From Darwin to Derrida その119

 
 

第11章 正しき理由のために戦う その13

 
ヘイグによる目的論の擁護.再帰的な因果を持つ自然淘汰プロセスは,因果の逆転なしに目的が手段の原因になりうる.現在の構造は過去それが役立ったからだという説明が可能になるのだ.そして自然淘汰は効果の違いに基づいて選択肢を選び,違いのないものは他の遺伝子も含めて環境となる.その環境は自然淘汰が作る情報の源である情報ということになる.ここから因果の話となる.

目的因と機能 その3

 

  • 遺伝子はその効果にとっての「原因」だ(“responsible” for its effects).アレル頻度の変化は,非相加的相互作用のマトリックスから適応度に与える相加的な効果を抽出する(フィッシャー).あるアレルの適応度へプラスに働く効果はどんなものでも,そのアレルの存在の目的因となりうる.遺伝子の機能とは,その拡散や頻度上昇に寄与する効果だと定義できる.その他の(中立やマイナスの)効果は機能のない副作用となる.

https://digital.library.adelaide.edu.au/dspace/bitstream/2440/15133/1/185.pdf

 
引用されているのはフィッシャーの1941年の論文「Average excess and average effect of a gene substitution」.掲載紙が「Annals of Eugenics」という優生学を冠した名であるのも時代を感じさせる.ここでは自然淘汰が抽出するのはアレルの相加的平均効果であることが指摘されている.
 

  • もしある効果が遺伝子の成功に寄与するなら,それがどんな奇妙な経路を通じたものであっても,その遺伝子はその目的のために存在するのであり,その目的は遺伝子のために存在するのだ.(ヘイグ 2012,ヘイグとトリヴァース 1995)

pubmed.ncbi.nlm.nih.gov

 
ヘイグの2012年の論文は「Retroviruses and the placenta」.これは胎盤内で発現するレトロウイルス起源の遺伝子についてのものだ.ヘイグとトリヴァースの1995年の論文はゲノミックインプリンティングに関する総説本の1章として書かれたものだ.ここでいよいよ「目的」が登場する.自然淘汰を通して見るなら遺伝子はその「成功」という目的のために存するということだ.
 

  • 限られたリソースしかない世界での競争においては,ある変異の成功は別の変異の犠牲のもとにあることになる.そのアレルを持たない個体の死の原因は(そのアレルを持つ個体の成功の原因と同じように)そのアレルの成功に寄与する.私の母が(私の父の代わりに)選ばなかった男達のさえない特徴は,このエッセイの存在の原因の1つなのだ.

 
そしてあるアレルの成功の原因は,競争相手である別のアレルとの比較において存在するということになる.
 

  • 1つのアレルはそれが自然淘汰で(最初の突然変異から遺伝子プールでの固定まで)広がるなら,多くの命に違いをもたらす.どのような単一の出来事もたった1つの適応の原因として選び出されることはない.適応は時空に広がる出来事のパターンが生み出す変化なのだ.自然淘汰は単一の作用因ではなく,多くの作用因の統計的サマリーなのだ.

 
ここから因果は無数の要因が絡む統計的に捉えるべきものだということになる.