From Darwin to Derrida その92

 

第10章 同じと違い その1

 
前章で究極因と至近因を扱ったヘイグは本章でいかにも手ごわそうな「相同」概念を吟味する.議論は19世紀の博物学から始まる.そしてもちろんここでオーウェンが登場することになる.
 

誰もネズミの脳とヒトの脳が実は「同じ」であるという結論を避けることは,その明白な違いにもかかわらず,できない.

グンター・ワグナー「The biological homology concept.」(1989)

The Biological Homology Concept | Request PDF

 

  • 19世紀を通じて博物学者と生物学者は自然において観察される「同じ」と「違い」のパターンの秩序を追い求めていた.ウィリアム・スワインソンは「最も普通の観察者は,すべての創造物は他の創造物とそれぞれ異なる関係性と類似度を持っていると知覚する.近接し,密接に関係しているのか,あるいは遠隔で単にアナロジーの関係なのか,と」と書いている.

 

  • 生命の多様性を分類する試みは構造と機能の関係性についての論争により泥沼に陥ってきた.種間比較すると,同じ機能を持つ器官の構造的類似性が実は表面的なものに過ぎず,異なる機能を持つ器官に深い関係性が見つかることはよくある.
  • 一部の論者にとって,この機能と構造の類似性の非連結は,構造をもたらす原因が機能とは独立にあることを示唆している.1830年のフランス学士院での論争で,キュビエは「すべての生命体はそのおかれた条件に適応しており,その構造は機能的ニーズによって形作られる」と主張し,サンティレールは「全く外見の異なった生物間の構造的なアナロジーは身体の組織化が共通のプランに基づいていることを示している」と主張した.サンティレールは自分の類似性の理論を形と機能についての誘惑的な影響を避けるものと考えていた.

 

  • オーウェンはこのパリジャンたちの議論を聞き,キュビエの方が良い議論だと考えた.オーウェンは当初キュビエの考えに沿って仕事を行っていたが,脊椎動物の骨格の研究が進むにつれて,すべての脊椎動物の骨格を形作るプランあるいはイデアを示す「原型」(archetype)という考え方にシフトしていった.

 
このオーウェンの考え方のシフトは興味深い.当初はどちらかといえば適応主義に近い感覚だったのが,様々な生物の比較解剖学に精通するにつれて「原型」を認めざるを得なくなったというわけだ.
 

  • オーウェンは相同(homology)と相似(analogy)を区別した.彼は相同は「さまざまな形態や機能を持つ異なる動物間にある同じ器官」を表し,相似は「ある動物のある器官のもつ機能と同じ機能を持つ別の動物の別の器官」を表すと書いている.これはしばしば相同と相似の区別を最初に明確にした定義だとされるが,オーウェン自身は,このような概念は以前よりドイツやフランスの哲学的解剖学者によって議論されており,それを紹介して有名にしたに過ぎないと考えていた.そして自分自身の功績は.相同の中で一般相同(general homology),特殊相同(special homology),連続相同(serial homology)を区別したことだと見ていた.

 

  • 一般相同は,ある器官部分が基本タイプあるいは理想的タイプであるような関係であり,連続相同は同じ個体の中での繰り返しパターンを示す器官部分間の関係であり,特殊相同は異なる種の器官部分の本質的な一致をさす.

 

 
私はこのあたりについて詳しくないが,少し調べてみると,「一般相同と特殊相同が,同じ個体内の器官間の相同か,別種の動物の対応器官間の相同かにより区別され,一般相同の一種として連続相同がある」というような解説が多い.ヘイグの一般相同の説明はやや意味不明だ.