From Darwin to Derrida その52

 
 

第6章 個体内コンフリクト その7

 
ヘイグは個体内に真の利益コンフリクトが生じる状況としてまず,宿主としてのヒトと寄生者としてのミームのコンフリクトを挙げる.このコンフリクトはミーム論が議論されるようになった当初から議論の中心テーマとして良く取り上げられていたものだ(というよりこのコンフリクトの存在を明示的に認識することがミーム論のメリットの大きな部分であった).そこでは遺伝子は脳の構成を変えることができるのだから有害なミームに影響を受けないように脳を作りかえることが可能なはずで,長期的には遺伝子の勝ちだ(これはミームに付けられた長いリード論と呼ばれる)という主張と,そうではなく典型的なアームレースであって一義的に勝者は決まらないとする主張が論争されていた.ヘイグはまずこの長いリード論を取り扱っている.リード論への反論にゲノミックコンフリクトを持ち出すのが斬新だ.
 

  • 懐疑論者は,私たちは(利己的ミームに抵抗する)一貫した遺伝的バイアスを進化させるはずだと言うかもしれない.
  • しかしゲノム内コンフリクトがあれば必ずそうなるとは限らないのだ.生物学者は通常ゲノム内のすべての遺伝子は(次世代に同じように伝播されるのだから)利害を共有していると仮定する.これはほとんどの場合合理的な仮定になる.しかしながら利害が一致しない場合があり,そのような場合にはゲノム内で相反する適応が進む事になる.トランスポーザブルエレメントはゲノムのそれ以外の部分より速く増殖する.核遺伝子は卵と精子から伝播するが,ミトコンドリア遺伝子は卵からのみ伝播する.要素間で伝播様式が異なれば利害は一致しなくなる.

 
なぜゲノム内コンフリクトがあればミームに対抗できなくなるのかのヘイグの議論はややわかりにくい.ゲノム内コンフリクトがあっても,有害ミームに対抗することがどちらの党派にとっても有利であればやはり抵抗性の脳を進化させることが可能に思える.だからこの部分は「ゲノム内コンフリクトがあり,片方の党派にとってはミームが有益になる場合には」と読むべきなのだろう.
 

  • ここからこのような利害不一致の例として父方由来遺伝子と母方由来遺伝子のケースを考えていこう.それを考える前にまず自然淘汰が血縁個体間にどう働くかをみておこう.

 

  • 私たちは皆いつか死ぬ.神経細胞は直接子孫を残せない.精子や卵にある遺伝子のみが個体の死を乗り越えて直接のコピーを残すことができる.ここで神経細胞の遺伝子は受精卵の遺伝子のコピーであり,生殖系列の遺伝子もそうだ.だから脳にある遺伝子はその間接的なコピーを増殖させるような複雑な適応を進化させることができる.
  • 私たちの身体には様々な種類の細胞がある.それらは皆同じ遺伝子セットを持つが生殖系列でコピーを次世代に残すために異なる役割を持っている.私の肝臓の遺伝子が私の生殖細胞の遺伝子コピー効率を高めることができるなら,それは私の血縁者の生殖細胞コピー効率を高めることもできるだろう.
  • 母親が子どもに授乳しているときには彼女は(自分自身の生殖細胞のコピー効率の低下というコストを払いつつ)子どもの生殖細胞のコピー効率を高めている(授乳は母親の妊娠を阻害し,次の子どもを持つ時期を遅らせる).ここで母親の乳房にある遺伝子のコピーが(授乳している)子どもにもある確率は(それが我が子として)1/2に過ぎない.

 
前段はその遺伝子がその乗っている個体にとって有益な形質を発現させるなら,血縁者にとっても(同じような性質が発現しやすいから)有益だろうという議論になる.後半は遺伝子が乗っている個体にとってコストがあり血縁者に有益である形質を発現させるという状況が提示されている.通常はこれはいわゆる血縁淘汰による利他行動の進化の議論につながり,血縁度が1/2ならメリットが2倍以上あるときに利他行動が進化するという話になる.ヘイグはここでひねりを加える.