From Darwin to Derrida その94

 

第10章 同じと違い その3

 
ヘイグによる「相同とは何か」.オーウェンによる考察とダーウィン以前の議論を見てきた.ここからダーウィンが登場する.
 

  • ダーウィンは「種の起源」において,プラトン的イデアを削り落とし,目的因を自然化した.彼は特殊相同は「共通祖先からの由来」だと説明した.

  • もし私たちが古代の祖先が,それを原型と呼んでもいいかもしれないが,既存の一般的パターンから手足を形成すると仮定するなら,それがどのような目的に使われているにせよ,(その子孫である)同じ分類群の動物のすべての手足の構築にかかる相同性の重要さに直ちに気づくであろう.
  • ダーウィンは原型を祖先に置き換えるとともに,一般相同は,現在と過去における特殊相同の一種として理解できるとした.連続相同は成長と由来の相関により説明した.

身体の複数の部分が相同であり,初期胚の時点でよく似ているなら,その後の類似した様式による変化を引き起こす.右腕と左腕は同じような様式で(左右が)異なる形に発達する.前脚と後脚,そして顎と脚も同じように変わっていく.顎と脚は相同なのだ.

  • 繰り返し構造は発達の初期には似ているが,自然淘汰により異なる機能を果たすために異なる形に発達していく.
  • 私たちはそのような部分や器官間にある程度の基本的な類似性があり強い遺伝の法則を受けていることを不思議がる必要はない.

 
これらのダーウィンの洞察は遺伝についての発生についてもほとんどわかっていなかった時代のものでありながらいつもながらに本質に迫っていると感じられる.特殊相同はダーウィンの進化の考え方からすれば当然の見方になるが,一般相同や連続相同についての洞察はよく考え抜かれた結論だと感じさせる.
 

  • 「種の起源」は形態学者に(自然淘汰の理論は受け入れていなくとも)種と種の間で変形が生じることを受け入れるのに貢献した.オーウェンはダーウィンのメタファーの使用を嘆いている多くの学者の1人だった.

  • パラエオテリウムがエクウス(ウマ属)に変化したと仮定するときに,私は,宇宙を構成するものやそこに働く法則を「自然」として擬人化してそこに働いている力を概念化する必要を感じない.
  • そのような比喩的な言語は何も説明しない.
  • 比喩や擬人化が,前世紀に「(錬金術的な)アルケウス力」や「(生気論的な)原初力」やその他の自己欺瞞的な言葉とともに科学の説明手法として消滅していなかったことは驚きでしかない.

Richard Owen On the Anatomy of Vertebrates, volume 3: Mammals(1868)

 
そしてダーウィンに反発するオーウェンのこの文章もいかにもヴィクトリアンの重鎮であるオーウェンらしい感じだ.