第14回日本人間行動進化学会(HBESJ 2021)参加日誌 

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2021年の日本人間行動進化学会は昨年にひきつづきオンライン開催(12月4日〜5日)となった.この学会はプレナリーミーティングが多いのが特徴だったが,今年は趣向を変えてプレナリーは招待講演のみ.あとはポスター発表のみという形で開催された.総会の後すぐに招待講演に
 

招待講演 ゲノミクス時代の文化進化 松前ひろみ

 

  • 本年2021年はゲノム時代の文化進化研究にとって特別な年だ.それは1つはダーウィンの「人間の由来」出版150周年,もう1つはヒトゲノム解読20周年に当たるという意味だ.ダーウィンは「人間の由来」の中で生物の変化と言語の変化は(共通祖先から分岐しながら多様化するという点で)似ていると指摘している.
  • 現代の進化生物学はゲノムから解析できることが多くなっている.しかし文化や社会の進化ではそれは難しい.ここに課題がある.

 
(ここからヒトゲノムとゲノム解析技術の進歩についてのレクチャー)

  • ヒトゲノムは核の3億塩基対,ミトコンドリアの1万6千塩基対からなる.
  • ゲノム時代の技術変革には.SNPsアレイ,ショートリード型NGS,ロングリード型NGSと進んできた.これらにはそれぞれ長所短所がある.(詳しい説明あり)
  • また解読されたゲノムデータが公開され,それがデータベース化されている.
  • さらにいわゆる古代DNAが読めるようになった.これは切れ切れなのでショートリードで読む.現在ではC→T変換の状況を推測して読んだゲノムがどのように切れ切れになっているかを推定できる.
  • またゲノム解読量や精度が上がり,種やその下位の集団などのグラデーションの部分も解読できるようになっている. 
  • ではこれらが示唆するものは何か
  • (1)現生の非ヒト霊長類の神経系をゲノムから解析できる
  • (2)しかしヒトとチンパンジーの分岐以降70万年前ぐらいまでについてはデータの空白期間になる.(現在70万年前より古い古代ゲノムは解読困難)
  • (3)それ以降についてはネアンデルタール人やデニソワ人との混血の様子が明らかになっている.これを見ると混交は可能なのに文化はかなりはっきり分かれていて,ここに1つの謎がある.

 

  • そして(4)現代サピエンスのゲノミクスと文化から様々な解析ができるということがある.
  • ここで文化はどの程度淘汰圧になっているのかという問題がある.
  • これはしばしばセンセーショナルに取り上げられているが,よく吟味すると実はあまり大きなものではないかもしれない.そうだと思えるのは牧畜と乳糖耐性,農耕とアミラーゼぐらいだ.
  • たとえば小麦を主食とする文化で,遺伝的にグルテン不耐性の人々が見られる(セリアック症).これに関連する遺伝子を見るとそのいくつかには免疫にかかる正の淘汰圧を受けた形跡がある.小麦を主食とする文化圏で小麦を食べられないのはとても不利だろう.それでも正の淘汰を受けている.つまり文化よりも感染症の方が淘汰圧として大きいということになる.同じような例として東アジアに多いアルコールに弱い遺伝的変異(これも正の淘汰を受けた形跡がある)がある.稲作と関連していそうだが,なぜ弱い方がいいのかについてはやはり感染症の問題かもしれない(飲み過ぎ防止という仮説は怪しい).淘汰は多面的にかかるので分析は難しい.
  • また文化による淘汰圧は時代や地域によって大きく変わるので分析は難しいという問題もある.面白そうだがどう考えればいいかというところが課題だ.

 

  • 移住史と文化社会構造をゲノミクスで分析できる.ミトコンドリア,Y染色体,X染色体は親→子への伝播が性特異的なので母系社会か父系社会かという分析に使える.近親婚の程度,個人間の血縁関係(同じ墓から出てきた複数人の関係など)なども分析できる.

 

  • 文化の類似度と遺伝子の系統を比較することにより,どのような文化的要素があまり形を変えずに垂直に伝わりやすいのかを調べることができる.これまで様々な研究があり,文化としては言語や音楽がよく取り上げられている.
  • 音楽についてはスティーヴ・ブラウンの音楽言語仮説,スティーヴ・マイズンのHmmmmm仮説などが有名.
  • 言語は比較法が確立しており体系化もある程度なされている.また記号として取り扱い可能なので研究も多い.
  • 有名なのはインドヨーロッパ語族の系統関係の推定研究だ.これは基礎的な語彙を用いてなされたものだ.
  • 北東アジアで同じことをやろうとすると,基本語彙が違いすぎて星形の系統樹しか書けず,ゲノムデータと大きく食い違う.

