From Darwin to Derrida その23

「遺伝子ミーム」その5

 
ヘイグは遺伝子ミームの使われ方の多様性を指摘し,ドーキンスの遺伝子淘汰主義の「遺伝子」は複製効率を左右する相互作用の範囲で広がりを持つ戦略遺伝子だとした.では「ミーム」はどうなのかが次に扱われる.
  

  • ドーキンスは文化進化においてミームは生物進化における遺伝子と同じ役目を持つと言っている.もしそうならミームは自分自身の複製を促進させるような特徴を持つだろう.そしてそれはミームそれ自体の「ための」適応と解釈されうる.本章はここから遺伝子とミームのアナロジーを扱っていく.私はここでミームについては「ある個人から別の個人に渡されるメンタルアイテム」という曖昧な定義を用いる.ミームと考えられるものは多いが,私が特に興味を持つのはアイデアの伝達であり,「遺伝子」というミームを対象としてとりあげる.

 
当然「ミーム」も1種のミームとして使われ方には多様性が生まれるだろう.ヘイグはここでは「遺伝子」のアナロジーとして「ミーム」を考察するための操作的な定義を示している.
 

  • 誰がミーム伝達で利益を得るのか考えるのではなく,誰がコミュニケーションで利益を得るのかをまず考えよう.多くのコミュニケーションは,送信者が受信者のなんらかの好ましい状況変化を望んでなされる.それはある種のプロパガンダと考えることができる.プロパガンダ(propaganda)の1単位であるプロパガンダム(propagandum)は(受信者が想定通りに反応すれば)送信者の目的に役に立つことになる.ここで受信者はプロパガンダムを第3者に伝えることが常に期待されているわけではない.第3者に伝えるようにデザインされていない場合にはプロパガンダムはミームではないことになる.それは送信者に利益を与えるだけであってプロパガンダムに利益を与えるわけではない.

 
ここでヘイグは生物界の異なる利益主体間のすべてのコミュニケーションが基本的にプロパガンダであると定義していることになる.propagandaは英語では不可算名詞であり,単数複数はないはずだが,いかにもラテン語起源の名詞の複数形のような形をしているのでその単数形としてのpropagandumを単一ミームの呼称候補として提案している.
 

  • ときにプロパガンダムは(説得のエージェントとしてのプロパガンダムの効率性を上げるため)ある受信者から別の受信者に伝えるようにデザインされている.送信者がそのような伝達性能を与えることに成功しているなら,このプロパガンダムはミームということになる.このような伝達にかかる特性は送信者の利益を上げているが,同時にミームとしてのプロパガンダムの利益にもなっている.しかし受信者の反応にかかる特性は送信者の利益になっているだけでミームの利益になっているとは限らない.
  • 送信者のデザインは功を奏さないことがある.プロパガンダムは送信者の究極的な目的である受信者の変化には失敗するが,伝達には成功し心から心に広がっていくかもしれない.一旦ミームの連鎖伝達過程が始まると,もともとの送信者の目的にかかる淘汰はかからないが,ミームの目的にかかるミーム淘汰は(伝達の信頼性がある程度以上あれば)かかるかもしれない.
  • 伝達者があるミームを伝達するように選ぶ場合,そのすべてのステップは陶太行為になる.私たちは連続する伝達者達に伝達を欲するようにさせるミームの特徴を思い浮かべることができる.このような適応は(伝達者の)意図的な動機にも,無意識の動機にも,バイアスにも働きかけることができるし,そのような適応自体が(プロパガンダとして設計された)意図的な産物であることもランダムの変異による非意図的な過程で生まれた特徴かもしれない.だからミームの適応的な特徴は「インテリジェントデザイン」の産物かもしれないし,自然淘汰の結果かも知れないし,その2つの組合せかもしれない.

 
こういう議論を行うのであればやはりそもそもプロパガンダムのうち第3者に伝えるようにデザインされたもののみをミームとするというヘイグの取り扱いの意味はよくわからない.すべてのプロパガンダムをミームとし,送信者のデザインとして伝播していくもの,意図的なデザインではないがなんらかの理由により伝播していくもの,伝播力がないものがあるとした方がすっきりしたような気がする.
いずれにしてもここでのヘイグのポイントは送信者のメリット(そしてそのデザイン意図)とミームとしてのプロパガンダムのメリット(そしてそれが伝達されるようなデザインを持つ真の理由)は食い違うことがあるという指摘になる.そしてこれはミーム論を価値がないとする文化と遺伝子の共進化論者がしばしば見落としている点になる.