ピンカーのハーバード講義「合理性」 その2

スティーヴン・ピンカーの合理性講義.イントロダクションが終わって第3回からは合理性の記述モデルになる.
 

第3回「論理と論理的思考」

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ここから6回にわたって合理性の規範的な記述が扱われる.今回は「演繹的推論」.講義開始前の音楽はアレサ・フランクリンの「Think」

  • 合理性の規範的なモデルには3つあり,演繹的推論,帰納的推論,実践的推論になる.
  • 演繹的推論の例は3段論法だ,「ソクラテスは人間だ.すべての人間はいつか死ぬ.だからソクラテスはいつか死ぬ.」これは一般から特殊へ,確実,真偽の2値という特徴がある.
  • 帰納的推論は「ソクラテスとプラトンとアリストテレスは人間だ.ソクラテスはいつか死ぬ.プラトンもいつか死ぬ.アリストテレスもいつか死ぬ.だから人間は皆いつか死ぬだろう」というものだ.特殊から一般へ,確率的,信頼度が連続的という特徴がある.
  • 実践的推論は意思決定理論とも呼ばれる.不確実性がある中でどのように目的を追求するかを考える.どの選択が期待効用を最大化するのかを考えるのが基本になる.
  • それぞれの規範的なモデルは,演繹的推論がフォーマルな論理(形式論理),帰納的推論が確率統計,実践的推論が合理的選択理論になる.

 

演繹的推論の規範モデル
  • 形式論理はある命題が真理かどうかをその他の命題の(内容ではなく)形式に基づいて推論するものだ.
  • (例1)誰かが35歳でアメリカ生まれなら,大統領かもしれない.ピートは35歳以上でアメリカ生まれだ.だからピートは大統領かもしれない.
  • (例2)もし足の不自由な子犬に縄跳びの縄を与え,そしてその子犬が葉巻を吸わないなら,子犬は「ありがとう」といわないだろう.あなたは子犬に縄跳びの縄を与えて,子犬は葉巻を吸わない.だから子犬は「ありがとう」とはいわないだろう.(ルイス・キャロルによる例)
  • 論理はフォーマル化できる.命題はp, q などの記号で表され,真か偽かの値をとる.そしてロジカルコネクターとしてand, or, not, if-thenがある.これは真理表を用いて表すことができる.(具体的にハーバードを舞台にした恋愛映画「ある愛の詩」の台詞「ハーバードに入学しているなら,君は金持ちが頭が良いかどちらかだね」を用いて説明がある.)

 

  • 形式論理はvalidな推論のルールを与えてくれる.:(例)p, p→q, q(modus ponens),¬q, p→q, ¬p(modus tollens),・・・・・

 

  • validな推論はsoundな推論と異なる.
  • validな推論とは前提が真かどうかを問題にせず,結論が成り立つかを考える:「ヒラリーが2016の選挙で勝てばケインが副大統領だになる.ヒラリーが2016の選挙で勝った.ケインは副大統領だ.」これは前提の1つが間違っているので結論が正しくないが,形式的にはvalidな推論になっている.
  • これに対してsoundな議論は真である前提から真である結論を求めるものだ.
  • validだがsoundではない推論からはよくある誤謬が生みだされる.
  • (例1)もし私たちが政府官僚機構の無駄と虚偽を一掃できれば,より低い税率,より高い公共サービス,そして財政均衡を達成できる.(Big ‘if’)
  • (例2)If wishes were horses, beggars might ride. (「願っただけで望みが叶うならどこにも貧乏人なんていないよ」という意味の英語の慣用句)
  • (例3)As di bubbe volt gehat beytsim volt zi gevain mayn zaidah. (「祖母にボールがあれば,彼女は祖父だ」というイデッシュ語の冗談)

 

  • もちろんinvalidな推論に基づく誤謬もある.:(例)q, p→q, p(後件肯定),¬p, p→q, ¬q(前件否定)
  • 後件肯定の例としては4枚カード問題に関する間違いがある.
  • 後件肯定の誤謬は実際によく観察される:「ヘロイン中毒者はマリファナから始める.だからマリファナをやるといずれヘロイン中毒になるぞ」「社会主義者は民主党を支持する.だから彼が民主党支持者なら社会主義者に違いない」
  • これはしばしばジョークのタネにもなる:診察室で「先生,私肝臓病だと思うんですけど」「しかし肝臓病は最初は無症状だからね」「でしょ,それこそ私の状態です」,タイムズスクエアで象の忌避剤を売っている男に「この辺のどこにも象なんかいないのにこんなものいるわけがない」「象いないでしょ,こいつは効くんです」