 

  • そこで遺伝学,進化生物学,統計学,言語学,音楽学の専門家からなる学際グループを立ち上げて,言語,音楽,ゲノムの比較を行った.
  • 言語は語彙だけではうまくいかないことがわかっていたので,音素や文法(SVOなどの語順,過去形の有無など)も要素にいれ,データベースを整理した.
  • 音楽については(同祖的な系統関係を示していると思われるものとして)たとえばイヌイットとサハリンアイヌに類似した女性が向かいあって歌う歌(喉歌)があることが知られている.音楽についても(リズムやピッチなどの)41の要素を取り上げてデータベース化した.
  • ゲノムと言語と音楽をマトリクスにして主成分分析をかけた.その結果遺伝子と文法にのみ関連が見つかった.
  • 関連が見られる理由としては(1)最近の言語接触(2)系統的に近い文法によるバイアス(3)真に歴史的な関係があるの3つが考えられる.(1)と(2)が棄却できれば,集団史と文法に関連があることになる.
  • (1)についてはシベリアの言語で検証した.地理的要因を除去しても関係が残ったので棄却できた.(2)についても系統要因を除去しても関係が残ったので棄却できた.

 

  • 結論:北東アジアでは集団史と文法に関連がある.語彙や音楽には関連が見られなかった.文化の中にはよく保存される部分と保存されない部分があり,それが遺伝と関連するかどうかにかかわっている.保存されない要因としては地域特異的な文化,文化進化特有の何らかのファクターなどが考えられる.

 

Q&A

 
北東アジアで語彙より文法の方がより保存されているということだが,インドヨーロッパ語族ではどうなっているのか

  • インドヨーロッパ語族で直接比較した研究は知らないが,オーストロネシア語族で比較した研究があって,そこでは文法よりも語彙の方が保存されていた.なぜかということは今後調べていかなければならないが,オーストロネシアの場合は島々に別れた部族同士の交流という状況が関係していると思っている.特定の語彙については共通に使う状況があったのだろう.
  • またインドヨーロッパ語族と北東アジアの違いは,前者は農耕文明で,それが起源地から大きく拡散した歴史を持つというところにある.北東アジアで言語が分岐したのは狩猟採集時代であり,状況はかなり異なる.

 
普遍文法という議論を受け入れるなら,言語においては収斂的な変化が多くなるのではないか

  • 実際に収斂は多いと思う.SVOなど語順言語の分布を見るとそれが感じられる.

 
歌は(遺伝と)関連がなかったのか

  • 歌はミーム的な文化進化を起こして変わりやすいのだろう.ただ喉歌のような例もあり,詳細はよく調べる価値があると思っている.

 
石器とか土器の様式はどうか

  • やったら面白いと思うし,実際いろいろ研究されている.ただ様式の評価はなかなか難しいという感じを持っている.

 
 

ポスター発表

 
今回のポスター発表方式はGather townを用いたもの.私ははじめてだったが,なかなか面白い仕組みだ.各ポスターにミニオンライン会議が設定され(コアタイムにこのミニ会議が一斉に十数個立ち上がる)になっていて,さらにポスターに対してどこに立つかも表示され,掲示されたポスターをみながら後ろの方でそーっと聞いたり,前に出て(出る必要はないが)マイクとカメラをオンにして議論に参加したりできる(画面共有も可能)ので,実際の対面のポスター発表にかなり近い感覚を得られる.また通路で誰かと立ち話もできるのも楽しい.
 
全体として今回は協力の進化に関するものが多かったように思う.面白かったものをいくつか紹介しよう.

多数派同調は、協力の進化を促進するか―2つの規範が協力の進化にもたらす影響についての検討 貴堂雄太

 
協力の進化についてのエージェントベース・シミュレーション研究.文化的集団淘汰から協力を説明するには集団間で協力にかかる文化差があることが前提になる.そこでどのような規範内面化と多数派同調を含む社会学習が集団間の協力に関する文化差を生むのかを調べたもの.協力的な文化になるためには,多数派同調がある場合には協力規範より罰規範の方が有効だが,多数派同調が無くなると逆になるという結果が得られ,それはどう説明されるべきかが考察されていた.
 

他者は自分よりも道徳的か,それとも非道徳的か?:道徳基盤を用いた検討 藤井綾乃

 
自分が他者より道徳的と考えるかどうかについて,「道徳的行為を他者よりよく行うか」という問い方と「非道徳的行為を他者より行わうか」という問い方でどう異なるか,さらにその道徳的行為の内容をハイトのいう道徳基盤ごとに分けて問うとどのような差があるかを調べたもの.結果はそれぞれ微妙な差が見られており,興味深かった.
 

直感的協力の生起メカニズムに関する検討:安心ゲームへの主観的な構造変換は集団内に限定されるか(研究計画) 前田楓

 
まず直感的協力と熟慮的協力(さらにその中で共感的熟慮的協力と理性的熟慮的協力)が,それぞれ相手が内集団メンバーかどうかで異なるかを調べた.直感的協力は内集団メンバーに対してより強く働いたが,共感的熟慮,理性的熟慮により協力は集団差を生まなかった.
ここから次に直感的集団内協力の生起メカニズムを調べていく計画.その中で囚人ジレンマゲームが(集団内メンバー間の)安心ゲームに主観的に構造変換される(相互協力の望ましさが提示されるペイオフ以上に評価される)メカニズムを仮定して検証したいというもの.
 

