From Darwin to Derrida その50

 
 

第6章 個体内コンフリクト その5

 
衝動と理性などの個人が意思決定の際に感じる内部的コンフリクトについて,ヘイグは個人内にモジュールという形で異なる意思判断エージェントがあって,その意見が食い違う可能性があることを述べる.このモジュール間の決定の調整メカニズムがないことについては,まずは進化的新奇環境に対応した調整メカニズムがない可能性があること,次にモジュール間で判断基準が異なればアローの不可能性の定理から原理的に統合的に判断することが不可能になることを指摘した.この(理性も1種のモジュールとした上での)モジュール間コンフリクトは進化心理学的にも良く取り上げられるものだが,それが原理的に調整できない可能性をしてきた後者の議論は目新しくなかなか興味深いものだ.
しかしそれだけではないとヘイグは続ける.個人内部にそれ自身にとっての包括適応度が異なる複数の利益主体があり,真の利益相反がある可能性だ.
 
<内部コンフリクトリアル仮説>

  • ここまでの議論は適応と制約についてに関するものだった.まず個人内で注意を奪い合うような声があるのには適応的な理由があるのかもしれない,そしてこのような競合の一部は非適応的なのかもしれない.どんなメカニズムも完全ではない.病的な優柔不断は単に病的なものかもしれない.さらに異なる心のモジュールが異なる機能を持ち異なるデータを処理して異なる選好性を示しているのかもしれない.このモデルでは選好性の足し合わせの問題は最適なウエイト付けの問題になる.
  • しかしながら全く別の可能性がある.内部的な党派は究極因について合意できないのかもしれない.それぞれの党派は自分たちが有利になるためにことを誇張して言い立て,さらには誤情報をも広げようとするのかもしれないのだ.

 

  • 異なる利益を代表するエージェントたちは同じ情報から異なる選好性を持つかもしれない.自己が異なる利益を持つエージェントたちの集合体であるなら,内部コンフリクトは究極的な目的についての意見の不一致かもしれない.あるエージェントにとっての利益がすべてのエージェントの利益になるとは限らない.(社会文化的な規範が完全に内部化されていたとしても)そこには為替レートについての意見の一致もないだろう.
  • このように考えるなら,意思決定は集合体の協議に近くなる.時に意見は一致するが,時にある意見が他の意見を書き換え,そして時に委員会は決定に失敗する.

 
ここまで読むとここからゲノミックコンフリクトの話になると思ってしまうが,ヘイグはここでちょっとした回り道をして,ミームの議論に立ち入っている.
 

  • 私は自己の中のエージェントたちを2種類思い描いている.1つは遺伝子だ.彼等は自分たち自身の生存と複製に向けた「目的」を持っていると言える.もう1つはアイデア(ドーキンスに従うとミーム)だ.アイデアは他の心から伝播したり,内部的に湧き上がったりする(ほとんどの場合はそのハイブリッドだろう).アイデアは私たちの注意を奪い合い,そして他の心への伝播について競争する.この意味でアイデアも心から心へ広がっていくという独自の「目的」を持つということができる.そしてそれに資する特徴はアイデアの「適応」だ.
  • アイデアはページの中のスペースを奪い合う.私が今これを書いている中でもどのように書くかをめぐって競合が生じている.異なるアイデアと表現形態が競合し,あるものは書かれ,さらに別のものに書き換えられ,ゆっくりと最終原稿になる.このような競合において有利なのはどのような特徴だろうか.1つは草稿の他の部分との一貫性だ.そしてもう1つは私に読者を惹き付けるだろうと予測させるもの,例えば簡潔できびきびとした文体,現実のリアリティとの結びつきなどだ.その一部は今あなたの心に入り込んだ.複製を重ねて栄えんことを.

 
第3章では散々ミームを論じておきながら,なぜヘイグがここで「ミーム」という用語を避けているのかはわからない.ここではミーム同士の競合やコンフリクトではなく,ミーム利益とヒトの利益のコンフリクトが取り扱われる.