 

  • 合理性を改善するためには,議論をフォーマルな論理の形に再構築することが役に立つ.
  • すべての前提を書き出す,そしてそれが真かどうかを吟味する.
  • すべての論理包含(if then)を書き出す,そしてそれが妥当かどうかを吟味する.
  • 推論を進めるための前提や論理包含が欠けていないかをチェックする.(省略三段論法 enthymeme)
  • そしてそこにある前提と論理包含から結論が支持できるかどうかを決定する.
  • 練習問題として「ユニバーサルインカムを支持すべきだ」についての議論を吟味してみよう. (「賢人達は12年でアメリカの労働者の1/3は自動化により職を奪われると予測している.現在の政策はこれに対処できない.アメリカ人たちが収入の道を閉ざされると将来は暗い.付加価値税による月1000ドルのベーシックインカムはすべてのアメリカ人が自動化から利益を得られることを保障する.ベーシックインカムは職を探し,起業し,復学し,家族を支えることを可能にする.」について「賢人の予測が正しいとは限らない」「職を失うからといって収入が閉ざされるとは限らない」「ベーシックインカム以外のより良い政策があるかもしれない」などの突っ込みどころがあることが示される)

 

  • この形式論理はブール代数の形で表現できる.
  • 真→1,偽→0と置き,and, or, not, if-thenを四則計算の形にできる.(具体的に説明がある)
  • これにより論理はコンピュータに実装できる.

 

ライプニッツの夢
  • ライプニッツはこのフォーマルな論理を使えば論争はすべて計算で解決できるはずだと考えた(ライプニッツの夢)しかしそれは結局実現しなかった.なぜライプニッツの夢は実現しないのか.
  • (1)論理と実践の違い
  • 論理は用語の定義から演繹的に推論できる問題をあつかう:(すべての独身男は結婚していない).これに対して実践は用語の定義と演繹だけでなく外界の観察に基づく問題を扱う.:(すべての白鳥は白い)
  • これはアイデア間の関係性と事実の違い,分析と統合の違いでもある .
  • そしてこれは科学革命とラディカル合理主義の失敗とも関連する.
  • これをよく示す逸話をフランシス・ベーコンが書き残している.(ベーコンによる「15世紀に『馬には何本の歯があるか』という問題について人々は文献をあたるだけあたって2週間の論争をしたが決着がつかなかった,そして彼等は『馬の口を開けて観察しよう』と提案した人を悪魔の使いとして口汚くののしった」という(おそらく架空の)逸話を紹介している)

 

  • (2)生態的合理性とフォーマルな論理の違い.
  • 何故ヒトはうまく論理を使いこなせないのか.4枚カード問題を多くの人が間違うのは何故か.
  • (例)「ここに考古学者と生物学者とチェスプレーヤーがいる.考古学者の誰1人として生物学者ではない.すべての生物学者はチェスプレーヤーだ.ここからわかることは何か.」多くの人は「考古学者は誰1人チェスプレーヤーではない」と答えるがこれは間違いだ.正解は「少なくとも考古学者でないチェスプレーヤーが存在する」だ.
  • 何故これが難しいのか.

 

  • (a)まず使われる用語の意味が異なる.and や or も日常的には異なる意味で使われる.(例:They got married and had a baby. (順序の意味が加わる)The American flag is red, white, and blue. (3色すべてあることが必要)Your money or your life.(両方という意味がない) Boys will be boys. (最初のboysと2番目のboysでは意味が異なる))

 

  • (b)日常では形式ではなく内容が重視される.
  • 4枚カードと同じ論理形式の問題であっても内容によって誤謬しやすさは異なる .コスミデスは社会契約の形で提示するとヒトはうまく論理を使えることを示した.(コンテント効果:「20年以上務めると退職金がもらえる」;これを4枚カード形式にすると誤謬が減る.さらに従業員の視点に立つ場合(20年働いたのにもらえないのはおかしい)と経営者の視点に立つ場合(15年しか働いてないやつに払うのはおかしい)で誤謬しやすい形式が異なってくる)
  • これは生態的合理性(これまでに得た知識をすべて使う,個人の目的達成をめざす)と形式論理合理性(自分が知っていることはとりあえず置き,提示されている前提だけを考える.コンテントの違いを超えて推論の一般的ルールに従う.抽象的真理をめざす)の違いになる.
  • ピアジェは抽象的形式論理は認知の発達の最終段階で現れると指摘した.「すべてのものがプラスチックでできている世界を想像しよう.そこではオーブンはプラスチックからできているか」という問いに対して,この最終段階(7~11歳ぐらいから)に達していない子どもは「違うよ,だって溶けちゃうもん」と答える.これは生態的には合理的だが抽象論理としては間違っている.
  • 形式論理は西洋文明の教育の成果であり,そのような教育を受けていない人には仮定の上の論理的な問答が困難だ(ナイジェリアのカペレ族,20世紀初頭のロシアの農民での実例が解説される).これはIQのフリン効果を説明する.

