書評 「共生微生物からみた新しい進化学」

共生微生物からみた新しい進化学

共生微生物からみた新しい進化学

 
本書はゲノム配列からの系統樹推定法などの研究で有名な遺伝学者長谷川政美による共生微生物をテーマにした一冊.長谷川は退官後,興味深い分野を一から勉強し,自身の進化生物学や系統推定の知見と絡めながら*1語ってくれる様々な本を刊行しており,本書もその一冊になる.共生微生物については,ヒトの腸内微生物がこれまで想像されていないほどヒトの健康や認知に大きな影響を与えていることが最近明らかになりつつあり,私も一度きちんと勉強したいと思っていたのでこれ幸いと手に取った一冊になる.
 
冒頭で「ヒトが自律した生き物ではなく膨大な数の微生物の働きによって生かされている」という知見はコペルニクスの地動説,ダーウィンの進化学説に続く第3の科学的革命につながると力説している.ちょっとオーバーな感じもするが,意気込みは感じられる.
 

第1章 微生物に満ちあふれる地球

 
まずはヒトにどのような共生微生物が存在するのかの概説が語られる.またこの章の最後では地下や海洋に広がる広大な微生物世界についても解説されている

  • ヒトの身体の表面や内部は多種多様な微生物であふれている.多くは細菌だが,菌類,原生生物,ウイルスも多い.これらの群集はマイクロバイオームあるいは微生物叢と呼ばれる.
  • 19世紀から20世紀の医学では感染症との戦いが最大のテーマであった.抗生物質の開発などで感染症は激減させることができたが,新たに肥満若年性糖尿,喘息,花粉症,食物アレルギーが問題になっている.そしてこれらに関して体内の微生物叢の働きが重要であることがわかってきた.
  • ヒトの腸内には数十兆の細菌が生息し,これらの合計遺伝子数はヒトのそれの400倍を超えると見積もられている.宿主であるヒトと共生微生物のゲノムを合わせてホロゲノムと呼ぶ.
  • 微生物叢のゲノムは(環境から取り込まれる水平伝達のものもあるが)垂直伝達されるので,ヒトの進化を考えるときにはホロゲノム全体を視野に入れる必要がある.
  • これらのリサーチに革新をもたらしたのはメタゲノム解析法だ.最近では逆ゲノミクスと呼ばれる手法でDNA配列から生物培養法を見つけようとする試みもなされている.
  • 一卵性双生児間の違いを生む1つの要因は微生物叢だと考えられる.

 

第2章 生命進化最初の30億年 単細胞微生物の時代

 
第2章は微生物の概説.細菌の多様性とバイオマス,生命の起源とRNAワールド仮説,酸素放出型光合成と水の惑星*2,すべての生物の共通祖先LUCAと3ドメイン,真核生物の起源と初期進化が語られる.共生微生物については以下のようなトピックが取り扱われている.

  • 真核生物の起源にみられるような細菌やアーケアの内部共生は現在でも観察される.かつてメタン生成細菌と考えられていたMethanobacillus omelianskiiは実はメタン生成アーケアと真正細菌の共生体であった.このような栄養共生は数多く発見されている.
  • 真核生物の核の起源についてはなお論争があるが,2006年にはイントロン仮説が提唱されている.これはそもそもイントロンとはミトコンドリアとして内部共生をはじめたアルファプロテオバクテリアの断片化されたDNAが宿主DNAに挿入されたもので,これが翻訳されることを防ぐために核膜が進化したと考える.興味深いがなお未解決の問題は多い.
  • アメーバとアメーバに感染症を生じさせていた細菌が実験室で緊密な共生系を進化させたという観察報告がある.

 

第3章 動物と微生物の関わり

 
第3章は動物と共生する微生物が進化史に沿って解説される.ここでは面白い逸話がたくさん紹介されている.

