From Darwin to Derrida その131

 

幕間 その2

 
幕間といいつつ,ここでヘイグはポジティブ淘汰とネガティブ淘汰の概念を説明し,適応主義者と構造主義者の違いの1つがネガティブ淘汰の認識にあるとほのめかした.そしてここからグールドの「外適応」概念についての痛烈な批判が始まる.
 

  • 適応をポジティブ淘汰に限るという定義的制約は,しばしば「機能とは当初ポジティブ淘汰を受けたオリジナルな機能に限る」という主張とセットになっている.これによるとある特徴がその後別の用途にどのように用いられようと,それがネガティブ淘汰により保たれようと,その別の用途は適応ではないということになる.
  • そしてまさにグールドとヴルバは「『適応』とは,適応度を増進させる特徴で,現在の役割のために自然淘汰を受けたものであり,その特徴の作用を『機能』と呼ぶ」と定義し,そしてさらに「『外適応』とは,ほかの用途のために進化し(あるいはなんの機能もなく進化し),のちに現在の役割に転用された特徴であり,その現在の役割のために自然淘汰を受けたものではない有用な特徴の作用は『効果』と呼ぶ」ことを提案している.

 
https://www.insead.edu/sites/default/files/assets/faculty-personal-site/vibha-gaba/documents/Gould%20%26%20Vrba_Exaptation.pdf

ここで参照されているのはグールドが「外適応」概念を華々しく打ち出した1982年の「Exaptation—a missing term in the science of form」になる.
私は「外適応:exaptation」という用語の提案趣旨は単に「『前適応:preadaptation』というとまるで進化が前もってゴールを知っていたかのような誤解が生じるので前(pre)ではなく外(ex)を使う方が誤解が広がらなくていいでしょ」ぐらいの話だと思っていたが,ヘイグによるとそれだけではなく,あわせてなされた用語使用提案のセットにはいろいろ根の深い問題があるというわけだ.
 

  • 「外適応」はとても成功したミームであるが,でももし生命体のほとんどの特徴が別の役割を果たしていた以前の特徴の修正バージョンであったならどうなるだろうか.おそらく世界に「真の」適応と機能はごくわずかしかなく,ほとんどは外適応と効果だけということになってしまうだろう.このような用語法は,適応の興味深い性質を見失わせるだけでなく,「外適応」の有益な効果と有害な効果の区別も見失わせるだろう.

 
外適応がどのぐらい成功したミームかn-gramで調べてみると,私の想像よりはるかに成功しているようだ.

 
もっとも「前適応」と「外適応」の置き換わり自体は多分たいした問題ではなく,問題はその範囲と「効果」の提案のところだろう.私の感覚では,もともとそのために自然淘汰を受けたものではなくとも,その後現在の役割のために何らかの淘汰を少しでも受けていれば「外適応」「前適応」と呼ばずに単に「適応」とすることが一般的だろうから,グールドの提案は全て受け入れられてはいない(そしてヘイグが心配する事態は生じていない)ということだろう.