 

  • (c)論理で用いる古典的概念(必要十分条件で定義されるもの,独身男は結婚していない男,偶数は2で割りきれる整数など)とヒトが通常用いるファミリー類似概念(ウィトゲンシュタインの「ゲーム」の例が説明される)が異なる.
  • ほとんどのヒトが用いる概念は必要条件と十分条件で定義されるようなものではなく,境界はファジーでプロトタイプを持つようなものになる.これはファジー論理に関連する.ファジー論理では真偽は2値ではなく,連続値をとる.
  • 「独身男」は「結婚していない男」として古典的概念定義ができそうだが,「ある女性と数年間同棲し,子どももいて幸せに暮らしているが,正式の結婚はしていない」とか「グリーンカード取得のために会ったこともない女性と書類上結婚した男」とか典型的な独身男と結婚している男の二分法には収まらないように感じられる事例は多い.
  • 多くの論争はこの両概念の混同による.
  • 「ピザはベジタブルか?(オバマ政権が学校給食にはベジタブルが含まれなければならないと規制した.冷凍ピザ業界がこれを逃れて学校給食に参入するために共和党にロビイングを仕掛けていることが背景)」「SUVはcarかtruckか?(truckの方が燃費規制が緩いために多くの自動車会社がSUVをtruckとして登録していることが背景)」「ビルとモニカは”セックス”したのか(クリントン大統領がルインスキー嬢とセックスはしていないと証言していることが背景)」「受精卵は”人”か」
  • 典型的な誤謬もこれに関連する.
  • 例:白か黒か二律背反誤謬(生命はいつ始まるのか.トランスジェンダー女性は女性か),滑りやすい坂誤謬(中絶を認めれば嬰児殺しもいつか合法になる),ヒープ誤謬(砂の山から1粒取りのぞいてもまだ砂の山だ・・・・)など
  • ヒトの思考は古典的カテゴリーとファミリー類似カテゴリーを行ったり来たりする.それはカテゴリーの中でレイティングするところに現れる.(例)にんじんはパセリより良い「野菜」カテゴリーの要素だ.7は447より良い奇数だ,など

 

  • ヒトはそもそも何故物事をカテゴリーに分けるのか.
  • メモリースペースの節約? ソートしてボックスに押し込む執着? しかしそういうことではなさそうだ.
  • それは既に見えている特徴から,見えていない特徴を推測するためだと思われる.(吠えていれば,それはイヌで,棒きれを追い,おしっこをするとき脚を上げるだろう)

 

  • では何故古典的概念がそもそもあるのか.
  • まず二律背反的な事柄も存在することがある.「妊娠」などがその例だ(しかし「結婚」は違う,これは社会的状態や法的状態が複雑に絡む).量子,電荷,染色体などもそうだ.法律やルールの適用においては二律背反的な要素が多くこれは重要になる.
  • 次に類似性を克服することが可能になるということがある.クジラは哺乳類であり,魚に似ていても魚ではない.また古典的カテゴリーと論理により連鎖式のような反直感的な推論が可能になる.
  • 偏見を克服するにも有用だ.「すべてのヒトは等しく作られている」これはクローンだということではなく,人間に対してはファミリー類似カテゴリー要素のようにレイティングするのではなく,平等に扱わなければならないということを言っている.
  • バイアスや誤謬から逃れられること,そしてシステム2の利用という理由もある.

 
最後の概念の性質のところは以前これについてのピンカーの自撰論文集で長大な論文「The Nature of Human Concepts: Evidence from an Unusual Source」を読んだところだったので興味深かった. 私の当該エントリーはhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20170306/1488797325

 
 

第4回 「確率とランダム性」

第4回は合理性の規範的モデルの2つ目の講義になる.確率的事象についての合理性の規範モデルがテーマだ.講義開始前の音楽はローリング・ストーンズの「Tumbling Dice」.
 