  • 分子系統樹は多細胞生物にもっとも近縁な単細胞生物が襟鞭毛虫であることを明らかにしている.襟細胞は海綿動物にあることが知られるが,刺胞動物,棘皮動物,半索動物にも似た細胞があることがわかっている.
  • 海綿動物,刺胞動物,有櫛動物には袋状の胃体腔がある.刺胞動物のサンゴの胃体腔の奥は嫌気的な環境になっている.そこには多様な細菌が高濃度で共生しており,サンゴは必要な栄養素をそこから得ている.動物と消化管共生細菌との関係はこのような生物が進化してきた頃から続いていると考えられる
  • ヒトの消化管には5000万個の神経細胞からなる腸管神経系があり「第2の脳」とよばれることがある.このような消化管の神経系の起源は古く,進化史的には「第1の脳」と呼ぶべきかもしれない.
  • カイメンには組織内に多様な微生物叢を抱えており,バイオマスはカイメン自身の35%にも達する.中には抗生物質を産するものもあり,このような抗生物質が共生細菌と外来病原菌に対して差別的に働く仕組みがあると考えられる.
  • サンゴの胃層の細胞内に褐虫藻という単細胞藻類が共生しており光合成していることは有名だが,これ以外にも窒素固定細菌をはじめとする様々な細菌が組織内に共生している.
  • 扁形動物は一旦獲得した消化管の肛門を退化させた動物群だが,パラカテヌラは体内の共生細菌に栄養を頼ることによって口も退化させた.
  • サイチョウ目のヤツガシラは尾脂腺から抗菌作用のあるペプチドを産する細菌をたくさん含む液を分泌し,卵に塗りつける.
  • 哺乳類の出す匂いのほとんどは細菌叢によって作られる.ヒトの体臭も皮膚の細菌叢により作られる.ハマダラカに刺されやすい人は皮膚の細菌叢の多様性が低い傾向があることが報告されている.
  • アリクイ,ツチブタ,アードルフ(ツチオオカミ)はアリやシロアリを食べる系統的には離れた動物群だが,腸内細菌叢は互いに似ている.同じようなことがあるかもしれないとチスイコウモリと吸血フィンチの腸内細菌叢を比較した研究によると,細菌叢自体は必ずしも似ていないが,似たような機能を果たす細菌が多くみられた.
  • ハエの卵に寄生するハチ3種の腸内細菌叢を生活史に沿って比較すると,幼虫時代には特に宿主に対応しているわけではない細菌叢が,サナギ,成虫になるに連れて変化し,宿主の系統関係と似たような関係(系統共生)になる.これはハチが宿主の免疫系の進化に対応した共生菌を選択的に取り込むために生じると考えられる.
  • エンドウヒゲナガアブラムシには赤色タイプと緑色タイプがあり,天敵によって異なる捕食率になる.この赤色は共生細菌から水平伝達で取り込んだカロチノイド合成遺伝子により発現し,この遺伝子がなければ緑色になる.さらに赤色タイプ遺伝子を持っていてもリケッチエラと共生していると緑色になる.赤が不利になる環境ではこのリケッチエラを取り込んで体色を変化させているのかもしれない.
  • 動物と共生するのは圧倒的に真正細菌が多く,アーケアは少ない.アーケアと共生する繊毛虫では好気的環境から嫌気的環境に進出した際にミトコンドリアから(水素生成アーキアの)ヒドロゲノソームへの転換が生じたと考えられる.このほかのアーケア共生も嫌気的環境(ウシのルーメン内,シロアリの腸内など)に見られることが多い.アーケアが病原菌になることは少ないが,その理由はよくわかっていない.
  • ヒトの場合,腸内のメタン生成菌が真正細菌の排出する水素分子を処理してくれた方が生理的な効率は高まると考えられる.ヒトの腸内に住むアーケアにはメタン生成菌とアンモニア酸化菌があるが,実際に調べると,メタン生成菌だけ持つか,アンモニア酸化菌だけ持つか,どちらも持たないかの3通りになる(食事の内容と相関がある).

 

第4章 腸内細菌叢

 
第4章では満を持してヒトの腸内細菌叢が扱われる.

