書評 「食虫植物」

 
本書は食虫植物を扱った岩波科学ライブラリーの一冊.食虫植物といえばハエトリソウやモウセンゴケやウツボカズラが頭に浮かぶ.彼等は窒素を(根からの吸収ではなく)虫を捕らえて消化吸収することによって得ている.貧栄養土壌に置ける合理的な窒素獲得戦略であり,様々な植物群で見られるものだと思っていたが,考えてみればそれ以上のことはあまり知らない.というわけで手に取った一冊になる.
 
前書きで早速食虫植物についてのいくつかのトリビアが開陳されている.冒頭からなかなか楽しい.

  • リンネはハエトリソウが昆虫を食べているという報告をその乾燥標本を見たあとでも信じなかった.
  • ダーウィンはハエトリソウを「世界で最も不思議な植物の1つ(one of the most wonderful [plants] in the world)」と記述している.
  • 現在食虫植物は860種ほど知られているが全て被子植物だ.

 

食虫植物とは何か?

 
第1章は食虫食物の定義の変遷について.単にこういうふうに変わりましたというわけではなくお話仕立てにしているのが読ませる工夫ということだろう.

  • ロリデュラはトリモチ式の罠を持ち小さな昆虫類を捕らえる.ダーウィンはロリデュラが食虫植物であることを疑わなかった.
  • 1942年に食虫植物の大著を書き上げたロイドは食虫植物を「動物を捕獲し消化できる罠を持つ植物」と定義した.(モウセンゴケのような多糖類の粘液ではなく)ロリデュラの粘液は樹脂であり,そこに消化酵素が含まれていない.これによりロイドはロリデュラを食虫植物から除外した.
  • 1989年,ジュニパーが生理学や生化学を中心に100本を越える論文を体系化した食虫植物の大著を書き上げる.彼は誘引,保持,捕獲,殺害,消化,吸収を食虫植物の能力とし,誘引と消化は必須ではないしたが,なおロリデュラを食虫植物とは認めなかった.栄養吸収に特化した細胞が見られず,吸収能力の証拠がなかったためだ.ジュニパーはロリデュラの捕獲能力は食害から守る防衛と考えた.ただし彼はロリデュラにからめ捕られることなくはい回れるクモやカメムシが捕獲した昆虫を摂取していることを認め,食べられたあとの死骸やクモやカメムシの排泄物がロリデュラの窒素源になっている可能性を考察している.
  • 1990年代後半に同位体窒素を使った追跡により捕獲された昆虫からカメムシの液体の排泄物を経由してロリデュラに窒素が受け渡されていることがわかった.またロリデュラの表皮細胞にはクチクラの切れ目があり,そこから栄養を吸収できることも解明された.つまりロリデュラとカメムシは消化共生にあると考えることができる.2018年の66名の共著による食虫植物の本により食虫植物の定義は「捕獲,殺害,消化,吸収,利用が全てそろったものと食虫植物とする,ただし食虫植物自身による消化の完結を条件としない」とされ,ロリデュラは食虫植物に返り咲いた.
  • 定義は動物の窒素源を利用する新しいタイプの植物が見つかれば書き換えられうるということになる.近年知られるようになった食虫植物のタイプには,地中に葉を忍ばせて線虫を捕食する植物,ハエやハチに作らせた虫こぶから栄養を吸い取り,中の虫を殺す植物が見つかっている.

 

食虫植物の猟具

 
第2章では様々な食虫植物の動物を捕らえる方法が解説されている.基本形はトラバサミ,トリモチ,カタパルト,落とし穴,スポイト,ウナギ筒の6種類だそうだ.面白いところを紹介しよう.