ランダム性
  • まずランダム性とは何か.それには2つある.
  • 1つ目は出力されたもののランダム性(情報をそれ以上圧縮できないことがランダムの定義になる).
  • もう1つはソースとしてのランダム性.これには真のランダムである量子力学的なランダム性と決定論的システムで事実上ランダム的な出力ができるものがある.
  • 後者には(非線形で小さな条件が大きな結果を生む)カオス系のものと,多くの小さな原因が小さな効果を持って結果に影響を与えるもの(サイコロやコインなど)がある.
  • この結果のランダム性とソースのランダム性を混同することはヒトの引き起こす誤謬の原因の1つになる.
  • 真にランダムなものが必ずしもランダムに見えるとは限らないという問題があり,それが「すべての事柄は何か理由があって生じる」という信念と結びつくと,ランダムな事象について何かそれ以外の要素を直感的に見いだしてしまうという誤謬につながる.

 

確率
  • 次に確率とは何か.これはランダム性を扱う合理性ということになる.
  • これには頻度的な解釈と主観的確率という解釈がある.後者は(不正確に)ベイジアン確率とよばれることがある.

(ここで確率計算の基礎,条件付き確率,独立性などが説明される)
 

  • 確率が絡む誤謬は多い.ここでは5種類の誤謬を紹介する.
  • (1)数え上げ誤謬:確率計算の分母「現象が生じる機会の数え上げ」は結構難しい.
  • 「ジョーンズ家には子どもが2人いる,少なくとも1人は女の子だ,両方とも女の子である確率は」 これを1/2と答えてしまう人は多い.生まれ順に娘息子,息子娘,娘娘という3つの場合があるとして計算しなければならない.すると確率は1/3であることがわかる.
  • 「帽子の中にカードが3枚入っている.表裏で,赤赤,赤白,白白だ.一枚取りだしたら片面が赤だった,裏が赤である確率は?」これも1/2と答えてしまう人が多い.しかし片面が赤であるというのは1枚目の表,1枚目の裏,2枚目の表という3通りがあり,うち2通りで裏が赤になる.だから正解は2/3だ.

 

  • (2)条件付き確率の誤謬:
  • ジョーク「飛行機テロに遭わないためには自分で爆弾を持ち込むとよい.なぜなら1機の飛行機に誰かによって爆弾が持ち込まれる確率が0.0001ならそれが2人だと0.0000001まで下がるからさ」 この場合問題になるのは,自分が爆弾を持ち込んだという条件付きの確率だ.これはやはり0.0001で変わらないことになる.
  • これはOJシンプソン*1の裁判でもあった.検察がOJが妻を殴っていたことを示したとき,弁護士は「妻を殴る男が妻を殺すようになる確率」は1/2500だと弁護した. しかし本当に知るべきなのは「ある夫に殴られていた妻が殺されたときにその夫が犯人である確率」だ.これは8/9になる.

 

  • 最もよく観察される条件付き確率の誤謬はP(A|B)とP(B|A)の混同だ.AとBの全体的な確率が大きく異なるときにこれは全く異なる値になる.
  • 「スイスのスキー場で事故を起こす外国人の大半はドイツ人だ.ドイツ人に注意せよ」これはp(ドイツ人|事故)とp(事故|ドイツ人)を取り違えている.
  • 「致命的事故の1/3は家庭内で起きている.家庭は危険だ」これはp(家庭|事故)とp(事故|家庭)を取り違えている.
  • 「鑑識は被告の衣服についた血液の血液型が被害者のものと偶然一致する確率は3%ということを示した.検察官は被告が有罪である確率は97%だと主張した」これはp(一致|無罪)とp(無罪|一致)を取り違えている.
  • このカテゴリーの典型的な誤謬推論.「ある人間が法王である確率は73億分の1だ.フランシスは法王だ.フランシスが人間である確率は73億分の1だ.だから彼はまず間違いなくエイリアンだ.」「もし人類が今後も長く繁栄を続けるとすれば,これまでに生まれたヒトは過去未来を通じた全人類のごく一部になる.しかし私は今私を観察している.だから人類の絶滅はごく近い将来に起こるだろう」

 

  • (3)独立性の誤謬:ヒトはしばしば独立でないものを独立だと考えてしまう.場所,時期,言語,国などが違うときには要注意だ.
  • 「老人ホームの第1棟でビタミンを与え,第2棟でプラセボを与えた.1年後の生存率は92%と47%だった.p値は0.001より小さい.ビタミンは有効だ.」しかしこれは実は第2棟でインフルエンザの集団感染が生じた結果だった.各棟の各患者の結果は独立ではないのだ.