  • ヒトの腸内細菌叢は霊長類以外の哺乳類のそれより霊長類のそれに似ているが,特に類人猿に似ているわけではない.それは何を食べているかという食性が重要であるためで,ヒトの細菌叢は雑食性の霊長類のそれに似ている.ただし類人猿との共通の細菌について系統樹を調べると宿主の系統樹に一致する.
  • ヒトの腸内細菌の総重量は1〜2キロほどで,約2割が善玉菌,約1割が悪玉菌,残り7割が日和見菌とされている.ただし悪玉菌と日和見菌を排除すれば健康になるわけではなく,この2:1:7の比率が重要であるようだ.
  • ヒトの腸内細菌叢は個人によって異なる.同一人であっても食事習慣により変化する.ただしこのような腸内細菌叢の再構成は大規模なものではない.腸内細菌の構成は個人に固有であり,いわば指紋のようなものだ.
  • デンマークでなされたリサーチによると,腸内細菌叢の多様性は個人により異なり,その遺伝子数ははっきりと2つのピークを作る.遺伝子数の多いグループの代謝は活発なのに対し,少ないグループには肥満,糖尿病,動脈硬化などがみられがちだった.
  • 高血圧,喘息,肥満,パーキンソン病,クローン病,統合失調症について調べたリサーチによるとこれらの疾病は患者自身のゲノムより腸内細菌叢との関連の方が高かった.個人のゲノムに応じた医療が必要な場合があることは認識されつつあるが,これからは腸内細菌叢ゲノムに応じた医療も考慮すべきだと考えられる.
  • (澱粉質に偏った食生活を送っている)パプアニューギニアの人々は腸内の窒素固定細菌を通じて窒素を摂取してことがわかった.糞便の窒素固定活性などから考えると日本人の腸内にも窒素固定細菌が共生しているようだ.
  • 狩猟採集民と現代都市生活者の腸内細菌叢を比べると都市生活者の方が多様性が低い.狩猟採集民にある炭水化物や繊維質の消化を助けるトレポネーマ族の細菌が都市生活者では失われているようだ.これは抗生物質による結果かも知れない.
  • 腸内細菌叢がヒトの脳の活動に関わっていることが最近わかってきた.

 

第5章 「脳-腸-微生物叢」相関

 
第5章は最近の知見のうち最も興味深い腸内細菌叢と脳の関係が扱われる.

  • ヒトの新生児の腸内細菌叢は母親のものに似ている(なんらかの経路での垂直感染があるようだが詳しいことはわかっていない)が,生後3年程度で環境によって独自のものに変わっていく(一卵性双生児と二卵性双生児の比較で遺伝的な違いが関与していないという報告がある*3).
  • 腸内細菌叢がうまく成熟しないと栄養失調になりがちになる.この機能には細菌同士の相互作用が働いており,細菌叢の組成は共変動している.
  • 実験室で無菌マウスを作ると,長生きするが,食事量が増え消化にも時間がかかる.それだけではなく物怖じせず攻撃的という性格的な特徴が現れる.幼体のうちに細菌叢を移植するとそのような特徴は現れない.細菌叢は脳の発達に影響を与えるようだ.

 
ここから脳と腸と細菌叢の関連を示す様々な事実が提示されている.

  • ヒトの腸内にはセロトニン神経細胞があり,そこで体内のセロトニンの90%が合成される.脳と免疫系は日常的に相互作用しており,血液脳関門はこれまで考えられていたほど鉄壁な関門ではないことが明らかになっている.腸と脳をつなぐ迷走神経があり,この2つの臓器は密接に連絡を取り合っていると考えられる.
  • ある種の自閉症が腸内細菌叢の撹乱と関連していることを示唆する研究がいくつかある.
  • アルツハイマーを発症したマウスの細菌叢を健常マウスに移植したところ脳にアミロイドβが蓄積するようになったという報告がある.

 

第6章 腸内微生物叢と免疫系の働き

 
第6章では免疫との関連が扱われる.

  • ヒトの母乳には200種類ものオリゴ糖が含まれているが,それは赤ちゃんには消化できない.おそらく腸内のビフィズス菌の増殖のため(感染症の防御に対して有効とされている)に含まれていると考えられる*4
  • ヒトの腸内細菌叢を育てるためにはこのほか食物繊維が重要である.食物繊維が少ないと腸内細菌叢の多様性が減少する.食物繊維は腸内細菌により短鎖脂肪酸に変換され.エネルギー源になったり,交感神経の制御に使われる.食物繊維を多く摂取すると肥満が抑えられる効果があるのはこの交感神経への刺激によるものと考えられる.またマウスを使った実験では胎児の段階で母親からどのぐらい短鎖脂肪酸を与えられたかが成人後のメタボリック症候群へのなりやすさと相関するという結果が得られている.
  • 腸内細菌が免疫反応を制御しているという証拠は多い.例えばマウスでは腸内細菌叢の構成によって(自己免疫疾患である)多発性硬化症の強さが異なる.消化管には常に外来の微生物が侵入するので免疫反応の最前線であり,腸で活動する免疫細胞の数は血管やリンパ管で活動する免疫細胞の数より多い.
  • 現代のアレルギーの多くは農村地域より都市地域でのリスクの方が高い.これは免疫系の暴走を防ぐには大量の微生物に被爆するような環境が重要であることを示唆している.清潔な生活習慣と花粉症の増加に関連があるとする考え方は「衛生仮説」と呼ばれる.
  • さらに単に清潔かどうかだけではなく,人類の進化と共につきあってきた細菌たち(家畜の糞便に含まれる細菌,土壌細菌,抗生物質により除去された細菌など)との接触が健全な免疫系の形成にとって重要だと考えるのが「旧友仮説」になる.そうだとすると(胃癌リスクを上げるとされる)ピロリ菌を単に除去した方がいいのかどうかはよく考えた方がいいことになる.ピロリ菌は複雑なシステムの一部であり,除去には多方面にわたる影響が考えられる.実際にピロリ菌を持たない子どもの方が喘息やアレルギーを発症しやすいという報告もある.抗生物質の過度な使用は(耐性菌の問題だけでなく)再考すべきである.病原菌に対するファージ療法も再検討されるべきだと考えられる.
  • 「旧友」には細菌だけでなく線虫や条虫などの寄生虫も含まれるようだ.またウイルスの一部もそうかもしれない.基本的に細菌以外の腸内微生物がどのような作用をもたらしているのかについてはあまりよくわかっていない.

