書評 「最後通牒ゲームの謎」

 
本書は最後通牒ゲーム(および独裁者ゲーム)の謎についての本である.著者はミクロ経済学から学問の世界に入り,ゲーム理論の魅力にはまり,行動経済学,進化心理学と視野を広げてきたという経歴を持つ小林佳世子.経歴通りにこの面白い現象を多面的な視野から捉え,さまざまなトピックについてきわめて明晰かつ分かりやすく網羅的に解説されている好著である.
 
冒頭「はじめに」で最後通牒ゲームとは何かについて解説がある.このゲームで多くの参加者が経済的短期的合理解を選ばないことが大きな謎であること,そのため人間を対象とした実験の中で最も頻繁に行われてきたものであること,これが「ヒトの持つ合理性とは何か」という大きな問いにつながっていくものであることが簡単に紹介されている. 
 

第1章 謎解きの道具

 
ここではこれからの考察の道具として行動経済学と進化心理学が使われることが予告されている.また章末の補足では「合理性」についての説明が置かれており,さまざまな考え方,利己性との違いなどが解説されている.
 

第2章 ホモ・エコノミクスを探して

 
この第2章からいよいよ謎解きが始まる.まず最後通牒ゲームの構造をおさらいする.
参加者がエコン(自己利益を合理的に追求する行動主体ホモ・エコノミクスの略語)であれば提案者は相手へ最小分配,相手は受容となるはずだ.しかし実際に実験するとそれとは異なる結果になる(多くは半分近くを分配,相手は少ない分配額だと拒否する).ここでは実際の実験結果が大規模国際比較実験の結果なども含めて詳しく解説され,これから取り組むべき謎が整理される.*1

  • よく見られるのは40~50%を分配提案し,相手は20%以下だと拒否するというパターンだ.国際比較によると小規模社会では提案額の分散が大きい.一部では一部には提案者が半分以上相手に渡そうとし,相手はあまりに分配額が多いと拒否するような社会*2もある.先進国だと分配額は40~48%あたりに収まる.一部の小規模社会では提案額が15%ほどと低く,相手はほとんど拒否しないというエコン的な振る舞いが見られるが,真のエコンで見られるはずの最小分配提案とその受容は世界のどこでも観察されない.
  • ここから2つの謎が浮かび上がる.なぜ提案者はほぼすべてを独り占めしようとしないのか,そしてなぜ相手は時に損をしてでも拒否するのかだ.

 

第3章 「目」と「評判」を恐れる心

 
第3章では最初の謎,なぜ提案者は最小分配を提案せずに半分近くを渡そうとするのかを扱う.

  • 最初の仮説は「提案者は相手が小さい分配額には(不合理にも)拒否することを理解していて,拒否されないと考える最少額を提案する」と考えるものだ.もしそうなら相手に拒否権のない「独裁者ゲーム」では独り占めするはずだということになる.しかし独裁者ゲームの実際の実験結果は提案者は(最後通牒ゲームより若干低くなるなるにしても)大体20~30%程度の配分を行うというものになる*3
  • なぜヒトは(ゲームの設定である)見知らぬ他人に20〜30%も分配するのか.1つの仮説は「実験者に分配額を見られていることを気にする」というものだ.ここで「分配額を実験者にもわからないようにしている」と教示して実験を行うと平均分配は10%に下がり,60%の参加者が独り占めをするようになる.教示がどこまで信用されているかという問題を避けるためにさらに「ランダム回答法」で匿名性を高めると平均分配は6%に下がる.また実験時にニセモノの目を提示しておくだけで分配額が10%以上上昇する.どうやらヒトは観察されていると(無意識を含めて)感じているときにはより他人に分配し,その心配が無くなるとより利己的になるように行動を調整しているようだ.

