ピンカーのハーバード講義「合理性」 その11

ピンカーの合理性講義.第21回は応用編で医療,第22回はピンカーによる講義で道徳を扱う.この道徳の講義は次回の効果的利他主義についてゲストレクチャーの前振りを兼ねている.
 
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第21回 「医療」

 
ゲストレクチャラーはアトゥール・ガワンデ.ここからピンカーの紹介になる.なお講義前の音楽はロバート・パルマーによる「Bad Case of Loving You (Doctor, Doctor) 」
最初にピンカーによる導入がある.

  • ガワンデは医師であり,ハーバードで教鞭もとり,Amazonやバークシャーなどが出資しているスタートアップのCEOも務める.またライターとしても活躍し,何冊もの本を出している.著作の中では「The Checklist Manifesto(邦題:アナタはなぜチェックリストを使わないのか)」が有名だ.本コースとの関連としては医療における非合理性をどう解決していけば良いかを実践しているということがある.

 

 

  • 医療というのは完全な科学ではない.常に学習を重ねている.つい数十年前までは効果のない慣習や迷信も一部に残っていた.それを効果をテストして改善してきた.慣習的に行ってきたことについて合理性を使い,インセンティブ,ルール.プロシージャーをもつシステムとしてきたのだ.今日はそのあたりの話を聞かせてもらうことになっている.

 

ガワンデの講義
  • 私は物事をエンピリカルに改善したいと考えてやってきた.私に大きな影響を与えたのは2人の哲学者が書いた1976年の本*1で,そこではヒトの誤謬性について説明されていた.
  • 医療の誤謬はどこから生まれるか.1つは無知で,1つは愚かさ(ineptitude)から来る.医学はルネサンス以降数百年無知を減らすように努力してきた.そしてそれは医学的知識,公衆衛生として積み上がった.平均寿命は40代から80代に延びた.愚かさへの対処はここ100年ぐらいの取り組みになる.そして今や無知より愚かさの方が大きなインパクトを持つようになっている.
  • 愚かさの問題の根本には複雑性の問題がある.ヒトの状態が悪くなるやり方(つまり疾病)には7万種類以上あり,対処方法も4000以上,薬も6000以上ある.複雑性を扱うのは難しいのだ.
  • アメリカで最大の死の要因は(喫煙が減ったため)高血圧になっているが,1/3は適切な対処を受けていない.アメリカで手術を受けてなんらかの手違いで後遺症などの問題が起こるケースは毎年10百万件を超えている.
  • 合わせると愚かさによる影響はアメリカで死因の1/3に関与していると推計される.途上国では1/2を越えるだろう.

 

  • ではどうしたら正しい処置を行うことができるようになるのか.ステージに分けて考えよう.
  • ステージ1は教育だ.正しい考え方,正しいやり方を教える.あなたはこれをした方がいいということだ.手を洗おう,ステイホーム,マスク着用しようということだ.
  • しかし従わない人や信じない人々は残る.次のステージ2は規制になる.あなたはこうしなければならないということだ.これは効果があるが,コストの割には効果が小さい.
  • 次のステージ3がシステム化だ.正しいやり方をやりやすくするのだ.ナッジはその1つだ.しかしここで意味しているのはもっと広い.交通を考えよう.道路,カーデザイン,ルールなどが組み合わさって安全が確保されている.

 

  • 私はこのシステム化に取り組んだ.そしてまず医療の成功失敗を調べ,成功率が高い医療現場で何が生じているかを確認し,19のキープラクティスとしてまとめた.そしてそれをチェックリストの形にして8都市でテストした.結果は医療現場での誤謬が47%も減少した.驚くべき効果だ.
  • これは他の分野でも使っていくべきだ.そして私は今システムサイエンスの発展を期待している.システム化はヒトの幸福に大きな影響を与えるのだが,まだその分野への投資は小さい.

 

ピンカーとの質疑
  • ピンカー:チェックリストの効果の大きさは衝撃だ.チェックリストによりエラーを防ぐことで救える命がアメリカだけで毎年10万人単位でいるということか
  • ガワンデ:院内感染から手術ミスまで合わせ,推計では40万人程度だ.

