行動経済学会2021 参加日誌

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昨今は日本の多くの学会がオンラインで気軽に参加できるようになっていて,私も様々な学会に参加してみていろいろ面白かった.そこで以前より興味のあった行動経済学の学会にも参加を申し込んでみた.申込時点では対面開催(ただしコロナ情勢によっては対面開催は中止または延期の可能性あり)ということだった.第6波でオンラインになるかもしれないなと思っていが,そのような情勢にはならず,対面開催が実現され,私としても2年ぶりの対面開催の学会参加となった.
会場は東京世田谷の成城大学.都内屈指の高級住宅地に立地し,なかなか素晴らしい.最初は「うーん,電車を乗り継いでいくのか,こうなってみるとオンラインはお手軽でいいところもあるな」という気分もあったが,実際に会場を訪れるのはとても気分がいいし,日常と隔絶した場所で何時間も過ごすことでしっかり内容に集中できる.講演後の拍手も心地いいし,普段行かない土地でランチをするのも楽しい.学会の雰囲気というのはやはりいいものだ.
 
また本学会は経済学系の学会なので,自然科学系の学会との微妙な文化差も面白い.全員ネクタイと背広というわけではないが,服装コードはやや固め.最も違いを感じたのは発表は原則論文になっているもので,発表者の発表の後,その論文を読んだ指定討論者が,論文の位置づけ,その価値,疑問点の提示や改善点の提案などをかなり丁寧に行い,その後質疑応答になるところだ.私のような門外漢には,この発表が学界の流れの中でどのような位置づけのものかが分かりやすく,とてもありがたい仕組みだった.

 

初日(12月11日)

 
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午前中は一般報告Cのファイナンスに途中から参加
 

IPO前後の価格形成 俊野雅司 (指定討論者 岡田克彦)

 
最初に聞いたのはIPOの価格形成についての発表.
入札方式とブックビルディング方式の違いを踏まえて,実証的に初値との比較,上場当初のパフォーマンス,5年後の均衡価格から見て割安だったかどうかを調べた研究.実際に最近のIPOはほとんどブックビルディング方式で,初値より割安になっていることなどが示されていた.
指定討論者が背景を分かりやすく解説してくれていた.IPOの価格は初値より安く設定されることが大半で,これについては以前より謎とされている.特にブックビルディング方式は入札方式より安値になる傾向があるのにもかかわらず,近年の上場ではほとんどがブックビルディング方式になっているのはなぜかが謎になっている.引き受け業者が安くしきりたいのはわかるが,これにより創業者は経済的に損をするのになぜ入札方式を選ばないのか.いわれているのは創業者側のメンタルアカウンティングの問題ではないかというものだが,実際にはよくわかっていないらしい.
 
これはおそらく引き受け証券や創業者側にはかなり明確な理由があるのだが,微妙な問題なのでインタビューしてもなかなか本音を言ってくれないという状況なのではないかと思う.私の推測では創業者サイドではある程度以上の初期利益が確定できれば,上場後も引き続き企業を自由に経営できるかどうかの方が追加の利益より優先しているということではないかと思う.IPO価格から儲かっていれば株主もあまり文句を言わずに株主総会議案,特に人事案に同意してくれるということを期待し,それなら少々の利益は気にしないということなのではないだろうか.経済学的には創業者にとって企業の経営上の裁量権の効用がきわめて高いためにこうなっているということになると思う.
 
 

The Role of Cognitive and Noncognitive Skills and Behavioral Biases in the FX Margin Trading: Evidence from Survey and Transaction Data 岩壷健太郎 (指定討論者 花木伸行)

 
次はFX市場における参加者の様々な特性(特に自信過剰傾向)とパフォーマンスの関係についての報告.
これは証券会社との共同研究で,参加者に謝礼を渡して取引情報の提供に同意してもらい,アンケートを行ったもの.なかなか得られないデータが興味深い.
基本的な知見は自信過剰だとパフォーマンスマイナス,認知能力が高いとプラス,女性だとプラス,無職年金生活者はプラス.自信過剰と認知能力はレバレッジの大きさに相関があり(自信過剰の方がレバレッジが大きく,認知能力が高いと小さい),レバレッジの大きさとパフォーマンスに負の相関があるので,これが効いているのだろうというもの.
 
為替市場は最も効率的でアノマリーがでにくいとされているので,なかなか興味深い.単純に考えるとレバレッジより取引回数(オファービッド差をかぶるはず)の方が効いているように思うのだが,回数よりもレバレッジが効いているというのはやや意外.強制ロスカット時にオファービッド差が大きく離れている傾向があるということだろうか.
 