  • ハエトリソウのトラバサミ式罠は葉にある感覚毛で感じた刺激で閉じられる.ただし1回目では閉じず,30秒以内に2回目の刺激があったときに閉じられる.この「記憶」は刺激によりカルシウムイオン濃度が急速に上昇しその後ゆっくり減衰する仕組みと30秒以内に2回目の刺激があったときだけ閉葉のための閾値を超える様な閾値の設定により可能になっている.また一旦閉じた後も感覚毛で獲物がもがいているかを感知し,感知できれば消化液を分泌する.もがいていることを感知できなければ短時間で開く.
  • グランデュリゲラモウセンゴケはトリモチ式の罠を持っているが,葉の外縁から延びる触毛を持ち,そこに触れた獲物をトリモチ式の罠に放り込むカタパルト式の罠も持つ.
  • ゲンセリアは葉が二分岐し,先がらせんに巻いたウナギ筒罠を持つ.らせんの切れ目が入り口で,筒の内側には一定方向を向いた毛がびっしり生えていて,入り込んだ無脊椎動物のような獲物を逃さない仕組みになっている.
  • ウツボカズラのような落とし穴式の罠は雨水であふれてしまわないようにフタを持つのが通常だ.しかし多雨で知られるギアナ高地にあるエリアンフォラの落とし穴罠はフタを持たず*1,オーバーフロー穴と(オーバーフロー穴までの壁面に細かな毛をびっしり生やすことによる)毛細管現象を利用したサイフォンで対処している.

 

食虫植物の偏食

 
第3章は食虫植物の獲物の選好について.一般的にはトリモチ罠には双翅目昆虫,落とし穴罠にはアリ,トラバサミ罠にはアリやクモがよくかかり,タヌキモのスポイト罠にはミジンコやカイアシがよく入る.ここではそれ以外のちょっと特殊なものが解説されている.ここも面白いところを紹介しよう.

  • アルボナーギナタウツボカズラは捕虫罠から地衣類に似た味や匂いを出し,地衣類を食べるシロアリを誘引する.
  • ツボウツボカズラは樹冠から舞い落ちる木の葉を主な栄養源としており,シビンウツボカズラはツパイやネズミのような脊椎動物の排泄物を主な栄養源としている.さらにヘムスレヤナウツボカズラはエコロケーション案内板を持ち,コウモリにねぐらを提供してその排泄物を得ている.*2
  • 壺状の落とし穴罠を持つムラサキヘイシソウは昆虫のほかサンショウウオを獲物とする.

 

食虫植物の葛藤

 
第4章は食虫戦略の適応性,特にコストとトレードオフについて.以下のような説明の流れになっている.

  • 植物の中で食虫植物は少数派だ.これは罠に作成・維持コストがかかるためだと考えられる.
  • 罠には葉を用いることから光合成との間でトレードオフがかかる.ウツボカズラやハエトリソウでは葉の先端側に罠を作り,基部で光合成を行っている.ヘイシソウは葉基だけでなく捕虫網から延びる突起状のキールでも光合成を行い,どこまで光合成に投資するかを制御可能にしている.フクロユキノシタやゲンセリアは光合成葉と罠葉の二種類を造り分ける.これらは表現型可塑性の一種だ.
  • 全ての食虫植物は光合成能力を維持している.ただし葉緑体の機能に重要なNAD(P)Hデヒドロテナーゼ複合体をコードする遺伝子群は失われている.これらは寄生植物や菌従属栄養植物でも失われていることが知られている.(残念ながらどのような淘汰圧でそうなると考えられるのかについての解説はない)
  • 送粉に昆虫を用いる被子植物が食虫植物になると,昆虫に来てほしい花と捕らえたい罠の間でトレードオフがあるのではないかと考えられる.しかし実際に送粉者を捕殺してしまい送粉できなくなったという観察例はない.これについてはそもそもそんなトレードオフはない*3という考え方と,食虫植物にそれを回避する適応*4が生じているという2つの仮説がある.原因の切り分けが難しく議論が続いているが,少なくとも花を罠に用いない理由としてこのトレードオフには一定の説明力があると考えられる*5
  • 食虫植物は昆虫から食害も受ける.通常の植物は食害を受けたときにジャスモン酸を用いた障害応答(防御反応)を行うが,多くの食虫植物ではジャスモン酸を捕虫応答に用いていて,シグナルの誤認のリスクがあると考えられる.実際にアフリカナガバノモウセンゴケではこの2つの応答の混戦が観察されている.

 

  • 食虫植物を利用する昆虫も存在する.ある種のハナアブの幼虫はモウセンゴケの罠の上を歩き回り捕らえられた獲物を横取りする.またモウセンゴケトリバ(トリバガの一種)の幼虫もモウセンゴケの罠の上を歩き回り粘液を食べる.食虫植物の袋型捕虫網を専門に食べる蛾(Pitcher plant mothと呼ばれる)も知られている.
  • ビカルカラタウツボカズラはアリと相利共生している.ウツボカズラは蜜腺から蜜を供給し,ツルを空洞にしてアリに住処を与える.アリは捕虫袋の開口部の襟状構造の滑りやすさを保ち,捕虫袋の中の(獲物を横取りする)ボウフラを退治し,さらに袋からはい上がろうとする獲物を攻撃して袋に追い落とす.

