書評 「アメリカン・ベースボール革命」

 
本書は「マネー・ボール」に始まるメジャーリーグにおける数理統計やデータサイエンスの応用の最新動向を扱った本になる.著者はベン・リンドバーグとトラビス・ソーチック.いずれもジャーナリストで,ソーチックは「ビッグデータ・ベースボール」の著者でもある.

メジャーリーグにおける本格的な数理統計の応用は「マネー・ボール」で紹介されたセイバーメトリクスの利用から始まる.これは選手の能力や貢献を測るためには伝統的な成績指標(打率,打点など)よりも有効な指標(長打率,出塁率など)があることを理解し,フリーエージェント市場で割安に選手を調達し,強いチームをつくることを目指したものだ.しかしこの手法の有効性が多くの球団に認められると優位性はなくなる.次に現れたのは「ビッグデータ・ベースボール」で紹介された投球や打球のデータを利用して試合においてこれまで見つかっていなかった評価指標(フレーミングの巧拙)を利用したり,試合において有効な戦術(極端な守備シフト,ゴロを打たせやすい球種の多用など)を探るというものだ.そしてこれらもやはり多くの球団が採用することとなり,優位性は大きく下がった.そしてその後に何が起こっているかが本書の内容になる.原題は「The MVP Machine」
 
セイバーメトリクスで選手の評価にアノマリーを見つけることが難しくなったあと,同じ予算で良い選手を集めるためには「育成」が鍵になる.そして育成のために投球や打球のデータを活用するのが2014年〜2018年(本書が書かれた時点の直前シーズン)の最先端球団の戦略になった.本書ではそのデータ活用育成物語を,自分自身の能力を高めることに執念を燃やす孤高の理論派投手トレバー・バウアーとボールの物理学と運動理論から革新的能力向上手法を編み出したトレーニング施設「ドライブライン」経営者カイル・ボディを中心とした人間ドラマ,そしてこの面での最先端球団アストロズの逸話を交えて描いていく.
人間ドラマは手練れのジャーナリストたちの手になるだけあったなかなか読ませる.ここではデータ利用のところを中心に紹介しよう.
 

  • バウアーは伝統にとらわれず周囲との摩擦を恐れずに,可能性のあるありとあらゆる技術向上手法を試して自分の投手としての価値を高めることに成功した.彼やそれに続く成功例を見ると,上達のためには成長マインドセットとやり抜く力(グリット)が重要であるように思われる.
  • 球団におけるデータ利用においてはかつてはたたき上げの現場と統計オタクの対立という問題があったが,統計数理マインドを持つ選手がどんどん増えてきて,引退後そのままスタッフに残るようなケースも見られるようになってきた.また代理人ビジネスもそのようなマインドを持つものが求められるようになりつつある.

 

  • ピッチャーの球種は球速とスピン軸の方向とスピン角速度で記述できる.メジャーリーグではそれまでの光学カメラによる追跡システムPITCHf/xに替わり,ドップラーレーダー式測定機器トラックマンと光学カメラを組み合わせたデータ解析システムであるスタットキャストシステムが2015年に全球場で導入された*1.さらにリリースの瞬間の握りとボールの高解像度高速度の動画データがエッジャートロニック製のカメラにより得られるようになった.
  • 球速は筋力トレーニングとウェイティッドボールを用いた遠投と全力投球で改善できることがわかってきた.(伝統的にそういうトレーニングが行われてこなかったのは遠投の制限や球数の制限で肘の故障が防げるという信念が根強いためだが,それには根拠がない.*2)特に見逃されていたポイントは無意識になされる腕の振りからのブレーキング能力だ.
  • 良い変化球を習得するためにはエッジャートロニックスカメラが捉える動画が役に立つ.投手は握りとボールの相互関係と投球データを確認しながら練習でき,より効果の高い球種を習得できる.ボールを握る手の形,それぞれの指のどの部分がボールのどの部分にふれているかを記述する試みも始まっている.
  • どのような変化球が有効かについては,投げられた球種とその結果(打球や空振り率など)の関連分析(球速,投げられたコース,回転軸と回転数ごとの要因分析を含む),そしてその投手が持っているほかの球種と合わせたピッチトンネル*3の分析により調べることができる.分析の結果,球速よりも回転数が重要だという認識が広がった.またこの分析は配球戦術(特にあまり有効でない変化球を捨て,有効な変化球を増やすこと)にも使われるようになった.このような進展によりメジャーリーグでは全体的に変化球の割合が増加し,さらにその中でシンカーよりスライダーとフォーシームを,フォーシームは高めになどの変化が生じている.
  • (「ビッグデータ・ベースボール」で紹介された守備側のゴロを打たせることの有効性への対抗として)打撃側はフライを打ち上げてより多くのホームランを目指すようになった.データはメジャーリーグの平均的な投球は下向き6度の角度で入ってくることを示しており,バットの軌道はアッパースイングで上向き6度にしてベースのはるか手前でボールを捉えることが推奨されるようになった.これはフライボール革命として知られる.スタットキャストのデータは打球角度が30度前後のフライ(バレルと呼ばれる)が最も良い打球であることを示している.ただしどのようにすれば良い打者を育成できるかについてはなお未知の部分が大きい(このような打球を生むには引っ張るのが有効だが,うまく引っ張ることができる選手は少ない).
  • リハビリやトレーニングマシンも進歩している.3次元の抵抗を与えられるボストン・バイオモーション社によるプロテウスシステム,バットスピードや軌跡と身体の動きを関連付けて分析できるKベストバイオフィードバック装置などが開発されている.

