書評 「Life Changing」

 
 
本書はヒトが生物世界にどのような影響を与えているのか(本書では「ポスト自然史」と呼ばれている)についての本だ.著者は細胞生物学の博士号を持つサイエンスライターであるヘレン・ピルチャー.邦書としては珍しく書名がアルファベット表記になっており,副題と合わせて「Life Changing:ヒトが生命進化を加速する」となる. 原題は「Life Changing: How Humans are Altering Life on Earth」.
 
著者のポスト自然史は家畜化から始まる.
 
第1章ではいきなり「イヌは遺伝子操作されたオオカミだ」という記述で読者をドッキリさせ*1,イヌの家畜化の歴史を語る.古代ゲノムデータを用いた研究を紹介し,現在家畜化が生じた時期は3万年以前という古い年代が有力になってきていること,少なくとも2ヶ所で独立に家畜化が生じた可能性が高いこと,自己家畜化だったのかどうかの論争があることを解説している.ここから有名なベリヤエフのキツネ家畜化実験を取り上げ,神経堤細胞によるメカニズムを解説し,最後に家畜化が連続的な現象であることをイエネコの例で示している.
 
第2章ではウシを取り上げて,その家畜化の経緯(オーロックスから12,000年前に中東で,8,000年前にインドで独立に2回家畜化されている*2),18世紀以降に始まった計画的な選択交配による育種(人工授精の利用と強い人為淘汰圧),さらにオスウシの選択方法の変化(後代検定から遺伝子検査の利用へ)が語られる.このような育種方法の革新はもちろんウシだけでなくニワトリやイヌなどのほかの家畜の育種においても利用されている.
ここで著者はそれが奇妙な家畜品種を生み出している例(気絶するヤギ,ハンター向けの黄金のヌー*3)を挙げ.極端な育種による家畜の遺伝的多様性の減少の問題を提示する.また最後には原種オーロックスの復活プロジェクト*4が紹介されている.
 
ここから本書のテーマは家畜から遺伝子改変やクローンという現代の技術に移っていく.
 
第3章は遺伝子組み換え技術.まず冒頭に赤いカナリア創出にかかるテクニック(ショウジョウヒワとの交雑個体を戻し交配する*5)を紹介し,そこから,放射線による突然変異誘導,DNA配列のカットアンドペーストという手法の進歩を概観し,その成果としてより成長速度の高いサーモン,鮮やかな色彩を持つ形質転換熱帯魚などを紹介する.そこから技術の革新であるCRISPER-Cas9を解説し,現代の様々な応用(ヒトへの移植用オーダーメイド臓器を作るブタ,ヒトへの薬剤やクモの繊維を含んだミルクを出すヤギなど)を見ていく.
 
第4章はクローン.ドリーの話に触れたあと,ポロ用のウマのクローン(ポロではウマの消耗が激しいために騎手は1試合で何頭もの馬に乗り換える,優秀なウマのクローン軍団を使う戦術は非常に有効だそうだ*6),優秀な種牛のクローン*7,愛するペットのクローンなどクローン動物の現状を紹介する.そこからクローン技術のコストと限界(コピーミスの蓄積やエピジェネティックスなど)が解説されている.最後にクローン技術を使った絶滅動物の復活プロジェクトにも触れている.
 
第5章は遺伝子技術を用いた外来生物や病原体(および媒介者)の駆除について.最初に放射線照射により不妊化したオスを大量放虫するラセンウジバエの駆除作戦が紹介される.これは日本でミカンコバエに対して行われたものと同じやり方だ.この他ツェツェバエ,ワタアカミムシガにもこの方法が応用されている.
CRISPER-Cas9技術がある現在では遺伝子改変で致死遺伝子を組み込むことで不妊化できる.これによる駆除がデング熱や黄熱病を媒介するネッタイシマカに行われ,かなりの有効性を示している.しかしマラリアを媒介するハマダラカはサブサハラアフリカに広く分布しているために大量放虫を繰り返すことが実務的に難しい.そこで考え出されたのが「遺伝子ドライブ」だ.これは改変された遺伝子を一種の利己的な遺伝子にすることでドライブをかけ,すべての子孫にその形質(たとえばすべてオスにするなど)を発現させることができる.昆虫だけではなく,ニュージーランドでキーウィなどの固有種を食い荒らすフクロギツネのような侵略的外来種にも適用可能だ.ただしこれは自己増殖性のある手法であり一度解き放ってしまえば後戻りできないという怖さ*8があり,現時点では制限的な利用が検討されている段階だそうだ.
 