 

それでも虫を食べる意味とは

 
第5章は食虫戦略の適応性の続き.ここではまず虫を捕らえることの利益にフォーカスされ,次に食虫戦略進化の条件が考察される.解説は学説史的に進められ,最初はダーウィン父子の研究から始まる.

  • チャールズ・ダーウィンは1860年に英国のハートフィールドでモウセンゴケに出会い,しばらくそれに熱中する.彼はモウセンゴケの粘液に消化能力があることを発見し,その運動,消化,吸収能力を調べ,1875年には「食虫植物(Insectivorous Plants)」という本を出している.彼は食虫には利益があると考え,生育を促進するかどうかを調べる実験を企画したが,実験処理区の仕切りに亜鉛版を使ったためモウセンゴケが枯れてしまい実験は失敗した.
  • 彼の息子フランシス・ダーウィンはこの研究を引き継いだ.仕切りを木に替えて,様々な条件下で肉を与えたモウセンゴケと与えなかったモウセンゴケの生育を比較した.結果は明瞭で食虫植物が捕虫によって利益を得ていることが実証された.これに触発されて,様々な食虫植物で実験が行われ,食虫の利益が明らかになった.
  • これは条件が整えば食虫戦略が進化可能であることを示している.ではその条件は何か.
  • 1980年ギブニッシュはギアナ高地で,タンクブロメリアと呼ばれる貯水槽を持つ植物の一種ブロッキニア・レデュクタが食虫植物であることを発見し,なぜあまたのタンクブロメリアの中でこの種のみが食虫植物なのかを考え始めた.そして多くの食虫植物の生態を比較し,共通条件を調べた.その結果多くの食虫植物は,貧栄養の土壌で日当たりがよく,湿った環境を好むことがわかった*6
  • タンクブロメリアの多くの着生だが,ブロッキニア・レデュクタは地上性だった.ギブニッシュは着生の食虫植物があるのかを調べたが,それは極めて稀で全世界でたった18種しか見つかっていないことがわかった.着生植物は日当たりが悪く乾燥した環境で生育し,地上性のブロッキニア・レデュクタは日当たりがよく湿潤な環境で生育する.条件には(貧栄養だけではなく)光と水が関係するのだ.
  • これは(光合成に必要な)光と水は豊潤だが,光合成回路の合成に必要な窒素とリン酸が足りない状況と考えることができる.この場合罠にコストをかけても虫を捕れば,それにより光合成回路を合成でき,潤沢に光合成を行うことができるようになるのだ.
  • この考え方によると,食虫植物が夏に捕虫葉を作りそれ以外の季節は光合成葉を作るか休眠するという戦略をとっている理由も説明できる.ギブニッシュはこれを費用対効果モデルにまとめ上げた.

 

食虫植物はなぜ「似てしまう」のか

 
第6章は食虫植物の進化史について.特に分子系統推定,収斂,(単独では意味なさそうな)捕虫のための複数形質の進化シナリオが扱われている.

  • ブランションやダーウィンはモウセンゴケ,ロリデュラ,ビブリスはいずれもトリモチ式罠を持つことから単一系統と考えた.クロワザは全ての食虫植物が単一系統と主張した.
  • 1990年以降DNAを用いた系統推定がなされるようになり,食虫植物の複数回起源が明らかになった.モウセンゴケとロリデュラとビブリスのトリモチ式罠は収斂だったのだ.2016年時点での研究コンソーシアムの情報整理によれば被子植物全64目の中の6目(イネ目,オモダカ目,カタバミ目,ナデシコ目,ツツジ目,シソ目)で食虫植物が進化している(さらにそれぞれの目の中で複数回進化しているものもある).
  • 興味深いことにウツボカズラとフクロユキノシタの消化酵素遺伝子ではDNA配列にまで収斂現象(分子収斂)が見られる.これは消化酵素進化(消化酵素はもともとはバクテリアや菌に対する防御としての分解酵素から進化したようだ)の適応度地形が非常に急峻でほとんど一本道であったことを示唆している.