ここで著者は「目の効果」のさまざまなリサーチを紹介している.ここで「目の効果」リサーチについての再現性の問題も,一部の実験に再現性がないという報告があるが,全体的なメタ分析の結果は「目の効果」があることを示していると整理している*4.またここでよい評判を得たときには脳の報酬系が活性化し,仲間外れにされると痛みを感じる部分が活性化するというリサーチを紹介して「目の効果」の至近メカニズム的な意味を示唆している.その上でさらに提案者の心理メカニズムを独裁者ゲーム実験のバリエーションを見ながら考察していく.

  • 単に分配するだけではなく相手から(一定額まで)奪ってもよいという条件にすると結果は大きく異なる.単純な500円分配条件だと平均分配提示額は130円だが,100円まで奪ってもよいとすると提示額は30円に減り,500円まで奪ってもよいとすると平均分配額は-250円(つまり250円奪う)になる.「これなら評判的に大丈夫」と感じる基準が文脈に大きく依存しているためだと思われる.
  • 選択肢が2つだけの独裁者ゲームで(独裁者:相手)の取り分が(500円:500円)と(600円:100円)とする.単純条件では多くの人が(500円:500円)を選択する.ここで(500円:?)と(600円:?)を画面上に提示するが,「?」をクリックすると相手の取り分がわかるような条件にする.すると半数の参加者は相手の取り分を見ようともせずに(600円:?)を選んだ.彼等は戦略的無知を利用したことになる.
  • 1000円を分配するが,実験者に100円払えば相手に分配の予定があったことを知らせないようにできるという条件にすると,30~40%の参加者が(単に独り占めすれば1000円もらえるのに)このコストを支払って残りの900円を持ち帰った.利得は欲しいが相手に自分が欲張りだということは知られたくないということだと解釈できる.
  • 分配額の提示が「独裁者が決めた分配額」と「あらかじめ決まっている分配額」がランダムに決まるような条件にする.あらかじめ決まっている分配額条件が1000円:0円や950円:50円などの極端なものである場合,多くの参加者はこの極端な分配を提示した.相手に自分が決めたとわからないなら大丈夫と感じるようだ.
  • これらの結果を眺めると,ヒトは最後通牒ゲームや独裁者ゲームでかなり多くの部分を相手に分配するという行動を見せるが,それは「見知らぬ他人への思いやりを持つ」というより「周りからフェアだと見えることを気にしている」側面が大きいからだと解釈できるだろう.


第3章で著者はなぜ提案者が最小分配を提案しないかについて,基本的にフェアであるという評判を気にする心理から説明している.確かに人々は独裁者ゲームでも独り占めしようとしない.これは評判を気にしているからだろう.しかし最後通牒ゲームと独裁者ゲームで分配額に違いが出ることはこの心理だけでは説明できない.評判的には20~30%程度分けておけば十分だが,相手の拒否をできるだけ避け利得の期待値を最大化させるには40%以上分けた方が合理的だ(これはもちろん参加者が相手の分配額に応じた拒否確率と期待値を意識的に計算していることが必要なわけではなく,あんまり渋るとしっぺがえしされそうだと無意識的に感じているということで十分だ)ということではないだろうか.ヒトには評判を気にする心理と,相手からの報復リスクまで組み込んだ期待値最大化分配戦略心理がともに進化的に組み込まれていると考える方がよいと思う.そして(評判を気にする心だけでなく)後者の心理メカニズムも著者が(最終章で)持ち出す適応合理性の現れと見ることができるだろう.
 

第4章 不公平への怒り

 
第4章では2番目の謎「相手はなぜ時に損をしても拒否するのか」が扱われる.

  • これを学生に質問すると「ズルイから」という答えが多く返ってくる.これは不平等な結果を嫌う「不平等回避理論」からの説明とフィットする.脳科学的に調べると,公平な分配額が提示されたときには報酬系である線条体が反応し,不公平な分配額が提示されたときにはネガティブな情動を司る頭皮質前部が反応することが示されている.さらに脳が嫌うのは「不公平そのもの」ではなく「不公平にしてやろうという意思」であるらしいことも示されている.
  • 要するに不公平な分配提案にはヒトはムカッとするわけだ.しかしなぜ損をしてまで拒否するのか.