 

  • ピンカー:それで私たちはその数字の大きさに気づいていない.メディアのカバレッジによる利用可能性バイアスということになるだろう.
  • なぜチェックリストはこんなに効果があるのかを考えてみた.1つは記憶システムの性質だ.将来何かしなければならないことを覚えておくのはプロスペクトメモリーと呼ばれるが,この想起には環境中のキューが大切であることがわかっている.適切なキューがないとものすごく大切なタスクでも思い出せない,毎年駐車場の中の車で子どもが熱中死するのはこのためだ.
  • もう1つは認知バイアスで,自分の認知バイアスを過小評価しがちで,統計的な判断が苦手ということがあるだろう.だから直観的判断を信頼しすぎるのだ.

 

  • ガワンデ:その通りだろう.そしてその他にも要因はある.それには個人に帰するものとグループに帰するものがある.個人に帰するものとして重要なのは認知的なオーバーロードで判断水準が低下するということだ,そして自信過剰からそのことを認めない.実際にチェックリストをテストすると,70~80%の医師が今後も使いたいというが,20%程度の医者はこれは無駄だといって使いたがらない.しかし,あなた自身が手術を受けるときに担当医師に使って欲しいかと聞くと95%が使って欲しいと答えるのだ.そういう医者には「あなたは不要かもしれないが,しかし同僚の医師達はどうなのか,あなたが使わない中で使ってもらえるか」と説得するようにしている

 

  • ピンカー:自己奉仕バイアスと本質的帰属誤謬だね.実際にヒトがどう振る舞うかは,その人のキャラクターよりも環境条件の方に大きく左右されることがわからないのだ.例えばキティ・ジェノヴィース事件では,暴漢に襲われている女性に対して誰も通報しなかったが,それは冷たいからではなく,誰かが通報するだろうという環境下だったからだ.
  • ガワンデ:集合的な問題ということですよね.それこそがチェックリストが有効なことを説明するグループの要因,チームのダイナミクスだ.手術の際のチェックリストの大きな目的は「このメンバーは外科医のためにここにいるのではなく患者のためにここにいる,患者に何かあるかもしれないと疑問を感じたら発言をためらってはいけない」ということを周知徹底するところにあるのだ.

 

  • ピンカー:あなたの本は2009年だが,その後のスマホの進展を見ると,単なるリストではなくアルゴリズムやアプリの形にできないかと思ってしまうが
  • ガワンデ:アプリ化はUIの作り込みなどにコストがかかってしまう.チェックリストがうまくいっているかどうかを見るには,現場の人達がリストを現場に合わせて改良しているかどうかというのが最もわかりやすい方法になる.管理側が始めると膨大なリストになりがちだがそうなると誰も使わなくなる
  • システム化はヒトの脳の限界を視野に入れて進める必要があるのだ.改善をスコア化してリストの個別項目の重要性を調べるということはやってみたことがある.先ほどステージ3がシステム化といったが,実はステージ4がある.それは自動化だ.

 

  • ピンカー:ボストングローブで抗がん剤の治療ミスで若い女性が死亡したという記事が出たことがある.大衆の関心は犯人捜しと厳罰への要求に収斂した.識者は犯人捜しよりシステムの改善が重要とはコメントしていたが
  • ガワンデ:その通りだ.あの事故はシステムが脆弱だったからだ.結局責められるようなことをしたわけでもない看護婦が職を失う結果になったが,システムの改良を考えるべきだ.社会全体としてステージを挙げる必要があるのだ.

 

  • ピンカー:現在コロナによる死者はまだ高血圧やがんに比べるとごく小さい.しかし大きな不確実性がある.いつ頃相対的な死者の大きさを比べるべき時期になるのだろうか
  • ガワンデ:相対化はまさに生じつつある.しかし今はまだ相対比較は難しい,片方は経済だが,もう片方の(コロナによる)命の数は全く不確定だからだ.この問題はまだまだわからないことが多いのだ.