続いて本書のスコープはより広角になり地球生態系全体を見ていくことになる.
 
第6章は人新世という概念について.クルッツェンが人新世(Anthropocene)という言葉を最初に使ったときの逸話を紹介した後,人新世が始まったとされる12000年前から始まったメガファウナの消滅と一部の家畜がバイオマスの大きな部分を占める状況(後代になったときに人新世の示準化石はニワトリになるだろうという示唆は面白い)を解説する.
ピルチャーはこの20世紀以降進展した大量の家畜バイオマス状況を不健全と考えており,特に大規模な商業的農業と工業的畜産のための大量の化学肥料と殺虫剤の使用および飼料生産用のリソース(特に土地と海洋資源)使用を問題視している.またピルチャーはこれらは野生動物の絶滅についても影響が大きいことに警鐘を鳴らしている.
 
第7章はヒトが(交雑を通じて)新しい種を地球に解き放っていることについて.1970年代に流行った「シーモンキー*9」の話を振った後,ヒトが様々な生物の種間交雑を試みてきたこと*10,ヒトによる環境改変のために予期せぬ種間交雑が生じること*11が解説されている.ここでピルチャーは昔懐かしい「前途有望な怪物」議論を持ち出し,あるいは種間交雑は進化に影響を与えるかもしれないとコメントしている.ここではホッキョクグマとヒグマの複雑な関係やイタリアスズメ(イエスズメとスペインスズメの交雑から生まれた繁殖集団)などの詳細が楽しい.また最後に外来種の問題にも触れ,外来種に対する私たちの態度が全く一貫していないことを指摘し,外来種との交雑は(在来種にとっていろいろな問題を生じさせるが)片方で遺伝的多様性を新たに生んでいるとも考えられるとコメントしている.
 
第8章はヒトが作りし都市環境に適応する生物.まずロンドンのチカイエカ(地下鉄の環境に適応し,餌はヒトとネズミの血に特化し,年中繁殖するようになった)ニューヨークのシロアシマウス(公園ごとに遺伝的に分断され,汚染耐性などを獲得),ネブラスカのサンショクツバメ(交通事故を避けるために翼長が短縮化),オオシモフリエダシャク(工業暗化)などの有名な例を紹介する.そこから薬剤耐性,狩猟圧や漁獲圧への適応,人工孵化場環境への適応などのヒトにとっても好ましくなさそうなすばやい適応事例が紹介されている.この章はスヒルトハウゼンの「都市で進化する生物たち」の短い要約のような章になっている.
 
ここからの3章は保全がテーマになる.
 
第9章は温暖化による白化のために危機にあるサンゴを救うべく「スーパーサンゴ」を人工授精により育種しようとする話.人工授精のためにはまず卵と精子の放出のタイミングを制御できるようにしなければならない.このために飼育下でデータを厚め飼育環境をコンピュータ制御することができるようにする努力,そしてより高熱耐性のあるサンゴ,さらに同じく高熱耐性のある褐虫藻を作り出す試みが紹介されている.
 
第10章はカカポの保全.初期の保全の試みの失敗(移住させた島にオコジョの侵入を許し全滅した),残された個体群の発見,沖合いの小島への移住が語られ,そこで実行されている繁殖と個体数回復のための大掛かりなプロジェクトが詳しく紹介されている.
 
第11章は再野生化がテーマ.まず英国のサセックスにあるネップ・エステートで行われている再野生化の試みが紹介される.そこはもともと小麦と大麦を栽培し牛を飼っているような英国によくある農場だったが,あまり土壌がよくなく,牛乳と穀物価格の低下により経済的に成り立たなくなった.このためオーナーは手のかからない形で再野生化して観光収入を得ようと試みた.タムワースブタ,ヘック・キャトル,アカシカ,ポニーなどを放牧し,湿地と草原を作り出すと,ハイイロガンを始めとする多くの野鳥が飛来し,(美しいイリコムラサキをふくむ)昆虫が住みつくようになり,20年を経た現在では異質な生息環境がパッチワークのように入り組んだ複雑で壮麗な景色が生まれたそうだ.
現在,欧州では多くの再野生化の試みがあり,ビーバーやオオヤマネコの再導入が実行されている.そしてなんとゾウの再導入も検討されているそうで,詳しくその背景*12が語られている.
 
