ピンカーのハーバード講義「合理性」 その1

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スティーヴン・ピンカーが2019年の冬から2020年の春にかけてハーバードの学生相手に行った「合理性」についての講義が公開されている.ハーバードでの呼び方は「GENED 1066: Rationality」ということで,GENEDはおそらく一般教養ということだと思われ,ハーバード入学直後の学生向けなのかもしれない.当初は講義室で行われていたが,当然ながら途中からリモート講義ということになった.また著名人のゲストレクチャラーがたくさん登場することも特徴だ.

私は4月の下旬に気づいてそれから順番に講義を視聴して,感想や要約をツイッターに投稿(@shorebird2000)してきたが,せっかくなので一部内容を追加し,感想を付け加えてブログにまとめておこうと思う

第1回「イントロダクション」


第1回目はまだ新型コロナによるロックダウン前なので,教室に多くの大学生が集っている様子が映っていて感慨深い.
講義の前には関連のありそうな題名のポップミュージックが流されピンカーの好みがでていて面白い.ちなみに初回の曲はジェイムズ・ブラウンの「Think」だそうだ.

  • この講義のテーマは我々はどのように考えているのか,どのように考えるべきかということだ.
  • 最初にパラドクスを提示したい.片方でホモ・サピエンスは非常に合理的な生物に見える.宇宙のことを知り,月に宇宙飛行士を送り込み,生命の秘密も解き明かしつつある.戦争も飢饉も貧困も減少してきている.そしてすべての社会が合理性を持つ.(シャノンが記載したヤノマノ族の合理的な狩猟方法が紹介される)
  • パラドクスは全く合理的でない信念や慣習も多いことだ.(アメリカ人の間に占星術等の迷信,そしてフェイクニュースがはびこっている様子が紹介される)そしてこれはSNSのせいではなく,昔からだ(魔女狩りなどが紹介される)
  • この講義は合理性についてのコースだ.コースは3部構成で合理性とは何か(規範的合理性モデル),ヒトは合理的か(記述的合理性モデル),どうすればより合理的になれるか(各分野における合理性の応用)になる.

 
 

  • そもそも合理性とは何か.
  • いくつか例をあげよう.
  • (1)演繹的な推論.(ここで4枚カード問題,抽象的な形では多くの人が間違ってしまうこと,それは確証バイアスで説明できること,社会契約の形ではほとんど間違えなくなること(コンテント効果)の説明がある)
  • (2)数学的計算.(スマホとケースで110ドル.スマホの方が100ドル高い.スマホはいくら?,10台のプリンターで10分で10部印刷できる.100台で100部印刷するのに何分かかるか?,毎日倍になる雑草がフィールド全体を覆い尽くすのに30日かかる.半分覆うようになるのは何日目か?)カーネマンとトヴェルスキーによりヒトにはシステム1思考とシステム2思考があることが示されている.システム1でこのような計算問題を解こうとすると間違いがちになる.
  • (3)確率的推論.(モンティホール問題,そしてなぜ出場者はヤギのカーテンが開いたあと自分の選択を変更すべきなのかが説明される.確率は我々が世界について何を知っているかによって変化することが強調される)なぜ多くの人が間違えるのか,そして説明を聞いても納得しがたいのか.それは認知的錯覚とも呼ぶべきものが働くからだ.また自信過剰バイアス,権威による議論の誤謬,本質的帰属誤謬も関連している.

このモンティホールの詳細説明はとても面白い.そもそものテレビショーの状況も詳しい.そして当時メディアで有名な若い女性である「賢人」マリリンが「ヤギのカーテンが開いたら選択を変えるべきだ,変えれば豪華賞品があたる確率が1/3から2/3に増える」とコメントしたら,多くの数学の博士号を持つような学者からそれが間違いだと投書があった.そして何とポール・エルドシュも間違えたのだ.マリリンの反応も面白い,確率計算をつかって説得する代わりに,システム1思考でもわかるように「ドアが100あって,残り99のドアのうち98が空けられたと想像してみれば」とコメントしたそうだ.

  • (4)選挙予測.(銀行員リンダ問題を民主党予備選問題に変えて提示.バイデンかウォーレンかサンダースか,それが特定州の予備選の結果を条件とする形で示される)このような問題に対して人々はよく間違える.条件付き確率にかかる合接の誤謬になる.これは条件がより想像しやすいときに起こる.
  • (5)データを使う推論.(都市ごとの銃規制の政策のあるなし,犯罪率の増加か減少か数字の表が示され,それをどう分析するかという問題が提示される)このような問題については人々の政治的信念が誤謬に大きく影響する.自分に都合のよい解釈に飛びつくからだ.動機のある推論,マイサイドバイアス,表現にかかる合理性(何が正しいかではなく私が誰かが問題)が関係する.