 
ここからそれ以外の参加者からの質問

  • 最初の質問者:アメリカのヘルスケアは他の先進国に比べて劣っているという話があるがなぜか
  • ガワンデ:確かにコストパフォーマンスは悪い.そしてCPが悪い理由はいくつかある.まず管理コストが高いということがある.官僚制やフラグメンテーションの問題だ.2つ目に価格の高さ.そして3番目が間違った治療だ.これには不必要な治療の問題と,ミスの問題があり,しばしば両方が絡んでいる.典型的なのが背中の痛みだ.実は背中の痛みは48時間安静にすれば90%程度は良くなることがわかっているが,いろいろやってしまう.そしてしばしば手術が行われるが,調べると改善効果はない.なぜこうなるのか,1つは医者の無理解だが,もう1つはインセンティブ構造に問題があるからだ.治療費が効果に基づいて支払われない.だから医者には効果を上げるような動機がない.効果を測るのは難しい.多くの保険は雇用者と紐ついているが,転職のたびにトラックが途切れる.

  

  • 2人目の質問者:チェックリストは固定項目になる.医療現場の現場の判断との関係はどう考えれば良いのか
  • ガワンデ:それはリストの性格にもよる.手術のリストはチームが理解しておくべきことの確認が多い.実際にサンプルが少なくリストの有効性に疑問が残るような場合もある.そういうときには,暫定的なリストを渡し,現場で変えたときには報告を求めるということをしている.ある意味クラウドの智恵を使うということだ.

 

  • ピンカー:今回のコロナウイルス問題について何かコメントはあるか
  • ガワンデ:現在各国でどのシステムがワークするのかの比較実験のようになっている.まだ結果は出そろっていないが,1つわかってきたのはコマンドシステムの有効性だ.何かを迅速にやってもらうにはコマンドシステムは効率的で速い.片方で中央集権にもリスクはある.その意味でパブリックデータはとても重要だと思っている.

 
いろいろ衝撃的な話だ.「アナタはなぜチェックリストを使わないのか」は電子化を待っているうちに読みそびれてしまっているが,一度目を通しておかねばという気にさせられる.(なぜ書名が「あなた」ではなく「アナタ」になっているのは謎だ.)
ガワンデはにはこのほかにもいくつか著書があるようだ.邦訳されている者には以下がある.
 

予期せぬ瞬間

予期せぬ瞬間

 

第22回 合理性と道徳

 
第22回はピンカーによる道徳の講義.講義前の音楽はペギー・リーとベニー・グッドマンオーケストラの「Why Dont’ You Do Right」

  • 皆さんに残念なお知らせがある.今日はゲストレクチャーではなく私の講義だ.というのは,来週のレクチャーでは「効果的利他主義」を扱う.そのためのステージを設置するという意味で今日は道徳と合理性の関係を講義したい.

 

道徳と道徳感覚
  • まず道徳(Morality)と道徳感覚(Moral Sense)を区別しなければならない.これは道徳の規範的モデルと記述的モデルに該当する.
  • 道徳の規範的モデルは道徳,倫理,道徳哲学の内容であり,最上の理性で「何が善で何が悪か」を考察するものだ.
  • これに対して道徳の記述的モデルは道徳心理学,道徳感覚の内容で「何が善で何が悪かについて人々はどのように考えたり感じたりするか」を調べるものだ.そしてこれは「道徳錯覚というものはあるのか:合理的な議論で正当化できない善悪の直感が存在するのか」という疑問に関連する.