最終第12章はまとめの章になる.ヒトが地球の自然史をいかに改変してきたか,狩猟によりキーストーン種を絶滅させ農業をはじめて環境を大改造し,極端な育種による家畜を作り出しバイオマスの比率をいびつにし,生物多様性を大きく低下させている.そして著者は片方で遺伝子解析などの技術は大きく進歩しており,それを生物多様性や地球環境のために使うことも可能になっていることを指摘して本書を終えている.
 
本書ではヒトがこれまで生物世界に対してどのような影響を与えてきたのか,そして今後どのようなことができるのかについて概観されている.所々行き過ぎた技術についての懸念のような情緒的な記述もあるが,おおむね冷静で客観的な捉え方がなされており好感が持てる.またある意味ジャーナリスティックで総花的な書物で焦点がぼやけているとも言えるが,一般読者にはこの方が読みやすいだろう.私的にはポロのクローンウマ軍団やヨーロッパへのゾウの再導入構想の話が興味深かった.地球と生態系に対してヒトの与えた影響を理解するためにとりあえず便利な一冊だ.


関連書籍
 
原書 

 
赤いカナリアを作り出す物語としてはこの一冊

 
同原書

 

都市環境における進化についてはこの一冊.私の訳書情報はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2020/08/10/111124,原書書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20180509/1525863616

同原書

*1:「遺伝子操作」とまで表現するのはやや奇をてらった言い回しで好みの分かれるところだろう

*2:インドのウシはゼブーと呼ばれるコブウシになり,さらにゼブーと中東のウシの子孫であるヨーロッパのタウルスウシが紀元前1000〜2000年ごろに交雑したものがサブサハラアフリカのサンガウシだそうだ

*3:ここでは南アフリカにおける粗放的家畜放牧から大型野生動物の猟獣保護区への基幹産業の転換が説明されている.ここにはトロフィーハンティングの倫理性と効果的な野生動物の保護方法をめぐるトレードオフがある.

*4:もちろん文字通りの原種の復活は不可能だが,オーロックス的特徴を備えたゲノムを合成し掛け合わせすることにより現在4世代経過してかなりそれらしい品種になっているそうだ.そしてこのプロジェクトはヨーロッパの再野生化地域の生態系保全,ウシの遺伝的多様性の保全に役立つとされている

*5:ただしこの遺伝子の組み込みだけでは赤くならない.赤色を発現させるにはカロチノイドを餌として摂取させる必要がある

*6:なおクローンウマを使ってよいかどうかは競技によってルールが異なるそうだ.馬術はOK,ロデオは一部競技で認めている.競馬においてはルール上血統登録が必要で,事実上禁止されている状態になる

*7:なおこの部分で中国では牛肉生産増強のためにクローンが使われていると説明されているが,単に肉を作るだけならクローンでない方がコストが安いと思われる.おそらく何らかの説明が不足しているのだろう

*8:ハマダラカのような普遍的害虫ならともかく,フクロギツネのような外来種の場合,もし何らかの偶然でドライブ遺伝子を持つ個体が本来の生息地であるオーストラリアに移入されればそこでも絶滅を引き起こしてしまう

*9:ブラインシュリンプの様々な系統から長期間休眠でき復活が容易な系統をつくり出したもので,アメリカで手軽な飼育ペットとして爆発的な人気があったそうだ

*10:ライガーなどの無理やりつくられた交雑個体の例が多数紹介されている

*11:温暖化によるホッキョクグマとヒグマの交雑,ヤマネコとイエネコの交雑などが取り上げられている.

*12:基本的にゾウは更新世のヨーロッパのキーストーン種の1つだったのであり現在のヨーロッパの環境には大穴が開いていると考えることができる.ゾウは広大な草原を維持し,肥料を与えることができる.