 
ここから著者はそれが一種の「利他罰」である可能性を示唆し,利他罰を調べる罰ステージ付き公共財ゲーム実験の結果を丁寧に説明する.ここでコストのかかる罰は悪の大きさやコスとの大きさを反映した合理的に決定される側面があることが強調されている.また罰のコストはしばしば報復リスクを含む大きいことがあることを示したあと,これを乗り越える心理メカニズムとして被害者への「共感」,(特に男性において)加罰行為が報酬となっているという知見を持ち出す.さらに「コストのかかる第三者罰実験」の結果,第三者の行為を評価する能力が赤ちゃんにもあることなどを説明する.その上でこのようなメカニズムがあることについてこうコメントしている.

  • 脳には見知らぬ他者にも共感でき,悪い奴を罰する心が組み込まれている.科学哲学者のモッテルリーニはこれを「見えざる手:invisible hand」と呼んだ.これは初期人類がアフリカのサバンナで生き延びていくために必要な協力的な集団を作り維持するための能力だったという意味だ.

 
本章は利他罰についての総説としてよくまとまっていて好感が持てる.しかし第4章のこのまとめ方にはやや疑問がある.
 
第1に著者は最後通牒ゲームで拒否する理由について利他罰だと扱っているが,そうとはかぎらないのではないか.最後通牒ゲームが繰り返し状況であれば,拒否は「このような不公平な分配を続けるならそちらも何も得られないぞ」という脅しを含んだ意思表示になり,公平な分配を相手に促す合理的な戦略になる.そして進化環境では誰かと一回限りでしか相互作用しないということは稀であり,この相手とまたどこかで同じ状況になる可能性が高い.(実験者による「もう二度と相互作用しない他者」という教示があったとしても),(無意識的な場合も含め)いつどこでまた相対するかわからない相手と扱う方が適応合理性があると考えるべきだろう.
さらにもう一つ重要なこととして周りに「あいつは御しやすいカモだ」と認識されることは進化環境ではきわめて不利になるだろう.だから自分が不合理な扱いを受けたらどう反応するのかについての評判を(無意識的な場合を含め)気にするのも適応合理性があると考えられる.
だからこれは利他罰ではなく,進化環境における相手や周りになめられないための長期的に利己的で合理的な戦略だと解釈する余地がおおいにあるように思う.(そして大多数の人が実際に拒否するからこそ最後通牒ゲームで提案者は20~30%ではなく40%以上提案することになると解釈できる)
 
第2に著者は本章の説明を「見えざる手」だけで終わらせている.確かに社会的な機能としてはそれでいいのかもしれないが,進化的な説明にはなっていない.そもそも利他罰の最大の理論的な問題はなぜそのような利他行為を行うような心理メカニズムが進化するかであり,本文中でこれに全く答えていない*5.著者もそのあたりについてはわかっていて,脚註で「個々人にメリットのない罰という行為をヒトがなぜとるのか」など考えなければならない問題はまだたくさんあるとし,さらに章末の補足でフィールドではコストのある罰行動はあまり見られないという報告があること,罰を行う人間は必ずしも高く評価されない(つまり間接互恵性では説明が難しい)こと,罰には信頼を破壊する恐れがあることを説明し,「罰」の問題は今まさに研究途上の分野だと補っている.これらは註や補足ではなく本文として記載すべきであっただろう.
 