 

  • では「道徳感覚」とは何か
  • 進化は我々に「道徳感覚」をもたらしたと考えることができる.それは以下の根拠がある
  1. 社会性生物の協力の問題への解決につながる(適応を示唆)
  2. 幼児の発達のごく早期に「親切」が現れる
  3. 道徳に関連する(通文化的な)ユニバーサルな現象がある:善悪の区分,フェアネスの感覚,互いに助け合う行動傾向,権利の義務の感覚,悪は正されなければならないという信念,ある種の暴力の禁止などだ.
  4. サイコパスにおいては道徳感覚が損なわれる

 

道徳化
  • この道徳感覚は道徳化(Moralization)と関連する
  • 道徳化とは「望ましくない行為について嫌悪したりださいと感じたりすること」から「不道徳だと感じること」への心理的な転換だ.
  • これはユニバーサルであって,一旦道徳化が生じると罰が正当化され,さらに罰が必須のもの(つまり悪が罰を逃れることは許されない)となる.これについてバートランド・ラッセルは「良心から生まれる残虐性の強制はモラリストの喜びであり,だから彼等は地獄を発明したのだ」といっている.
  • 心理学者のポール・ロジンは道徳化についてこう指摘している:ベジタリアンには健康のためのベジタリアンとモラルベジタリアンがいる.モラルベジタリアンは,より「ベジタリアンであるべき理由」を多く挙げ,より大きな感情的リアクションを見せ,「他の人もベジタリアンであるべきだ」と考え,ほかの道徳的評価をベジタリアン主義と結びつけ(肉食者はより攻撃的だなど),肉を汚染物質であるように扱う(スープに肉汁が一滴入ったときに健康のためのベジタリアンは気にしないが,モラルベジタリアンはそれを嫌悪する).

 

  • 道徳化は政治や文化にも大きな影響を与える.
  • ある文化の中で同じ特定の行動がモラル化されたものと非モラル的なものの間でスイッチする.
  • 1960年代以降アメリカ文化で非モラル化したものには,離婚,非嫡出子を生むこと,働く母,マリファナ,マスターベーション,ホモセクシュアルセックス,オーラルセックス,無神論,薬物中毒,ホームレスであることなどがある.
  • 逆にモラル化したものには,子どもへの広告,大規模小売チェーン,女性のヌード写真,人種ジョーク,喫煙,テレビにおける暴力,二酸化炭素排出などがある.また左派と右派で論争になっているものも多い.

 

  • ハイトは道徳化について感情的反応だと論じた.よく練られた兄弟姉妹間の性交シナリオ(合意済みで一度限りで避妊している)についてどう思うかを聞かれると,ほとんどの人はそれらしい理由を挙げてこれは非道徳的だと答えるが,その理由がこのシナリオでは成り立たないことを示されると「理由は説明できないがそれはモラル的に許されない」という反応を見せる(「モラルダムファウディング現象).
  • これはその回答者自身のインセストへの嫌悪感が元になっている.そしてリーバマンとコスミデスとトゥービィは,異性の兄弟を持っている人の方がこの嫌悪感が強いこと(適応を示唆している)ことを見つけている.
  • このほかのモラルダムファウンディングには「不要になったアメリカ国旗を切り刻んで雑巾にする」「交通事故に遭った愛犬の肉を焼いて食べる」「スーパーで丸ごと1羽のチキンを買い,それでマスターベーションをしたあとで料理して食べる」などがある.

 

道徳感情
  • ではこのモラル感情とは何か
  • ハイトはこの基礎のうちの2つは「フェアネス」と「加害vsケア」だとした.
  • ここには繰り返し囚人ジレンマの解決となるべき互恵的利他へ向かう要素がインプリメントされている:同情(相手を助ける),感謝(利他者への褒賞),軽蔑・怒り・モラル的嫌悪(チーターへの罰),罪・恥(チートを避け,チートしてしまったときの関係修復を図る)

 

  • そしてハイトはそれ以外にも別の進化的起源を持つモラルの基礎があることを発見した.
  • 「コミュニティ」:グループへの忠誠,社会規範への服従(トイレを使ったら流す,移民やボヘミアンに対する敵対反応など)
  • 「権威」:既往の秩序への尊敬.(王族,貴族,金持ち,有名人への崇拝,ムハンマドの描いた漫画への敵意など)
  • 「純粋」:神聖vs汚染の軸.(嫌悪のモラル化,合意のあるインセストへの軽蔑,モラルベジタリアン,宗教的シンボリズムなど)

 

 