 

第7章 共生微生物と宿主のせめぎ合い

 
第7章では一旦ヒトの腸内微生物の話から離れて微生物との共生自体についてのトピックが扱われる.最初に共生全体についての概説があり,続いてミトコンドリアの問題が詳しく取り上げられている.

  • 現在のミトコンドリアは共生前のアルファプロテオバクテリアと比べて大きく変わっている.自分の遺伝子の多くを失ったり核に移動させたりしただけでなく,宿主由来のタンパク質を利用しているものもある.残った遺伝子数やゲノムサイズも生物群によって大きく変異している.
  • では何故まだミトコンドリアにゲノムが残っているのか.現在ミトコンドリアがゲノムを失った例はほとんど無いが,稀な例外が(刺胞動物でありながら寄生性になり極端に退化した)ミクソゾアになる.どうやら酸素呼吸を行わない場合にはゲノムを失う場合があるようだ.おそらくミトコンドリアの酸素呼吸機能(特に宿主からのATP要求に素速く応える機能)に関連した必須のゲノム部分があるのだろう.
  • ミトコンドリアの共生の歴史は長いが,現在でも宿主側とコンフリクトが生じている例がある.その1例は植物における雄性不稔を引き起こす異常ミトコンドリアになる.
  • 細胞内で利己的ミトコンドリア(酸素呼吸能力が低いが複製速度が速い変異)が生じると通常のミトコンドリアより複製上有利になる(酵母では実際に見つかる).宿主はこれに対抗することになり,その結果現在ほとんどの複製関連遺伝子が核に移動しているのだと考えられる.また生殖系列と体系列の分離もこの対抗から進化したとする考え方もある.このほかの宿主側の対抗としてはアポトーシスによる利己的ミトコンドリアが発生した細胞の除去,ミトコンドリア伝達の母系制限などがある.
  • ミトコンドリアの浮動による劣化はどのように阻止されるのか.宿主側が核ゲノムを使って有害変異の補償を行っていることを示唆するリサーチがある.また有性生殖が進化した理由をここに求める議論もある.

 
ここからその他の共生系も取り上げられている.

  • ヴォルバキアはアルファプロテオバクテリアの1種だが線形動物や節足動物の様々な種を宿主として細胞内共生する.彼等は卵を通じて垂直感染するためにしばしば宿主の繁殖生態を操作する.(オス殺し,性染色体による雌雄発現への介入,細胞質不和合などが解説されている)
  • ヴォルバキアによる細胞質不和合がある場合,近縁種の片方でヴォルバキア感染があり稀に交雑が生じるような状況では,非感染種に感染種のミトコンドリアが選択的に浸透していく現象が生じる.(キタキチョウとミナミキチョウの例が紹介されている)このような現象はDNAバーコーディングによるデータベース化の際に問題を生じさせる.
  • このような共生微生物による繁殖生態の操作現象はヴォルバキアだけでなくスピロプラズマ,リケッチア,アルセノフォヌス,カルディニウムでも知られている.これらに対して宿主側の対抗もしばしば急速に進化することがあるようだ.(5年間でクサカゲロウの松戸集団にスピロプラズマのオス殺しへの対抗進化が生じた例が紹介されている)
  • 共生者による宿主操作は微生物に限らない(ハリガネムシの例,トキソプラズマの例が紹介されている)

 
ここからヒトの共生微生物の話に戻る.