ネットワーク上の文化伝達モデルによる日本語アクセント様式の変異率・系統関係の推定(研究計画) 高橋拓也

 
これまでの言語学的研究から日本語の各地方方言のアクセント体系は京都方言から様々な変化を起こしたものだと考えられている.そこで日本本土をメッシュ状に区切ったネットワークとみなし,アクセントを核・トーンの有無によりパターンに分け,合祖理論とベイズ推定により変異率や系統関係を推定しようというもの.
 

罰行使者はいつ好かれるか?:非協力者の動機とゲーム状況に関する検討 Li Yang

 
罰の二次的ジレンマへの一つの考え方は罰行動により良い評判を獲得できれば解決できるというものになる.先行研究では公共財ゲームではゲームに参加していない第三者である罰行使者はネガティブに評価され,囚人ジレンマゲームでは第三者罰行使者はポジティブに評価されることが報告されている.
この評価には罰行使者の非協力者の動機の推測が関与している可能性があると考え,ゲームが同時意思決定の場合と順次意思決定の場合(さらに先手と後手)で評価がどう異なるかを調べた.結果は動機の推測では説明できなかったというもの.
 
 

若手発表賞結果発表 閉会の辞

 
本会に先立ち役員改選が行われており,新旧会長挨拶があった.
 

長谷川眞理子会長退任挨拶

 
本年もオンライン開催で盛会となりました.Gatherで皆さん活発にいろいろ議論できたと思います.大会運営をうまくやっていただいてありがとうございます.
本当は実際に会ってやりたいと思っています.この1年半ほとんどどこにも行かずにオンラインばっかりでした.ようやくこの10月に沖縄に行く機会があり久しぶりに飛行機に乗り,この前山形に行って対面の会議に出席しました.対面はいいとつくづく思いました.これは人間性とは何かに深くかかわるところだと思います.
昨今の(コロナをめぐる)状況については,オンライン会議などの技術が進歩してよかったと思うと同時に,人間性とは何かを考えるいい機会にもなったと思います.これに関して何か研究論文が出ると面白いと思います.
今回は運営の人たちにいろいろがんばっていただきました.私は最近とても忙しく,また本当に年をとったと思うこともあり,今回若い世代に引き継ぐことができてよかったと思っています.
現在の若い世代の人たちは私たちと比べて別の意味でいろいろ苦労されていると思います.学会運営は確かにボランティアですが,それは自分の行動の自由を守り,いいたいことを世間に発信する場となります.無償ではあるが自分たちの活動を守る重要なものと考えてやっていただけたらと思います.
今回会長を退くことになり,正直ちょっとほっとしているところもあります.これからもたくさん仲間をつくり,進化の視点で人間行動を考えるということをどんどん広めていってほしいと思っています.
あらためて感謝致したいと思います.ありがとうございました.
 

竹澤正哲新会長就任挨拶

 
新会長となりました.ついにこの日が来たかという思いです.これまで寿一先生と眞理子先生に引っ張っていただいた学会が新しい世代に任されたということで身の引き締まる思いです.
学会は皆で集まって議論する場です.HBESJはそれがうまくできていて,それで継続してきたと思っています.いろいろ学術をめぐる環境は変化していますが,HBESJの精神を受け継いでいきたいと思います.また新しいことにも取り組み,若い人が積極的に参加できるようにしていきたいと思います.
皆様のご協力をよろしくお願いします.

若手発表賞の発表

最優秀賞 1名

  • 本間祥吾:脳の中に「自他の重ね合わせ」は存在するか:哲学と認知神経科学の学際的アプローチ

優秀賞 3名

  • 前田楓:直観的協力の生起メカニズムに関する検討:安心ゲームへの主観的な構造変換は集団内に限定されるか?(研究計画)
  • 貴堂雄太:多数派同調は、協力の進化を促進するか―2つの規範が協力の進化にもたらす影響についての検討―
  • 中田星矢:コミュニケーションは言語構造の文化進化に寄与するのか?:繰り返し学習実験による検討

 

閉会の辞 長谷川眞理子会長

 
HBESJはレベルの高い発表が多いという印象を持っています.これはLEBSにも当てはまります.この先もこれを維持していただきたいと思っています.
最近本当に年をとったなと思うようになりました.オンラインのZoomやスマホもそうですが,新しいことを取り入れるのに,若い頃とは違ってかなりの認知的負担を感じるようになりました.しかし老人学の秋山先生に言われて,何でもスマホでできるように取り組んでいます.お化粧やマニュキアもしてスマホも使いこなせる老人になって世の中を渡っていきたいと思います.
そして人間行動の研究は本当に面白いと思います.初日の講演でも出ましたが,音楽でも芸術でも,ヒトの行動,脳の活動,社会を進化の視点から考えることにはまだまだいろんなことが考えられます.ぜひ若い人にこれらに取り組んでほしいと思います.最後にもう一度感謝いたします.ありがとうございました.
 
 
以上で本年のHBESJは終了となった.運営の皆様に対しては私からも感謝の意を表しておきたいと思う.ありがとうございました.