  • モラルの基礎は,文化(あるいはサブカルチャー)により異なってくることがある.
  • 西洋リベラルのメインストリームは,フェアネスと加害vsケアの軸のみをモラルの正統的基礎とする.しかしアメリカの保守や伝統社会はよりコミュニティ,権威,純粋の軸を重視する.アメリカではこれらの軸の重視度合いと政治的な立場はきれいに相関している.
  • では保守の方が(軸をたくさん持つから)より道徳的なのか?
  • とは限らない.モラル感覚をより使えば(規範的に)よりモラル的とはなるわけではない.
  • 政治的部族主義はモラル的イデオロギー的なコミットメントを掘り崩す.最近のアメリカ政治では,このようなことがロシアに対する態度,COVID19に対する政策の是非においてみられた.

 

道徳錯覚(Moral Illusions)
  • 道徳化された感情(嫌悪,不快)が(理性的に分析すると)道徳的に問題ない行動に向けられることがある.
  • 多くの例が生命倫理において現れる.
  • クローニング:多くの人がクローニングに嫌悪を感じ許されないとするが,合理的に説明できるわけではない.臓器ドナーへの金銭的な支払いも同じだ.
  • その他のかつてあった生命倫理的タブーには試験管ベイビー,人工授精,臓器移植,輸血,ワクチン,麻酔(!)があった.
  • 同性愛,人種間結婚もかつては非道徳的と考えられていた.
  • つまり合理的に考えて正しいと思われる道徳的な意見を持つためには,我々は時に自分の道徳感情を割り引く必要があるということだ.これは効果的利他主義にも関連する.

 

道徳的リアリズム
  • では道徳というのはフィクションなのか
  • 道徳的ニヒリズムは「道徳というのは進化が協力を可能にするために作った方策に過ぎない」と考える.
  • しかし必ずしもその考え方に従わなければならないわけではない.
  • 論理学や数学や幾何学という体系は客観的な規範的モデルを作ることが可能であることを示唆している.
  • つまり理論的には(ヒトに進化産物としての奇妙な癖と錯覚を伴う道徳感覚があるのだとしても)客観的な道徳の規範的モデルを構築することが可能なのだ.これが道徳的リアリズムの立場だ.これは数学的リアリズム(数学は客観的な真実の体系として存在し,数学者はそれを発見しているのだ)の立場に似ている.

 

  • では規範的道徳が道徳心理学から独立して存在するのだとすれば,それはどこから来るのか
  • 1つの考え方は「宗教」というものだ.グールドは「Rocks of Ages(邦題:神と科学は共存できるか?)」という本でNOMA(重ならない領域)という議論を行い,科学は事実の領域を,宗教はモラルと意味の領域を扱うのだとした.
  • しかしこの議論は成り立たない.何故道徳が宗教からは得られないのかについてはプラトンが「エウテュプロン」において説明している.「もし道徳が神から来るとするなら,何故神はある道徳原理を取り上げ,別の原理を否定するのかが問われなければならない.もし神に何の理由もない(単に恣意的に選んでいる)のなら,それに従う理由はない(自分の子どもを殺せと命じられたら従うのか?).もし神に理由があるのなら,最初からその理由を直接使えばいいだけだ」

 

 

  • では道徳の合理的な基礎は何か
  • 私はそれは「視点の交換性」だと考える.(「カルビンとホッブズ」の漫画が紹介されている)
  • 自分の利益があなたの利益より優越する理由は,それが自分の利益だというだけでは成り立たないということだ.「自分の利益の大切さと視点の交換性」が道徳の合理的な正当化の基礎になる.
  • そして実際に子どもに道徳を教えるときに,我々はこの原則を使っている.「そんなこと自分がされたらどう思うの?」
  • この原則は世界の道徳システムのコアでもある.黄金律(多くの宗教),永遠の視点(スピノザ),どこからでもない視点(ネーゲル),無知のベール(ロールズ),定言命法(カント),最大多数の最大幸福(功利主義)

 

道徳の公平性についての2つの立場:帰結主義と義務論
  • この問題は多くの道徳哲学のコースで最初に扱われる帰結主義と義務論の対立に関連している.

