From Darwin to Derrida その77

 

第8章 自身とは何か その17

 
ヘイグは2人称「sympathy」と3人称「sympathy」間の緊張,つまりあなたにとって望ましい私の態度が世間一般からも望ましいと受け取られるは限らないという問題を指摘したあと,ちょっと面白い随想をおいている.
 

レトリックと美しい手紙についての追想

 

  • このエッセイの初期原稿の唯一の読者は著者自身だ.(著者である)彼の最初の試みはうまくいかず改訂を迫られた.彼の言葉を読み,説得しようとする努力を観察し,(読者である)私のアイデアは形成され,読者と著者の反響の中で,私は自分自身の心を知る.著者である私は心のなかに2人称を持つ.それはこれを読んでいるあなただ.もし私があなたの視点から読むことに成功しているなら,あなたは私の視点から読めるだろう.ちょうど私がスミスの考えについての「sympathy」に入り込んだように,あなたは私の考えについての「sympathy」に入り込む.
  • 現代のアカデミアの書き手はさらに第3者を想定しなければならない.その第3者は著者と読者の2人称のやりとりを観察する.そしてその観察は,著者の意図した意味を直接得ることはできず,著者が使った道具やトリックを通じて意味を探るというものだ.著者の熱烈な2人称的読者との結びつきは,そのような理性的な判断を行うテキストの第3者的読者を満足させるとは限らないのだ.

 
再帰的な要素を持つイメージの反響について考え,執筆しているとこのような思いに捕らわれるということだろう.想定読者をある程度特定して書いていると内容がそれに引きずられ,そしてふとそれが第三者的にどうかが気になる.そしてそれは読者も同じかもしれないというわけだ.
 
ここからアダム・スミスの本の本来のテーマ「道徳」に話が進むことになる.
 

道徳

 

したがって,すべての人が心のなかで,人類全体より自分自身の方を優先しているというのは正しいかもしれないが,それでも彼はあえて人類を真正面から見ず,この原則に従うことを誓う.

アダム・スミス 「道徳感情論」

  • 道徳とは単一のものではなく,本能,理性,文化要素の不完全な混ざり物だ.そしてすべての進化するものと同じく,これらの要素間の関係は再帰的だ.文化は本能により形作られ,本能は文化により影響を受ける.理性的な選択は生得的な行動の進化を促し,その行動は理性なしで同じ目的を得る*1.理性は私たちの目的に最も役に立つ文化的アイテムを選択し,それにより文化は変容する.その一方で理性的な選択は文化的規範により制限される.道徳は深く個人的であるとともに強く社会的であり,内側から湧き上がるものであるとともに外側から強制されるものになる.

 
道徳が本能と理性と文化による混合物で,再帰的な相互関係を持っているというのはなかなか面白い捉え方だ.直感的な道徳と熟考による道徳という捉え方は多いが,さらに文化を含めたその要素間に再帰的な関係があるというのがここからの指摘になる.

*1:ここでボールドウィンが参照されている.