書評 「生命の<系統樹>はからみあう」

 
本書は「ドードーの歌」で有名なサイエンスライター,デイヴィッド・クォメンによる分子系統,3ドメイン(アーキアの発見),遺伝子水平伝播をテーマにした科学史と科学者列伝を扱うノンフィクションになる.様々な関係者へのインタビューを元にした組み立てが巧くはまり,魅力的な物語に仕上がっている.原題は「The Tangled Tree: A Radical New History of Life」
 
冒頭はダーウィンがBノートに走り書きした系統樹から始まる.そこからアリストテレスまでさかのぼる生命の階梯図,オージエの「植物の樹」,リンネの分類体系,ラマルク,ヒッチコックの「系統樹」,ダーウィンの「種の起源」の唯一のイラストと順番に解説しながら進化系統樹をまず提示する.
ここから物語は分子系統学の曙に移り変わる.分子情報を用いて系統樹を書くというアイデアを最初に提示したのはフランシス・クリックになる.このアイデアはポーリングとズッカーカンドルに影響を与え,彼等はこの考えを進め,分子系統学を形作った.そこに登場するのが本書の主人公カール・ウーズになる.ウーズは1964年に生物物理学のバックグラウンドを持つテニュア所得済みの36歳の研究者としてイリノイ大学にやってきた.ウーズは遺伝暗号の謎に興味を持ち,それを追究するうちにその進化系統に興味を持つようになる.そしてリボソームの16SrRNA分子に標的を定める.ここからは初期のシークエンシングの苦労話になる.分子を単離し,半減期14日の放射性リンでマーキングし,酵素で切り刻み,電気泳動を2次元にかけ,そのパターンである黒いしみを見て配列を読解する.そういう苦労の後,ウーズはメタン生成菌のRNA配列がその他の細菌と大きく異なることに気づく.
クォメンはここで細菌の分類学が泥沼のカオスにはまり込んでおり,1962年には世界屈指の微生物学者の降伏宣言も出されていることを解説する.ウーズはメタン生成菌,好熱菌がこの異なるパターンを共通して持っていることを確認した.ついに細菌の世界の大きな系統を見つけたのだ.彼はそれを生物の基本的な分類単位であると考え.界の上のドメインという単位を設け,真核生物,細菌,アーキア*1の3ドメイン説を1977年に提唱した.
しかしこの大発見はすぐには世界に,特にアメリカの学界には認められなかった.クォメンはそれはウーズが論文発表と同時にプレスリリースを出し,各メディアがセンセーショナルに取り上げたことへの反発だったと描いている.しかし独自に同じ結論にたどりついたドイツでこの3ドメイン説は好意を持って受け止められ,また好塩菌などのアーケアの仲間も見つかり,10年ぐらいかけて徐々に浸透していくことになる.

次の登場人物はリン・マーギュリスだ.彼女は「真核生物の細胞は太古の共生の結果である」という考えを強烈に打ち出した.クォメンによると葉緑体がシアノバクテリア起源であるという考えを最初に提示したのはコンスタンティン・メレシコフスキーというロシアの学者で1905年のことになる.またミトコンドリアについてはイヴァン・ワーリンが最初にアイデアを提示しており,これは1920年代になる.これらの説はあまり真剣に扱われていなかったが,1967年にマーギュリスが鞭毛,繊毛,中心小体も共生の結果だと独自アイデアを加えて「真核細胞共生起源説」として提唱したということになる.ここではマーギュリスとメレシコフスキーの型破りで破天荒な人生模様がサイドストーリーとして語られていて,なかなか読み応えがある.
真核細胞の共生起源のアイデアには検証が必要だった.検証はウーズとも親しい間柄であったフォード・ドゥーリトルがリボソームRNAを用いて行い,紅藻の葉緑体のリボソームRNAと細胞質のリボソームRNAの配列が全く異なること,そしてそれがシアノバクテリア由来であることをクリアーに示した.またマイケル・グレイはミトコンドリアも細菌由来であることを示した.そしてウーズはミトコンドリアの起源は1種のプロテオバクテリアであったことを示した.マーギュリスにとって残念ながら彼女のオリジナルアイデアにからむ鞭毛,繊毛,中心小体には遺伝子がなく,これが細菌由来であることは検証できなかった.今日ではこれは疑わしいとされている.マーギュリスはこのあとガイア仮説に入れ込み,生物の大区分として5界説(モネラ,原生生物,植物,菌類,動物)をとりあげる著書を出す.そしてこれは3ドメイン(真核生物,細菌,アーキア)が基本だとするウーズを激怒させることになった.