 

  • 帰結主義とは「ある行為の道徳性はその帰結によって決まる」とする立場だ.
  • 道徳の帰結主義はしばしば功利主義をとる.これは結果を効用により評価するということだ.この効用は「幸福」に近く,他人の幸福への関心も含みうるものだ.そしてしばしば「最大多数の最大幸福」と簡潔化される.

 

  • 義務論とは「ある行為の道徳性はその行為の本質的な性格により決まる」とする立場だ.
  • 宗教的な戒律はこの表現形式になる.
  • カントの定言命法もこれだ:「あなたの意志の格率が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ」「あなたおよびほかのあらゆる人格における人間性を,単に手段として扱うことなく,常に目的としても扱うように行為せよ」

 

実践理性批判1 (光文社古典新訳文庫)

実践理性批判1 (光文社古典新訳文庫)

  • 作者:カント
  • 発売日: 2015/06/26
  • メディア: Kindle版
 

  • 功利主義には知的な魅力がある.
  • それは単純で,中立的で,不可知論的で,正当化が容易だ.「害がなければ良い」「それで幸せになるのなら,悪いはずはない」「大人が同意の下に私的に行動していることは他者の関心事ではあり得ない」
  • そしてそれは宗教的,伝統的,直感的な禁止を越えて道徳を進歩させてきた.
  • その例の1つは残酷な刑罰の禁止だ.ベッカリアは「残虐な刑罰を繰り返すと人の心は麻痺していき,その抑止力は投獄以上にはならなくなる.刑罰が正当化されるにはその抑止メリットが加害を上回ることが必要だ」と合理的に議論した.ここに嫌悪感が理由とされていないことは重要だ.
  • 動物の権利もそうだ.ベンサムは「問題は彼等が論理的か,しゃべれるかではない,彼等は苦しむかどうかなのだ」と論じた.
  • 同性愛の権利も同じだ.同じくベンサムは「それは誰にもどんな苦しみも与えない.それどころかパートナー達は自分たちの意思に従って行動し幸せになっている.同意があるもの同士の行動により誰にもどんな痛みも与えていないのだ」と擁護している.
  • 宗教的迫害について,ジェファーソンはこう言っている.「正統的な政府が刑罰を行使するのは他者への加害的行為についてのみだ.しかし『神は20人いる』とか『神はいない』と言う行為は,私や私の周りに人に何の害も与えない.それは私に財産的な被害も身体的な被害も与えないのだ」
  • 女性の権利,普通教育,労働者の権利,環境保護も同じように功利主義の議論から進んだのだ.

 

  • ではヒトは直観的には功利主義者なのか,義務論者なのか
  • フィリッパ・フットは「トローリー問題」を発案した.(内容の説明がある) このポイント切替バージョンではほとんどの人は1人を犠牲にして5人を救おうとするが,太った男突き落としバージョンでは多くの人が突き落としをためらう.
  • 功利主義ならこの2つのバージョンに違いはないが,義務論では違う.そして心理学的にはこの2つの行為は異なる.何の罪も無い人を物理的に加害することには強い忌避感情があるのだ.
  • これは功利主義が合理的で,義務論が感情的だということを意味するのか.
  • ジョシュア・グリーンはトローリー問題,(ゲシュタポの探索下で隠れているユダヤ人集団の中の)泣き叫ぶ赤ちゃん問題の被験者を脳スキャンにかけた.人々が義務論的判断(太った男を突き落とさない,赤ちゃんを窒息させない)をするときには脳の感情を扱う回路の部位が活性化し,功利主義的判断をするときには論理的な思考を扱う回路の部位が活性化した.(部位の詳細の説明がある)
  • また感情的な反応を抑えたり,認知的な熟考を行うように教示されるとより功利主義的な判断になりやすいことも明らかになった.これは脳の感情回路部位の損傷患者,良いムードの被験者,直感を信じないように教示された被験者,自分で自分は衝動的ではなく合理的だと説明する被験者,認知内省テストの高得点被験者で生じた.
  • 逆に負の感情を強化されたり,熟考的な思考を抑止されるとより義務論的な判断になりやすい.自分は衝動的だと考える被験者,時間制限がきつい場合,認知負荷をかけられた被験者はそうなる.
  • また医者は義務論的で,公衆衛生担当者は功利主義的であることもわかった.