  • ヒトの腸内の細菌叢において細菌同士の激しい競争があることがわかってきた.(毒性タンパクで他の細菌を攻撃している例,その毒から自身を守る免疫機構を持つ例,このような毒に対する耐性進化の例が紹介されている)
  • ヒトの消化系では消化管内では澱粉を麦芽糖までしか分解せず,ブドウ糖への分解は最後に小腸の吸収上皮細胞の細胞膜で行われる.これは腸内細菌に吸収されないためだと考えられる.タンパク質も消化管内ではペプチドへの分解止まりでペプチドからアミノ酸への分解は膜消化となっている.

 
最後にヒトの感染症が扱われる.ペストからAIDSやエボラまでを概説した後,COVID19についても簡単に触れている.

  • SARS,MERS,COVID19はコロナウイルスの中のβコロナウイルス属に分類される.βコロナウイルスは哺乳類にのみ感染する.βコロナウイルスを分子系統学的に解析すると,100の系統グループのうち91はコウモリを宿主とする.
  • COVID19に最も近縁なものは中国雲南省のマレーキクガシラコウモリから採られたウイルスになっている.ただしスパイクタンパクはマレーセンザンコウを宿主とするものに近い.これは異なる種類のウイルスが同じ宿主に感染して組換えを起こした可能性を示唆している.
  • 分子時計的にはCOVID19とマレーキクガシラコウモリのウイルスとの分岐は1948〜1984年頃とされる.それ以降人知れず分岐を繰り返して進化してきたと思われるが,その詳細は一切不明である.

 

第8章 生物が陸上に進出するに当たって共生が果たした役割

 
第8章では地衣類と土壌微生物が扱われる.

  • 真菌が緑藻などの藻類と共生するにようになったものが地衣類である.菌は多くの場合子嚢菌類だが担子菌類の場合もある.藻類も緑藻だけでなくシアノバクテリアの場合がある.
  • 地衣類は共生により実質的に独立栄養生命体になった.そして極地,高山,砂漠などの厳しい環境に耐えて生きる(岩だらけであってもクエン酸やリンゴ酸などの酸性物質を放出して岩石を溶かしてリンやカルシウムなどを得ることができる).陸上進出は5億4100万年前頃で植物(4億8500万年前)より早い.(なおこの地衣類先行上陸説への批判,およびその批判の問題点も紹介されている)
  • 植物の上陸:陸上植物は緑藻類のうち接合藻類と最も近縁である.ゲノム解析からは接合藻類にも(おそらく土壌細菌から取り込んだと思われる)乾燥ストレスに関する遺伝子が見つかっており,共通祖先の段階で上陸した可能性がある.
  • 菌根菌は維管束植物だけでなくコケにも見つかっている.この菌根菌との共生は植物の上陸に当たって重要だったと考えられる.
  • 植物に窒素供給している根粒菌と腫瘍を作るリビゾウムが極めて近縁であることが最近わかった.共生の性格が容易に変化する実例と思われる,
  • 土壌生物バイオマスの70%が真菌,25%が細菌(残りは土壌動物など)と見られる.土壌微生物の多くは植物の根の周り(根圏)に集まる.根圏には有機物が豊富に存在するためと思われる.植物の発病を抑止するには土壌に多様な微生物が存在することが重要であるようだ.

 

第9章 反芻動物と共生微生物

 
第9章では特にウシなどの反芻動物と共生微生物が取り上げられている.

  • 鯨偶蹄目動物のうち,マメジカ科,キリン科,プロングホーン科,シカ科,ジャコウジカ科,ウシ科は反芻亜目を形成する.彼等は4つの胃を持ちルーメンと呼ばれる巨大な第一胃に共生微生物細菌のほか旋毛虫や鞭毛虫などの原生生物も大量に生息している)を住まわせてセルロース類を消化する.彼等は実質的に植物食ではなく微生物食の生物である.
  • 遺伝子解析による祖先形態復元によると鯨偶蹄目の祖先はかなり小さな動物だったようだ.反芻性が進化した後にルーメンの温度管理上の有利さから身体が大型化したと思われる.
  • 反芻胃のような共生微生物を持つ前胃構造はテングザルとツメバケイで独立に進化している.