第5章 脳に刻まれた“力”

 
第5章では第3章で示された評判を気にする心を進化心理学的に説明する章になる.
ここでは進化心理学を説明するためにコスミデスたちやそれに続く進化心理学者たちの「ウェイソンの4枚カード問題」実験について詳細が丁寧に説明されている.一連の実験結果が(特に意図的な)裏切り者検知モジュール,およびそれとは異なる危険を避ける予防措置モジュールが存在するためだと解釈できること,具体的でなじみがあるかどうかだけでは説明できないこと,社会的立場によって発動する検知対象の裏切りタイプが変わってくることなどが解説され,これが進化的に組み込まれたものだという説明を行っている.また裏切り者をよりよく覚えること,うわさ話には裏切りを示唆するネガティブな情報が多いこと,評判とエラーマネジメント理論(裏切りを疑われることはリスクが大きい)なども説明があり,これらを第3章の「評判を気にする心」につなげている.
また最後に「市場が発達している社会ほど最後通牒ゲームでの分配額が大きくなる」という知見を紹介し,それはなぜなのか,因果の向きがどちらかなのかがまた新しい最後通牒ゲームの謎として浮上していると結んでいる.
 
本章は4枚カード問題についてよくまとまっていて,これについての進化心理学的な総説としても読みごたえがある.
 

第6章 進化の光

 
第6章はこれまで説明してきたことを踏まえた上で「合理性」について考察する章になる.

  • なぜヒトは独裁者ゲームで20~30%も相手に渡すのか.それは分配を渋ると「裏切り者」という評判を立てられるリスクが高く,そのコストがきわめて大きいからだ.だからこれはある意味合理的な行動であり,(エコン的な短期的経済的な合理性に対して)適応合理性(進化的戦略)があると考えることができる.(ここで「合理性」についての哲学的な議論も行っている)
  • 何が適応合理的な行動かは周りの状況や文脈に大きく依存する.だから適応合理性とエコン的合理性が一致することも一致しないこともある.そしてこの状況を理解する視点を与えてくれるのが進化心理学だ.(進化環境やモジュールの考え方について簡単な解説がある)

そして最後に著者は利他性について簡単にふれている.利他性の定義と利他的な動機との関連,利他性の進化の謎,および協力と道徳との関連を(読者の今後の興味につながるような導入として)議論し,それらの考察が経済学をより豊かにするのではないかという希望をおいて本書を終えている.
 
本書は最後通牒ゲームと独裁者ゲームに対する人々の(ミクロ経済学的最適意思決定から見て)不可思議な反応という興味深い題材を導入にして,ヒトの評判を気にする心,利他罰,裏切り者検知について解説する楽しい本だ.この評判を気にする心(間接互恵),利他罰,4枚カードについての解説部分は多くのリサーチを丁寧に紹介しながらも,初学者にとって分かりやすくなるように工夫が重ねられており,つかみの導入の面白さと合わせて全体として優れた進化心理学のサイドリーダーになっている.私自身は最後通牒ゲームの謎解きについて著者とは異なる見解だが,それでも進化心理学に興味のある人にぜひ勧めたいと思わせるきりっと引き締まったいい本だと思う.

*1:本章末の補足では1000円を分配するときに<999円:1円,受容>だけでなく<1000円:0円,受容>もナッシュ均衡(部分ゲーム完全均衡)だという解説がある.そこでは相手は受容しても拒否しても利得0円だからこれも均衡だということになるという説明がなされている.しかし相手は拒否してもやはり0円なのだから,提案者の立場から見るとこれは不安定(確率50%で拒否される)で,合理的には1円きちんと分配しておくべきということになるだろう.このゲームをヒトの意思決定として解析する上では部分ゲーム完全均衡だけ考えるのではなく均衡点の安定性も考慮すべきであるように思われる

*2:このような社会では高い地位を得るために競い合って贈り物をする文化があると説明されている

*3:これは実験ゲーム理論における最も不可思議な結果の1つといわれているそうだ

*4:なお本章の補足において「目の効果」は当初報告されたものより限定的である可能性があることについて詳細な説明がある

*5:本文中で「見えざる手」だけ提示するのは進化的に悪しきナイーブグループ淘汰的な説明によっていると誤解されるリスクが高いだろう.