 

 

功利主義の是非
  • では功利主義こそが合理的な道徳へのアプローチなのだろうか.義務論の時代は終わったのか? グリーンはカント自身が自らの感情の犠牲者だとほのめかしている.我々は皆功利主義者になるべきなのか.

 

  • 話はそう単純ではない.道徳哲学のコースの最初で示されるように功利主義には様々な思考実験的な批判がある.
  • その1つは功利主義では暴動を防ぐために無実の人をスケープゴートに仕立てることも(それで多くの人を救えるなら)善になるというものだ.同じような有名な例は「1人を殺して5人の臓器移植を行う」問題にもある.
  • 効用モンスターという問題もある.同じリソースで他人より非常に多く幸福を感じる人がいればその人の効用は他の人たちの効用より大きいと評価すべきなのだろうか.
  • 最近のデレク・パーフィットによる批判としては,どんな幸せな人々の集団も,それが有限で有る限り,生きるか死ぬかみたいな悲惨な生活を行っている何千倍もの人々の集団より効用が低いことになるというものがある.似た例には「幸福なウサギ小屋」批判(安価に多数の幸福なウサギが飼えるなら,我々はすべての予算をウサギ小屋建設に振り向けるべきか)がある.
  • また最大多数の最大幸福は,ひたすら人口爆発させることが善になるということになるという批判もある.

 

  • これらの批判に対しては反論できる部分もある.
  • 「最大幸福」というのは平均を最大化させることに限る必要はないという反論はあり得る.最大苦しみをミニマイズさせるという基準もあり得るだろう.
  • 行為功利主義に対して規則功利主義という考え方もできる.例えば臓器移植問題では,「誰か1人を殺せ」という代わりに,「医者により多くの人を救えるという判断があれば入院患者を安楽死させる権限を与える,そして入院患者には,より多くの人が救える場合には自分が安楽死させられる可能性があることを告知しておく」という規則を導入するという解決になる.
  • 別の反論は,このような思考実験は行為者がすべての情報を知っているという馬鹿げた前提をおいているというものだ.現実では知識は限定されている.そのなかではある程度危険な行為を避けるためにしてはいけないことの範囲を定めておくことは合理的だ.つまりヒトの認知の限界を考慮すれば功利主義的にもある種の義務論的な規則が是認できることになる.

 

  • そして義務論にも様々な思考実験的批判を行うことが可能だ.
  • ゲシュタポにユダヤ人の存在について嘘をついてはいけないのか.
  • カントはマスターベーションについて「自らの身体を手段として用いるから許されない」と主張した.そうなのか
  • かつては義務論的な理由により輸血や臓器移植,同性愛や人種間結婚が禁止されていた.これらは是認できるのか

 

  • もしかしたら,規則功利主義と義務論倫理はそれほど違わないのかもしれない.

 

  • 同じような議論は道徳哲学の第3の道であるアリストテレスに始まる徳倫理学にも当てはまる
  • 徳倫理学によれば,善の定義は様々な徳の例示として表現できる.それらには勇気,寛容,権威,プライド,名誉,友情,真実,機知,正義などがある.
  • そしてこのような徳倫理も功利主義的に正当化可能だ.
  • 不完全で誤謬に弱い人間がこのような徳を身につけるように務めるなら,(意識的に最大多数の最大幸福を計算して行動するよりも)皆がうまくやることができる

 

効果的利他主義;それは功利主義の次のフェイズ(そして進歩)なのか
  • ここで次回講義のテーマにつながる話をしよう.

 

  • ピーター・シンガーは「拡大するサークル」という本で,互いに利他主義的に振る舞うグループの拡大を論じた.それを広げると動物の権利にもつながる.そして近時「効果的利他主義」を唱えている.

