From Darwin to Derrida その8

 
ドーキンスの「延長された表現型」を読み,確信的な遺伝子淘汰主義者になった顛末を語ったヘイグは,遺伝子淘汰主義から見える世界を語り始める.ゲノム内に異なる利害を持つ遺伝子がある場合(ゲノミックコンフリクトがある場合)には遺伝子こそが進化ゲームをプレイするストラテジストとしてみるべきことになる.
 

ストラテジストとしての遺伝子

 

  • 遺伝子は触媒だ.それは化学反応を引き起こすが,それ自身は消費されない.そして引き起こす化学反応がその複製効率に影響を与える.このような効果は進化ゲームにおける遺伝子の戦略になぞらえることができる.いつどこでどれぐらい発現させるかは戦略の一部であり,遺伝子の配列の変化によりその詳細が変わってくる.
  • メイナード=スミスに始まる進化ゲーム理論は通常(遺伝子ではなく)生物個体にペイオフを割り当てる.このやり方が成り立つのは,ほとんどの場合遺伝子の複製成功はその個体の繁殖成功によるからだ.

Evolution and the Theory of Games

Evolution and the Theory of Games

進化とゲーム理論―闘争の論理

進化とゲーム理論―闘争の論理

  • しかし個体の行動が血縁者の繁殖成功に影響を与える場合,そして個体のゲノム内にコンフリクトがある場合には,上記のやり方はうまくいかなくなる.血縁個体との相互作用の影響はハミルトンが包括適応度という概念を創り出して解決した.しかしゲノム内コンフクトはより扱いが難しい.なぜなら(ゲノム内の)遺伝子ごとに適応度が異なる場合,個体適応度や包括適応度では扱えなくなるからだ.ここで遺伝子をストラテジストと扱うとこの問題をうまく取り扱うことができる
  • なぜ集団遺伝学的な取り扱いをせずに,(いかにも擬人主義的に)遺伝子をストラテジストとして扱うという手法をとるのか.私がそうするのは実践的な理由からだ.分子生物学は,遺伝子が(古典遺伝学が扱う優性劣性遺伝子の漫画的な性質よりも)洗練されたものであること明らかにしている.ある遺伝子は,ある組織である環境下で発現し,それ以外の場所や環境下で発現しないことがある.それは複数の転写物を持つことがあり,別の遺伝子のシグナルを発現の条件にすることもある.(母方から遺伝したか父方から遺伝したかの)履歴を条件として発現するかもしれない.このような複雑性は伝統的な遺伝学的手法では扱うのが困難なのだ.
  • しかしゲーム理論は多様な遺伝子発現の戦略選択肢のパターンを扱って,どの選択肢がESSなのかを探求することができる.戦略分析の現実性はその戦略選択肢の現実性に依存する.

 
なぜ集団遺伝学的な取り扱いをしないかの説明のところは面白い.それは遺伝子淘汰主義をとり戦略を擬人的に表現するとしばしばそういう問いかけを受けたからなのだろう.
続いてヘイグは「遺伝子」の意味論に踏み込む.
 

遺伝子の種類

 

  • 「この本には何単語あるか」という質問には二通りの答え方がある.1つはワードプロセッサーが表示する総単語数だ.もう1つは重複を除いた語彙数だ.
  • 「遺伝子」にも似たような曖昧性がある.それはある配列のDNA分子を表すことがある.この場合複製されるたびに遺伝子数は増える.もう1つは抽象的な配列を指す場合だ.この場合には複製があっても遺伝子は増えない.前者の意味の「物質遺伝子」は後者の意味の「情報遺伝子」のヴィークルだと考えることができる.哲学的に言えば,物質遺伝子はトークンで,情報遺伝子はタイプだということになる.

 
このタイプとトークンの意味論は淘汰の単位論争と関わりがあるというのがヘイグの指摘になる.
 

  • 「淘汰の単位」論争は際限のないものだ.その理由の1つは「遺伝子」についての異なる意味が混同されているところにある.階層淘汰論者*1が遺伝子を最下位レベルの淘汰単位にすぎないと言うときには,それは物質遺伝子の意味に近い.これに対して遺伝子淘汰主義者が遺伝子こそが淘汰の単位だと言うときには,それは情報遺伝子の意味に近い.情報遺伝子は物質的なヴィークルとしてのいろいろな階層レベルに現れる.しかしそれ自体は階層の1つのレベルではない.このように考えると,物質遺伝子は情報遺伝子のつかの間のヴィークルに過ぎないことになる.
  • しかしながら情報遺伝子は遺伝子淘汰主義者が意味する遺伝子と正確に一致するわけではない.私は彼等の言う遺伝子を「戦略遺伝子」を呼ぶことにしたい.遺伝子淘汰主義者は進化ゲームの中のストラテジストとして遺伝子を捉えているからだ.
  • すべての遺伝的な新奇性(つまり新しい情報遺伝子)は既存の遺伝子の変異として起源し,最初は一番下のレベルのごくわずかのヴィークルしか持たない(頻度が低く,稀だ).だからその遺伝子の物質的コピー同士が相互作用するのは,同じ生物個体内か,血縁個体間に限られる.
  • もしそのような遺伝子がうまくやれば頻度を増やしていく.遺伝子頻度が増えて行くにつれてその運命はより高いレベルの淘汰に影響されるようになる.しかしそれは頻度が低いときに有利であった特徴を保つだろう.つまりその遺伝子は,(成功するためには)自分が稀であるときにも稀でないどのような頻度であるときにも有利な戦略にコミットしていなければならない.
  • 結果的に,成功する遺伝子の表現型効果は「共通祖先を持つが故に相互作用する物質遺伝子のグループ」のための適応であるように見えるだろう.1つの戦略遺伝子はこのような(相互作用する)物質的遺伝子のグループに相当し,適応的新奇性の単位だと見ることができる.
  • 単語の意味は(遺伝子と同じように)進化する.そして「遺伝子」を単一の意味でのみ捉えようとするのは無駄なことだ.正確な定義が重要でなくとも意味論的な柔軟性は有用であり得る.なぜならそれはいちいち単語の正確な定義問題に悩まされずに微妙な感覚のシフトを可能にするからだ.時に一貫性が崩れるとしてもそれは簡潔性の対価として十分に見合っている.

 
というわけで今後の本書の記述において「遺伝子」がどの意味であるかはいちいち明示されないことが予告される.読者は文脈に応じて意味をとっていくことになる.

*1:マルチレベル淘汰論者と呼ばないところにヘイグの彼等に対するいろいろな思いがあるのだろう.