ここでヘッケルが登場する.クォメンはヘッケルの人生とダーウィンから得た進化と系統樹の発想を見事な画才で美しいイラストにしていった様子を丁寧に追っている.そしてクォメンはここから系統樹の根元がどうなっているかというところにフォーカスしていく.ウィテカーはマーギュリスと5界説の論文を1978年の1月に書き,ウチワサボテンのような5界説ツリーを描いた.これはウーズがアーキアという第3の王国の主張を行った直後だった.ウーズはジョージ・フォックスと(紆余曲折の末に)3ドメイン説の論文を書き,根元の共通祖先状態から3本の枝がでている「ビッグ・ツリー」」図を提示する.ウーズはさらに1987年に3ドメインの無根の系統樹とその中心である祖先状態をブロゲノートとする論文を発表した.ここまでウーズは3ドメイン間の系統関係については不明としていたが,1990年にはカンドラー,ウィーリスと共著で有根でまず細菌とアーキアが分岐してから,真核生物とアーキアが分岐する系統樹を提示するに至る.

そして本書の最大のテーマ遺伝子の水平伝播の話になる.遺伝子水平伝播の引き起こす現象の最初の発見は1923年のグリフィスによる細菌の「形質転換」だった.肺炎連鎖球菌は良性のR型と悪性のS型があるが,良性R株に悪性S株の死んだ細胞を混ぜておくと悪性S型に変化することがあるのだ.まだ遺伝学は曙の時代で,この現象はしばらく謎のままだった.1934年オズワルド・アベリーはこれが遺伝情報の転移によるのではないかと考えて研究を始める.そして1944年にこの遺伝情報がDNAであることを突きとめて論文を出す.アベリーが調べたのは環境中を漂う裸のDNAがほかの細胞に侵入する現象だった.これ以外の水平伝播メカニズムには接合とウイルス感染があるが,それは1950年代にエスター・レーダーバーグにより発見される.これらの遺伝子の水平伝播は病原性細菌の薬剤耐性を急速に進化させるので重要だ.また細菌間で遺伝子が水平伝播を繰り返すなら,それは進化系統が網状であり,分類群の境界が不鮮明になることを意味する.クォメンはこれらの面でのリサーチや議論の進展について渡邊力の赤痢菌の研究も含めて語ってくれている.
では遺伝子水平伝播は細菌間でのみ生じるのか.そうではない.クォメンはまずヒルガタワムシをとりあげる.ヒルガタワムシは古来より性を持たず単為生殖を行っている例外的な多細胞生物だが,同じく例外的に遺伝子の水平伝播が多い.それは乾燥状態と吸水状態を繰り返すためにDNAが断片化して核から細胞質に漏れ出しやすいことと関連しているようだ.そしてこの水平伝播の多さが無性生殖の長期的な不利益を埋め合わせているのかもしれない.次に取り上げられるのは昆虫だ.昆虫のゲノムにはボルバキアの感染によりその遺伝子が取り込まれていることが多いのだ.

1990年代には全ゲノムシークエンスの時代を迎える.シークエンスが進むほどに細菌やアーキアでは遺伝子の水平伝播がありふれており,系統樹は遺伝子ごとに異なっていることが明らかになってきた.ドゥーリトルは1999年に「系統分類とユニバーサルツリー」という論文を出し,そこに手描きされたもつれ合っている網状の系統樹を掲載した.ウーズは3ドメインに分かれる前のRNAワールドでは遺伝子水平伝播がありふれているが,3ドメインに分かれた以降は例外的だという立場をとった.ウーズはRNAワールドの中で遺伝暗号がどのように形成されたかという生物物理的な問題に関心を移していった.またクォメンはここで2009年に英国のニュー・サイエンティスト誌が水平伝播と網状系統を取り上げて「ダーウィンは間違っていた」という記事を出したことを巡る騒動も描いている.

