From Darwin to Derrida その73

第8章 自身とは何か その13

 
ヘイグによるスミスの道徳感情論の読み込み,1人称,2人称「sympathy」を扱ったところで,2人称から反射されて1人称に戻る「sympathy」の議論になる.ある人のイメージは誰かの心の中にシミュレーションとしてある.するとそれはその人がどんなシミュレーションをしているのかを内容に含みうることになる.そしてそれは互いに反響することになる.そして複雑な再帰的状況を生みだすのだ.
 

反射された1人称「sympathy」

 

  • 2人称「sympathy」は再帰的な複雑性を生みだす.私のあなたについての2人称イメージには,あなたの私についての2人称イメージについての私のシミュレーションが含まれている.そして私はこの反射されたイメージを自分の1人称イメージに投影する(第2レベルの再帰).
  • もし私が,あなたが私に暖かみを感じていると感じれば,私は自分自身についてより温かく感じる.魅力的でないとあなたが感じていると感じたら,自分を魅力的には感じなくなるだろう.あなたについてよく知れば知るほど自分についてもよく知ることになり,自分の1人称イメージはより豊かになる.

 
ある人が自分について持っているだろうイメージのシミュレーションは自分のセルフイメージに影響を与えるとヘイグは指摘している.確かに自分に好意を持っているだろう人に囲まれていると自分のセルフイメージはよくなりそうだ.これには様々な個人差があるだろうし,逆方向の影響もあるだろうから状況は非常に複雑になるだろう.
 

  • しかしもし私の自分のイメージが歪曲していたら,あなたの私についてのイメージについての私のイメージも歪曲し,オリジナルイメージもさらに歪曲することになる.私が他者に自分の欺瞞的なイメージを植え付けるなら,自分自身が反射されたイメージを通じてその欺瞞に引っかかるリスクを負うことになる.だから反射された自分のイメージからのフィードバックは,自分のセルフイメージを極端に歪曲させたり激しく振動させたくないのなら,適切に減衰させるべきだ.そのような歪曲や振動はシンパシー病理(sympathology)と呼ぶべきかもしれない.

 
そしてそのような反響があるから,一旦歪曲や欺瞞や操作が入り込むと全体の系が不安定になるということになる.つまりこれにはネガティブフィードバックをかけないと発散しかねないというわけだ.発想が何となく電気工学的で面白い.ヘイグははっきりコメントしていないが,このようなネガティブフィードバックは進化を通じて実装されているということになるのだろう.自分のセルフイメージについて,ほかの人がどう思っているだろうかという思いに振り回されるのは適応度的に不利になりそうだから,これはありうる話だろう.