 
ここの詳細説明も面白い.銃規制はアメリカでは政治トピックなので,その影響が大きく出る.数字を入れ替えると保守でもリベラルでも同じように自派に都合の良い解釈に飛びついてしまう.そしてそれが皮膚クリームの有効性のような政治的でない問題では正解を出せる人でも政治的問題になると間違えやすくなるのだ.まさに目がくらむということだろう.
 

  • 第3部の「応用合理性」ではオールスターゲストを呼ぶ.(ゲスト予定の人々が紹介される.有名どころではキャス・サンスティーン,マイケル・ルイス,リチャード・ドーキンス*1が予告されている)

紹介されているゲストの本をいくつか挙げておこう


Nudge: Improving Decisions About Health, Wealth and Happiness

Nudge: Improving Decisions About Health, Wealth and Happiness

The God Delusion: 10th Anniversary Edition (Pb Om)

The God Delusion: 10th Anniversary Edition (Pb Om)


 

第2回「合理性と非合理性」

 
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第2回目の講義もイントロダクションに続いて序説的な内容だ.合理性自体の正当化はできるか,どのように擁護すれば良いか,合理性に従わなくても良い場面はあるか,あるとすればどんな場面かが取り上げられている.なお開講前の音楽はロッド・スチュワートの「Reason to Believe」
 

  • ボストンにあるメイシーズが入っているビルには,マサチューセッツ州の紋章がある.その一番下には「理性に従え(Follow Reason*2)」とある.
  • では何故理性に従うべきなのか:定義からいって理性に従うことは合理的だ.
  • そして現在合理性の擁護は重要だ.それは多くの理性否定論がはびこっているからだ.それにはロマン主義,ポップカルチャー,ハリウッド映画(直感や感情を優先するプロットになりがち),宗教(信仰の要点はエビデンスなしで何かを信じることだ),そしてポストモダニズム(現実は社会構築物だ)がある.
  • 合理性自体をどう正当化するか.厳密には正当化はできない.そしてポイントはそこではない.合理性自体を合理的に擁護するのは「beg the question(本来議論すべきことが先取り的に前提になっている)*3」なのだ.(カメとアキレスの話が紹介される.三段論法でA→B→Cとしたときに,ではなぜAとBがあればCという結論を認めなければならないかという疑問を呈すると,それ自体をルール化することになり,「では何故,それ自体のルール化」が無限に続いてしまう)
  • 我々は理性を使うのだ.それは我々の脳に既に実装されているのだ.そしてなぜ合理性の正当化自体がポイントではないかというのは,合理性を否定する議論を行うとしてもそれは合理性を使った議論しかできないからだ.誰かを説得するには合理性,客観性,真実の存在,を前提に議論するしかないのだ.何もないところから何かを批判することはできない.これは合理的議論というよりも「我思う我あり」のデカルト的な議論だ.要するに我々は合理性を信じるのではない,それを使うということだ.

 
この理性を正当化する必要はないというのは「21世紀の啓蒙」にもあった議論でなかなか哲学的で面白いところだ.
 

  • 厳密に正当化はできないとしても,合理性への信頼を高めることはできる.まず合理性は有用だ.世界は一貫性と予測性を持っている.そしてテクノロジーは様々なことを可能にした.またそれをフォーマライズした論理学が存在する.コンピュータにも実装されている.
  • そして合理性を批判するような勢力も自分たちの聖なる価値を擁護する際には合理性を用いるほかないし,実際に用いる.試しに彼等に「では奴隷制も歴史的真実などではなく単なる神話なんですか」とか「気候変動も社会的構築物ですか」と聞いてみればいい.彼等は色をなして歴史的真実や科学的知見の客観性について熱弁をふるうだろう.

 
ここまでが合理性自体への擁護だ.続いてなぜヒトは時に合理的でないのかが扱われる.

  • 多くの古典的な誤謬は実は論理からくるのではなく,社会感情(ドミナンス,地位,競争,部族団結)から来ている.その例は権威主義的議論(フリーマン・ダイソンは気候変動に懐疑的だ),人身攻撃(彼は金のためにこれを主張している),お前だって論法(トランプがバイデンの息子を調べろとウクライナを脅したというが,ヒラリーだってゴールドマンサックスから金をもらったじゃないか),起源誤謬(彼はレイシストの文章から引用している),バンドワゴン誤謬(アメリカ人の多数が占星術を信じているんだから,全くの間違いじゃないはずだ),感情へのアピール議論などがある.

 
ここから我々は常に合理的であるべきかという問題に移る.
 

  • では我々は常に合理性に従わなければならないのか
  • そうではない.感情や喜び,タブー,道徳などの状況を考えてみよう.

