消えていくことになる.
 
著者はここから論争の中身を見ていく.最初の問題は絶滅の様相だ.生物によりK/Pg境界で突然絶滅したように見えるもの(円石藻,浮遊性有孔虫),漸進的に絶滅したように見えるもの(恐竜,アンモナイト等),絶滅していないもの(ワニ,カメ,珪藻,放散虫)がある.これ(特に漸進的絶滅したように見える動物群)をどう説明するかという問題だ.次の問題は衝突がどのように絶滅を招いたのかという問題だ.衝突の塵が太陽光をどのぐらい遮ることができるのか(当初の主張より早く落ちてくるのではという議論がなされた)という問題になる.そして同時期のデカントラップが関連するのかという問題がある.著者はこのようないくつかの論点が捻れながら論争が揺れ動く様子を,自分自身の宇宙塵のリサーチも交え臨場感たっぷりに書いてくれている.
 
「漸進か突発か」論争のクライマックスはデカントラップによる温暖化が漸進的絶滅を説明できるというゲルタ・ケラーと衝突説支持者の対決になる.ケラーは浮遊性有孔虫も実は漸進的に絶滅したのだと主張し,1993年その境界付近の化石について有孔虫研究者による公開のブラインドテストが行われた.結果は確かに化石は漸進的に減少しているが,それにシニョール=リップス効果を入れ込むと突然の絶滅を支持するというものだった.そしてアンモナイト*1も恐竜も見かけ上の漸進的絶滅はシニョール=リップス効果で説明できることが認められていく.衝突による太陽光遮断のメカニズムの問題も塵だけではなく火災の煤と硫黄ガスをカウントすることで解決できそうなことがわかってきた.片方で1991年には明白な衝突の証拠であるチチュルブ・クレーターが見つかっていた(この発見の経緯についても詳しく解説されている).
 
ケラーはまだあきらめない.ヤン・スミットが津波堆積物である砂岩層を発見したと報告したことに対してスティネスベックと一緒にそれは30万年かけて堆積した砂岩だと批判した.1994年彼等はテキサスで学会が開かれた機会に対決することになり,メキシコの当該地層に出向き,またも公開の場で堆積学者に判定してもらうことにした.判定はスミットの勝ちだった.しかしケラーはなおも新生代に生き残った浮遊有孔虫の存在,多重天体衝突,デカントラップの強調をもって抵抗を続ける.状況はどんどん苦しくなり,多くの研究者からは相手にされなくなっていった.するとケラー達はメディアを通じて衝突説を執拗に批判し続ける.そしてこの見苦しいメディア戦略を通じて世間に誤解が広がることを懸念したピーター・シュルテと40名の共著者による衝突説が決定的であることについての総説論文が2010年に出版されるに至る.
 
これで長きにわたる論争は大団円という形だが,著者はなおその後の衝突説をめぐる展開を書いてくれている.ここは現在進行中の話としてなかなか興味深い部分になる.
 
2014年に衝突時の硫黄ガスは二酸化硫黄ではなく三酸化硫黄ではないかという論文が出る.三酸化硫黄はすぐに水蒸気と化合して地上に落ちてしまうので,「衝突の冬」の実現が難しく,海洋表層で急激にそして激しく酸化が生じた(海洋超酸化)ことになる.また新しい技術で測定したところK/Pg境界でのシアノバクテリアの生産量低下はそれまで言われていた50〜300万年というスケールではなく100年以下であることが示された.これらは絶滅において光合成停止がそれほど重要ではなかった可能性を提示している.また海洋における生食食物連鎖崩壊(腐食者のみ生き残る)という主張は絶滅率のデータと合わないこともわかってきた.
ここから海洋超酸化で炭酸カルシウムの殻を持つ生物が選択的に絶滅したという説が提唱されている.しかし絶滅率の低い生物群が必ずしも耐酸性が強かったということにはなっていないのでこの説も盤石ではない.
また陸上においてはこれまではデトリタス生物が生き残ったとされていたが,必ずしもそうではないことがわかってきた.現在超濃厚な酸性雨による陸上植物の絶滅,あるいは土壌カルシウム必須生物の絶滅(あるいは恐竜の卵はこれかも)というメカニズムが真剣に検討されている.
そして著者はデカントラップについてももう一度詳細を調べると絶滅となんらかの関連が見つかるかもしれないことを示唆して本書を終えている.

本書は自身地質学者であり,K/Pg境界の化石発掘も手がけたことがある著者による自らの体験も含む恐竜絶滅論争物語であり,迫力があり,さらにストーリーの展開が巧みで楽しく読める.随所に裏話があり,ルイス・アルヴァレズの強烈な仕振りや,ゲルタ・ケラーの見苦しい抵抗振りは特に読みどころだろう.さらに2010年のシュルテの総説論文のあとも,恐竜絶滅をめぐる謎はまだ未解決部分を持ち,さらなるリサーチを待っているという状況も語ってくれていて大変興味深い.恐竜絶滅に興味のある人にはたまらない一冊だと思う.


関連書籍

ピーター・シュルテの論文の直後にその解説も兼ねて出された本.私の書評は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/20120210/1328874229

決着! 恐竜絶滅論争 (岩波科学ライブラリー)

決着! 恐竜絶滅論争 (岩波科学ライブラリー)

  • 作者:後藤 和久
  • 発売日: 2011/11/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
衝突説について日本語で詳細が解説された初めての本.隕石が落ちてきてどのような衝突になるのかの物理的な詳細が詳しい. 
これはその後周期的大量絶滅説が出された後,ネメシス説を唱えた本人による本.現在では否定されているが,当時の生々しい状況が紹介されている. 
こちらはチチュルブクレーターが見つかった後の解説書として読んだ一冊. 
そしてこれも外せない.衝突説生みの親による回顧録


 

*1:アンモナイトはK/Pg境界より前に絶滅していたのではないかと考えていたピーター・ウォードも境界ぎりぎりの化石を見つけ,シニョール=リップス効果も認めて転向した話も書かれている