Earnings Expectation and Interactive Discussion with Corporate Insiders 三輪宏太郎 (指定討論者 髙橋秀朋)

 
アメリカの株式マーケットにおいてアナリストと経営陣のミーティングにおける何がアナリストの評価,ひいては株価に影響を与えているかを調べたもの.文字起こしされているミーティング内容を分析し,誰のどんなトーンの影響が効いているかを調べたところ,経営陣のプレゼンや応答にはほとんど影響力がなく,他のアナリストの発言に反応していたというもの.
 
経営陣は常に自社の先行きを過剰プレゼンする動機が強いので,事実はともかくそのトーンはあまり信用されていないということだろうと思う.
 

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午後はまず企画セッション.私は神経経済学を扱うセッションに参加
 

神経経済学のこれまでとこれから 犬飼佳吾

 
神経経済学の勃興から最近までの流れを解説し,現在の状況を眺めるという講演.神経経済学を認知神経科学の一分野と捉え,経済学的に重要な意思決定のメカニズムを技術の進展(特にfMRI)とともに様々に探ってきた歴史が語られた.そして2010年ぐらいまで論文の発表数は増加の一途だったが,ここ10年は停滞しており,若手も育っていないとされていた.
 
確かに効用や意思決定の脳内メカニズムは興味深いところだが,経済学との関連では効用と脳の報酬回路の関係や意思決定と前頭前野の関係がある程度わかってきたあとは,なかなか革新的な進展はなさそうというのもわかる気がする.
 
続いて会長講演
 

最適政策割当と自己選択の経済学―決めるのは政府か消費者か― 依田高典

 
会長自らの自分の現在の研究内容を踏まえた講演.
現在電力会社と共同で,一般家庭の夏冬の需要ピーク時の節電を促すためのダイナミックプライシングにかかる実験をしている.そこでは消費者の異質性(個人差)に注目し,ダイナミックプライシング価格体系に参加できるようにするナッジ(さらにオプトイン型*1とオプトアウト型)や,誰にダイナミックプライシングを適用するかを決めて割り当てたりする手法などの有効性を調べているというもの.手法の有効性は社会厚生全体で測るとして様々な概念(MTE,LATE,ITT)を駆使した説明がなされた.
単純な割り当てより,強制適用,強制排除,選択できるナッジを組み合わせた方が効果が高いという結果が得られたという内容だった.最後に行動経済学はこれまで認知バイアスや限定合理性の報告から発展してきたが,今後は社会厚生の最大化の手法を探る実証社会科学になっていくべきだと提唱していたのが印象的だった.

その後の質疑応答でも議論されていたが,日本におけるフェアネスの捉え方文化においては,ある人に権利を与えて,ある人に権利を与えないという手法はなかなか理解されないという懸念があるだろう.特に所得が低い方が権利を得られない傾向が出るならものすごくたたかれそうだ.受け入れられるとすればせいぜいオプトイン型とオプトアウト型の割り当てぐらいではないだろうか.
 
初日はこのあと総会やオンライン懇親会が企画されていた(私は会員でないのでパス).
 
 

二日目(12月12日)

 
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午前中は一般報告Cの実装・ナッジに参加.
 

運動を促進するインセンティブプログラム: 健康管理アプリを用いたフィールド実験 黒川博文 (指定討論者 依田高典)

 
神戸で市と共同で行った健康アプリを使ったウォーキング促進運動に,1000歩当たり5円を支払うプログラムを入れて,オプトイン群とオプトアウト群に分け,その効果を調べた実験.ちょうどコロナ禍で外出が自粛されていた時期であり,オプトイン参加者に非常に強い効果が現れた(これはナッジ実験をよくしている側から見るとかなり意外な結果だそうだ.何となく外出がはばかられていた時期に行政のお墨付きがでて大手を振ってウォーキングできるという状況で,オプトイン者にコミットメント的心理的効果が強く出たのではないかと推測されていた)
指定討論者は依田会長で,昨日の講演でも触れられていたMTEなどの指標についての深い議論がなされていた.
 

消費者保護のためのナッジの活用による効果的な打消し表示の提案:クラウドソーシングを利用したランダム化比較試験による実験的検討 山本輝太郎 (指定討論者 黒川博文)

 
怪しげな健康食品などの広告は,こんなに効き目がありましたという体験談が大きく取り上げられ,隅に小さく「個人の感想です.効能には個人差があります」という違法にならないようにする留保文言(打ち消し表示)が付されていることが多い.この打ち消し表示の文言を「あなたには効かない可能性があります」に変えてみたらどうなるかをWeb上でランダム比較実験を行ったという研究.一定の効果はあるとされていた.
 
討論でも指摘議論されていたが,そもそも怪しいものを売ろうとする業者が進んでこの文言変更を受け入れるとは思えないし,法的にこのような表現を強制すれば,すべての似たような広告に似たような打ち消し文言が並んで効果は限定的になるのではという感想を持った.
 