 

  • (1)感情:ヒュームは理性は感情に仕えるべきだといった.それは衝動的に行動せよといっているのではない.目的にたどりつく方法は理性によって決めるべきだが,目的自体はそこから独立に決まるのだという意味だ.それはnon rationalなのだ.
  • では何故感情はしばしば非合理とされているのか.
  • 1つ目は目的間のコンフリクトがある.進化的究極的な理由は個人の幸福から見た目的とは食い違う.
  • 2番目は時点間のコンフリクトだ.人生は大きなマシュマロテストのようなものだ.ここで将来割引を行うこと自体は合理的だ.それは将来は不確実で,死は確実だからだ.しかしヒトの割引の仕方には非合理性がある.1つはそれが急すぎることだ.退職に備えた老後貯蓄の不足,気候変動への関心の低さ,将来世代への関心の低さなどに現れる.もう1つはその形状だ.近視眼的割引とも双曲割引とも呼ばれる.合理的な割引カーブは指数曲線になるが,それより近い将来が急で,遠い将来に平坦になる.これにより時間の経過により選好がフリップする.
  • このような非合理性に対して合理性を用いて対抗する方法がある.オデュッセウスの鎖やナッジだ.これに関連するのが合理的な無知だ.情報は通常多いほど良いが,そうでない場合がある.何かを知っているために望ましくない影響を受けてしまうような場合だ.例えば,小説やスポーツのネタバレ,父性テスト,治療方法のない遺伝病テスト,現金輸送車の運転手は金庫のコンビネーションを知らない方がいいことなどだ.
  • トーマス・シェリングは非合理性を持つ方が勝つようなパラドキシカル戦術を説明している.典型的にはチキンゲームだ.ハンドルを投げ捨てた方が勝つ.これは交渉ごとにおいてはしばしば見られる.より広くは合理性の無い方が利点になるゲーム状況になる.狂信者の自爆テロ,マッドマン戦略などだ.

 

  • (2)タブー:通常の善悪は行動についての判断だが,ヒトはしばしばある種の事柄について考えること自体を避けるべきだとする.
  • それはいくつかの現れ方をする.よく見られるのがタブートレードオフだ.ある種の事柄については売買することを考えること自体を嫌がる.臓器移植,養子などだ.環境汚染も人々はしばしば「どんなコストをかけても」といいたがる.実際には最適レベルの汚染を許容するほかはないのにだ.これは人の命にかかる問題も同じだ.
  • また人種や宗教のカテゴリーに関しては行動傾向や犯罪傾向などの事前確率として使用することがタブーになっている.
  • それから一部の事柄については仮想的な思考をすることがタブーになる.「ヨセフがマリアを捨てたとしたら」などがそれにあたる.
  • なぜこれらがタブーになるのだろうか.それはヒトは他人をどんな行動をするかではなく,どんな人間かに基づいて判断するからだろう.タブーに従うことはある種の社会的関係についての1種のコミットメントになっているのだ.

 

  • (3)道徳:道徳は合理的に擁護できるか.まずヒュームは「すべき」と「である」は別だとした.それは自然主義的誤謬,道徳主義的誤謬として知られる.
  • では道徳は単なる好み,あるいは文化的慣習なのか.おそらくそうではない.ではどのように正当化できるか.
  • よくある議論は宗教からというものだが,これにはプラトンが反論している.何かが神によって善悪が決められているとして,神に理由はあるのか.なければそんなものに従う必要はないし,あるのなら神とは無関係にその理由に従えばいい.
  • では道徳の合理性ベースは何か.それは個人的利益と視点の交換可能性だ.これを認めれば私の利益と同じようにあなたの利益も尊重すべきことになる.これは何度も独立に発見されている.黄金律,永遠の視点(スピノザ),定言命令(カント),無知のベール(ロールズ),功利主義,モラルサークルの拡大(シンガー)などだ.

 

  • 最後に1つ.理性は再帰的だ.チョムスキーはこういっている.再帰は言語の無限の力の基礎だ.そしてそれは思考にとってもそうだ.一歩下がって自分の考えをチェックするには再帰が必要になる.自分の考えが誤っていることを知るには理性が必要なのだ.

 
最後のリマークはちょっと面白い.チョムスキーとピンカーは言語の唯一の独自性がマージであるかどうかで意見を異にしているが,言語そして思考にとって本質的に再帰性が重要だという点においては異論はないのだろう.

第3回以降は合理性の記述モデルになる.

*1:なおドーキンスについては(おそらくCOVID19の影響で)ゲストレクチャーは実現しなかった

*2:英語でReasonとあるところは日本語ではいろいろな訳語があってなかなか難しい.ここでは適当に理性としたり合理性としたりしている

*3:ここでこの英語の慣用表現についての蘊蓄が語られていて楽しい