 

  • 食虫植物には,虫を誘引する仕組み,捕らえる仕組み,消化する仕組みが必要だが,3つそろわなければ意味がなさそうで,どのように進化したのかが問題になる.
  • 多くの維管束植物は食害からの防御のためにプロテアーゼを腺状突起から分泌する.プロテアーゼは粘着性とタンパク質分解機能を持ち,食虫植物の粘液と消化酵素に割と簡単に転用進化できたと思われる.
  • 消化酵素の分泌にエキソサイトーシス(細胞内の輸送小胞を細胞外に押し出して物質を輸送するもの,押し出された小胞膜は細胞膜と融合される)を使ったなら,膜の回収のためにエンドサイトーシスが生じると考えれば,吸収は同時に進化しうることになる.するとトリモチ式食虫植物の捕獲,消化,吸収は同時に進化可能であったと考えられる.
  • 現生の食虫植物の多彩な捕虫様式はトリモチ式から派生したものだと考えられている.トリモチ式から落とし穴式などに進化するのは,葉の形態を変えればよい.葉の形を決める仕組みから考えるとウツボカズラやタヌキモのように葉を変化させることはそれほど難しいことではないと考えられる(これは著者たちが提唱している仮説であり,かなり詳しく解説されている).

 

食虫植物のゆくえ

 
最終章では食虫植物と人類との関わり,そしてその将来が考察されている.

  • オーストラリアのフクロユキノシタは分布域が狭く,気温上昇で奇形の葉が増えることが報告されている.気候変動で絶滅の危機に陥る可能性がある.多くの食虫植物は捕虫葉の上に独自の生態系を形作っており,独自の共生生物も多い.食虫植物の絶滅はこれらの生態系の消失を意味する.
  • 食虫植物は栽培種として人気がある.このため原産地から離れて栽培されることが多く,侵略的外来種となった食虫植物も多い(岡山県の調査では県内だけで10種以上の外来食虫食物が野生化しているそうだ).日本で野生絶滅したムジナモは米国に侵入して分布域を広げている.
  • 栽培種ではしばしば捕虫機能が退化する.これは条件がそろえば野生でも生じる進化だ.
  • これまで人類は様々な食虫植物を利用してきた*7.袋型捕虫葉の中に入った水は時に探検家(その1人はウォレスだそうだ)の命を救った.
  • 将来的には遺伝子編集など技術を用いて,害虫駆除への利用,袋型捕虫用にたまる消化液に着目したタンパク質工場としての利用も考えられる.ウツボカズラのプロテアーゼは便利なタンパク質切断デバイスとして使える可能性がある.薬理活性を持つ成分の探索も行われているし,捕虫網の様々な仕組みをバイオミミクリーとして利用することも可能だ.

 
以上が本書の内容になる.食虫植物の定義から始まり,その機能とメカニズム,捕虫戦略の進化,系統,そして将来まで包括的に説明された本に仕上がっている.本書は一般向け書籍としてに初歩の部分から丁寧に解説があり,学説史を交えることにより興味深さを保つく工夫が成功している.私にとっては何より本書の隅々にまで著者の食虫植物愛が感じられる楽しい一冊となった.
 
関連書籍
 
ダーウィンの食虫植物本.残念ながら(私の知る限り)邦訳はされていない.

Insectivorous Plants

Insectivorous Plants

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ダーウィンの(食虫植物を含む)植物研究に関するこんな本もあるようだ.

*1:なぜかは解説されていない,おそらくあまりに降水量が多いので,密閉できないフタでは役に立たないからなのだろう

*2:ということになるとこれらのウツボカズラは第1章の食虫植物の定義から外れてしまうような気もする(ツボウツボカズラの場合には落ち葉と一緒にわずかでも微小動物が入っていればいい,シビンウツボカズラやヘムスレヤナウツボカズラの場合には排泄物に腸内細菌が含まれるからいいということだろうか?)が,ここではその問題には触れられていない

*3:野外で捕殺している虫は送粉者以外が大半で,送粉に対する捕殺の影響はあまりないと考える

*4:罠の時期と花の時期をずらす,物理的に距離を作る,識別シグナルで誘導するなどが議論されている

*5:ただし本書の執筆終盤時の2021年8月に花茎で捕虫する新しい食虫植物が見つかったそうだ

*6:典型的なのは湿地であり,日本でも多くの食虫植物は湿地で見られる

*7:ウツボカズラの蔓を用いたロープ,ムシトリスミレを入れた発酵乳飲料,ウツボカズラの捕虫葉を用いた容器などが紹介されている