 
午前中はここで離脱して,ランチに.ランチはいかにも成城マダム御用達風のステーキハウス・ポレールでのんびりとハンバーグランチをいただいた.ハンバーグも食後のコーヒーもとても美味であった.
 
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午後の最初の時間は知的財産のセッションに
 

研究者が知っておくべき知的財産の価値 生越由美

 
知的財産権の講習.王政時代に確立した権利の歴史的な説明はとても面白かった.講習の目玉は,研究者にとっては著作表現の先取権の明確化(学会や論文発表前なら公証人役場の封かん品へのスタンプが安価で有効だそうだ)やプログラムなどに含まれる権利の自覚が重要という内容だった.
 
続いてはパネルディスカッションのセッション
 

パネルディスカッション 行動経済学を考え直す

 
昨今の「再現性の危機」問題の飛び火状況も含め,行動経済学への疑問や批判を表明している討論者を招待し,考えを述べてもらい,それに対して行動経済学者が応答するという内容.なかなか刺激的な企画だ.*2
討論者は批判側(話題提供者)は認知科学者の植田一博,法哲学者の若松良樹,神経科学者の田中沙織,応答側(討論者)は川越敏司,依田高典,犬飼佳吾となる.
 
植田一博(認知科学)
今回の再現性の危機には,p-hackingやHARKingなどの問題も大きいが,もう一つ基礎理論の弱さという要因もあると思う.ヒトの意思決定などのメカニズムにより注意を払うべきだという内容.
その中で,デフォルトナッジは強力とされているが,それだけでは今回のコロナ禍での10万円給付について大阪の茨木市がオプトアウト型にしたら,支給を望む人が「支給を希望しません」という欄にチェックを入れてしまうという事態が続出したということを説明できないという例を出していたのが面白かった.
 
川越敏司
確かに意思決定の認知メカニズムをより理解することは有用だろうが,行動経済学の最終的な目標は社会厚生の最大化であり,その場合,選好は最終的に行動に現れる(顕示選好),個人ではいろいろあっても集団としては別の近似が可能(合成の誤謬)ということで問題は小さいのかもしれない.
 
若松良樹(法哲学)
私は肥満の問題を考えている唯一の法哲学者だと思っている.肥満の問題を考えると,それは1回の選択で生じるものではなく,繰り返しの行動の集積,いわば習慣の問題だ.そうすると1回1回の摂食行動は合理的なのかもしれない.だからこの問題を考えるためには合理的選択のフレームワークではなく徳倫理学のフレームワーク(行為から物事を判断するのではなく,中庸を目指す)を使った方がよいのではないか.
 
依田高典
確かに肥満は習慣の問題だ.そして習慣形成の経済学理論も考えることができる(数理モデルを提示).ただ,肥満や依存症の問題はどのように介入すべきかというところに難しさがある.本当は痩せたいのに痩せられない人と,俺は太く短く生きたいんだという人では扱いは変えるべきかもしれない.この問題や双曲割引の問題を考えると,最終的には複数の自己という問題に向き合わざるを得なくなる.
再現性の危機の問題についてコメントすると,これは結局より信頼性を高くする実験を行っていくということだと考えている.また人には異質性(個人差)がある.それにより同じような実験で結果が異なることはありうる.この問題は再現性の問題とは別だと思っている.
 
田中沙織
脳の数理モデルとして強化学習モデルの紹介し,行動実験は生物学的な基盤を意識するべきだとコメント
 
犬飼佳吾
2000年以降の研究動向を概観し,扱う現象には時間的,空間的スケールで様々なものがあること,行動(behavior)と行為(action)の違いなどについてコメントがあった.
 
 
ここまででかなり時間が押してしまい,その後は総合討論として若干のやり取りが行われたにとどまった.大会プログラムとしてはこのあと表彰式と受賞講演があったが,所用あり会場をあとにした.
 
 
お天気も良く,場所柄もおしゃれで,久しぶりの対面学会はいろいろと楽しかった.行動経済学が現在認知バイアスや限定合理性の報告というよりナッジを利用した社会厚生最大化をテーマにして進んでいることがよくわかった(ただしファイナンス分野ではアノマリーや価格形成が引き続きテーマになっていて,これは知見を利用した投資による利益の可能性があるからということだろう).
 
昨今のコロナ情勢下で学会事務局の方々にはいろいろ苦労があったのではないかと思う.ここであらためて謝意を表しておきたい.ありがとうございました.
 
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*1:オプトインにはそれがかなり有利であっても参加率20%の壁があるのだそうだ

*2:なお行動経済学会はこの問題については「『行動経済学の死』を考える」というシンポジウムを10月に開いており,さらに第2回を1月に開くということだ.私としてもぜひ聴講したかったし,したいのだが,いずれもほかのオンラインイベントと重なって参加できないということになっておりとても残念に思っている