 

  • (4)事前(アプリオリ)か事後(ポストホック)か:事後に振り返るときには生じた機会を小さく見せることが可能になる.テキサスシャープシューター誤謬(でたらめに撃ったあとで,これを狙ったと言い張る)とも呼ばれる .「株式市場の天才詐欺(上がるあるいは下がるという予測を数多くの顧客に送り,当たった方にまた上がる下がるの予測を送りつけ,何週間か経って,すべて当たった予測を送った顧客を勧誘する)」もこれを利用したものだ.
  • これにはヒトの因果錯覚が絡む.ヒトは自分の因果仮説に合致する事象を過大評価してしまうのだ.(いくつか面白い例が紹介されている)
  • マーチン・ガードナーは人々は偶然の一致の可能性を過小評価すると指摘している.(ここもいくつかの面白い指摘が紹介されている.その1つは「リンカーンとケネディの状況の恐ろしいほどの一致」だ.)
  • これは科学者にもある.それが現在疫学,社会心理学,遺伝学で問題になっている「再現性の危機」の背景にある. データを得たあとであらゆる仮説で試す,あらゆるデータ操作を試して正当化理屈を考える,そしてpハッキングだ.これは事前登録で解決できる.もう1つは出版バイアスだ.これはネガティブ報告も受理することによって解決可能だ.

 
(5)ランダムクラスター錯覚:ヒトはランダムさを理解できず,そこにクラスターを見てしまう.

  • 「雷はランダムに落ちる.その頻度が1ヶ月に1度とする.木曜日に雷が落ちたとすると次に落ちる確率が最も高いのはいつか」多くの人はどの日でも同じだと答える.しかし正解は次の日(金曜日)だ.それ以降はそれまで雷が落ちない確率とその日に雷が落ちる確率の積になるからだ.
  • 訓練されていない人には,ランダムな現象がある程度の規則性,緩いクラスターがあるように感じられる.ギャンブラー誤謬もその1つだ.
  • この錯覚の例としては誕生日問題(何人集まればその中に同じ誕生日の人がいる確率が50%を越えるか?),ロンドン爆撃(ドイツ軍が特定目標を狙っている),星座の知覚(グールドがニュージーランドの洞窟のグローワームの光が星座のように見えないことをそれがノンランダムだからと説明した逸話が紹介されている)などがある.
  • この錯覚は「少数の法則」(の錯覚)に結びつく,小さなサンプルサイズで十分と感じてしまうのだ. トヴェルスキーとカーネマンは社会科学者もこの錯覚を持つことを指摘している.これも「再現性の危機」の原因の1つだ.

 

  • 最後のおまけ:「ホットハンド錯覚」錯覚
  • トヴェルスキーはバスケットボールのホットハンド現象はこのクラスター錯覚ではないかと考え,NBAのフリースローデータを解析,3回連続で成功した後の成功率が全体平均を上回るかどうかを調べた. 結果その差は無く,ホットハンド現象は錯覚だと結論づけた.これは広く信じられた.
  • しかしサイコロと違って選手は体調や精神状態が持続するし,記憶も持つ.各ゴールの成功率が独立でなくとも不思議はない.
  • そして最近実はこの検証方法にはポストホック錯覚が含まれていることがわかった.これは彼等が過去を振り返ってのゴールの成功失敗の連続データを使っていることによる. 過去の長い連続データから3回連続成功データをとると,例えば4回成功した場合に2通りのデータ取得を生じさせなければならないが,彼等はそうしていなかった.この効果を考えると彼等の解析方法ではすべてのゴールが独立だとしても3回連続成功した後の確率は見かけ上平均より下がるはずになる.
  • 2016年にこの効果を加味して検証が行われ,ホットハンド現象は実はあることがわかった.バスケットボール選手はゾーンに入ることがあるのだ.これは「ホットハンド錯覚」自体が錯覚だったということになる.

最後のホットハンドの話は,確率計算的にも,広く信じられた話が錯覚だったということからも非常に興味深い.ヒトは本当に確率計算が苦手なのだ.

*1:有名なアメリカンフットボールのランニングバック.どう見ても怪しい状況で妻殺しの容疑で裁判にかけられたが,無罪評決を得たことでも有名.