 
またこれらの革命はメジャーリーグの野球競技の質に影響を与えており,最終章とエピローグでそのことが解説されている.私的にはここが一番興味深かった.
 

  • 球団が育成に力を入れるようになり,野球選手の質が全般的に向上した.その結果選手の若返り現象が生じた.球団は高いフリーエージェントを獲得するより報酬の安い若手を育てる方がコストパフォーマンスがいいとわかったからだ.そしてこれは1970年代から続いてきた報酬体系を不安定化させた.以前なら高い報酬を得られたはずのフリーエージェントはオファーを得にくくなり,(かつての)相場以下の契約を結ぶことが増えた.選手会はこれに合わせた戦略を考えざるを得なくなっているが,オーナーサイドも簡単に譲歩はしないだろう.
  • 突如選手育成の方法を知っているアナリストや球団幹部の価値が上昇し,引き抜きが横行している.
  • 一連の知見により四球とフライボールの価値は高く評価されるようになり,また三振はほかのアウトより悪いものではないと考えられるようになった.そして三振率の高い打者は四球やホームランも多い傾向があるのでコンタクトの上手な打者より高く評価されるようになった.この結果プレーに占める三振,四球,ホームラン(つまり野手のところに打球が飛ばず,打者が一塁に全力疾走しないプレー)の比率が上がった.これはスリリングなプレーを求めるファンの期待とは合致していない.
  • 現時点ではこの革命は投手により多くのメリットを与えている.打者は上向き角度6度のアッパースイングを会得したが,(角度4度の高めのフォーシームや角度8度の変化球で)そこから外そうとする投球術に対応できている打者は少ない.その要因の一つは試合で出合うのと全く同じ球種で練習できないことにある.現在の打者のスカウティングは球種の判断力の高い打者を見つけることにシフトしつつある.
  • この育成の技術革新により,最高のトレーニングには時間と高額な費用が不可欠になった.金銭的余裕がないプロを目指す若い選手は以前よりさらに不利になるだろう.
  • アストロズはこの革命の先駆者利益を得たが,今やその知見と技術は陳腐化しつつある.かつて最も保守的と見做されたオリオールズすらこの革命に取り組み始めており,ヤンキース,レイズ,レッドソックス,パイレーツ,ツインズも積極的に取り組んでいる.現在先行球団と遅れた球団に差があるためリーグの成績(勝敗)のチーム格差は著しく大きくなっているが,今後数年で平均化が起こると思われる.
  • 育成手法の革命により,球団はより少数精鋭で育成が可能になる.これは参加マイナーリーグ球団数の削減として現れている.

 
また本書の巻末には統計学者鳥越規央による「解説」がおかれている.これは大変ありがたい部分だ.そこでは本書内の議論がよりクリアーに整理され,さらに2019年以降の状況や日本での状況も解説されている.
 
以上が本書の内容になる.競争の激しいスポーツの世界では,いったん数理統計利用が有効とわかり,そのようなマインドが現場に浸透すると,変革が一気に加速するということがよくわかる.そして最近の具体的なトリビアがいろいろと紹介されていて大変興味深く読める.この本を読んだ後にメジャーリーグを実際に観戦するとまた楽しい.(配球の変革などのところにはなかなか気づきにくいが)今シーズン大活躍のエンジェルズの大谷翔平のホームラン動画などを見ると,フライボール革命の威力がまざまざと実感される.
数理統計やビッグデータの応用に興味がある野球ファンには「マネー・ボール」,「ビッグデータ・ベースボール」に続くぜひ読みたい一冊ということになるだろう.
 
 
関連書籍

原書

 
本書の著者の一人ソーチックによる「ビッグデータ・ベースボール」.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20160414/1460587238
 
同原書


マイケル・ルイスの描くセイバーメトリクスとアスレチックスGMビリー・ビーンの物語.今やこの分野の古典とも言うべき本.

 
同原書

映画化されたもの.

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*1:このシステムは投球だけでなく打球や選手の動きも解析する

*2:アメリカンフットボールのQBは野球のボールよりずっと重いボールを投手より多い回数投げているがあまり肘の故障を起こさないということも傍証とされている

*3:異なる球種のリリースポイントやホームベースまでの軌道が(打者から見分けにくくなるように)ぎりぎりまで一致していること