 

The Expanding Circle: Ethics and Sociobiology

The Expanding Circle: Ethics and Sociobiology

  • 作者:Singer, Peter
  • 発売日: 1983/10/01
  • メディア: ペーパーバック
 

  • 彼は「富裕層やミドルクラスの人々は所得や富の大半をチャリティにつぎ込むべきだ」と主張する.彼は「浅い沼」思考実験(浅い沼で子どもが溺れているときに「靴がぬれるから」と言って子どもを助けることをためらう人はいないだろう)を示し,チャリティはそれと同じ構造を持っていることを指摘する.そしてモラルは距離や知り合いかどうかに依存するはずがなく,期待効用の逓減性から,金持ちは所得の大半を貧しい人に移転すべきだと主張する.
  • 彼はさらに自分の子だからと言って特別扱いすべきではない(血縁淘汰の結果はモラル的には是認されない)とも主張している.
  • そして効用については単位金額あたりの質調整済み余命増加量のみで考えるべきだとする.
  • すると最も効果的なチャリティは貧困国の公衆衛生への支出になる.
  • すべてを合わせると.人はそれを最大に追求できるキャリアを選ぶべきで,稼ぐ能力のある者はできるだけ稼いで,その大半を最も効果的なチャリティに寄付すべきだと主張する.彼は(そのようなチャリティを行うなら)ヘッジファンドマネージャーはホームレスにスープを配るボランティアよりもはるかに道徳的だと指摘する.
  • そして彼は動物の苦しみも最小化させるべきだとする.特に農場の動物はそうであり,野生動物もおそらく同じだ.そしてどの動物に支出するかの基準はその動物の意識の程度にのみよるべきだと主張する.
  • また彼は将来世代の幸福を優先させるべきだとも主張している.まだ生まれていない世代の人数は圧倒的に多いからだ.するとそれは(かなり可能性があって,破局的な気候変動よりも)たとえ可能性がどんなに低くても人類存続のリスク(核戦争など)への対処を優先すべきだということになる(シンガーは例えばペーパークリップの生産の最大化させるAIが暴走して人類を滅ぼすリスクにも備えるべきだとしている).

 

  • これは随分奇矯な主張に聞こえるだろう.
  • 多分実際に奇矯なのだろう.しかしヒトの道徳直感は明らかに非モラルでありうるということかもしれない.
  • そしてそれこそこの講義のポイントだ,我々は自分の道徳的直感を信じすぎてはいけないのだ.一見いかに奇矯に見えても合理的に導かれた結論を無視すべきではないのだ.

 

  • では我々は皆効果的利他主義者になるべきか
  • そうかもしれない.しかし個別の議論はしっかり評価していかなくてはならない.特に将来の予測を含む完璧な知識が前提である議論には吟味が必要だ.効果的利他主義によるいくつかの結論は,普通の人の徳や欲求を吹き飛ばし,非人間的な無関心を要求し,現実のニーズよりも極端に仮想的な課題を優先するからだ.
  • そしてこのような効果的チャリティ戦略は,伝統的な経済成長戦略よりははるかに非効率的であるかもしれないことも忘れてはならないだろう.

 
さすがにピンカーの講義は道徳の様々な側面を手際よく簡潔にまとめていて素晴らしい.私的には義務論や徳倫理学の功利主義的擁護可能性,最後のシンガーのエキストリーム道徳についてのコメントが印象的だった.
シンガーの議論に対してはグリーンの実効的功利主義が答えになるのではないだろうか.「できるだけ稼いで,自分は最低限の生活をして所得の大半を途上国の慈善に寄付せよ」という行動を(進化心理を前提にすると)皆が喜んでやるはずはない(そもそもシンガー自身どこまで実践しているのだろうか).そこには様々な偽善とチートが生じて社会全体の効率が下がるだろう.人間の本性を前提にした上で実践的効率も考えた功利主義の方がうまくいくのではないだろうか.

*1:書名も紹介しているようだが,聞き取れなかった