 

第10章 昆虫の共生微生物

 
第10章は昆虫の共生微生物が扱われる*5

  • アブラムシ,セミ.ウンカ,カイガラムシなどの植物の樹液という低栄養の餌に頼っている昆虫はブフネラなどの共生微生物からタンパク質などを得ている.ゴキブリは雑食性だが,共生細菌により(栄養欠乏時に備えた)窒素分の貯蔵と再利用を行っている.
  • シロアリの腸には様々な微生物が共生し,木材の消化や窒素固定を行っている.木材のリグニンを分解するには担子菌微生物が重要になる.微生物叢は主に垂直伝達されるが,進化的なスケールでは水平伝達もあるようだ.水平伝達には共生細菌の遺伝的劣化を防ぐ作用があると思われる.
  • アリの系統樹を描くと肉食性のアリから何度も独立して植物食性のアリが進化し,そのたびにリビゾウムなどの窒素固定細菌と共生していることがわかる.アリは新しい共生細菌を取り込んで食性を変えてきたようだ.
  • カメムシ類の細菌叢の受け渡しは様々で,卵に細菌カプセルを添える方式,共生細菌を卵殻に塗りつける方式,世代ごとに環境から取り入れる方式などがある.

 

第11章 発酵食の歴史

 
最終第11章は発酵食.かなりくだけた章になっており,ワインやビールの起源,納豆,くさや,発酵漬け物,熟成肉などの蘊蓄が楽しそうに語られている.

  • 発酵と腐敗は生物学的には同じもので,この区別をするのは文化になる.発酵食品の好みは文化的に異なり,アイデンティティに基礎になることもある.また学習により好みが変化することがある.
  • 発酵は火を使わずに食物を柔らかく消化しやすくすることができ,ヒトの進化において火の発明と同じぐらい重要だったかもしれない.
  • 動物がアルコールを好み日常的に摂取している例はツパイなどいくつか知られている.
  • 現在世界中の酒造りに使われている酵母はサッカロミケス・ケレウィシアエの様々な株だ.系統解析によると起源地は中国で,「出中国」の後世界各地に広がり,それぞれの地域で「家畜化」され,酒を含む様々な発酵食品作りに使われるようになったらしい.
  • 日本酒造りには酵母のほか真菌のニホンコウジカビが重要になる.コウジカビが米の澱粉を酵母が扱える糖に分解する.「家畜化」の過程でカビ毒を作る遺伝子の機能が失われている.(ニホンコウジカビは日本独自の発酵菌で大陸ではクモノスカビが使われている)
  • ウーロン茶や紅茶などの発酵茶の発酵は葉に含まれる酵素による作用で微生物は関与しない.例外は中国のプーアール茶などの黒茶であり真菌が関与する.

  
本書は分子系統学の大家であった著者が退官しても知識欲衰えずに新しい分野の勉強を行い,自分の専門分野との関連をきちんととってまとめた一冊ということになる.論理的に緊密に何かを主張解説する本ではなく,時々脱線しながら面白いトピックを抜き出して解説してくれる本に仕上がっており,楽しくゆっくり読める.ヒトの腸内細菌叢と性格やパーソナリティの関連について触れられていないのがちょっと残念だが,私としては大変勉強になった一冊だ.

 
関連書籍
 
最近の長谷川政美の本.最後の「系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史」についての私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20150308/1425781515

ウンチ学博士のうんちく

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世界でいちばん素敵な進化の教室 (世界でいちばん素敵な教室)

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  • 発売日: 2019/02/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史 (BERET SCIENCE)

系統樹をさかのぼって見えてくる進化の歴史 (BERET SCIENCE)

  • 作者:長谷川政美
  • 発売日: 2014/10/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

*1:本書でも口絵には様々な写真が収録されているがそこに関連する系統曼荼羅が載せられている

*2:酸素放出型の光合成を行う微生物が存在しなければ,太陽光により水が分解され,分解された酸素が鉄と結合して取り去られ,残された水素は宇宙空間に失われ,不毛の惑星になった可能性が高いという考え方

*3:ただしこれと矛盾する「一卵性双生児の腸内細菌叢は二卵性双生児のそれに比べてよく似ている」という報告もあることが章末で指摘されている

*4:牛乳にはオリゴ糖がないそうだ.では何故ウシでは感染症防御のためにそうなっていないのか.哺乳類全体ではどうなのかに興味が持たれるが,解説はされていない

*5:ヴォルバキアもここにおさめてもよかったと思うが,宿主操作という特徴により第7章におくことにしたのだろう