ではこれらはヒトにとってどういう意味があるのかというのがクォメンの最後のテーマになる.クォメンはヒトの体表面や体内にあるマイクロバイオーム,そしてこの微生物間でも遺伝子水平伝播がみられ,それは細菌間の類縁よりも生態が大きな要因になっている話をまず振ってからヒトゲノムの話に進んでいる.ヒトでも巨大なジャンクDNAが発見され,その多くはトランスポゾンだった.これはレトロウイルス経由の利己的遺伝子でまさに水平伝播でヒトに取り憑いたものだ.そして一部のこのような配列はヒトにとっての適応的な機能も果たしていることがわかってきた.特に胎盤において母親の免疫系が胎盤や胎児を攻撃するのを抑制する機能(ウイルスの配列の持つエンベロープの多様性が機能の鍵になる)を持つ配列は何度も取り込まれ,哺乳類の系統間で入れ替わっていることがわかってきた.そしてレトロウイルス配列のリサーチはCRISPER-Cas9技術の開発に結びつく.クォメンはこのような遺伝子の水平伝播の知見は系統樹の概念,種の概念,そして生物個体の概念を揺さぶるものだと示唆している.
そして最後にカール・ウーズの死を描いている.ウーズは晩年は少し偏屈に(ダーウィンに対してひどく否定的な意見を持つようになったことが描かれている)なったりもしたが,最後まで様々な謎に取り組んでいた.クォメンとしては本書の主人公はウーズであり,その死を持って本書を終わりにしたかったということだろう.
 
本書はサイエンスライターのクォメンが膨大な取材の上に多くの学者の人生と研究の格闘を描き出しており,上質のノンフィクションとして大変充実している.遺伝子の水平伝播が系統樹やヒトとしてのアイデンティティに再考を迫るものだというのはやや大げさすぎて買えないが(結局少なくとも真核生物以降は系統樹はかなりはっきり描けるし,ヒトに取り込まれたトランスポゾンも胎盤免疫抑制などごく一部の例外を除いては外部から感染した利己的遺伝子配列が残っているに過ぎないだろう),読み物としては大変面白い.真核生物内での大分類の話や,トランスポゾンの利己的遺伝子性とそれを抑制しようとするゲノム間のコンフリクトの話などもあればもっと面白かっただろうとは思うが,それはないものねだりということかもしれない.3ドメインと遺伝子水平伝播については非常に優れた啓蒙書にもなっていると思う.興味のある人には見逃せない本だろう.
 
 
関連書籍

原書

 
このほかのクォメンの本,
 
世界をめぐりながら語る島嶼生物と絶滅をめぐる物語 
同原書 
世界の様々な野生生物を扱ったエッセイ集. 
同原書
Wild Thoughts from Wild Places

Wild Thoughts from Wild Places

  • 作者:Quammen, David
  • 発売日: 1999/03/01
  • メディア: ペーパーバック
 
エボラを扱った本

同原書

Ebola: The Natural and Human History (English Edition)

Ebola: The Natural and Human History (English Edition)

 
このほかのクォメンの本.訳されてはいないようだ.

Spillover: Animal Infections and the Next Human Pandemic

Spillover: Animal Infections and the Next Human Pandemic

  • 作者:Quammen, David
  • 発売日: 2013/09/09
  • メディア: ペーパーバック
Monster Of God: The Man-Eating Predator in the Jungles of History and the Mind

Monster Of God: The Man-Eating Predator in the Jungles of History and the Mind

  • 作者:Quammen, David
  • 発売日: 2005/06/02
  • メディア: ペーパーバック
The Boilerplate Rhino: Nature in the Eye of the Beholder

The Boilerplate Rhino: Nature in the Eye of the Beholder

  • 作者:Quammen, David
  • 発売日: 2001/04/17
  • メディア: ペーパーバック
The Flight of the Iguana: A Sidelong View of Science and Nature

The Flight of the Iguana: A Sidelong View of Science and Nature

  • 作者:Quammen, David
  • 発売日: 1998/02/01
  • メディア: ペーパーバック

*1:ウーズは当初は古細菌(archaebacteria)と呼称していたが,のちにアーキア(archaea)と改めた